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    目ざめよ! 1974 | 9月8日
    • た事件だけである。1962年には,ソ連のスプートニク4号の,重さ9㌔の破片が,アメリカ,ウィスコンシン州マニトウォク市の大きな交差点上に落下した。多くの場合,こうした物体は大気との摩擦で燃え尽きるか,海上に落下する。打ち上げられた7,000個以上の物体のうち,今年の1月初め現在で3,000個近くが軌道上に残っている。そのうち,624個を除けば,他のすべては“残がい”とみなされている。

      大量輸送

      ◆ 最近,大量輸送の問題がさかんに話し合われるようになった。アメリカ,ワシントン州シアトル市では,道路の混雑を緩和するために,バスの無賃化が奨励され,かつ成功した。しかしイタリアのローマでは,無賃バスの乗客が主にそれまでの歩行者であり,自動車の運転手ではないため,交通は依然として混雑したままであることが明らかになった。ビジネス・ウィーク誌の次の記事に同意する人は少なくないであろう。「現在の皮肉な現象の一つは,ガソリン不足とその配給制に対する不安が,収容能力の点でも快適性の点でもまだ不足のある大量輸送機関の使用を奨励していることである」。

  • コリント人への第一の手紙の内容(つづき)
    目ざめよ! 1974 | 9月8日
    • 『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

      コリント人への第一の手紙の内容(つづき)

      11 彼らの間にはどんな不道徳行為が起きていますか。それについて何を行なわなければなりませんか。なぜ?

      11 会衆を清く保つことについて(コリント第一 5:1–6:20)コリントの人たちの間では,驚くほどの不道徳の事例が伝えられています。父の妻を自分の妻としている人がいるのです! その者はサタンに渡されねばなりません。少しのパン種が固まり全体を発酵させるからです。兄弟と呼ばれながら邪悪な行動をする者との交わりは断たなければなりません。

      12 (イ)互いを法廷に訴えることについてパウロはなんと論じますか。(ロ)なぜ淫行から逃れるべきですか。

      12 なぜコリントの人たちは互いを法廷に訴えたりするのですか。それくらいならむしろだまし取られるほうがよいではありませんか。彼らは世をもみ使いをも裁くことになっているのです。それなのに,兄弟の間を裁く者を彼らの中に見いだせないのですか。それだけでなく,彼らは清くあらねばなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者などは神の王国を受け継げないからです。確かに彼らの中にはかつてそのような者もありました。しかし,彼らは洗われて清い者,神聖な者とされたのです。「淫行から逃れなさい」とパウロは述べます。「あなたがたは代価をもって買われた(の)です。どうあっても,あなたがたの体によって神の栄光を表わしなさい」。―6:18,20。

      13 (イ)パウロがある人々に結婚を勧めているのはなぜですか。ひとたび結婚したなら何を行なうべきですか。(ロ)どういう意味で独身の人は「さらにりっぱに行動して」いますか。

      13 独身と結婚に関する助言(7:1-40)パウロは結婚に関する質問に答えます。淫行がはびこっているために,男も女もそれぞれ結婚することが勧められるかもしれません。そして,結婚している人々は,夫婦間の当然の分を互いから奪い取ってはなりません。結婚していない人とやもめとは,パウロと同じように独身のままでいるのがよいでしょう。しかし,自制することができないなら,その人は結婚しなさい。ひとたび結婚したなら,結び合ったままでいなければなりません。配偶者が信者ではなくても,信者である者はそのもとを去るべきではありません。それによって,信者は信者でない配偶者を救えるかもしれないからです。割礼と奴隷の身分については,おのおの自分の召された時の状態に甘んじていなさい。結婚している人は自分の配偶者の是認を得ようとして心が分かれ,一方,独身の人はただ主のことにのみ気をつかいます。結婚する人はそれによって罪を犯すのではありませんが,結婚しない人はさらにりっぱに行動しています。

      14 「神」また「主」と称されるものについてパウロはなんと述べていますか。しかし,どんな場合には,偶像にささげられた食物を避けるほうが賢明ですか。

      14 良いたよりのためにすべての事を行なう(8:1–9:27)偶像にささげられた食物についてはどうでしょうか。偶像は無きに等しいものです。世界には「神」また「主」ととなえられるものが多くありますが,クリスチャンにとっては,「父なるただひとりの神」,また「ひとりの主,イエス・キリスト」がおられるだけです。(8:5,6)しかし,偶像に犠牲としてささげられた肉をあなたが食べるのを見て感情を害する人がいるかもしれません。そうした状況のもとではそれを避け,兄弟をつまずかせないように,とパウロは忠告します。

      15 パウロは自分の奉仕の務めに関してどのように行動していますか。

      15 パウロは奉仕の務めのために自分について多くのものを否定します。使徒として,彼には「良いたよりによって生活する」権利がありますが,そうすることを控えてきました。それでも,彼には宣べ伝える必要が課されています。事実,「もし良いたよりを宣明しなかったとすれば,わたしにとっては災いとなる」と彼は語ります。こうして彼は自らすべての人の奴隷となり,「あらゆる人に対してあらゆるものと」なりました。「良いたよりのためにすべての事を」行なって,「なんとかして義人かでも救うため」です。競走に勝ち,朽ちない冠を得るために,パウロは自分の体を打ちたたきます。他の人に宣べ伝えておきながら,自らは「非とされるようなことにならないため」です。―9:14,16,19,22,23,27。

      16 (イ)クリスチャンは「父祖たち」の例からどんな警告を受けるべきですか。(ロ)偶像礼拝に関連してクリスチャンはどのようにすべての事を神の栄光のために行なえますか。

      16 害になる事がらに対して戦う(10:1–11:1)「父祖たち」についてはどうですか。彼らは雲の下にあり,モーセへのバプテスマを受けました。彼らの多くは神の是認を受けず,荒野で倒されました。なぜ? 害になる事がらを欲したためです。クリスチャンはこれを警告とし,偶像礼拝や淫行,またエホバを試したりつぶやいたりすることを避けなければなりません。立っていると思う人は倒れることのないように気をつけねばなりません。誘惑は来ます。しかし,神は,ご自分のしもべが耐えられる以上の誘惑を受けることを許されません。それを忍耐できるようにのがれ道を備えてくださるのです。「ですから,偶像礼拝から逃れなさい」とパウロは書きます。(10:14)わたしたちはエホバの食卓と悪霊の食卓にともにあずかることはできません。しかし,ある家で食事をしているような場合,肉がどこから来たものであるかについて尋ねてはなりません。しかし,それが偶像に犠牲としてささげられたものであることをだれかが知らせるなら,その人の良心のゆえにそれを食べないでおきなさい。「すべての事を神の栄光のためにしなさい」と彼は書きます。また,「わたしがキリストに見ならう者であるように,わたしに見ならう者となりなさい」とも書きます。―10:31; 11:1。

      17 (イ)頭の地位に関してパウロはどんな原則を明らかにしますか。(ロ)パウロは会衆内における分裂の問題と,主の晩さんに関する論議とをどのように結び付けていますか。

      17 頭の地位; 主の晩さん(11:2-34)パウロは頭の地位に関する神の原則を明らかにします。女の頭は男,男の頭はキリスト,キリストの頭は神です。それゆえ,会衆内で祈ったり預言をしたりする時,女は自分の頭に「権威のしるし」を着けるべきです。パウロはコリントの人たちをほめることはできません。ともに集まる時,彼らの間には分裂が存在するからです。そうした状態ではどうして主の晩さんを正しく行なえるでしょうか。パウロは,イエスが自分の死の記念の式を創始された時のことを振り返ります。各はそれにあずかる前に自分を吟味しなければなりません。「その体」をわきまえないで自分の身に裁きを招くことのないためです。―11:10,29。

      18 (イ)賜物や奉仕の務めにはさまざまなものがありますが,体の中に分裂があるべきでないのはなぜですか。(ロ)愛が特に秀でているのはなぜですか。

      18 霊の賜物,愛およびそれを追い求めること(12:1–14:40)霊の賜物はいろいろありますが,霊は同じです。奉仕の務めや働きはさまざまですが,主は同じ,また神は同じです。同様に,一つの結合体としてのキリストの体には多くの成員がいますが,各成員は互いに他を必要としており,その点で人間の体と同様です。神はその望むままに体にすべての肢体を置かれました。各にはそのなすべき業があります。こうして「体に分裂がないように」されました。(12:25)霊の賜物を用いる者も愛がないなら全く無に等しいのです。愛は辛抱強く,親切で,ねたまず,思い上がりません。愛はただ真理にのみ喜びを持ちます。「愛は決して絶えません」。(13:8)預言や異言などの霊の賜物は廃されますが,信仰と希望と愛は残ります。これらのうち最大のものは愛です。

      19 会衆を築き上げるため,また物事を秩序正しく行なうためにパウロはどんな助言を与えていますか。

      19 「愛を追い求めなさい」とパウロは訓戒します。霊の賜物は会衆を築き上げることのため愛のうちに用いられるべきものです。このゆえに,異言を語ることより預言をすることのほうが好まれます。パウロ自身としては,知られていない言語で一万のことばを語るより,理解できる五つのことばを語って他の人を教えることのほうを願います。異言は信者でない人に対するしるしのためですが,預言は信者に対するしるしです。人はこうした点の理解において「幼子」となってはなりません。女は,会衆内にあっては服しているべきです。「すべての事を適正に,また取り決めのもとに行ないなさい」。―14:1,20,40。

      20 (イ)キリストの復活についてパウロはどんな証拠を提出していますか。(ロ)復活はどんな順序で起きますか。どんな敵は征服されますか。

      20 復活の希望の確かさ(15:1–16:24)復活したキリストはケファに,十二人に,ある時には五百人以上の兄弟に,ヤコブに,すべての使徒に,そして最後にパウロに現われました。『もしキリストがよみがえらされなかったとすれば,わたしたちの宣べ伝える業と信仰はむだである』とパウロは書きます。(15:14)各その順序にしたがってよみがえらされます。キリストが初穂,そののち,その臨在の間に,彼に属する者たちです。最後にキリストは,すべての敵が彼の足の下に置かれてから,王国を父に渡します。最後の敵である死でさえ無に帰せしめられます。復活がないとすれば,パウロが終始死の危険に直面していることになんの価値があるでしょうか。

      21 (イ)神の王国を受け継ぐ人々はどんなよみがえりを受けますか。(ロ)どんな神聖な奥義をパウロは明らかにしますか。死に対する勝利について彼はなんと述べますか。

      21 しかし,死者がどのようによみがえらされるでしょうか。植物の体が成長するためにはまかれた種粒が死ななければなりませんが,死者の復活もこれと似ています。「物質の体でまかれ,霊の体でよみがえらされます。……肉と血は神の王国を受け継ぐことができ(ない)」のです。(15:44,50)パウロは神聖な奥義を告げます。つまり,すべての者が死の眠りに就くのではありませんが,最後のラッパの間に,人々はまたたくまに変えられます。死すべき者が不滅性を着ける時,死は永久にのみ込まれることになります。「死よ,おまえの勝利はどこにあるのか。死よ,おまえのとげはどこにあるのか」。パウロは心から叫びます,「しかし,神に感謝すべきです。わたしたちの主イエス・キリストを通して勝利を与えてくださるからです!」―15:55,57。

      22 結びの部分でパウロはどんな助言と勧めのことばを述べますか。

      22 結びの部分で,パウロは,困窮した兄弟たちを援助するためエルサレムに送る寄付を集めるさいにそれを秩序正しく行なうことを勧めます。また,マケドニア経由でまもなくコリントを訪ねることを告げ,テモテやアポロもその地を訪ねることを示唆します。パウロは説き勧めます,「目ざめていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しくあり,力強い者となりなさい。すべての事を愛をもって行ないなさい」。(16:13,14)パウロはアジアの諸会衆からのあいさつを送り,ついで最後のあいさつを手ずから記して愛を伝えます。

      なぜ有益か

      23 (イ)悪い欲望と自分に頼りすぎることの悲惨な結果をパウロはどんな例で示しますか。(ロ)主の晩さんや正当な食物に関する助言のさいに,パウロは何をそのよりどころとしますか。

      23 使徒パウロのこの手紙はヘブライ語聖書からたくさんの引用をしており,ヘブライ語聖書に対するわたしたちの理解を広げる上できわめて有益です。その第10章で,パウロは,モーセのもとにあったイスラエル人が霊的な岩塊から飲んだこと,その岩塊がキリストを表わしていたことを指摘しています。(コリント第一 10:4。民数 20:11)ついで彼は,モーセのもとにあったイスラエル人の場合を例として害になる事がらを願い求めることの悲惨な結果にふれ,さらにこう付け加えます。「これらの事は例として彼らに降りかかったのであり,それが書かれたのは,事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告のためです」。わたしたちは決して自分を頼りすぎ,自分は倒れるはずはないなどと考えたりしないようにしましょう。(コリント第一 10:11,12。民数 14:2; 21:5; 25:9)パウロはまた,イスラエルにおける酬恩祭の犠牲を例として引き合いに出し,エホバの祭壇にあずかるにふさわしい方法について示します。ついでパウロは,「地とそれを満たすものとはエホバのもの」という詩篇 24篇1節のことばを引用し,なんでも肉市場で売られている物を食べるのは正当なことであるという論議の裏付けとします。―コリント第一 10:18,26。出エジプト 32:6。レビ 7:11-15。

      24 パウロは自分の論議の裏付けとしてヘブライ語聖書のどんなことばにさらに言及しますか。

      24 「神がご自分を愛する者たちのために備えられた事がら」がいかに優れたものであるか,またこの世の「賢い人たちの論議」がいかにむなしいものであるかを示すにあたり,パウロは再びヘブライ語聖書をそのよりどころとします。(コリント第一 2:9; 3:20。イザヤ 64:4。詩 94:11)彼は,悪行者を排斥することに関する第5章の指示の根拠として,「悪事を汝らのうちより除くべし」というエホバの律法を引用します。(申命 17:7)また,宣教によって生活する権利について論ずるさいにもモーセの律法に言及しています。それは,仕事をしている動物にくつこをかけて物を食べることを阻んではならず,神殿で仕えるレビ人は祭壇から自分の分を受けるという定めです。―コリント第一 9:8-14。申命 25:4; 18:1。

      25 コリント第一の手紙に含まれる有益な教えのうち主だった点を幾つか挙げなさい。

      25 霊感の教えという点で,わたしたちは,コリント人に対するパウロの第一の手紙から実に多くの益を得ているではありませんか。分裂や,人間に従うことを戒めたパウロの助言を熟考してください。(1–4章)取り上げられた不道徳の例,また会衆内における徳と清さの必要をパウロがいかに強調したかを思い起こしてください。(5,6章)独身と結婚と別居に関するパウロの霊感の忠告について考慮してください。(7章)偶像にささげられた食物に関するパウロの論議について,また,他の人をつまずかせないよう,そして自らも偶像礼拝に陥らないよう注意することの必要がいかに強力に論じられているかについて考えてください。(8–10章)服すべきものに正しく服することに関する訓戒,霊の賜物に対する考慮,永続し絶えることのない資質である愛の卓越性に関するあのきわめて実際的な論議など ― こうしたことのすべてが次々に想起されます。そして,パウロはクリスチャンの集会における秩序を大いに強調しているではありませんか。(11–14章)また,霊感のもとに,復活に関する驚嘆すべき弁明を提出しているではありませんか。(15章)このすべて,また他の多くのことがわたしたちの思いに浮かびます。そのすべては今この時代のクリスチャンにとってきわめて大切な点なのです。

      26 (イ)復活したキリストは,王として支配する時,遠い昔に予告されたどんな業を成し遂げますか。(ロ)復活の希望に基づいてパウロはどんな力強い勧めのことばを語りますか。

      26 この手紙は,神の王国という聖書の輝かしい主題に対するわたしたちの理解に多くのものを加えます。まずそれは,不義の人は神の王国に入れないという厳格な警告を与え,この点で資格を失わせる悪徳の多くを列挙しています。(コリント第一 6:9,10)しかし,きわめて大切な点として,この手紙は,復活と神の王国との関係を説明しています。つまり,復活の「初穂」であるキリストは『神がすべての敵を彼の足の下に置くまで王として支配しなければならない』という点を示しています。このことの中には,エデンでなされた王国に関する最初の約束の中で予告されたとおり,主要な敵対者であり年を経たへびであるサタンを彼の足の下に砕くことも含まれています。ついで,死を含むすべての敵を征服し終えたイエスは「王国を自分の神また父に渡します……神がだれに対してもすべてのものとなる」ためです。天の王国においてキリスト・イエスとともに不朽性にあずかる人々の復活の見込みには実に壮大なものがあります。パウロの次の訓戒のことばは復活の希望に基づいているのです。「こうして,わたしの愛する兄弟たち,あなたがたの労が主にあってむだでないことを知っているのですから,堅く立って,動かされることなく,主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ちなさい」。―コリント第一 15:20-28,58。創世 3:15。ローマ 16:20。

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