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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
塔90 6/15 26–29ページ

時間厳守とあなた

南アメリカの会衆のあるクリスチャンの監督は,数々のすばらしい特質を持っていました。しかし彼の親友たちは,冗談混じりに彼のことをハルマゲドンと呼んでいました。なぜでしょうか。「彼が来ることは分かっていても,それがいつなのか全く見当がつかないのです」と友人たちは言いました。

確かに,時間を厳守すること ― あるいは時間に遅れること ― は,その人の評判に大きく影響します。賢王ソロモンは,その点をこのように説明しました。「死んだはえは塗り油作りの油を臭くし,泡立たせる。少しの愚かさも,知恵と栄光ゆえに貴重な存在となっている者に対して同じ働きをする」。(伝道の書 10:1)たとえ多くのすばらしい特質を備えたクリスチャンであっても,時間に無頓着であれば良い評判も台なしになってしまいます。

ある監督は,「時間を厳守する人は信頼できます。私が一緒に働きたいのはそういう人たちです」と述べました。時間を守る人はビジネスの世界でも高く評価されています。「エミリー・ポストのエチケット」と題する本は,「時間通りに仕事に就くこと: 会議には定刻に出席すること: レポートは期日までに提出すること」と提案しています。同様に「新エチケット」(1987年)という本は,一般に「遅い到着は失礼な到着である」と述べています。さらにその著者は,「礼拝の場合にも遅れて到着するのはふさわしくない」と述べています。

他の人が時間を守れば,わたしたちは皆そのことに感謝します。使徒パウロもそのように感じていたようです。彼はコロサイのクリスチャンたちに,『わたしは霊においてあなた方と共におり,あなた方の秩序あるすがたを歓び,またそれを見守っているのです』と書いているからです。(コロサイ 2:5)また,詩編の中でエホバの約束に関して,「わたしの神よ,どうか遅すぎることがありませんように」と述べたダビデ王の言葉にも,確かに共感を覚えます。―詩編 40:17; 70:5。

「神を見倣う者となりなさい」

実際に,エホバは決して遅れることがありません。エホバは時間を意識する点で際立っておられます。このことは,神の創造物すべてに反映されています。果てしない宇宙から最小の生物に至るまで,創造物はすべて目に見えない時計に支配されているかのように機能しています。例えば日本近海のウミユリの一種は,毎年10月に一度,月が上弦か下弦となる日の午後3時ごろに性細胞を放出します。また,小さなトウゴロウイワシは春になると,カリフォルニアの海岸が満潮になる数分間に合わせて産卵の時期を設定します。

エホバはご自分の約束を成就させる面でも正確に時機を設定されます。例えば,出エジプト記 12章41節には,「四百三十年の終わったちょうどその日に,エホバの全軍はエジプトの地を出たのであった」と記されています。このようにエホバは,何世紀も前にアブラハムに与えた約束を守られたのです。―創世記 15:13-16。ガラテア 3:17。a

エホバは,5世紀余り前に預言者ダニエルが予告したとおりの時にみ子であるメシアを世に遣わされたので,メシアは『不敬虔な者たちのため,定められた時に死んでくださいました』。(ローマ 5:6。ダニエル 9:25)この事物の体制の終結に関しては,エホバが「その日と時刻」を知っておられることを聖書は示しています。(マタイ 24:36)エホバが遅れることはありません。時間を厳守されるエホバの模範を見倣うことには確かに価値があります。―エフェソス 5:1。

「その定めの時に」

エホバは常に,ご自分の僕たちが時間を意識するように期待してこられました。崇拝に関しては特にそう言えます。イスラエル人は「日ごとの予定」に従って犠牲をささげました。エホバは彼らに,『あなた方はわたしへの捧げ物を,その定めの時に差し出すように気を付けるべきである』と命じられました。また集会に関しても,「集会の人々全体が……会合の約束を守ることになる」という指示をモーセに与えられました。―レビ記 23:37。民数記 10:3; 28:2。

後に,ユダヤ人は「香をささげる時刻」を守りました。(ルカ 1:10)ユダヤ人も他の人々も,「第九時の祈りの時間」を守りました。(使徒 3:1; 10:3,4,30)またパウロはクリスチャンの集会について,「すべての事を適正に,また取り決めのもとに行ないなさい」と書きました。―コリント第一 14:40。

このすべては,イスラエル人や初期クリスチャンに何を求めるものとなったでしょうか。それは約束,特に崇拝に関する約束を果たす面で時間を厳守することです。エホバが今日の僕にはそれほど期待なさらないと考えてよい理由はありません。

ある人たちが困難を覚えるのはなぜか

世界では場所によって,時間に対する見方がかなり異なります。ある宣教者の報告によると,南アメリカの小さな町でクリスチャンの集会を始める際に開会の歌を発表したところ,聴衆は自分の妻一人だったという時もありました。ところが閉会の歌を発表したときには,70人がその場にいたのです。一方,西欧のある国で約1,000人を対象に,「午後7時に夕食に招かれた場合,5分か10分早目に,もしくは遅れて到着すべきか,それとも時間通りに到着すべきか」と尋ねたところ,大半の人々が,「礼儀からすれば主人に最大の敬意を払い,時間通りに到着すべきだ」と答えました。

とはいえ,時間を厳守することは地域の好みとして片付けられる問題ではありません。清潔できちんとしていることや礼儀正しいことが習慣であるのと同じように,それは一つの習慣なのです。もちろん,そのような習慣は生来備わっているわけではないので,身に付ける必要があります。もしあなたが子供のときから時間を守るように教えられてきたなら,恵まれていたと言えます。しかし期限というものがほとんどなく,他の人と協力して事に当たる必要がめったにない家庭や背景の中で育った人は少なくありません。そのような人にとっては,クリスチャン会衆の一員となり,集会や公の宣教に参加するようになって初めて,時間を実際に厳守する必要が生じるのです。幼いころから身に付いた,遅れるという習慣を改めるのは容易なことではないかもしれません。それでも,エホバと隣人に対する愛があれば,変化したいという気持ちに動かされるものです。しかし,なぜ変化すべきなのでしょうか。

なぜ時間を守るべきか

「汝,人生を楽しむや」。かつてベンジャミン・フランクリンはそう尋ね,「されば時間を無駄にすることなかれ。そは人生を形作るものなり」と述べました。わたしたちは皆この言葉が真実であることを認めます。しかしクリスチャンにとって同じほど大切なのは,他の人の時間を浪費しないことです。ある宣教者はこう述べています。「遅れて来る人は自分の行動によって,『私の時間はあなたの時間よりも貴重です。だから私が準備できるまであなたが待つとよいでしょう』と言っているように思えます」。時間を厳守しない人は,だらしがなくて信頼できないばかりか,自己本位で無思慮なところもあるようです。真のクリスチャンは,『何事も闘争心や自己本位の気持ちからするのではなく,むしろ,他の人が自分より上であると考えてへりくだった思いを持つこと』を望みます。―フィリピ 2:3。

中には,時間に終始縛られて行動し,時計に従って生活するのは性に合わないという人もいるかもしれません。しかし,時間を厳守するとは,単に時計に従って行動すればよいという問題ではありません。それは他の人の関心事や益を心にかけ,「自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも目を留め(る)」ということです。―フィリピ 2:4

例えば,「キリストがわたしたちを迎え入れてくださったように,あなたがたも互いを迎え入れなさい」という聖書の諭しを考慮してみましょう。(ローマ 15:7)この聖句を文字通りのあいさつに適用すると,集会に常習的に遅刻する人の場合,この言葉に従うことが一層難しくなるのは明らかです。集会に早めに到着すれば,そのような集まりに見られる,愛のこもった,友好的な歓迎の精神に大きく貢献できます。しかも,その益は実際には双方に及びます。早めに到着すれば,会衆の一致した崇拝の重要な部分を成す開会の歌と祈りにあずかることができます。発表される主題を聞くなら,プログラムの進行に付いてゆくのが容易になります。

あなたが時間を厳守すれば,他の人たちは整然と事を進められるので,結果として多くの事柄を成し遂げることができます。ヨシュアはアイの都市を攻撃した際,敵をその都市からおびき出すため軍隊の一部を派遣し,都市を攻略するために残りの軍隊を伏兵として配置しました。それからヨシュアは,決定的な瞬間を見定めて合図を出しました。ヨシュアの部下たちは,彼が「手を差し伸べるや直ちに走りだし」,同都市は彼らの前に陥落しました。もし兵士たちが時間通りに行動しなかったなら,どうなっていたでしょうか。―ヨシュア 8:6-8,18,19。

今日のクリスチャンの奉仕者には,時間に敏感であるべき多くの理由があります。他の人と共に王国を宣べ伝える業にあずかったり,大会や集会のプログラムの打ち合わせをしたり,王国会館を清掃したりするときでさえ,他の人と足並みをそろえて行動することが常に求められます。時間を厳守すれば,より多くの事柄を成し遂げることができます。これは,月末に自分の伝道活動を報告するといった,簡単な事にも当てはまります。この点で全員がすばやく協力すれば,会衆や全世界における,正確で励みとなる報告を集計することができます。

時間の厳守には,毎日幾つもある約束や期限を守ることも含まれます。非常に重要なものもあれば,ささいなものもあるでしょう。例えば結婚式は予定通りに始まらなければなりません。また,卵をゆでる時間は長目がよいという人もいるでしょう。何であれ,時間を厳守する人は,一つの用事から他の用事へと大急ぎで慌てて取りかかり,万事に遅れるといった心配がありません。むしろ落ち着いて,物事を組織的に行ないます。一日の計画を立て,時間通りか少し早めに始めるので,より多くの仕事ができます。

確かに,クリスチャンには時間を意識すべき多くの理由があります。何よりもそれは,仲間のクリスチャンに対する利他的な愛と,真の崇拝のための神権的な取り決めに対する敬意を実証する一つの方法なのです。

しかしどうすれば,時間を守る習慣を身に付けることができますか。

『定められた時を知る』

『こうのとりさえ』渡りをする『その定められた時をよく知っており』,ありは冬に備えて「夏の間にその食物を備え(る)」と聖書は述べています。(エレミヤ 8:7。箴言 6:8)時間を厳守して物事を成し遂げる秘けつはここにあります。

わたしたちも『その定められた時を知って』いなければなりません。厳格もしくは熱狂的にならないまでも,時間を意識しているべきです。何をする必要があるかだけでなく,それをいつ行なう必要があるかをも知っていなければなりません。さらに,先のことを考える習慣を身に付ける必要もあります。つまり遅れが生じる可能性を考慮に入れ,集会や野外宣教その他の神権的な活動といったさらに重要な事柄のために,手がけている活動を自発的に切り上げるのです。

この面で家族の協力は欠かせません。父親は家族の支度を妻に任せることが多いようです。そして,自分は玄関先に出て,背を向けたまま大きな声で,「早くしないと遅れるぞ」と言うのです。ヤコブはそのような父親ではありませんでした。出発の時間になったとき,ヤコブは『身を起こし,自分の子供と妻たちをらくだに乗せて』協力したのです。―創世記 31:17。

では,父親はどのように家族を援助できますか。子供たちに,何事もぎりぎりまでほうっておくのではなく,大切な事柄を準備するための時間を取るよう教えることができます。また子供たちが責任感を身に付け,物事を迅速に行なうことに誇りを持つよう援助することもできます。準備を整えて時間通りに行動することの大切さを示す聖書中の実例を,家族で一緒に考慮してください。(創世記 19:16。出エジプト記 12:11。ルカ 17:31)両親がふさわしい模範を示すなら,それは最良もしくは最も効果的な教訓となるでしょう。

クリスチャンの監督たちも,ふさわしい模範を示して会衆を援助することができます。監督たちが「秩序正しく」なかったなら,その立場に任命されることはなかったでしょう。(テモテ第一 3:2)長老たちがすでに到着して人々を歓迎し,物事に率先していることを知るなら,他の兄弟姉妹たちも時間を一層厳守するようになるでしょう。それで良心的な監督は,会衆を援助するため王国会館へ早めに到着するよう懸命に努力するでしょう。奉仕の僕も,早めに到着して兄弟たちを歓迎し,その必要に仕えるなら大いに感謝されます。

もちろん,時間を厳守するためには自制と鍛錬が必要です。軍隊のような厳格さを期すためではなく,仲間のクリスチャンに対する愛と神権的秩序に対する敬意からそうするのです。これは,わたしたちが身に着けようと努力している新しい人格の一部です。(コロサイ 3:10,12)何よりもわたしたちは,「何事にも定められた時がある」ことを教えてくださる天の父エホバ神のようでありたいと思います。―伝道の書 3:1。

[脚注]

a この預言の詳しい解説については,「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,460,461ページおよび776,777ページをご覧ください。

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