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南アフリカにおいて実を結ぶ王国の「種」ものみの塔 1978 | 11月15日
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製版部門,一時間に1万2,000冊の雑誌を作ることができる輪転機一台を含む九台の印刷機械が設置されています。今や建物の拡張に伴い,用いられる膨大な量の紙を保管する場所も十分にとれるようになりました。同支部では毎月,合計11の言語で28の異なった「ものみの塔」および「目ざめよ!」誌を生産しています。さらにそれ以上の拡大のための取決めもなされているのです。
見聞きした事柄に励まされ,霊的に築き上げられたベテル訪問者たちは,南アフリカにおける王国宣明者たちのすばらしい増加に,自分たちもそれぞれ寄与していることを喜びつつ帰途につきました。彼らはみな,献堂式の祈りの中で言い表わされた,エホバがご自分の偉大なみ名の誉れのためにこの改良され拡大された建物を祝福してくださるようにとの求めに,心から同意していました。
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『エホバの恵み深きを味わいしれ』ものみの塔 1978 | 11月15日
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『エホバの恵み深きを味わいしれ』
『エホバの恵み深きを味わいしれ』― この勧めは聖書の詩篇を書いたダビデのものです。(詩 34:8)あなたはこの勧めを受け入れましたか。そのためにはどうすれば良いのですか。
まず神の言葉の述べる事柄を知る必要があります。なぜならエホバがご自分のしもべたちのために備えてくださる良いものについては,聖書の中で語られているからです。「神の賜物は…永遠の命…です」と聖書に述べられています。(ローマ 6:23)しかし神がご自分の忠実なしもべたちに差し伸べられているのはそれだけではありません。今の時においてさえ,心に平安と,生きることに真の満足を見いだすことが約束されているのです。
ではこのような良いものをエホバが本当に与えてくださるかどうかを,どうすれば『味わい』,かつ体験できるのですか。エホバの次の勧めに従って,謙そんまた従順にエホバに従うことが必要です。「我が子よわが法を忘るゝなかれ 汝の心にわが誡命をまもれ」。(箴 3:1)エホバのおきてと戒めに一致した生活を送ることによって,わたしたちはその事が自分に益となる結果に終わるかどうかを実際に味わい,試みていることになるのです。
ダビデの経験
詩篇作者ダビデはこの事をしました。彼にもいろいろな過ちがあったのは事実です。それでもダビデの心の願いはエホバに仕えることであり,彼は従順に神のご意志を自分の生活の中で第一にしました。それは必ずしも容易な事ではありませんでした。事実,ダビデはそのために非常な危険にさらされた事も時にあったのです。
イスラエルの王サウルが,ねたみにかられてダビデの命をつけねらったことがあります。それでダビデは敵であるペリシテ人の領地に逃れることを余儀なくされました。その地で彼は狂気をよそおい,命からがら逃れることができました。ダビデが詩篇 34篇を書いたのはこの時,つまり命の危うい時でした。この事情を理解して読むとき,彼の言葉はいっそう意義深いものになることに注目してください。
『われエホバを尋ねたればエホバわれにこたへ我をもろもろの畏れより援けいだしたまへり エホバの使ひはエホバをおそるゝ者のまわりに営をつらねてこれを援く なんぢらエホバの恵み深きを味はいしれ エホバによりたのむ者はさいはひなり たゞしきものは患難おほし されどエホバはみなその中よりたすけいだしたまふ』― 詩 34:4,7,8,19および表題。
エホバに仕える時,非難や迫害 ― ダビデの経験が物語るように患難 ― に身をさらすことになる場合がしばしばあります。これは確かです。そのためにある人々は神への奉仕に無条件で自分をささげることをためらうかもしれません。しかしダビデはみずからの体験を語り,『エホバの恵み深きを味わいしれ』と強く勧めています。困難に遭遇するかもしれないにせよ,神のしもべがエホバの力強い加護と「いっさいの考えに勝る神の平和」を得ることを,ダビデは確かに知っていました。―フィリピ 4:7。
神のしもべすべても同様
この事は歴史を通じて神のしもべの経験となってきました。キリスト教時代以前のこれら信仰の人々の記録をヘブライ 11章から調べてごらんなさい。エホバの第一のしもべイエス・キリストの生涯を記した四福音書の記述を読んでごらんなさい。聖書の「使徒たちの活動」にしるされたクリスチャン使徒たちの体験を考慮してください。何を知ることができますか。
次のことが分かります。すなわちエホバに仕えると,ありとあらゆる嘲笑,迫害そして窮境に遭い,時にはイエスの場合のように苦痛にみちた死に遭うことさえもあるという事です。しかしこれら神のしもべたちは幸福でした。彼らは天の父を喜ばせていることを知るゆえに,また永遠の命という,天の父からの報いを受けることを知るゆえに心に平安と満足を抱いていました。例えば使徒 5章40-42節を読んでみてください。
胸に手を置いて自問してみてください。わたしが人生から得ようとしているものは実際に何だろうか。エホバの忠実なしもべであることを目ざしているだろうか。それとも自分の生活を顧みる時,他の関心事がもっと重要なものになっているだろうか。詩篇 34篇の冒頭においてダビデは,わたしたちすべての持つべき態度を表明しています。「われつねにエホバを祝ひまつらん その頌詞はわが口にたえじ」。(詩 34:1)わたしたちの心の願いもまたこの事ですか。エホバを賛美するために自分の体力,能力そして資力を使うように心を動かされていますか。どうすればエホバをたたえ,賛美することができますか。
“善良な生活”を送るだけで十分ですか
“善良な生活”― 隣人に親切で,兄弟姉妹を愛し,家をきちんと整え,すぐれた人格を培うこと ― さえしていれば,それがエホバをたたえ,賛美するのに必要なすべての事だと思っている人がいます。しかし実際にはもっと多くのことが関係しているのです。ダビデが語っているように,賛美は口から出なければなりません。このような方法でエホバを賛美するのは,真のクリスチャンに対する特定の要求です。イエス・キリストは,父のみ名と王国をたたえる公の伝道活動を遂行してその事を示されました。―ルカ 4:43。
ついで地上の生涯の終わりころにイエスはこう言われました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」。(マタイ 24:14)この宣べ伝える業はだれがするのですか。使徒ペテロは軍隊の士官コルネリオと彼の家族に告げて言いました。「[キリストは]民に宣べ伝えるように,そして……徹底的に証しするようにと,わたしたちにお命じになりました」― 使徒 10:42。
この命令は使徒たちや他のクリスチャンの長老にだけ適用されたものですか。そうではありません。すべてのクリスチャンはキリストがされたと同じように宣べ伝える業を行ない,キリストに見ならう者であるべきでした。イエスが言われたような世界的規模の伝道を成し遂げるには,すべてのクリスチャン ― 男,女,子供 ― の一致した努力が必要です。そしてエホバの証人の間でこの一致協力した努力が見られます。―すべての者が王国宣明のこの偉大な業に一致してあずかっているからです。
この伝道の業にいっそう十分にあずかることのできる立場にある人々のために,「開拓」奉仕という備えがあります。開拓者とはエホバの証人のひとりで,月に90時間すなわち1年に少なくとも1,000時間を伝道の業に費やすことのできる人です。昨年は毎月平均して11万9,000人が開拓者として奉仕できました。彼らはなんと大切な奉仕を行なっているのでしょう。そしてこれら開拓者また神のしもべの他の人々の態度はどんなものでなければなりませんか。
誇るべき正当な根拠
詩篇 34篇にあるダビデの言葉の続きを読むと,これを認識する助けとなります。「わがたましひはエホバによりて誇らん」。(詩 34:2)エホバを知り,エホバのしもべのひとりであることは,確かに誇るに足る事柄です。もちろん,それは独善的なところの全くない誇りでなければなりません。わたしたちは自分自身を誇るのではなく,ダビデの語ったとおり「エホバによりて」誇るのです。―ガラテア 6:14も参照してください。
わたしたちはエホバがしてくださった事柄,エホバがいかにわたしたちを守り,導き,またわたしたちのために備えてくださったかを誇ることができます。他方,事情の許す自分が,宣べ伝える業にいっそう十分にあずかれるからといってその事を誇るのは正しくありません。―コリント第一 9:16。
他の人々を励ます
次にダビデはエホバに対する心からの感謝の念にあふれてこう語っています,『われとともにエホバを崇めよ われらともにそのみ名をあげたゝへん』。(詩 34:3)あなたもダビデと同じように他の人々を励まして共にエホバを賛美したい気持ちに動かされていますか。多くの場合,神のしもべが開拓奉仕を始めるのに必要なのは励ましだけです。始めて本当に良かったと思っている人々の次の経験に注目してください。
ドンならびにアーリン・スチールはこう書いています。「わたしたちは何らかの経済的な蓄えがほしいと考えていたため,全時間の開拓奉仕に入ることをためらっていました。……わたしたちはその考えを捨てて,[ものみの塔]協会に,少なくとも二か月は続けるだけの資金を蓄えた旨,書き送りました。……エホバの助けによってわたしたちは二か月だけでなく今まで27年間もどうにか続けることができました」―「ものみの塔」1971年,410-413ページ。
パウロ・ロベルは次のように語りました,「しかし今[1946年],体の病が現われ,そのため全時間奉仕に入ることはできないように思えました。医者は二年もすれば右の腰が麻ひすると予告したのです。……わたしはその二年間を全時間奉仕に用い,最善をつくそうと決めました。とかくするうちに27年がまたたく間に過ぎました」―「ものみの塔」(英文)1973年,376-379ページ。
ハインリッヒ・ディックマンは全時間奉仕に数十年携わっていますが,次のことを強調しています。「経済的な問題であれ,身体的な問題であれ,すべての問題は,エホバの過分のご親切によって解決されてきました。……エホバのみ名に信頼することは,確かに安全を得させます」―「ものみの塔」1972年,587-591ページ。
エホバの恵みを味わい知った何千人,何万人という開拓者は,ダビデと共に次の勧めの言葉を差し伸べることでしょう。『われとともにエホバを崇めよ われらともにそのみ名をあげたゝへん』。(詩 34:3)これらの開拓者は自分と聖書を研究している人々にこの事を励ますだけでなく,開拓奉仕の恵みを味わった後,神のしもべの他の人々にも開拓奉仕を勧めることでしょう。
開拓奉仕は味わい知る点で助けとなる
開拓奉仕はエホバの恵みをいっそう十分に味わう点で助けともなります。日ごとに霊的な事柄を語るので,わたしたちの知識は成長します。それが今度は信仰を強めます。わたしたちは聖書の助言を適用して問題を克服するのにいっそう適格な者となります。また自分の力ではなくエホバの力によって事を行ない,エホバに全く信頼することを学ぶようになります。
また開拓奉仕に携わるべく,ある物質的な利益を自発的に断念したあと,わたしたちはおそらく物質面におけるエホバの助けに一層頼るようになります。『わかき獅はともしくして飢うることあり されどエホバをたずぬるものは嘉物にかくる
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