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地上での永遠の命がわたしたちに提供するもの今ある命がすべてですか
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わたしたちのものとなるのでしょうか。キリストによる神の王国はいつそれを可能にするのでしょうか。そして,その時が来る以前にわたしたちの死ぬことがもしあるとすれば,わたしたちが再び命を得るどんな見込みがあるでしょうか。
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今日生きる多くの人が死を経験しないでよいのはなぜか今ある命がすべてですか
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第18章
今日生きる多くの人が死を経験しないでよいのはなぜか
神の王国が地上のすべての物事を管理しはじめる時は近づいています。あなたは,その王国が人類にもたらす壮大な祝福を目撃する人々の中に入ることができます。これは根拠のない主張ではありません。あなたご自身がご覧になったものを含め,これを裏付ける証拠はたくさんあります。
幾世紀も前,エホバ神は,人類世界の王としてご自分が指名する者に支配権の授けられる時がいつであるかをはっきり啓示されました。エホバはその啓示のために象徴を用い,また情報の一部を夢の形で示されました。
この重要な情報を人間に伝えるために神がそのような伝達手段を用いたことを疑問にする必要はありません。情報伝達のために今日の人々がどのようなことを行なっているか考えてください。秘密の音信が空間を通り,暗号のかたちで送られます。その後,暗号化された音信は人手か機械によって解読されます。このような方法で情報を伝達することには意図があります。その情報の意味を,資格のない人からは秘めておくのです。
同じように,神が象徴的表現を用いたのも目的のないことではありません。そうした象徴を理解するためには勤勉な研究が求められます。しかし,神と真理に対する真実の愛がないために,時間をかけてそれを理解しようとしない人が多くいます。こうして,「王国についての神聖な奥義」は,そのような人々からは隠されたままに残ります。―マタイ 13:11-15。
古代の預言的な夢
そうした「神聖な奥義」の一つが聖書のダニエル書の中に含まれています。その書は,神の任命を受けた王が王としての実際の権威をいつ与えられるかを知るのに重要な手がかりを提供しています。その書の第4章には,バビロンのネブカデネザル王に神が与えた夢の内容が記されています。この夢およびその成就にはどのような目的また意味がありましたか。記録はこう述べています。
「至高者が人類の王国にあって支配者であり,ご自分の望む者にそれを与え,人類のうち最も低い立場の者をさえその上に立てられるということを,生きている人々が知るため」― ダニエル 4:17。
その夢の内容はおおむね次のとおりです。一本の巨大な木が,「聖なる者」つまりみ使いの命令のもとに切り倒されました。次いで,芽が出ないようにするため,その切り株にはたがが掛けられました。切り株はこうしてたがを掛けられた状態で「野の草」の中に置かれ,「七つの時」を経過することになりました。―ダニエル 4:13-16。
この夢にはどのような意味がありましたか。ネブカデネザルに対する,預言者ダニエルの霊感の説明は次のとおりです。
「あなたがご覧になった木,……王よ,それはあなたです。あなたは大きくなって強くなり,あなたの威光は大きくなって天に達し,あなたの支配権は地の果てにまで及んだからです。
「そして,王は,ひとりの見守る者,そうです,聖なる者が天から下って来て,その者がまた,『その木を切り倒し,それを破滅させよ。ただし,その根株は地に残し,鉄と銅のたがを掛けて野の草の中に置き,また天の露にぬれさせ,七つの時がその上に過ぎるまでその分を野の獣と共にさせよ』と言うのをこ覧になりましたから,王よ,これがその解釈であり,至高者の定めはわが主なる王に必ず臨むところのものです。そしてあなたを,彼らは人間の中から追いやり,あなたの住みかは野の獣と共になり,彼らは草木をまさにあなたに与えて雄牛のように食べさせるでしょう。そして,あなた自身は天の露にぬれ,七つの時があなたの上に過ぎ,ついにあなたは,至高者が人間の王国にあって支配者であり,ご自分の望む者にそれをお与えになる,ということを知るようになります。
「また,彼らはその木の根株を残しておくようにと言いましたから,天が支配していることをあなたが知った後に,あなたの王国はあなたにとって確かなものとなるでしょう」― ダニエル 4:20-26。
こうして,この夢はまずネブカデネザル王に成就しました。「七つの時」の間,つまり文字どおり七年の間,ネブカデネザルは正気を失っていました。しかし,その王国は彼のために確保されていたため,健全な思いを取り戻してすぐ,彼は再び王としての職務に就きました。―ダニエル 4:29-37。
「人類のうち最も低い立場の者」に与えられる王権
しかし,切り倒された木に関するこの詳しい記述は,ただネブカデネザル王にのみ実現するのではありません。なぜそのことが分かりますか。なぜなら,この幻そのものの中で述べられたとおり,これは,神の指名を受けた者による神の王国と支配権とに関するものだからです。では,その王権のために神が選ぶのはだれですか。ネブカデネザル王に与えられた答えによると,それは,「人類のうち最も低い立場の者」です。―ダニエル 4:17。
人間の政治支配者たちは低い立場の者となってはきませんでした。これは歴史の事実によって否定の余地なく証明されます。人間の立てる政府とその支配者たちは自らを高め,互いに対して血なまぐさい戦いをして,自ら獣のような記録を残してきました。したがって,聖書が不完全な人間の政府や王国を獣になぞらえ,そのすべてがやがて支配権を奪い取られることを示していても不思議ではありません。(ダニエル 7:2-8)だれがそれに代わるかについて,聖書は預言者ダニエルの次の言葉を記録しています。
「わたしが夜の幻の中で見つづけていると,見よ,天の雲と共に人の子のような者が来るところであった。そして,彼は日を経た方に近づき,彼らは彼をまさしくその方のすぐ前に連れて来た。そして彼に,支配権と尊厳と王国が与えられたが,それは,もろもろの民,国民集団,言語すべてがまさしく彼に仕えるためであった。彼の支配権は,定めなく続く,過ぎ去ることのない支配権,彼の王国は破滅に至らされることのない王国である」― ダニエル 7:13,14。
ここに描写されているのはイエス・キリストにほかなりません。イエスは聖書の中で,「人の子」とも,「王の王,主の主」とも呼ばれています。(マタイ 25:31。啓示 19:16)彼は天における自分の高い立場をすすんで捨て,「み使いたちより少し低(い)」人間となりました。(ヘブライ 2:9。フィリピ 2:6-8)人間としてのイエス・キリストは,極度の挑発のもとでも,「柔和で,心のへりくだった者」であることを示しました。(マタイ 11:29)「彼はののしられても,ののしり返したりしませんでした。苦しみを受けても,脅かしたりせず,むしろ,義にそって裁くかたに終始ご自分をゆだねました」― ペテロ第一 2:23。
人類の世界はイエス・キリストを取るに足りない者のようにみなし,彼に当然価した誉れを与えようとしませんでした。その状況は,まさに預言者イザヤの予告したとおりでした。『彼は侮られて人にすてられ 悲しみの人にして病患を知れり また面をおほひて避くることをせらるる者のごとく侮られたり われらも彼をたふとまざりき』― イザヤ 53:3,文語訳。
イエスは,「人類のうち最も低い立場の者」の描写に適合します。この点に疑問はありません。したがって,切り倒された木に関する預言的な夢は,イエスが人類の世界に対する支配権を与えられる時のことを指しているに違いありません。それは「七つの時」が終わったときです。この「七つの時」とはどれほどの長さですか。それはいつから始まるのですか。それはいつ終わりますか。
「七つの時」の長さ
ネブカデネザルが夢を見てから六世紀以上後にイエス・キリストは活動の場面に現われ,「天の王国は近づいた」と宣明しました。(マタイ 4:17)イエスは,指名を受けた王として存在していたゆえにそのように言うことができました。しかし,イエスはその時に人類世界に対する王権を受けたのではありません。それゆえ,ある時,「神の王国がいまやたちどころに出現するもの」と誤った結論を下していた人たちに対して,イエス・キリストは,自分が王としての力を与えられるまでにはまだ長い期間のあることを例えで話されました。(ルカ 19:11-27)したがって,ダニエルの預言の大きな成就において,「七つの時」が,ただ七年だけでなく,幾世紀もの長い期間を表わしていることは明らかです。
実際の証拠から言うと,この「七つの時」は2,520日,つまり,一年を360日とする預言的な七年です。そのことは,「時」,「月」,「日」などについて述べる聖書の他の部分から確証されます。例えば,啓示 11章2節は,「四十二か月」つまり三年半という期間について述べています。次の節の中で,その同じ期間は「千二百六十日」と述べられています。さて,1,260日を42か月で割ると,一か月は30日になるはずです。したがって,12か月から成る一年は360日です。これに基づいて計算すると,「七つの時」つまり七年は,2,520日の長さになります。(360×7)
この計算が正しいことは,啓示 12章6,14節から実証されます。そこでは,1,260日のことが「一時と二時と半時」つまり『三時半』(「三年半」,新英語聖書)と呼ばれています。七は三つ半の倍ですから,「七つの時」は2,520日になります。(1,260×2)
ダニエルの預言の「七つの時」は,イエスが人類世界に対する王権を受けることに関するものです。したがって,これが24時間を一日とする2,520日よりずっと長い期間に及ぶことは言うまでもありません。これらの「日」の各一日の長さを知る方法がありますか。あります。預言的な日に関する聖書の公式は,『一日を一年とする』ことです。(民数 14:34。エゼキエル 4:6)これを「七つの時」に当てはめると,それは2,520年になります。
「七つの時」の始まり
「七つの時」の長さが分かりましたから,わたしたちは次に,それがいつ始まったかを調べます。そして,切り倒された木についての預言的な夢の成就としてネブカデネザルに起きた事柄に再び注意を向けましょう。彼の身に起きた事柄について考えてください。
正気を失った時,ネブカデネザルは世界の支配権を行使していました。バビロンはその時,地上第一の強国であったからです。ネブカデネザルの場合,象徴的な木が切り倒されたことは,世界の主権者としての彼の支配が一時的に中断することを意味していました。
神がネブカデネザルに行なった事柄には,神ご自身の選んだ王による支配にかかわる目的がありました。したがって,ネブカデネザルがその王座を「七つの時」のあいだ失ったことは何かの象徴であったに違いありません。何のですか。神の取決めによる支配もしくは主権の行使が一時的に中断されることです。ネブカデネザルの場合,彼が世界支配者の地位を得ることを許し,その後一時的にその地位を彼から取り去ったのは,王自ら認めたとおり,エホバ神であったからです。(ダニエル 4:34-37)それで,ネブカデネザルに臨んだ事柄は,神の王国から主権が取り去られることの象徴であったに違いありません。したがって,木そのものは,地上における世界支配を表わしていました。
一時期に,エルサレムをその都とした政府は神の王国を成していました。ダビデ王家の者であったその支配者たちは,「エホバの座」にすわる者と呼ばれ,エホバの律法に従って統治するようにとの命令のもとにありました。(歴代上 29:23)したがって,エルサレムは神の統治を代表する場所でした。
それゆえ,ネブカデネザル配下のバビロニア人がエルサレムを滅ぼし,エルサレムの統治下にあった土地が完全に荒廃した時,世界支配権は異邦人の手に渡り,異邦人が,エホバの主権を代表する王国による干渉を受けないで世界を支配するようになりました。至上の主権者は,そのような形でご自身の支配権を行使することを控えられました。神がご自身の王国による,地に対する主権の行使をこうして控えたことは,木の切り株にたがが掛けられたことによって表わされました。エホバの主権の表現としての政府の所在地であったエルサレムは,その滅びと完全な荒廃の時以来「踏みにじられ」はじめました。つまり,「七つの時」は,ネブカデネザルがエルサレムを滅ぼし,ユダの地が完全に荒廃した時に始まった,という意味です。その出来事はいつありましたか。
その出来事があったのは西暦前607年です。聖書と世俗の歴史に基づいてそれを確証できます。a その証拠は以下のとおりです。
バビロンは西暦前539年にペルシャ人クロスの前に倒れました。世俗の歴史家はこの点で意見の一致を見ています。この年代は入手しうる古代のすべての歴史的な記録によって立証されています。聖書は,クロスが,その治世の第一年に,流刑になっていたイスラエル人のエルサレム帰還および神殿再建を許す布告を出したことを明らかにしています。その前にメディア人ダリヨスの短いバビロン統治がありましたから,クロスのバビロン統治の第一年は西暦前538年から537年にまたがったはずです。(ダニエル 5:30,31)かなりの距離を旅行しなければならなかった点を考えると,イスラエル人がそれぞれ自分の都市に戻って,エルサレムとユダの地の荒廃を終結させたのは,西暦前537年(前538年ではなく)の「七月」であったに違いありません。(エズラ 3:1,6)それでも,彼らは依然として異邦人による支配のもとにあり,そのために,自分たちのことを,『自らの土地にいる奴隷』と呼びました。―ネヘミヤ 9:36,37。
聖書の歴代志略下(36:19-21)は,エルサレムの滅びおよびその支配地域の荒廃から復興までに70年が経過したことを示しています。その部分はこう述べています。
『[ネブカデネザルは]神の室をやき エルサレムの石垣を崩し そのうちの宮殿をことごとく火にてやき そのうちの貴き器をことごとくそこなへり また剣をのがれし者どもはバビロンにとらはれゆきて かしこにて彼とその子らのしもべとなり ペルシャの国のおこるまでかくてありき これエレミヤの口によりて伝はりしエホバのことばの応ぜんがためなりき かくこの地つひにその安息をうけたり すなわちこれはその荒れをる間安息してつひに七十年満ちぬ』― 文語訳。
イスラエル人が自分の都市に戻った時つまり西暦前537年から70年をさかのぼると,それは西暦前607年になります。したがって,神の統治を代表した都エルサレムが異邦人によって踏みにじられはじめたのはその年です。
「七つの時」の終わり
弟子たちに対するイエスの次の言葉は,エルサレムがこうして踏みにじられていることに言及したものです。「エルサレムは,諸国民の定められた時が満ちるまで,諸国民に踏みにじられるのです」。(ルカ 21:24)ここで言う「定められた時」は,西暦前607年から2,520年たった時に終了します。それは西暦1914年になります。では,エルサレムを踏みにじることはその年に終わりましたか。
確かに,地上のエルサレム市は,西暦1914年にダビデの系統を引く王が復位するのを見ませんでした。しかし,それは予期すべきことではありませんでした。なぜですか。地上のエルサレム市は,神の観点からする場合,もはや神聖な意義を有していなかったからです。地上におられた時,イエス・キリストはこう語りました。「エルサレム,エルサレム,預言者たちを殺し,自分に遣わされた者たちに石を投げつける者よ ― めんどりがひとかえりのひなをその翼の下に集めるように,わたしは幾たびあなたの子らを集めたいと思ったことでしょう。それなのにあなたがたはそれを望みませんでした。見よ,あなたがたの家はあなたがたのもとに見捨てられています」。(ルカ 13:
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