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ローマ人への手紙目ざめよ! 1974 | 8月22日
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互いどうしの関係を終始見守らねばなりません。「神の王国は,食べることや飲むことではなく,義と平和と聖霊による喜びとを意味しているからです」。(ローマ 14:17)この義と平和と喜びは,「キリストと共同の相続人」となり,天の王国でキリストと「ともに栄光を受ける」人々が特に受ける分です。また,ローマ人への書が,「平和を与えてくださる神は,まもなくサタンをあなたがたの足の下に砕かれるでしょう」と述べて,エデンで与えられた王国に関する約束がどのように実現するかについてさらに詳細な点を指摘していることにも注意してください。(ローマ 8:17; 16:20。創世 3:15)こうした偉大な真理を信じつつ,わたしたちは引き続きあらんかぎりの喜びと平和に満たされ,希望に満ちあふれることができますように。そして,わたしたちの決意は,王国の胤とともに最終的に勝利を得ることでありますように。わたしたちは,上の天にあるものも,下の地にあるものも,「またほかのどんな創造物も,わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛からわたしたちを引き離しえないことを」確信しているからです。―ローマ 8:39; 15:13。
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聖書の第46番めの本 ― コリント人への第一の手紙目ざめよ! 1974 | 8月22日
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『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』
聖書の第46番めの本 ― コリント人への第一の手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: エフェソス
書き終えられた時期: 西暦55年ごろ
含まれている時代: 確定できない
1 パウロの時代のコリントはどんな都市でしたか。
コリントは,「東西の悪徳が相会する,世に聞こえた肉欲の町」でした。a ペロポネソス半島と大陸部ギリシャとを結ぶ細長い地狭に位置したコリントは,ギリシャ本土への陸上路を制していました。使徒パウロの時代に,この都市は推定40万の人口でにぎわっていました。市の東方にはエーゲ海があり,西方にはコリント湾を経てイオニア海が広がっていました。こうして,アカイア州の首都であり,ケンクレアとレキオムの二つの港を擁するコリントは,商業的な意味で戦略上の要地を占めていました。それはまた,ギリシャの学芸の中心地の一つでもありました。「その富財は広く知られてまさに格言的な存在であり,その住民の悪徳と放とうぶりも広く知られていた」と言われています。b この市の異教的な宗教習慣の中にはビーナスの崇拝も含まれており,それはきわめてみだらな方法でなされました。公の売春は市の宗教活動の一環をなしていました。
2 コリント会衆はどのようにして設立されましたか。したがって,その会衆には,パウロとの間にどんなきずながありましたか。
2 経済的には繁栄し,道徳的には退廃した,ローマ世界のこの都市に使徒パウロが旅をしたのは西暦50年ごろのことです。彼が18か月滞在している間にここにクリスチャン会衆が設立されました。(使徒 18:1-11)キリストについての良いたよりを自分が最初に伝えたこの地の信者たちに対してパウロは非常に深い愛を感じていました。彼は手紙の中で次のように述べて,互いの間に存在する霊的なきずなについて思い出させています。「あなたがたにはキリストにあって一万人の養育係りがいるとしても,決して多くの父親はいないのです。キリスト・イエスにあって,わたしが,良いたよりを通してあなたがたの父親となったからです」― コリント第一 4:15。
3 パウロをしてコリント人への第一の手紙を書かせたものはなんですか。
3 パウロがコリントのクリスチャンたちにあてて最初の手紙を書いたのは彼らの霊的な福祉に対する深い関心のためです。それは彼の三度めの宣教旅行中のことでした。彼がコリントに在住していた時以来幾年かたっており,西暦55年ごろになっていました。パウロはエフェソスにいました。明らかにパウロはこの比較的に新しいコリント会衆からの手紙を受け取り,その手紙が返事を求めていたものと思われます。加えて,穏やかならぬ知らせがパウロのもとに達していました。(コリント第一 7:1; 1:11; 5:1; 11:18)その知らせがあまりに悲しいものであったため,パウロは自分の手紙の第七章の初めに至るまで,彼らからの問い合わせの手紙についてはひとこともふれていません。自分の受け取ったそうした知らせのゆえにこそ,パウロはコリントにいる仲間のクリスチャンたちにあてて手紙を書く必要を痛切に感じたのです。
4 どんな証拠から,パウロがこの手紙をエフェソスで書いたと言えますか。
4 しかし,パウロがコリント第一の書をエフェソスで書いたということがどうしてわかるでしょうか。一つの点として,あいさつのことばでその手紙を結ぶにあたり,パウロはアクラとプリスカ(プリスキラ)からのあいさつを含めています。(コリント第一 16:19)使徒 18章18,19節は,この二人がコリントからエフェソスに移ったことを示しています。アクラとプリスキラがエフェソスに在住していたこと,そして,コリント第一の書の結びのあいさつを送った人々の中にこの二人が含まれていることから見て,パウロはこの手紙を記した時エフェソスにいたものと考えられます。そしてさらに,不確かさを全く残さない点として,コリント第一 16章8節のパウロの次のことばがあります。「しかし,ペンテコステの祭りまでは,エフェソスにとどまるつもりです」。したがって,コリント第一の書は,パウロによってエフェソスにおいて,明らかにそのエフェソス滞在の終わり近くに書かれました。
5 コリント人への第一,第二の手紙の典拠性を何が立証していますか。
5 コリント第一また第二の書の典拠性は疑う余地がありません。これらの手紙は,初期のクリスチャンにより,パウロの記したもの,また聖書正典の一部として受け入れられ,初期クリスチャンたちの収集物の中に入れられていました。事実,コリント第一の書は,西暦95年ごろにローマからコリントに送られ,クレメンスの第一の書と呼ばれるある手紙の中で少なくとも六回にわたって言及もしくは引用されていると言われます。その手紙の筆者は,明らかにコリント第一の書をさして,「祝福された使徒パウロの書簡を手に取る」ようにとその手紙の受取人に勧めています。c また,コリント第一の書は,殉教者ユスティヌス,アテナゴラス,イレナエウス,テルツリアヌスなどによっても直接に引用されています。コリント第一,第二の書を含むパウロの手紙の集成もしくは全集が「第一世紀の最後の十年間にまとめられ,公刊された」という強力な証拠があります。d
6 コリント会衆にはどんな問題がありましたか。パウロは特にどんなことに関心を持っていましたか。
6 コリント人にあてたパウロの最初の手紙は,コリント会衆そのものの内部の様子を見る機会をわたしたちに与えています。この地のクリスチャンは種々の難問に直面し,解決すべき問題をかかえていました。会衆内に党派がありました。人間に従う人々がいたからです。宗教面で分裂した家族を持つ人もいました。そうした人は信者でない配偶者のもとにとどまるべきですか,それとも別居を求めるべきですか。偶像に犠牲としてささげられた肉を食べることについてはどうですか。それにあずかってもよいですか。コリントの人たちは,主の晩さんを含め,集会をどのように開くかについても忠告を必要としていました。会衆内における婦人の立場はどのようなものであるべきですか。また,彼らの中には,復活を否定する者もいました。問題は多くありました。しかし,パウロは特に,コリントの人たちを霊的に立ち直らせることに関心を払いました。
7 わたしたちはどんな態度でコリント第一の書の内容を検討すべきですか。なぜ?
7 古代コリントにおける会衆内の状態,また,物質的に繁栄しながらみだらな傾向の強かったその周囲の環境は現代に類例のないものではありません。したがって,神の霊感のもとに記されたパウロの堅実な助言はわたしたちが注意を払うべきものです。パウロの述べた事がらはわたしたちの時代にも深い意味を含んでいますから,愛するコリントの兄弟姉妹にあてた彼の最初の手紙の内容を思慮深く考察することは確かに有益です。その時代と場所の精神を想起してください。昔のコリントにいた仲間の信者に対するパウロの霊感のことば,その心を刺し通しふるい立たせるようなことばを読み返しつつ,コリントのクリスチャンたちがおそらくは行なったと同じように,自らを細かに吟味してください。
コリント第一の書の内容
8 (イ)会衆内における分派的傾向の愚かさを,パウロはどのように指摘していますか。(ロ)パウロは神の事がらを理解するために何の必要なことを示していますか。
8 パウロは分派的な傾向を指摘して,一致を説く(1:1–4:21)パウロはコリントの人たちに対して好意をいだいています。しかし,彼らの間の党派や争論についてはどうでしょうか。「キリストが分裂してしまっています」。(1:13)パウロは彼らのうちのごくわずかの人にしかバプテスマを施さなかったことをむしろ感謝しています。彼らはパウロの名においてバプテスマを受けたとは言えません。パウロが宣べ伝えているのは杭につけられたキリストです。これがユダヤ人にはつまずきとなり,諸国民には愚かとみなされています。しかし神は,賢くて強い者を恥じさせるために,世の愚かで弱い者を選ばれました。それゆえパウロはもったいぶった話し方をせず,むしろ,自分のことばを通して働く神の霊と力を彼らに見させることを求めます。それは,彼らの信仰が,人間の知恵によらず,神の力によるものとなるためです。わたしたちは神の霊によって啓示された事がらを話します。それは,「霊がすべての事,神の奥深い事がらまでも究める」からである,とパウロは述べます。そうした事がらは,物質的な人は理解できず,ただ霊的な人のみ理解できます。―2:10。
9 だれも人間を誇りとすべきでないことをパウロはどのような論議で示しますか。
9 コリントの人たちは,ある者はアポロに,またある者はパウロにと,人間に従っています。しかし,これらはいったい何者でしょうか。コリントの人たちが信者となるための経路となった奉仕者にすぎません。植えたり水を注いだりする者は数えるに足りません。「神がそれをずっと成長させてくださった」のであり,それらの者は「神とともに働く者」にすぎないからです。だれの業が耐久性のあるものであるかを,火の試練が試します。パウロは彼らに,『あなたがたは神の神殿であり』,神の霊がそのうちに宿っている,と告げます。「この世の知恵は神にとっては愚かなもの」です。したがって,だれも人間を誇ってはなりません。すべては神に属しているからです。―3:6,9,16,19。
10 コリントの人々の誇りはなぜ見当違いのものですか。そうした事態を正すためにパウロはどんな処置を取ろうとしますか。
10 パウロとアポロは神の神聖な奥義の謙遜な家令です。家令は忠実でなければなりません。誇ったりするとは,コリントの兄弟たちはいったい何者なのですか。彼らが持つもので他から受けなかったものがあるのですか。彼らは富み,王として支配を始めたのですか。み使いに対しても人々に対しても劇場の見せ物のようになっている使徒たちはいまだ愚かであり,弱く,すべてのもののかすのようになっているのに,彼らはそれほど思慮深い者,強い者となったのですか。パウロはテモテを遣わします。彼らを助けてキリストにちなんだ彼のやり方を彼らに思い出させ,キリストを見倣う者とならせるためです。エホバのご意志であれば,パウロ自身もまもなく彼らのところに行き,思い上がっている人たちのことばだけでなく,その力をも知ることになるでしょう。
(このつづきは次号に載せられます)
[脚注]
a H.H.ハレー著「ポケット聖書ハンドブック」,1944年,444ページ。
b スミスの「聖書辞典」,1915年版,188ページ。
c 「注釈者のための聖書」(英文),1944年,第10巻,13ページ。
d 「注釈者のための聖書」(英文),1944年,第9巻,356ページ。
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