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    聖書から論じる
    • ことはどんな人間の見解よりも重要であると思っています。(コリント第一 6:9-11)クリスチャンになった人の中にも,以前には同性愛を習わしにしていた人がいたことに気づかれるでしょう。でもそれらの人は,神への愛ゆえに,また神の霊の助けを得て変化しました』。

      あるいは,こう言えます: 『日ごろから気づいている点ですが,同性愛という形の生き方に汚名を着せるべきではないと考えている人の中には,聖書が神の言葉であるとは信じていない人が少なくありません。あなたは聖書をどのように見ておられますか』。その人が聖書を信じていると言うなら,こう付け加えられます: 『同性愛は新しい問題ではありません。聖書は,エホバ神の変わることのない見方を極めて明確な言葉で示しています。(260ページの資料が使える。)』もし,その人が神の存在や聖書について疑問を抱いていると述べるなら,こう付け加えられます: 『もしも神がいないなら,神に言い開きをする必要は当然なくなり,自分の好き勝手に生きればよいことになります。ですから,真に問題となるのは,神は存在するのか,またわたしたちは自分の存在を神に負っているのか[あるいは,聖書は神の霊感による書なのか]ということです。(129-135ページ,または262-272ページに示されている考えを用いる。)』

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      定義: 人類に対する,書き記されたエホバ神のみ言葉。神は,1,600年以上の期間にわたり,約40人の人間の秘書を用いてそれを記させました。しかし,神ご自身がご自分の霊によってその書き記す仕事を活発に導かれました。したがって,聖書は神の霊感の所産です。その記録のかなりの部分は,エホバによる実際の宣言,および神のみ子であるイエス・キリストの教えや活動の詳細な記述でなっています。そこには,神の僕たちに対する神のご要求に関する陳述や,地に対するご自分の壮大な目的を完遂するために神が行なおうとしておられる事柄が記されています。これらの物事に対するわたしたちの認識を深めさせるため,エホバはさらに,個人や国民が神に聴き従い,神の目的と一致して働く時にどのようになるか,一方,自分勝手な歩みをする時にはどのような結果になるかを例示する記録を聖書に含められました。この信頼の置ける歴史の記録によって,エホバはわたしたちに,ご自分が人類を扱われる仕方について,またそこに示されるご自身の驚嘆すべき性格について知らせてくださっています。

      聖書を考慮すべき理由

      聖書は人間の創造者である神からのものであることを聖書そのものが告げています

      テモテ第二 3:16,17: 「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」。

      啓示 1:1: 「イエス・キリストによる啓示,これは,ほどなくして必ず起きる事柄をご自分の奴隷たちに示すため,神が彼にお与えになったものである」。

      サムエル第二 23:1,2: 「エッサイの子ダビデの告げたことば。……わたしによって語ったのはエホバの霊で,その言葉はわたしの舌の上にあった」。

      イザヤ 22:15: 「主権者なる主,万軍のエホバはこのように言われた」。

      わたしたちは,全人類に対する神の音信が世界中の人々にとって接し得るものであることを期待するでしょう。聖書は,全訳および部分訳を合わせて,およそ1,800の言語に翻訳されています。聖書の頒布数の合計は幾十億冊にものぼります。ワールドブック百科事典はこう述べています。「聖書は歴史上最も広く読まれてきた本である。そして,恐らく人々に最も大きな影響を及ぼしてきた本でもある。聖書は他のどの本よりも多く配布されてきた。また,その翻訳は他のどの本よりも多くの回数,そして他のどの本よりも多くの言語でなされてきた」―(1984年版),第2巻,219ページ,英文。

      聖書の預言は世界情勢の意味を説明しています

      世界の多くの指導者たちは,人類が悲惨な事態の瀬戸際に立っていることを認めています。聖書はこうした事態をずっと昔に予告し,その意味と最終的な結果についても説明しています。(テモテ第二 3:1-5。ルカ 21:25-31)聖書は,迫り来る世界の滅びを生き残り,義の状態が行き渡るこの地上でとこしえの命を得る機会にあずかるために,わたしたちが何をすべきかを告げています。―ゼパニヤ 2:3。ヨハネ 17:3。詩編 37:10,11,29。

      聖書はわたしたちに人生の目的を理解させてくれます

      聖書は次のような質問の答えを与えています。生命はどこからもたらされましたか。(使徒 17:24-26)なぜ,わたしたちは存在しているのでしょうか。何年か生き,人生からなにがしかを得,そして死んでしまうだけなのでしょうか。―創世 1:27,28。ローマ 5:12。ヨハネ 17:3。詩編 37:11。詩編 40:8。

      聖書は,義を愛する人々が強く願っているものをわたしたちがどのようにして持つことができるかを教えています

      聖書は,真実に愛し合う健全な友をどこで見いだすことができるか(ヨハネ 13:35),自分と家族が十分の食物を得ることを保証してくれるものは何か(マタイ 6:31-33。箴言 19:15。エフェソス 4:28),難しい状態に取り巻かれているにもかかわらずどのように幸福でいられるかといった問いに答えを与えています。―詩編 1:1,2; 34:8。ルカ 11:28。使徒 20:35。

      聖書は,神の王国,つまり神の政府が現在の邪悪な体制を除き去ること(ダニエル 2:44),またその王国の支配下で人々は完全な健康ととこしえの命を享受できるようになることを説明しています。―啓示 21:3,4。イザヤ 33:24と比較。

      神からの書であることをはっきり述べ,世界情勢の意味と人生の目的とを説明し,わたしたちの抱えている諸問題の解決策を示している本であれば,それは確かにわたしたちの考慮に値します。

      霊感を受けて記されたことを示す証拠

      聖書には,将来の事柄にかかわる詳細な知識を反映した数多くの預言が収められています ― これは人間には不可能なことです

      ペテロ第二 1:20,21: 「聖書の預言はどれも個人的な解釈からは出ていないということです。預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだからです」。

      ■ 預言: イザヤ 44:24,27,28; 45:1-4: 「エホバは……水の深みに,『蒸発せよ。わたしはあなたのすべての川を干上がらせるであろう』と言う者,キュロスについてこのように言う者,『彼はわたしの牧者であり,わたしの喜ぶことをすべて完全に成し遂げるであろう』と。すなわち,エルサレムについて,『彼女は建て直されるであろう』,神殿について,『あなたはその基を据えられるであろう』と言うわたしのことばをも。エホバは,その油そそがれた者キュロスにこのように言われた。わたしはその右手を取った。それは,彼の前に諸国の民を従えるため,わたしが王たちの腰の帯を解くためである。彼の前に二枚扉を開いて,門が閉じられないようにするためである。『わたし自らあなたの前を行き,地盤の高みをまっすぐにする。わたしは銅の扉を粉々に砕き,鉄のかんぬきを切り落とす。……わたしの僕ヤコブとわたしの選んだ者イスラエルのために,わたしはあなたをあなたの名によって呼ぶようになった』」。(この書はイザヤによって記され,西暦前732年ごろ書き終えられた。)

      □ 成就: その預言が記された当時,キュロスはまだ生まれていませんでした。ユダヤ人は,西暦前617-607年以前はバビロンに流刑にされてはいませんでした。また,エルサレムとその神殿は西暦前607年まで破壊されませんでした。この預言の細部に及ぶ成就は,西暦前539年以降,見られるようになりました。キュロスはユーフラテス川の流れを変えてその水を人造湖に導き,バビロンでは市中で祭りが催されている間,川に面した門が不注意にも開かれたままになっていました。そして,バビロンはキュロス指揮下のメディア人とペルシャ人の手に落ちました。その後,キュロスは,流刑に処されていたユダヤ人を解放し,エルサレムにエホバの神殿を再建するようにとの指示を与えて彼らをエルサレムへ帰還させました。―アメリカーナ百科事典(1956年版),第3巻,9ページ。「古代文明の光」(プリンストン,1959年),ジャック・フィネガン,227-229ページ,英文。『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』(神奈川県海老名市,1983年),282,284,295ページ。

      ■ 預言: エレミヤ 49:17,18: 「『エドムは必ず驚きの的となる。そのそばを通る者はみな驚いて見つめ,そのすべての災厄のゆえに口笛を吹くであろう。ソドムとゴモラとその近隣の町々の覆されたときのように』と,エホバは言われた,『人はだれもそこに住ま……ないであろう』」。(エレミヤが預言を記すことは西暦前580年に終わりました。)

      □ 成就: 「彼ら[エドム人]は西暦前2世紀にユダ・マカバイオスによりパレスチナから追い払われた。そして,西暦前109年に,マカベア家の指導者ヨハネ・ヒルカノスがユダ王国の領土を拡張し,エドム人の地の西の地域を占拠した。西暦前1世紀には,ローマの領土拡張に伴い,エドム人独立国家の最後の名残も一掃された。……西暦70年にエルサレムがローマ人によって滅ぼされた後……イドマヤ[エドム]の名は歴史から姿を消した」。(新フンク-ワグナルズ百科事典,1952年版,第11巻,4114ページ,英文)その成就は今日にまで及んでいることに注目してください。この預言は,その出来事が生じた後に記された,と論じることは決してできません。

      ■ 預言: ルカ 19:41-44; 21:20,21: 「イエスはそれ[エルサレム市]を眺め,それのために涙を流して,こう言われた。『……あなたの敵が,先のとがった杭でまわりに城塞を築き,取り巻いて四方からあなたを攻めたてる日が来るからであり,彼らは,あなたとあなたの中にいるあなたの子らを地面にたたきつけ,あなたの中で石を石の上に残したままにはしておかないでしょう。あなたが自分の検分されている時を見分けなかったからです』」。その二日後,イエスは弟子たちに次の助言をお与えになりました。「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい」。(西暦33年にイエス・キリストの語った預言。)

      □ 成就: エルサレムはローマに反抗し,ケスチウス・ガルス指揮下のローマ軍が西暦66年に同市を攻撃しました。ところが,ユダヤ人史家ヨセフスが伝えているように,ローマ軍の指揮官は,「配下の兵士に突如,攻撃の中止を命じ,形勢は少しも不利でなかったにもかかわらず望みを捨て去って,常識に全く反することであったが,同市から退却した」のです。(ヨセフス,「ユダヤ戦記」,ペンギン古典双書,1969年,167ページ,英文)これによって,クリスチャンは市の外へ逃げる機会を得ました。エウセビオス・パンフィロスの「教会史」(C・F・クルーズ訳,ロンドン,1894年,75ページ,英文)によると,彼らは実際そのようにし,ヨルダンの向こう側のペラへ行きました。次いで,西暦70年の過ぎ越しのころティツス将軍が同市を攻囲し,わずか三日間で全長7.2㌔に及ぶ柵を市の周囲に巡らしました。そして,5か月後に,エルサレムは陥落しました。「エルサレムそのものは組織的に破壊され,神殿は廃虚の中に放置された。ユダヤ人の建造物の破壊が全土でどれほど徹底的なものであったかを今日の考古学の研究が明らかにしている」―「聖書と考古学」(ミシガン州グランドラピッズ,1962年),J・A・トンプソン,299ページ,英文。

      聖書の内容は科学的にも正確で,人間の研究者たちは後になってやっとその同じ事実を発見しています

      宇宙の起源: 創世 1:1: 「初めに神は天と地を創造された」。1978年に,天文学者ロバート・ジャストローは次のように書きました。「このように,天文学上の証拠が世界の起源に関する聖書の見解に導くことが分かる。詳細については異なっていても,創世記に関する天文学上の記述と聖書の記述の本質的要素は同じである。すなわち,人間の出現に至る一連の出来事が,時の流れの特定の瞬間に,光とエネルギーのさく裂と共に,突然また急激に始まったということである」―「神と天文学者たち」(ニューヨーク,1978年),14ページ,英文。

      地球の形: イザヤ 40:22: 「地の円の上に住む方がおられ(る)」。昔は,地球は平らであるというのが一般的な見方でした。ギリシャの哲学者のある学派の人々が,地球の形は多分球形であろうと論じたのは,この句が書き記された後,200年以上たってからのことで,それから約300年後,ギリシャのある天文学者が地球の半径を大体算定しました。しかし,その当時でさえ,地球の形が球形だという考え方は一般的な見方ではありませんでした。人間が飛行機で旅行するようになり,その後,宇宙空間へ,さらには月にまで旅行し,こうして地球の地平線が「円」の形状を呈しているのを初めてはっきりと見ることができるようになったのは,20世紀に入ってからのことです。

      動物の生態: レビ 11:6: 「野うさぎ,これは反すうするものである」。この点は一部の批評家たちによって長年にわたって攻撃されてきましたが,18世紀に,英国人ウィリアム・クーパーがついにうさぎの反すうすることを観察しました。普通とは違うその反すうの仕方については,1940年に,ロンドン動物協会会報,第110巻,A号,159-163ページ(英文)の中で説明されました。

      聖書が内面的調和を保っていることには重要な意味があります

      聖書を構成する各書が,王,預言者,牧夫,収税人,音楽家といったおよそ40人の異なった人によって記されたことを考えると,それにはとりわけ重要な意味があります。これらの人々が聖書を書き記したのは1,610年以上の期間にわたります。ですから,互いに諮ってつじつまを合わせる機会はありませんでした。それにもかかわらず,書かれた事柄は,極めて詳細な点に至るまで一致しています。聖書の様々な箇所がどれほど調和よく関連し合っているかを知るには,聖書を個人的に読んで,研究しなければなりません。

      聖書の内容が変わっていないということをどうして確信できますか

      「記述の正確さを立証する古代写本の数,また原本が書かれてからそれら正確さを立証している写本が作られるまでに経過した年数という点で,聖書は古典文書[ホメロス,プラトンその他の人々の著作]を決定的に凌駕している。……聖書の場合と比べると,総じて,古典文書の写本はごくわずかである。古代の文書で,聖書ほど写本上の正確さが立証されているものはない」―「聖書 ― そのはじまりから」(ニューヨーク,1929年),P・マリオン・シムズ,74,76ページ,英文。

      1971年に発表された,ある報告によれば,ヘブライ語聖書の全部,もしくは一部の手書き写本は多分,6,000点ほどあり,そのうち最古の写本の年代は西暦前3世紀までさかのぼります。クリスチャン・ギリシャ語聖書について言えば,ギリシャ語の写本はおよそ5,000点ほどあって,その中の最古の写本の年代は西暦2世紀初頭にまでさかのぼります。また,ほかの言語に翻訳された初期の訳本も多数あります。

      フレデリック・ケニヨン卿は,自分の編さんした,「チェスター・ビーティー聖書パピルス写本」,全7巻の序文に次のように書きました。「これら[パピルス写本]の調査から得られた最初の,かつ最も重要な結論は,現存する本文が基本的に確実なものであることをそれらが確証しているという,満足のゆくものである。旧約および新約のいずれにおいても,衝撃的もしくは根本的な異読は認められない。重要な意味を持つ語句の削除や挿入はなく,大切な事実や教理に影響を及ぼす異読もない。本文の異読は,語順や細かな言葉遣いといった小さな点に影響を及ぼしている。……しかし,それらの持つ基本的に重要な価値は,これまで利用できた写本よりそれらが古いという事実によって,現存する本文の忠実性を確証していることにある」―(ロンドン,1933年),15ページ。

      一部の聖書翻訳が,他のものより,原語で書かれた本文に,より厳密に従っているのは事実です。意訳を中心とする現代の聖書は,時によると原文の意味を変えることさえ行なってきました。中には,自分の信条を訳文に反映させた翻訳者もいました。しかし,このような好ましくない点は様々な聖書翻訳を比較することによって識別できます。

      もし,こう言われたなら ―

      『わたしは聖書を信じていません』

      こう答えられます: 『でも,神がいることは信じておられるのですね。……聖書のどこが受け入れにくいのか話していただけますか』。

      あるいは,こう言えます: 『これまでずっとそのように感じておられたのですか。……聖書を徹底的に調べたことがないのに,そのように言われる人もいます。でも,聖書が神ご自身からの音信であること,また聖書に記さ

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