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スポーツと娯楽あなたの若い時代,それから最善のものを得る
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16章
スポーツと娯楽
1,2 (イ)あなたは特にどんなスポーツあるいは娯楽を楽しみますか。(ロ)わたしたちが生活を楽しむことをエホバが望んでおられることを示すそのみ手の業についてどんなことが言えますか。(詩 104:14-24)
さまざまなスポーツと娯楽に対する関心は世界中で広く見られます。それらを楽しむために毎年多額のお金が使われています。あなたもスポーツや娯楽,そうした事柄に対する関心を持っていますか。たとえば,あなたはスキーに行ったり,ボートに乗ったりするのが好きですか。水泳やテニスをしたり,他のスポーツを楽しみますか。それとも,映画に行ったり,テレビを見たりすることに楽しみを感じますか。
2 中には,そうした楽しみは良くないと言う人もあるでしょう。あなたはどう思いますか。聖書はそうした事柄を非としているとさえ主張する人々がいます。しかし,率直に言って,そのような人々は聖書および聖書の著者であるエホバ神を誤り伝えています。神のみ言葉は,若い人々がレクリエーションから楽しみを得ることについて好意的に述べています。一例として,神の祝福を受けた民を描写するに際して,聖書はこう述べています。「町の広場が遊ぶ少年と少女で満ちる」。また,「踊る時」があるとも述べています。(ゼカリヤ 8:5。伝道 3:4,新英語聖書)明らかに,神はわたしたちが健全なレクリエーションから楽しみを得ることを意図されました。神の霊の実の一つは「喜び」です。(ガラテア 5:22)そして健全なレクリエーションを楽しむのは正常で自然なことです。
楽しみを増すための導き
3-8 (イ)テモテ第一 4章7,8節にはレクリエーションに関してどんな平衡のとれた助言が記されていますか。(ロ)「身体の訓練」はどのように益がありますか。しかし,スポーツに真剣になりすぎるとどんなことになりかねませんか。(ハ)学校のチームに入って試合をするなら,どんな問題に直面しかねませんか。それをすべきかどうかについて賢明な判断を下すうえで何が助けとなりますか。
3 わたしたちがそうした活動から楽しみを得るのを助けるために,神は愛情深くもわたしたちに導きを備えてくださっています。例えば,食べ過ぎて体をこわさないようにと,神のみ言葉はこう助言しています。「肉をむさぼり食う者の間に入ってはならない」。(箴 23:20)同様に,神はレクリエーションに関連して次のような賢明な助言を与えてくださっています。「敬神の専念を目ざして自分を訓練してゆきなさい。身体の訓練は少しの事には益がありますが,敬神の専念はすべての事に益があるからです。それは,今の命ときたるべき命との約束を保つのです」― テモテ第一 4:7,8。
4 したがって,聖書は,スポーツなどによる「身体の訓練」にはそれなりの役目があることを示しています。スポーツはわたしたちの益になります。身体の均整や柔軟さ,筋肉の健康や力を増すのに役立ちます。また,長い時間勉強した後などは特に,スポーツをすると気分がさわやかになります。とはいえ,聖書が「身体の訓練は少しの事には益があります」と警告していることに注目してください。そうした聖書の助言を無視してスポーツにすっかり夢中になるなら,どんな事が起きますか。
5 一つとして,そのためにスポーツは楽しいレクリエーションというより「真剣な事」になり,楽しさがなくなります。勝負のあるゲームを過度に強調することの影響を指摘して,スポーツ心理学者のブルース・オジルビーは次のように述べました。「わたしはかつて10大リーグの野球チームの入団したばかりの選手をインタビューしたが,その87%は,小リーグの野球は楽しいゲームであったものから喜びを奪うので小リーグの野球をやりたくないと言った」。
6 また,フットボールのようなスポーツは,身体が発育段階にある時特に危険になります。サイエンス・ダイジェスト誌の報告によれば,アメリカでは約1,200万人の子供がスポーツのために18歳未満でなんらかの一生なおらない身体障害にかかります。非常に有名なプロ・フットボール選手のひとりは,自分の二人の息子を子供のフットボール・リーグに出そうとはしません。「親は考えられる限りの悪い事態が子供に生じ得ることを予想していなければならない。例えば,歯をすっかり折って家に帰って来ることもある」とその人は語っています。スポーツを非常に危険なものにしているのは,しばしばかり立てられる極端な競争,なにがなんでも勝とうとする態度です。
7 考慮すべきもう一つの事柄は,チームで行なうスポーツで避けられない交わりです。更衣室で話される内容は性の不道徳に関するものの多いことが一般に知られています。さらに,チームが試合のため他校へ行く場合,神への忠実さにはほとんど無関心な人々と長い時間一緒にいることでしょう。神のみ言葉が,『敬神の専念を目ざして自分を訓練してゆく』ことを強調している以上,このことは考慮すべき事柄です。自分の道徳的信条および自分と創造者との関係を損なう事柄に携わるのはどれほど実際的なことでしょうか。
8 ですから,スポーツも他の事柄と同じように,平衡を保つなら,すなわち,それが生活の中で大きな位置を占めてより重要な事柄の影を薄くしたり,人をあぶない状況にさらさない限り,良いものです。速い動きのスポーツで,体が素早く動きみごとな技をした時の感激を経験するのは,確かに人をたいへん活気づけ,いつまでも忘れない喜びと満足を与えます。また,そこから,そうした事柄を行なう能力を有する者としてわたしたちを造ってくださった偉大な創造者に感謝するよう助けられます。
映画とテレビ
9-14 (イ)映画やテレビ番組を選択する際,どんな事柄に警戒する必要がありますか。(ロ)道徳的に腐敗した事柄はそれを見る人にどんな影響を与えますか。なぜですか。たとえそうした行為が間違っていることを知っていても,それを見ることから自分が受ける影響を過小に評価すべきでないのはなぜですか。
9 どんな映画やテレビ番組を選ぶかということも神との関係に影響します。中にはとても喜ばしい映画やテレビ番組があり,創造者の驚嘆すべきみ手の業に対する認識を高めてさえくれるものもあります。しかし,きっと姦淫,不品行,男女の同性愛行為,暴力および大量殺りくを呼び物とした内容であふれたものが多いことに気付いておられるに違いありません。それらは娯楽とみなされるかもしれませんが,人にどんな影響を与えるでしょうか。
10 ではこう自問してください。自分はどのようにして今のひととなりとなったのだろう,と。環境と教育,特に目と耳を通して思いに取り入れた事柄によってではありませんか。そうです,多くの場合,思いを養うものがその人のひととなりとなるのです。ある事柄にさらされればさらされるほど,それがあなたの一部になる可能性が強くなります。
11 汚い食物のごみを食事にしたいという人がいるでしょうか。では,精神的なごみに絶えずさらされているとしたらどうですか。それは必ず人の思考の一部になります。映画を見ている時には,事実上画面に描き出されている人々と交わっているわけです。また,映画は,しばしば,悪行者,すなわち,不品行な者や同性愛者,あるいは殺人者に対してさえ同情をさそって,登場人物の感情に人を引き込むよう意図的に筋立てされています。男女の同性愛者,不品行なもの,姦淫を犯す者および犯罪者とそのようにして深く関係したいと思いますか。
12 それでも,画面に映る性の不道徳や暴力を見て,「自分はああいうことは絶対しない」と考えるかもしれません。なるほど,だれかから物を盗んだり,友人にうそをついたり,不品行を犯したりするように勧められたなら,あなたは今はそれを受けつけないかもしれません。しかし,彼らのゆがんだ考えを聞きながら,盗人や不品行な者,また同性愛者と長時間付き合うとしたらどうでしょうか。やがて,そうした者たちに同情的になるのも無理はないでしょう。最初はいやに思えたものがやがてそうは思えなくなるかもしれません。次の点を考えてください。同性愛者の大多数はどうしてそうなったのでしょうか。それを思いめぐらすことに時間を費やしたり,そのような人々と交わったりすることによってです。
13 自分は不道徳なことはしないと感じるかもしれませんが,異性と映画に行って,ネッキング,ペッティング,また不道徳な行為を繰り返し見るならどうでしょうか。そうした映画を見た後,特に抑制力を弱めさせるアルコール飲料を飲んだりしたなら,どんなことになりやすいでしょうか。その答えは明らかなはずです。事実,今日の映画の多くは,「悪をするのだ。法律という法律,神の律法であれ破るのだ」と大声で叫んでいるのです。あなたはそうした影響を受けたいと思いますか。
14 正直なところ,自分は絶対に悪い影響に冒されないと思いますか。かつては礼儀正しく勤勉だった幾百万人ものヨーロッパ人が,ナチスの宣伝に“洗脳され”て非人道的な恐ろしい犯罪を行なったり支持したりしたことを思い出してください。ですから,性と暴力を扱った映画を通して広められる堕落した宣伝が自分に与える影響を過小に評価してはなりません。
レクリエーションの必要を満たす
15-19 レクリエーションの必要を満たしてくれる健全な活動を挙げなさい。
15 創造者はわたしたちをレクリエーションを必要とする者として造りました。しかし,そのレクリエーションが道徳的な汚れや暴力を中心とするもの,ご自分が設けた律法の違犯を中心とするものとなることは決して意図されませんでした。確かに,そうしたものを呼び物とする映画やテレビ番組を除外するとすれば,非常に多くの映画やテレビ番組を除外することになるでしょう。しかし,楽しむことのできる健全なレクリエーションはまだたくさんあるのです。
16 結局のところ,終わったあとで,当惑や混乱を感じさせ,“後味の悪い思いをさせる”なら,そのレクリエーションや娯楽に何の利点があるでしょうか。だれかから食物を勧められたとしましょう。見た目に良く,おいしそうなので食べたところ吐き気を催したなら,“おかわり”をするでしょうか。では,自分の自由時間をレクリエーションや娯楽に費やす方法については選択的であってください。どれこれかまわず,たまたま手近にある娯楽で満足してただ“時間”をつぶすようなことをせず,真の喜びとさわやかさをもたらす事柄,振り返って良い思い出となる事柄を行なって暇な時間を活気のあるものにしてください。
17 屋外でできるスポーツは種々様々です。森をハイキングしたり,ハンドボールやバドミントンをしたり,蹄鉄投げ遊びをしたりして楽しい時間を過ごす人は少なくありません。中には,家にピンポン台とか玉突き台を置き,友人を招いてゲームをしたことのある人もいます。親に尋ねてみれば,それを喜んでくれるかもしれません。
18 楽しめて,しかも知識が得られる博物館とか他の興味深い場所に行くこともできます。養鶏場,酪農場,せり市,印刷工場を見学したことがありますか。都市に住んでいる人なら,そこの名所を教えてくれる部門が市役所にあるかもしれません。見学者を歓迎する近隣の工場を教えてくれることでしょう。さらに,湖,山,海岸のような景勝地へ旅行することは,特に家族ぐるみで楽しめるなら,喜ばしいレクリエーションになります。
19 むろん,楽しみを追い求めることが人生の主な目的となってしまい,そのために人生が提供する益を得損なわないように注意することが必要です。それにしても,創造者が,非常に変化に富むレクリエーションをして楽しむ能力をわたしたちに授けてくださったことに深く感謝できるではありませんか。レクリエーションがあれば確かに生活はより有意義なものになります。
[121ページの図版]
見るものは人にどんな影響を与えますか
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あなたが選ぶ音楽とダンスあなたの若い時代,それから最善のものを得る
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17章
あなたが選ぶ音楽とダンス
1-3 (イ)創造者がわたしたちの環境に音楽を織り込まれたことはどのように真実ですか。(ロ)聖書がダンスを是認していることを示す例を挙げなさい。
人間の創造者は,人間を取り囲む環境の中に音楽を織り込まれました。小鳥たちののどから湧き出る,澄んだ,流れるような調べ,また小川のせせらぎ,こずえを吹く風の音,コオロギのすだく音,カエルの鳴く声,そして地上の他の多くの生物の鳴き声 ― これらはみなわたしたちの周囲に音楽を添えています。ですから,人間の歴史の初めから楽器が発達したのも不思議ではありません。
2 ダンスも古い歴史を持っています。イスラエルにおいて,モーセの姉のミリアムは,『タンバリンを携えて踊る』女たちを指導しました。また,ダビデ王が堕落した敵を打ち破るのを神が助けた後,『女たちは歌い,踊りつつ,イスラエルのすべての都市から出て来』ました。イエス・キリストは放とう息子のたとえ話の中でふさわしい祝いの一部として踊りのことを述べていますから,イエスがダンスを是認しておられたことも明らかです。イエスは放とう息子が帰った時,「音楽の合奏と踊り」が設けられたことを述べました。聖書は,ダンスがひとりひとりによって行なわれたり,男性の一団あるいは女性の一団によって行なわれたりしたことを示しています。―出エジプト 15:20。サムエル前 18:6。ルカ 15:25。
3 ということは,音楽と踊りは例外なく良いものということでしょうか。それとも,聴く音楽や行なう踊りはよく選ぶべきでしょうか。この問題を決定するのに何が役立つでしょうか。これは実際にどれほど大切な問題ですか。
ダンスを選ぶ
4-6 (イ)ダンスがクリスチャンに良くないものとなるのはどんなばあいですか。(コロサイ 3:5,6)(ロ)現代のあるダンスが古代の多産の踊りと比較されるのはなぜですか。
4 ダンスの種類は優雅なワルツからきびきびしたポルカまで多種多様です。ラテン・アメリカのコンガ,ルンバ,サンバまたメレンゲ,ビギン,ボサノバといったものもあり,これらの多くはアフリカに起源を有しています。ロックンロールなどごく最近のダンスもあります。これらのうちのあるものは避けたほうがよい理由がありますか。
5 そのダンスが人を性的に興奮させ,性の不道徳への誘惑となるなら避けるべきです。そのようなダンスは数々の問題を引き起こします。
6 例えば,古代行なわれた多産の踊りは情欲をかきたてるよう工夫されていました。現在のダンスのあるものはその名残をとどめています。数年前,タイム誌はこう述べました。
「ツイストは最初無邪気そのもののダンスだった。……ところが[ニューヨークのあるナイトクラブ]の若者たちはツイストを復活させ,それをもじって古代のある部族の成年式のまねごとにした」。
7-10 (イ)そうしたダンスをするなら,他の人々は何ゆえにその人に引き付けられるかもしれませんか。あなたは異性をそのような理由で引き付けたいと思いますか。(ロ)舞踊会用のダンスの場合でさえ,なぜ注意が必要ですか。
7 近年見られる多くのダンスはツイストの変形です。踊り手は互いの体に触れませんが,腰と肩を性的に暗示する仕方でくねらせるのです。そのように体をくねらせるのを見ると,若い男性の情欲は容易にかき立てられます。例えば,若い女性はただダンスの所作にそって体を動かしているだけにすぎず,そのようなことは考えないかもしれませんが,見ている人々に対する影響や自分がその人々に与え得る印象を無視すべきではありません。ニューヨーク・タイムズ・マガジンの編集者にあてられた手紙がこう述べているとおりです。「ツイストの踊り手の若い(またそんなに若くない)体が偽りを語っていることを,すなわち,内面の思いが外面の骨盤や胸部の動きのようには動いていないことを希望する」。
8 たとえ悪い動機を持っていなくても,そうしたダンスをするなら,他の若い人々が自分に対してどんな種類の魅力を感じるかを考えるのは賢明です。自分から得られる性的興奮,つまり,タイトな服を身に付けて,腰をくねらせたり,さまざまな性愛的動作をする人たちから得られるような興奮のゆえに自分に引き付けられているだろうか。自分は,それだけのためにだれかを引き付けたいと思っているだろうか。それとも,ありのままの自分ゆえに,わたしの会話,わたしが人生で重要だと思っている事柄ゆえに好意を感じてくれる人を求めているだろうか。自分が関心を持っている人は,喜んでわたしのために尽くしてくれる人,それとも,ただわたしから得られることのためにわたしを好きになる人だろうか。
9 二人が抱き合って踊る,ステップに重きが置かれた優雅な動きの舞踊会用のダンスでさえ,密接な身体的接触のため時に性的に刺激するかもしれません。ですから,舞踊会のダンスに参加するなら,自分はそのダンスから官能的な快感を得るほど相手に接近していないと思っても,相手が間違った刺激を受ける可能性のあることを認めて思いやりを示してください。
10 ほとんどのダンスは,ふさわしいものとかふさわしくないものとかに分類できないのが事実です。ダンスの多くは,上品なふさわしい仕方ででも,あるいは,清らかで健全な振る舞いをするための神のみ言葉の助言に反する仕方ででもできます。
音楽の選択
11,12 音楽はどのように力を及ぼしますか。例を挙げなさい。
11 ダンスの場合と同様,音楽を聴く場合にもよく考えて注意深く選ぶことが必要です。なぜかというと,音楽には力があるからです。そしてその力は他のすべての力と同じく,役にも立てば害にもなるからです。
12 音楽の力はどこにありますか。それは人々にある種の感情やムードあるいは精神を抱かせるところにあります。音楽は緊張を和らげ気分を静めることもできれば,気分をそう快に陽気にすることもできます。強力な行進曲と静かな小夜曲との間の違いはほぼ「感じ」で分かります。音楽は,愛,優しさ,敬意,悲しみ,怒り,憎しみ,熱情など,人間のすべての感情を鼓舞することができます。人間は歴史始まって以来どの時代でも音楽の持つ力を認め,人々を特定の方向に動かすためにそれを用いてきました。一例として,フランス革命の勝利は,ある作家がラ・マルセイエーズという歌の「軍隊への血も凍る召集」と呼んだものに一部帰せられているとされています。また,学校ではよく運動競技会の前に「応援歌」をうたわせます。
13-16 (イ)箴言 4章23節は音楽の選択とどのような関係がありますか。(ロ)音楽はどのように「触媒」となって,時にいつまでも残る悪い結果を招きますか。
13 聖書の中で心は感情および動機と密接に関連づけられています。ですから神のみ言葉は「守られるべき他のすべてのものに勝って,あなたの心を守りなさい。そこから命の源は発するからである」と助言しています。(箴 4:23)人の感情を動かす力が音楽に現にある以上,わたしたちが自分の心を守るには,聴く音楽をよく選ぶことが必要です。
14 音楽の感動的影響が一時的なものにすぎないことは事実です。しかしそれは多くの場合,ある特定の方向に人を強く押しやる,あるいは特定の魅力もしくは誘惑に対する抵抗力を弱めるに十分なのです。学校で科学を勉強したなら,「触媒」のことはご存じでしょう。二つ以上の化学物質の化合は,それらの物質を実際に結合させる他のある成分を使うことによって成立する場合が少なくない,と学ばれたでしょう。その成分が「触媒」です。ところで,人間はみなある弱さ,悪い性向をもっています。ですから時々正しくない事をする誘惑を感じます。仮に人を悪い行ないに誘う状況が生じたとしましょう。音楽は,欲望と状況とを結合させる「触媒」となり得るのです。そうなると後でひどく後悔するような結果になります。ある政府のポルノ調査委員会に属する一研究者は,自分の調査に基づいて次のように述べました。
15 「音楽は,少女の感情に働きかけて恋心と愛情をかき立て,しばしば恋の触媒作用を行なう。だから音楽は思春期の女子の性へのめざめを刺激するものである。……音楽はこの感情を浮かび上がらせる」。
16 確かに音楽が与える衝動は,一時的とはいえ,将来変わらない針路もしくは生き方を決めるきっかけとなる場合があります。あるいは,それは,永続的な結果を生む生き方をするきっかけを作るかもしれません。ですから,音楽が関係している場合に洞察力を働かせることはむだではありません。
決定の問題
17,18 音楽を聴いて,それが自分に良いか悪いかはどのようにして決められますか。
17 良い音楽と悪い音楽をすぐに見分けられるようなリストを作ることは,だれにもできません。というのは,さきに挙げたあらゆる種類の音楽の中で,「完全に良い」とか「完全に悪い」という印を押せるものは一つもないからです。頭と心を使い,すでに検討したような原則を導きとして,それぞれの音楽の価値を判別しなければなりません。あなたが選ぶ音楽によって他の人たちは,あなたがだいたいどういう人であるかを知ります。
18 ずっと昔ヨブは,「口が食物を試みるごとく耳が言葉を試みるのではないか」と言いました。(ヨブ 12:11)ですから耳も音楽を聴きわけることができます。歌詞がなくても,どんなムードまたは精神をかき立てるように作られているか,どんな行動を促すかは大抵分かります。シナイ山から降りてイスラエルの宿営に近づいた時にモーセが聞いた音楽の場合もそうでした。彼はヨシュアに言いました。「偉業について歌う声[勝利の歌]ではない。敗北について歌う声[悲しみに満ちた歌]でもない。ほかの歌声をわたしは聞いている」。その歌は熱狂的で,偶像崇拝的で不道徳な活動を反映していました。―出エジプト 32:15-19,25。
19-22 (イ)古典音楽の好きな人は,どんなことに警戒すべきですか。(ロ)ジャズとロック音楽の影響について,どんな事実は深い考慮に価しますか。
19 もっと最近の音楽のことを考えてみましょう。例えば古典音楽には一般に品位があり,荘重な調べをもつものがあります。その多くはどちらかといえば人の思いに高尚な影響を与えるかもしれません。一方,人間生活の不純なまたは利己的な面を取り上げたものや,それを賛美するものもあります。有名な古典音楽の作曲家の中には不道徳な,放縦でさえある生活を送った人も少なくないことを覚えておくのはむだではありません。彼らはだいたい『人間生活のより高尚な事がら』を理解するとされた聴衆のために作曲しましたが,歌詞のあるものにせよないものにせよ,彼らのゆがんだ見方や感情がその音楽に入り込むことはまず避けられなかったでしょう。ですから,もし自分の思いと心を健全に保ちたいなら,いわゆる「純」音楽でさえ,全く無考えに受け入れることはできません。
20 音楽スペクトルの,古典音楽とは反対の端にあるのはシンコペーションを用いたジャズとロック音楽です。この分野にでも旋律的で穏やかな曲があります。しかし騒々しくて耳ざわりなものもあります。音楽家自身が,ジャズとロックを,「ソフト」なものと,「ホット」で「ハード」な,または「激しい」ものとに区別しているのはそのためです。この音楽がどんな行動を促すかは分かるはずです。あなたの耳,思い,そして心はそれをあなたに告げるはずです。ある音楽の歌詞または調子は非常にはっきりしていて,人々はその音楽を聞くとある種の行動,あるいはある種の人々をすぐに連想します。例えば,聖書は「飲む人たちの歌」や「売春婦の歌」のことを述べています。(詩 69:12。イザヤ 23:15,16)今日はどうでしょうか。
21 例えば,ある種の音楽会または音楽祭で人々が大騒ぎをし,気絶する少女や麻薬を使う者まで出,劇場が破壊されないよう警官隊が出動した,という記事を新聞で読んだなら,そこでどんな種類の音楽が演奏されたと思いますか。若い人気歌手や音楽家が麻薬の量をすごして死んだという話を聞いたなら,彼らはどんな音楽を専門にしていたと思いますか。
22 あなたは,若い人たちの多くが,ロックの歌詞は周囲の世界の現実や問題を描写していると信じてロック音楽に引かれている,ということもご存じでしょう。ロック音楽はおそらく他のどんな形式のポピュラー音楽よりも,大人になること,世代の断絶,麻薬,性,公民権,反対,貧困,戦争その他これに類する問題について何かの意味を伝えようとしています。ロックはよりよい世界についての若い人々のいろいろな考えや,社会の不公正に対する不満を表現しようとします。しかし一般にどんな影響がありましたか。若い人々の多くに何をなしたでしょうか。ロックの哲学は彼らに真の解決をもたらしましたか。そのような音楽が現実に焦点を当てたものであるというのであれば,なぜその多くが麻薬と関係があるのでしょうか。ある歌詞は麻薬常用者にしか分かりません。こうしたことは考慮すべき問題です。
23-25 (イ)音楽と関連して,伝道之書 7章5節の助言の要点は何ですか。(ロ)音楽やダンスを選ぶ際だれのことを考慮すべきですか。なぜですか。(コリント第一 10:31-33。フィリピ 1:9,10)(ハ)したがって,音楽とダンスを選択することはなぜ小さな問題ではありませんか。
23 ですから,音楽を選ぶことは決して小さな問題ではありません。群衆に従うことによって他の人に決定させ,人気のあるもの,大衆にアピールするものを選ぶこともできれば,自分自身でよく考え,神の言葉,聖書に見られる不朽の,そして卓越した知恵を導きとして注意深く選ぶこともできます。伝道之書 7章5節には,「賢い者の叱責を聞くことの方が,愚鈍な者たちの歌を聞く者となるより良い」とあります。聖書の言う「愚鈍」とは,知能的なおくれだけでなく,将来必ず問題を招く道を歩む道徳上の愚かさをも意味しています。
24 歌詞の中に真実なことや正しいことと相いれない言葉が含まれている音楽や,官能を刺激する騒々しい音楽を聞いても自分は影響を受けないと思うかもしれません。ダンスについても同様に感じるかもしれません。しかしあなたは他の人にどんな影響を与えますか。使徒パウロと同じように感じますか。彼は,肉を食べるといった正当な事柄でも,もしそれを食べないことによって人のつまずきとなることが避けられるなら,肉を食べるのをやめる,と言いました。あなたが選ぶ音楽は,あなたがどんな人であることを示しますか。
25 ですから,あなたがどんな音楽やダンスを選ぶかは,あなたが「おもしろく時を過ごす」ことだけに関心があるか,あるいは神の恵みによって永続する幸福な生活に関心があるかの問題です。
[124ページの図版]
ダンスには古い歴史がある
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性道徳を守ることには意義がありますかあなたの若い時代,それから最善のものを得る
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18章
性道徳を守ることには意義がありますか
1-3 世の多くの人は結婚前の性関係についてどのように感じていますか。
婚前交渉をさせようとする圧力は今日多くの場所で強いものがあります。事実,世界は“性革命”に巻き込まれています。ニューヨーク・デーリー・ニューズ紙はこう説明しています。「結婚関係外の性関係は今や,両親,大学および一般社会から広く認められている。あたかも,抵抗できない新しい潮の流れをせき止めようとすることがむだであるかのように,不道徳がいわば黙認されている」。
2 望む人と望む方法で性関係を持つ自由を叫ぶ人々は少なくありません。そうした態度は多くの人に不安を与えます。ある女子大生は,デートの時にぶつかった典型的な問題について次のように語りました。「彼はいつも,どうしてだめなんだ,と言いました。それで私は,なぜ道徳律のことをそれほど考えなければならないかを説明することにデートの半分を費やしました。そしてそのあとで,なぜ許されないんだろう,と自分自身に尋ねるのが常でした」。あるいはあなたも,「なぜいけないのか」といぶかったことがあるかもしれません。性道徳を守ることには意義がありますか。
3 若い人々は,普通,自分には身体的に性関係を持つ能力があり,“とても楽しい”と聞いているから,そうする権利があると考えます。しかし,本当にそうでしょうか。結婚前の性関係は正しいものですか。それは人生を生きる価値のあるものとするのに役立ちますか。
良い影響か,それとも悪い影響か
4-7 (イ)結婚前に性関係を持つなら,普通どんな結果が生じますか。(ロ)性の放縦がなにも“現代的”なものでないことを何が示していますか。(士師 19:22-25。ユダ 7)(ハ)コリント第一 6章18節に述べられている助言が非常に大切なのはなぜですか。(使徒 15:28,29。テサロニケ第一 4:3,7,8)
4 性の自由が人をより幸福にする,それは“とても楽しい”という主張についてはどうですか。アメリカ医学協会ジャーナルは,多くの女性と婚前交渉をしたひとりの若者が,「それは幸福をもたらさないことが分かった」という結論に達したことを伝えています。少女が婚前交渉から幸福を感ずることはさらに少ないようです。若い女子大生は涙ながらにそうした経験をこう語っています。「全くそうするだけの価値がありませんでした。その時も楽しくありませんでしたし,その後ずっと心配でした」。
5 多くの理由から,そのように心配するのも当然です。一つの理由を指摘して,一衛生官は,わずか5年の間にアメリカの十代の若者の半数がりん病感染の危険にさらされたと語りました。また,医学者によれば,現代の薬品には,主な性病であるりん病と梅毒のまんえんをくい止める力のないことが証明されつつあります。そして病気に冒された人は大抵の場合,気がついた時には手遅れになっていて,回復不能の重傷を避けることができません。不道徳な行為によって,盲目になったり妊娠不能になるなど,取り返しのつかない損傷をこうむる危険を冒すのは分別のあることでしょうか。
6 さらに,妊娠の問題があり,多数の未婚の女性が妊娠しています。彼女たちの多くは,感情的緊張を伴う妊娠中絶の危険を冒します。また,やむをえず不幸な結婚をする人や,私生子を育てることに長年苦労して惨めになる人もいます。ですから,経口避妊薬が十代の人にも簡単に入手できるようになりはしても,絶対に妊娠しないという“保証”がないことは容易に分かります。
7 性の放縦はこと新しい,あるいは“現代的”な事ではありません。それは非常に長い間行なわれて来たものです。イエスが誕生する2,000年前,ソドムとゴモラの人々は放縦な性行為をならわしにしていました。古代ローマ帝国の歴史を読むと,同帝国が今日行なわれているあらゆる種類の性の放縦で有名であったことが分かります。事実,ローマ帝国崩壊の主な原因は道徳の退廃でした。確かに,「淫行から逃れなさい」という聖書の命令に注意するのは賢明なことです。―コリント第一 6:18。
道徳的であることは弱さのしるしか
8-11 (イ)婚前交渉を避けるのになぜ道徳的な力が必要ですか。(ロ)箴言 7章に述べられているとおり,不道徳に陥った若者が良い動機に欠けていることは何から分かりますか。(ハ)シュラミのおとめが正しい原則にしっかり付き従っていたことは,どんなことから分かりますか。
8 しかし,不道徳を犯させようとする圧力を受けて,それを拒むと他の人々から弱い者呼ばわりされるかもしれません。所によっては,淫行が広く認められた事柄になっています。「医学の立場から見た人間の性」と題する本の中で二人の医師は次のように述べています。「若者たちは手軽な性関係を拒むことに罪の意識を感じるようになっており,若い女性が25歳でまだ処女なのが恥ずかしいと言った例もいくつかある」。結婚前に性関係を持つのを拒むのは弱さのしるしですか。では,激情に屈してしまうのと,それを制するのとではどちらにより強い力が求められると思いますか。
9 実際に,性の衝動に屈することはどんな弱い人にでもできます。一方,結婚して配偶者を得るまでそうした衝動を制するには真の“男性”(あるいは真の“女性”)であることが必要です。まして世界的な傾向が逆の方向に向かっている現在,それにはいっそう強い力が求められます。それは流れに抵抗し,流れと闘うことを意味するからです。
10 聖書の箴言にはこの点を示す話が出ています。「愚かな者」の中のひとりの若者は,心に良い動機を持たずに,売春婦が近づいて来る場所へぶらぶら歩いて行きます。若者は売春婦の巧妙な説得に負け,「突然彼は女の後を追って行く。ほふり場に来る雄牛のように。そして,まるで愚かな者の懲らしめのために足かせをかけられたように」。(箴 7:6-23)その若者には拒絶するだけの道徳的な強さがなかったのです。
11 しかし,この本の中ですでに出て来た,シュラミの若く美しいおとめは,自分が結婚しようと思う羊飼いの若者に対して貞節を守り,富裕なソロモン王からのあらゆる誘いを拒みました。その娘は,待っている男のためにおとめでいるという自分の決意が,簡単に開く「戸」のようではなく,「壁」のように堅固であることをその兄たちに証明しました。―雅歌 8:8-10。
性道徳を守ることになぜ意義があるか
12-14 (イ)性に関する神の規則を守ることにはなぜ意義がありますか。(ロ)ヘブライ 13章4節とコリント第一 6章9,10節によれば,淫行を行なう者は将来どうなりますか。姦淫が意味するものは何ですか。
12 性道徳を守ることに意義がある主な理由は,人間の幸福について最も良く知る方,実際に,性関係を可能にされた方エホバ神がそれを説いておられるからです。そのことについて考えてください。エホバ神は愛情深くも,性関係によって人間の生命を伝達する備えを設けられました。その営みは非常にすばらしく,神聖な事柄です。生きているわたしたちはみな,その益を受けています。わたしたちがその益を受け入れるなら,その営み全体に関する神の規則をも受け入れる務めが生じるのではありませんか。確かに,わたしたちの命の与え主であるエホバ神は,命を伝達する力のある生殖器官の使用に関する規則を設ける権利を持っておられます。
13 神は使徒パウロを通してわたしたちにこう命じておられます。「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです。神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれるからです」。(ヘブライ 13:4)淫行には,相手を問わぬでたらめな性関係ばかりでなく,婚約中の男女の間の性関係のように,婚前の性行為も含まれます。
14 神のみ言葉は,淫行その他のみだらな行為を非常に明確に禁じており,そのような事をならわしにする人は神の王国に入れない,と述べています。聖書にはこう書かれています。「惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです」― コリント第一 6:9,10。
15-19 (イ)性の不道徳を本当に憎まなければならないのはなぜですか。(詩 97:10)(ロ)そうした正しい憎しみを培うのに何が助けになりますか。
15 神の律法がこのように明確であるのは確かにわたしたちの益のためです。性の衝動は非常に強いことがあるので,ほとんどの人が誘惑の圧力に負けそうになるときを経験します。もしこの問題に関する神の律法があいまいであったり,弱かったりしたら,そのような場合に神の律法はあまり役に立たないでしょう。しかし,神の律法は非常に明確かつ強力ですから,わたしたちが分別を保つのを助け,精神的勇気を支え,さらに重要なこととして悪の道を憎むことを教えてくれます。あなたは本当に性の不道徳を憎んでいますか。なぜ憎むべきですか。
16 それが時として魅惑的に思えたなら,次のように自問してください。『親兄弟など家族をこのことに巻き込んでよいだろうか。家に私生子ができてもかまわないか。それによって,家族に対する私の愛や尊敬の念は増すだろうか』。そうでないなら,それは憎むに価することではありませんか。あなたは,不道徳なことをする人の相手となって,あたかも公衆用の手ふきのようになりたいとは思わないに違いありません。
17 そうした不道徳な行為の結果生まれる子供についてはどうでしょうか。仮に,あなたがそのような子供を持っているとしたら,だれがその子の世話をしますか。あなたのお父さんやお母さんですか。あなた自身が世話をしますか。あなたはどのようにして世話をしますか。また子供が成長して,自分が母の胎内に宿ったいきさつを知った時,子供はどう感じるでしょう。あるいは,あなたが責任を回避して子供を養子に出したなら,他の人々はあなたのことをどう考えるでしょう。あなたは自分のことをどう思うでしょうか。あなたは子供の生まれたことを隠そうとして子供を養子に出し,子供を人の目から隠して,辱めと責任から逃げようとするかもしれません。しかし,あなたは自分自身から逃げることができますか。
18 私生子をもうけた男性であるならば,その良心は安まるでしょうか。母親ばかりか子供にも臨む恥辱と苦労を考えてごらんなさい。確かにそれは避けるべき事柄です。
19 実際,性の不道徳からどんな良い結果が生まれていますか。人を不具にする性病,妊娠中絶,しっとに燃えた争いやさらには殺人など,数多くの望ましくない事柄がそれに関連しているのはなぜでしょうか。性の“自由”を大幅に認めている国々が,世界で最も離婚率の高い国の中に入るのはなぜですか。離婚は成功を意味しますか,それとも失敗ですか。それは真の幸福のしるしですか。それとも不幸と不満のしるしですか。
20,21 性道徳を守ると,どうして結婚に成功する見込みが大きくなりますか。
20 一方,性道徳を守る人のほうが結婚に成功する見込みがはるかに大きいことからも,それを守ることは理にかなっています。なぜなら,そのような人は,結婚を尊いものと考え,神の取決めを尊重し,未来の配偶者を敬い,また清い配偶者を得るという互いの権利を尊重して,結婚を重んじるからです。
21 事実,求愛期間や婚約期間中にみだらな行為や勝手なまねをすることを避けるように注意すればするほど,結婚に成功する可能性は大きくなります。あなたも,またあなたの配偶者も,性だけが動機で結婚したのではないかと考えて相手の愛の真実さを絶えず疑うことはないでしょう。なぜなら,結婚とは,つまるところ,単に二つの体の結合ではなく,ふたりの人間の結合だからです。結婚生活から永続する幸福を得るには,人間に対する相互の尊敬と愛がなければなりません。
賢明な選択をする
22-24 (イ)アムノンとタマルに関する聖書の記録から,若い女性はどんな教訓を学べますか。(ロ)ポテパルの妻が示した情熱的な愛が永続するものでないことは何から分かりますか。
22 感情だけに基づく愛は永続的な愛ではありません。それは利己的で貪欲な愛です。その種の愛の良い例としてダビデの息子のひとり,アムノンの場合があります。アムノンは母親の違う美しい妹タマルに「恋」をしました。そして,策略を用いて,無理やりタマルに自分と関係を持たせたのです。そのあとはどうなりましたか。記録は次のとおりです。「ところが,アムノンは非常に大きな憎しみにかられて彼女を憎み始めた。それは彼が彼女を憎んだその憎しみが,彼女を愛したその愛よりも大きかったからである」。(サムエル後 13:1-19)ところで,もしあなたが少女であるなら,ある少年があなたに情熱的な愛を示し,あなたと関係を持つことを望んでいるからといって,その少年があなたを誠実に愛していると浅はかにも考えるべきですか。その少年がアムノンのようになることは十分あり得ることです。
23 聖書によればエジプトの要人ポテパルの妻も家で働いていた若いヨセフに同類の関心を示しました。ヨセフが彼女のあらゆる誘惑の試みを拒絶した時,彼女は本性を表わし,ヨセフに関して夫にひどいうそをつき,不当にもヨセフを投獄させました。―創世 39:7-20。
24 確かに,いわゆる性の“自由”は,美しく清くあるべきものを卑しく,忌まわしいものに変えます。では,あなたはどちらを望みますか。あらゆる危険や問題の伴う,きまぐれでつかのまの禁じられた性の快楽ですか。それとも自尊心を持ちつつ,絶えず神とすべての人の前に清い良心を保っているという満足感ですか。
25,26 性の不道徳に陥るのを避けるために何が助けになりますか。(エフェソス 5:3,4。フィリピ 4:8)
25 不道徳から逃れていたいなら,のべつ異性のことを話したり,性の衝動を刺激する目的しか持たない読み物や写真を見るなど,不道徳につながる事柄から遠ざかっていなければなりません。そのかわり,考えること,見ること,話すことを積極的な事柄で満たし,恥辱や心痛を残さず,永続的な福祉をもたらす価値ある目標に向かって努力しなければなりません。
26 とくに,創造者と,創造者の方法およびその目的の正しさと賢明さに関する知識と認識を深めてください。祈りのうちにエホバに頼り,エホバがご自分に仕える者に約束しておられる事柄に心を向けてください。あなたが本当に望むなら,性道徳を堅く守ることができます。なぜなら,エホバ神とそのみ子が,そうするために必要な力をあなたに与えてくださるからです。
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デートと求愛あなたの若い時代,それから最善のものを得る
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19章
デートと求愛
1-4 (イ)デートが一般的な習慣になったのはどれほど最近のことですか。(ロ)デートの習慣のない土地では,結婚はどのように取り決められることがありますか。(ハ)結局のところ,そうした習慣が良いか悪いかは何によって決まりますか。
正常な人はだれでも人生から真の楽しみを得たいと願います。聖書はそれが正しいことを示して,喜びを神の霊の「実」の一つに挙げています。(ガラテア 5:22)多くの若い人々は,西欧諸国においては特に,楽しみを得る主な手段としてデートをします。そして,しばしば付き添いを伴わずに異性と一緒にひと時を過ごすよう取り決めます。そうしても良いのでしょうか。
2 デートは多くの土地でごく一般に行なわれているので,正常で当然の事柄であると思うかもしれませんが,必ずしもそうではありません。「社会関係における家族」と題する本は,「われわれの知っているような形態のデートは第一次世界大戦後生じたものと思われる」と述べています。しかし,デートの習慣のない国も少なくありません。事実,花嫁と花婿になる者どうしは,結婚式の日まで会いません。二人の結婚に関するいろいろな取決めは,ほかの人々,つまりそれぞれの親か,多分「結婚媒介人」もしくは「なこうど」によって行なわれます。
3 むろん,デートと求愛が普通のこととして受け入れられている国の人々は,ある国にこの習慣のないことが理解しにくく思えるかもしれません。しかしまたこの習慣のない国の人々には,その習慣に同じように当惑するかもしれません。その人たちは,デートと求愛を賢明なこととはみなさず,なんとなくいやな感じさえおぼえるかもしれません。インドの一少女は,西欧の有名な結婚問題助言者に次のように語りました。「知り合った男性の性格をわたしたちがどうして判断することができるでしょうか。わたしたちは若くて経験がありませんが,両親は年長でもっと知恵がありますから,わたしたちのように容易に欺かれません。……わたしが結婚する男性がふさわしい人であることはとても重要です。もし自分でそのような人を見つけようとすれば,容易に間違いを犯しかねないでしょう」。
4 それで,狭い見方をして,自分の住んでいる土地の人々のやり方が唯一の方法だと考えるよりも,考え方を広くするほうがずっと良いのです。結局のところ,ある習慣がどれほど良いか悪いかを決めるのは,それがどのような結果を生み出すか,ということではないでしょうか。聖書では伝道之書の7章8節に,「事の後の終わりはその始めに勝る」と書かれています。また,わたしたちはデートと求愛の習慣のある国で,多数の結婚がうまくゆかず,離婚に終わっていることを認めなければなりません。
では,デートについてはどうか
5-8 (イ)自分の行動を長い目で見るうえで,伝道之書 11章9,10節に述べられている事柄はどのように役立ちますか。(ロ)多くの若者がデートしたいと思うのはなぜですか。
5 物事を論理的に考え抜くことの価値を信じている人なら,デートから受ける当座の影響ばかりでなく,ずっと後まで及ぶ結果をも考慮したいと思うでしょう。わたしたちの創造者は,わたしたちが長い目で物事を見るのを助けてくださいます。創造者は,わたしたちに永続する真の幸福をもたらすものをわたしたちのために望んでおられます。それで,み言葉の中でこう勧めておられるのです。「歓べ,若者よ,あなたの若い時を。また,あなたの心が青春の日々あなたに善を行なうように。そして,あなたの心の道を,またあなたの目によって見られる物事のうちを歩きなさい。しかし,これらのことすべてのゆえに真の神があなたを裁かれることを知りなさい。それゆえあなたの心からいらだちを取り除き,あなたの肉体から災難を払いのけなさい。若さも命の盛りもむなしいことだからである」。(伝道之書 11:9,10)これはどういう意味ですか。
6 創造者は,あなたが若さを楽しむと同時に,後の人生に悪い影響を及ぼす行為をしないことを望んでおられる,という意味です。不幸にしてそうした事柄はあまりにもしばしば起きており,現代の一作家は,「人類の大多数は,後の人生を惨めなものにするために人生の最初を過ごす」と言っているほどです。あなたは,そうしたことが自分の身に起こることを望まないのではありませんか。神も望んではおられません。しかし聖書は伝道之書のこの部分で,神が若い人々を自分の行動に対する責任を持つものとみなしておられることも示しています。若いからといって,みずから選んだ道の結果に直面せずにすむわけではありません。
7 このことはデートと直接関係があります。どうしてそう言えますか。では,こう自問してごらんなさい。「わたしはどうしてデートをしたいのだろうか。例えば他の人たちと一緒では得られない,どんな楽しみを期待しているのだろうか。どうして一人の人,異性のだれかと二人だけになりたいのだろうか」。異性に引かれる気持ちが次第に強くなっていることが根本的な理由ではありませんか。それは,“デート”の相手として好ましい人を選ぶさいふつう,身体的な魅力が大いに関係していることからも分かります。
8 デートをする若い人の中には,目下結婚を真剣に考えていたり,デートの相手にぜひ自分の配偶者になってもらいたいと思ったりしていない人が少なくありません。デートが風習とされている土地では,大抵それは一種の娯楽,つまり晩や週末を過ごす一つの方法とされているにすぎません。中には,「変人」扱いされたくないため,自分と同じ年ごろの他の若い人がしているというだけの理由でデートする人がいます。しかし,デートが「いらだち」や「災難」をも招きかねないことに疑問の余地はありません。なぜそうしたことがあるかを考えてみましょう。
身体的な接触の影響
9-11 (イ)普通,デートにはどんな身体的な接触が伴いますか。自然の傾向として,次第に親密さが増してゆくのはなぜですか。(ロ)その結果,結婚していない人に神経の緊張状態が生じるのはなぜですか。(ハ)身体的な接触によって淫行に陥るなら,それはどのように種々様々な災難を招きかねませんか。
9 デートには,しばしば,手をにぎったり,接吻したり,あるいはそうする以上のなんらかの身体的な接触が伴います。最初は相手の手にさわるだけで非常な喜びがわき,激しい興奮を感ずるかもしれません。しかし,しばらくすると,そうしたスリルは失われ,同様な効果をもたらさなくなり,それ以上の行為,例えば接吻に喜びを感ずるようになるかもしれません。ところがやがて,それもあたりまえの,いささかありふれたこととさえ思えるようになります。なぜですか。
10 なぜなら,それはすべてある特定の結果に導くように意図された鎖の一つ一つだからです。相手の体に初めてさわることはその最初の鎖の輪であり,その最後の輪は,神のみ言葉の示すように結婚した夫婦だけに許されている性関係です。そのあいだの出来事はすべて,この鎖の最後の輪へと導くものにほかなりません。それでは,結婚していない人が,その最初の輪,あるいは他の輪のどれかに手を出すのは賢明ですか。そうするなら,おそらく,「いらだち」を招くことになるでしょう。なぜなら,体はしてはいけないこと,つまりその最後の鎖の輪に到達する備えをするからです。性関係を求める欲求をつのらせながら,その欲求を充足させないと,欲求不満や神経の緊張状態が生じます。
11 淫行はそうした「いらだち」を解消するどころか「災難」をもたらしかねません。どうしてですか。多くの面からそう言えます。淫行は性病をもたらす場合があります。また,女性は妊娠するかもしれません。そのために,二人は実際には準備ができていないのに結婚せざるをえなくなる場合もあります。それは二人の将来の幸福に悪い影響を与えます。あるいは,若い男性のほうがその若い女性と結婚するのを拒む場合もあります。そうなると,その娘は夫なしで子供を育てねばなりません。あるいは,聖書によると一種の殺人行為とされている堕胎を考えるようになるかもしれません。それは「災難」ではありませんか。デートをしても,そんな結果をもたらすようなことはしないとあなたは決意しているかもしれません。しかし,そうした問題に直面するはめにあった人々の多くも同様の決意を抱いていたのです。ですから,問題は実際のところ,あなたに結婚の備えができているかどうかということです。
人格の形成
12,13 デートはどのように人格形成の妨げとなることがありますか。したがって,どんな種類の関係の方がさらに有益ですか。
12 デートには,それが「災難」をもたらさない場合でさえ,他の不利な点があります。その一つとして,いろいろな人と広く交わって,自分自身の感情面の円熟を図るのに多くの益を得る時期に,デートをする人は自分の関心をせばめ,ただ一人の人に限ってしまいます。もしあなたが若い男子ならば,正しい事柄に対する愛を表明している他の男子とおもに交友を持ち,そうした友達から男子にふさわしい能力や生活態度を学んで,まず真の男性になることに専念してはいかがですか。もしあなたが若い女子なら,あなたが女子にふさわしい能力と生活態度を身に付けるのを助けられる女の人たちと交わって益を得,真の女性に成長することにまず関心を払ってはいかがですか。デートは確かにそうした成長を妨げたり,遅らせたりします。
13 デートが一般的な習慣になる以前,若い人々は多くの事柄に楽しみを見いだしました。あなたもそうすることができます。会話したり,勉強したり,技術を伸ばしたり,何か課題を取り上げて努力したり,遊戯したり,見物したりして,真の楽しみを見いだせます。しかも,同性のだれかと,あるいは何人かのグループとともにそうした活動に携わって大きな喜びを見いだせます。一緒に交わる人の年齢の違いが大きければ大きいほど,つまり同年配の人や年上の人,また年下の人が多ければ多いほど楽しさが増すことにしばしば気付くでしょう。
いつ結婚するか
14,15 (イ)十代の結婚の適否についてどう思いますか。(ロ)子供が結婚を望んでいる場合,それに関して親にはどんな責任がありますか。
14 しかし,普通若い人が結婚を望む時が来ます。その最も良い時はいつですか。まだ十代の時ですか。一般にはそうではありません。十代の結婚が,片方または両方がもっと円熟した年齢の人たちの結婚ほどに成功しないのは,厳然たる事実だからです。ある社会学者が,「研究調査の示すところによると,一般に十代の結婚は,もっと年がいってからの結婚に比べ,離婚率または不幸になる率が高いのが特徴である」と述べているとおりです。
15 一方,そうした若い人々の間の結婚を厳しく排除するための聖書的根拠もありません。大抵の場合,国の法律は,子供の最善の益となり,子供を最も幸福にし,子供のために良いことであると自分が信じる事柄を円熟した判断を働かせて決定する権利を親に与えています。親は自分の監督下にある息子または娘の結婚を許すか許さないか,どちらかに決定します。確かにわたしたちの時代には問題がたくさんあり,失敗に終わる結婚が非常に多いのですから,親は注意を要します。また考え深い若い人も同様に,『急いで結婚してゆっくり後悔する』よりも,むしろ注意すべきです。向こう側に何があるかをよく知らないのに,扉があいているというだけの理由で急いでその門をくぐるのは愚かなことです。
配偶者を選ぶ
16-19 (イ)求愛が許されている土地で,ガラテア 5章13節の原則を適用することはどうして有益ですか。(ロ)求愛の目標は何であるべきですか。したがって求愛中の二人は何に対する備えができていなければなりませんか。(ハ)二人だけにならずにグループの中で異性と親しくなることにはなぜ利点がありますか。
16 ある所では,少なくとも父親か母親が,あるいは年長者がだれかいる時でなければ,若い男性が若い女性と同席することは許されません。しかし欧米の多くの国では,そうした若い人々が同伴者なしで一緒にいることが少なくありません。そこで問題は,そのようにより広い範囲の自由が許されている所では,どうすれば若い人は求愛を確実に真の幸福な結婚に至らせることができるかということです。
17 自由には常に責任が伴います。そこで,もしあなたが今この問題に直面しているなら,聖書のガラテア 5章13節にあるりっぱな原則をおぼえておくとよいでしょう。もちろん使徒パウロはここでは,キリスト教がそれに帰依する人々にもたらす自由について述べています。しかしその原則はどんな種類の自由にも適用します。りっぱな結果と神の恵みをもたらすようにその自由を行使したいと思うならなおのことです。使徒は次のように書いています。「兄弟たち,言うまでもなく,あなたがたは自由のために召されたのです。ただこの自由を肉のための誘いとして用いることなく,むしろ愛を通して互いに奴隷として仕えなさい」。純粋の愛 ― 神への愛と,求愛の相手を含む隣人への愛 ― は,どんな種類の自由にせよ自分が持っている自由を,利己的で有害な用い方をしないようにするのに役立ちます。
18 求愛を誉れあるものとするためには,それを結婚を目標にしたものとするべきです。ですからこれは,結婚に伴う種々の責任を果たす用意ができていないうちに始めるべきものではありません。もちろん,最初のうちは,その人と結婚したいのかどうかは分からないものです。ですから一人の人に急いで注意を固定しない気持ちは分かります。かといってこれは,戯れにすぎない「求愛」をしたり,次々と相手を替えて戯れの恋をする理由にはなりません。
19 たとえある人に「関心を持っている」としても,そのような人との交際は,しばらくの間,グループ活動の中で,グループの一部として交際するだけにとどめておくのが賢明です。なぜですか。なぜなら,そのような状況の中にいる時のほうが,その人の本当のひととなりを良く知ることができる場合が多いからです。人はみな,だれかが自分に特別の注意を向けている,という感情的圧力がない時には,ありのままの「自分」を出す傾向があるからです。しかし二人がグループから離れると,その時から,相手の望みにかなった者になろうとする,彼のあるいは彼女の好ききらいをさえ反映する傾向が自然に生まれてきます。この傾向は時に人の本当の性格をカモフラージュします。また二人だけになるとすぐ情緒本位になるので,『バラ色のめがね』でお互いを見はじめます。もし二人がそのような感情のほとばしりによって結婚するなら,幻滅することが少なくないでしょう。
20-22 (イ)正直かつ無私の態度で求愛に臨むのはなぜ大切ですか。(ロ)求愛中に未来の配偶者についてどんな事柄を知ることができますか。配偶者にとりわけどんな資質を求めますか。
20 一般的にいって,求愛行為を始めるのは男性です。男性のほうが女性への関心を表現します。もし男性がまじめで真剣な関心を示すならば,女性のほうには,彼が少なくとも結婚を考えていると信ずる権利があります。ではどうしますか。そうなると女性は,彼との結婚を考えることができるかどうか,自分に尋ねてみる責任があります。もし彼を未来の夫と考える気持ちのないことがはっきりとしていれば,彼が自分への関心を深めるままにしておくのは残酷な行為です。少女たちの中には,自分が人に好かれていること,あるいは適齢であることをただ目立たせるために人の求愛を許し,それによってほかの若い男たちの注意を引こうとする人がいます。若い男性の中にも,『恋をあさり』楽しんで,事が深刻になり過ぎないうちに身を引けばいいという考えで,同じようなことをする人がいます。しかし自分の自由をそのように利己的に用いるなら,相手をひどく傷つけ,相手の心に,何か月も時には何年もいえないようないたでを負わせかねません。
21 求愛の自由は利他的に行使する時にのみ益をもたらします。それは,残りの生涯を一緒に暮らそうと考えている人をよりよく知る機会となります。二人が互いに対してどれほど正直であるかによって,互いの好ききらい,標準,くせ,物の見方,そして互いの気性や性格,問題や困難に対する反応の仕方などを知ることができます。また次のようなことを知りたいと思うのも間違いではありません。彼または彼女は親切で,寛大で,他人に対して思いやりがあるでしょうか。親や年上の人たちを尊敬しますか。慎み深く謙そんなことを示す証拠が見られますか。それとも自慢家でがんこですか。自制と平衡が見られますか。それとも弱くて,すねたりかんしゃくを起こしたりする子供っぽいところがありますか。働くことが生活の大きな部分を占めている以上,怠惰なところや無責任なところ,またはお金を浪費する傾向は見られませんか。将来の計画はどうですか。子供を持つことを望んでいますか。それとも特別の職業に関心がありますか。「求愛における危険信号」という題の記事の中で筆者はこう言っています。「これはわれわれが,婚約している人々と,幸福なまた不幸な結婚生活をしている人々とを調査して分かったのであるが,不幸な結婚生活をしている人々は,人生の目標と価値とに関して意見が少しも一致していない」。
22 なかでもよく知っておかねばならないのは,相手の関心や計画の中で神の目的がどれほどの場を占めているかということです。こうしてあらゆる面から見た時,二人は果たしてどの程度合っているでしょうか。もし大きな食い違いがある場合,結婚すれば自動的に解決するというような思い違いをしてはなりません。結婚はその相違が引き起こす不和をより鋭く感じさせるだけかもしれないからです。
求愛期間の誉れある行為
23-26 (イ)結婚を考えている人が,手をにぎったり,接吻したり,抱擁したりすることをどう感じますか。(ロ)どのようにして,「不品行」や「汚れ」の罪を犯すことがありますか。そうした事柄を避けるのはなぜ大切ですか。(ガラテア 5:19,21)
23 親が付き添いなしの交際を許す国では,求愛中の二人が,愛情の表現として手をにぎったり,接吻したり,抱擁まですることが少なくありません。もちろん親には息子や娘に守らせたい規準を示す権利があります。会衆内の長老たちは,神のみ言葉に見られる導きとなる健全な原則に若い人たちの注意を促すことができます。人生において賢明な道を歩むことを心から望む人はだれでも進んで,また喜んでそのような助言に従うでしょう。
24 聖書は,婚約中の男女を含め,結婚していない人々の性関係を指す淫行を明確に排除しています。しかしまた,求愛中に生じるかもしれない不道徳な行為や「汚れ」にも注意するよう警告しています。(ガラテア 5:19-21)これらの警告に従う二人は多くの苦しみをせずにすみ,またあとで悩まされるような不行跡の追憶を作る危険を冒しません。ところで,聖書の規準に従えば汚れた行ないとは何ですか。それには何が含まれますか。
25 手をにぎることは,結婚を考えている人たちの間では愛情の清い表現であるかもしれません。その行為が刺激を与えることは事実ですが,それは自然なことで,必ずしも悪いとはいえません。結婚の対象にしている人の姿を見るだけでも刺激されて「心を高鳴らせ」るのですから。(雅歌 4:9)しかし次のことをおぼえておく必要があります。つまり身体的接触は,人間の性質上,性的魅力の“引力”を実際に強めるということです。したがって,ある人々は,それが招き得る結果を認めて,求愛期間中は身体的接触をいっさい厳重に慎むことを好むかもしれません。そうした良心的な態度はだれも軽べつしたり,軽視したりすべきではありません。
26 接吻も,結婚を考えている人たちの間の清い愛情の表現かもしれません ― あるいはそうでないかもしれません。実際に問題は,情欲がどの程度入り込んでいるかということです。接吻は,二人が性的に強く興奮するまでに情欲をかき立てる仕方で行なわれることがあります。性的興奮は二人を性交へと備えさせますが,この特権は,神の律法に従えば,結婚している夫婦にのみ許されているものです。もしも二人が,互いの生殖器を愛ぶするにせよ,他の方法にせよ,恥ずかしくもなく故意に情欲をかき立てる行為にふけって,それと知りつつ神の律法を侮るなら,ふたりは「汚れ」および「不品行」の罪を犯しています。
27-30 結婚する前に情欲をかき立てるような行為を避けるべきどんな理由がありますか。
27 わたしたちは自分について正直であるべきです。そういう事柄に対する強い自制力が自分にないことを知っているなら,冒険をして自分と相手の将来を危険にさらすべきではありません。ブレーキの調子が悪いことを知っているなら,その自動車で曲がりくねった急な坂を降りるようなことはしないはずです。こうした問題に関して決意をし,心を定める時は,事を始める前であって始めた後ではありません。いったん肉体的欲望が起き始めると,その増大を制止するのは非常にむずかしいのが普通です。結婚によってその資格を得てもいない時に,性関係を望むまでに情欲をつのらせる人は,緊張感や欲求不満に悩まされます。それは,非常に面白く読んでいた本の最後の一章が破れてなくなっているのを発見する時の気持ちに似ています。
28 求愛期間中の関係を高いレベルに保つ人たちは,ひん度と熱烈さが徐々に増す親密な交際に陥る人たちよりも,結婚においてはるかに良い出発をします。『いつも撃退』しなければならない相手に,女性はどれほど敬意を抱けるでしょうか。しかし,強い意志力と礼儀正しい慎みを示す男性は尊敬されます。女性についても同じことが言えます。そして女性は特に次の事に気付く必要があります。つまり,女性の場合は感情が高ぶるまでに時間がかかるかもしれませんが,男性の場合にはそういうことはまずないということです。男性は容易に,またすぐ性的に興奮し得るのです。
29 ひんぱんな,そしてしだいに熱烈さを増す愛情の表現に屈するなら,早まった結婚をする結果になりかねません。「思春期と青少年」という本は次のようにも述べています。「求愛期間の初期は,とほうもなくロマンチックである場合が多い。その時期に結婚すると,どんな結婚でも実現させることができないことをその結婚に期待するようになるかもしれない。求愛期間が長ければ,相手に対してもっと無理のない理解が生まれるのが普通であるから,理解のある結婚となるだろう」。そのように求愛期間を長くするなら,自制心を働かせることが必要です。さもないと,性衝動の力が早くから実際に危険なほどに強くなるかもしれません。
30 また,求愛期間を情欲の色彩の濃いものにすると,結婚した後に,深刻な疑問や疑惑が生まれる可能性があります。わたしたちは本当に愛し合っているから結婚したのだろうか,それともただ情欲のとりこになっただけだろうか,賢明な選択だっただろうか,といったことを二人は考え始めるかもしれません。女性のほうはまた自分に対する夫の愛の純粋さを疑い,夫はわたしという人間を求めて結婚したのではなく,ただわたしの肉体を求めて結婚したのではないだろうか,と考えるようになるかもしれません。
31,32 求愛期間に汚点を残しかねない情欲をかき立てる行為を避けるうえで,何が役立ちますか。
31 ですから,あなた自身とあなたの将来の幸福を守るために,情欲を刺激するような状況を避けてください。寂しい場所や暗いところは,求愛期間を誉れあるものに保つ助けにはなりません。またたいくつで,問題の愛情の表現をする以外には何もすることがないような状況もやはり同じです。しかしアイス・スケート,テニスその他のスポーツや,レストランでいっしょに食事をしたり,博物館を見学したり,近くの名所や景勝地を尋ねたりすることからも,多くの清潔な楽しみを味わうことができます。周囲に知人がいないために,ある程度のプライバシーを楽しみますが,他の人々の目が全くないわけではないのでやはり安全です。
32 また,自制することによって自分が「逃している」もののことばかり考える代わりに,将来のために準備している事柄について考えてください。そうすれば,将来いつまでも自分の求愛期間を楽しく回顧することができ,いやな思いや後悔をすることはないでしょう。
[152ページの図版]
求愛が熱烈な表現の連続となり,自制心がしだいに弱まっていくなら,将来の幸福な結婚にどのように影響するだろうか
[154ページの図版]
若い人々が行なうことのできる清潔な楽しみはたくさんある
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