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  • 喜びを増し加えるよう新しい人や若い人を助ける
  • わたしたちの王国宣教 1996
わたしたちの王国宣教 1996
宣 96/1 3–6ページ

喜びを増し加えるよう新しい人や若い人を助ける

1 「幸福な神」であられるエホバは,ご自分の被造物すべてに喜びを表わす能力を付与されました。とりわけ,ご自分との契約関係にあったイスラエルに対して,人々が生活や崇拝を歓び楽しむと同時に,自分たちの神について喜びに満ちて語ることを期待しておられました。神は,民がご自分に仕えることに喜びを感じなくなった時何が生じるかを警告して,次のように言われました。「これらのすべての呪いが必ずあなたに臨(む)ことになる。……あなたが,すべての物に満ちあふれながら,楽しみと心の喜びとをもってあなたの神エホバに仕えなかったからである」。(申命記 28:45,47)同様に,エホバは「昼も夜も」ご自分に仕える現代の崇拝者たちが喜びにあふれて神聖な奉仕をささげるよう望んでおられます。(啓示 7:15)わたしたちには,これまでにエホバから受けてきた祝福,現在エホバを崇拝することに伴う益,それに将来の見込みについて熟考するとき,多くの喜ぶべき理由があります。―詩編 100:2。

2 喜びを奪うかもしれない種々の事柄: イエスは,エホバへの崇拝に喜びを見いだす面で妨げとなり得る幾つかの要素についてマタイ 13章の中で取り上げられました。例えば19節でイエスは,心の中で『王国の言葉の意味を悟らない』人について言及されました。真理が心に達するためには,良い研究の習慣を培わなければなりません。ある研究生は,宗教について真剣に考えたこともなかった人かもしれません。また,聖書を研究するようになってからも,出版物中の下線を引いた部分から答えるものの,その答えの理由を十分には理解していないかもしれません。それゆえ,エホバへの崇拝から喜びを得るために,心の中でその意味を悟る必要があります。研究司会者は,こうした背景を念頭に置き,研究生が『その意味を悟る』ことができるよう教える必要があります。

3 次にイエスは,患難や迫害のためにつまずく人がいると述べておられます。(20,21節)そうした反対はエホバの証人に対する人々の偏見や先入観が原因であったり,周囲の人の目を気にする家族からもたらされたりする場合があります。あるいは,神の言葉の真理を十分把握しないうちに背教的な考え方に接し,ねじくれたサタンの考えのえじきにされてしまうこともあるかもしれません。イエスは,彼らの霊的な「根」がまだ浅いのであれば,患難のために喜びを失ってつまずく危険性があると指摘されました。さらにイエスは,自己中心的な生活,また富の欺きや思い煩いを挙げておられます。(22節)この世の物質主義的な生き方に喜びを見いだそうとしても,それは偽りであり,永続する喜びをもたらすことはありません。

4 イエスは,「わたしから学びなさい」と言われました。(マタイ 11:29)イエスは敬虔な専心を中心とした生き方をわたしたちに模範として残されました。確かに,キリストの追随者になるということは生活上の大きな変化であり,それはまた家族や友人とは異なった行動を取ることを意味しています。しかし,研究生が神の善良さという特質に感動を覚えるようになると,喜びを抱いてキリストの足跡に従うようになります。では,新しい人や若い人の進歩や熱意と関係のある喜びを増し加えるためにどのように援助の手を差し伸べることができるでしょうか。これから取り上げる六つの事柄は,その点で役立つものとなるに違いありません。

5 エホバとの親密な関係を築くよう援助する: 新しい人たちは人を見る傾向があります。また,子供たちは他の人の言動に影響されやすいものです。しかし,わたしたちが崇拝の対象とする方はエホバ神ただおひとりです。わたしたちはエホバの僕たちが表わす霊の実や,純粋な信仰や言動に表われる新しい人格を観察し,聖霊や神のみ言葉の働きを徐々に理解するようになります。マルコ 12章30節でイエスは,「あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめ,力をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」と言われました。それで,できるだけ早い機会に研究生や子供たちにエホバの善良さや愛,また畏敬の念を抱かせる神の偉大さについて教えたり,エホバがしてくださった事柄に対する感謝の念を育んだりするよう援助したいものです。

6 この点で,研究の時に折に触れて出版物にあるエホバの特質を描写した記事を活用することは助けになるかもしれません。例えば,「目ざめよ!」1995年11月8日号の「最も偉大な芸術家を探し求めて」や,1995年11月22日号の「地球 ― 神からの贈り物」などの記事を用いることができるかもしれません。その際,自然界に見られるすべての美しいものは人類に対するエホバの優しい配慮と愛の表現であることを考えさせることができます。研究生と聖書の教理を学んでいる時にも,エホバの特質がどのように関係しているかを強調します。例えば,地球が将来,王国の下で楽園になることについて研究しているなら,この備えはエホバの人間に対する深い愛と関心の表われであることを認識するよう時間を取って助けることができるでしょう。

7 加えて,エホバが個々の人に深い関心を持っておられることを教えるためには,できるだけ早く祈りの方法を教える必要があります。ある兄弟は,自分が幼い時に母親が毎晩そばに座り,エホバに祈ることや自分の心の中にあるすべての事柄をエホバに申し上げることを教えてくれたと述べています。それはエホバとの親密な関係を築く上で大きな助けになりました。このように,エホバが個人に深い関心を持っておられることに気づくなら,研究生はエホバの愛ある関心と世話にこたえ応じてエホバに一層引き寄せられるに違いありません。

8 この面で助けになる別の点は,贖いの備えに対する認識を強めることです。人類がアダムとエバから受け継いだものは短命すなわち確実に訪れる死であり,救助がもたらされなければ人間の将来の命の見込みは全くありません。キリストの贖いによってのみわたしたちは罪と死から自由になることができるのです。(ペテロ第一 2:24)愛情という点で恵まれない家庭環境に育った人の中には神の存在を頭で理解できても,エホバとの親しい関係を培ったり,神に対する真の愛を抱いたりするのが難しいと感じている人もいるかもしれません。それで,親あるいは研究司会者の示す模範はこの点で非常に大切な役割を果たします。わたしたちがエホバの魅力的な特質に倣い,その方との親密な関係を大切なものとしている様子を観察する研究生は,自分もそうした生き方に倣い,喜びをもってエホバに仕えたいと望むようになるでしょう。彼らがそうした努力を払うなら,エホバは,「無活動になったり,実を結ばなくなったりするのを阻」む上で大きな助けとなってくださるはずです。―ペテロ第二 1:8。

9 信仰の基礎を築くよう助ける: 研究生の中には,これまで習得してきた学習方法のゆえに,書かれているとおりの答えだけしか述べない人がいます。しかし,しっかりとした信仰の基礎を築くためには,さらに踏み込んだ援助が必要になります。研究生や子供たちが書かれた事柄の背後にある意味や理由を把握するよう助けるため,巧みな質問を用いることができます。多くの場合,「なぜそう言えるのですか」という簡単な質問が効果的です。

10 例えば,わたしたちは集会に出席することを励ますかもしれません。研究生は,集会に出席してほしいという司会者の願いや,それを勧める幾つかの聖句を知っているかもしれません。しかし,クリスチャンが集会に集うべき理由を研究生がはっきり理解しているかどうかを確かめるのは大切なことです。クリスチャンは現在,国際的な兄弟関係の一部を成しており,互いに熱烈な愛を表現すべきであることを教えられています。イエスはそれがご自分の弟子たちを見分けるしるしになると教えられました。もし集会に出席しなければ,どのようにして仲間に対する愛を築くことができるだろうか,と推論させることができます。―ヨハネ 13:35; 15:17。

11 研究生が答えに対する十分の裏づけや理由を持っていないとすれば,彼らの従順は盲目的なものとなる危険性があります。そして,「理性による[理解による]神聖な奉仕」をささげることはできないでしょう。(ローマ 12:1)こうした事柄は研究生の熱意や喜びと密接な関係があります。この点で,新しく出版された「永遠の命に導く知識」の本は大いに役立つものとなるでしょう。この本には研究生の理解を助けるたくさんの簡潔な例えが用いられており,学んだ事柄を個人的に適用することの理由や益を分かりやすく説明しています。この本の特徴をとらえ活用するなら,研究生の進歩に大きく貢献することでしょう。

12 正しい動機を培うよう助ける: 正しい動機は人の熱意や喜びと関係があります。それで,研究生が表面的な事柄だけで満足することのないように援助してください。啓示 2章1節から4節に記されているように,エフェソス会衆の兄弟たちには実際に「行ない」がありました。しかしイエスは,彼らには「最初に抱いていた愛」が欠如していると言われました。これはイエスが人々の行ないの結果だけではなく,むしろその行ないの動機をご覧になっていたことを示しています。エホバ神も人の心と動機をご覧になる方です。エホバは,正しい動機に基づくものでなければその人の奉仕を喜ばれず,その人自身も益を受けることはありません。―サムエル第一 16:7。

13 例えば,戸別伝道を行ない,そのためにかなりの時間を費やしている人がいるかもしれません。しかし,その人の動機はいったい何でしょうか。ローマ 10章13節に記されているように,エホバの名前を呼び求める人たちは救われることになります。では,研究生は人々を救いたいと本当に願っているでしょうか。人々の希望のない,惨めな状態を心から気にかけているでしょうか。そのようにして,聞く人々の救いを常に意識しているなら,熱意をもって宣教の業に参加し,その活動から喜びを得るでしょう。

14 ある姉妹は,研究生のころ,伝道者になりたいという自分の願いについて司会者や長老に話しました。長老は,彼女が伝道者になりたいと申し出た理由が主に同年代の若者と行動を共にしたかったからであることを知り,もう少し待つように提案しました。彼女はそのことで気落ちし,研究をしばらくの間中断してしまいました。しかし研究再開後,自分が奉仕に参加するための正しい動機を抱いていなかったことを悟り,以前に自分を援助してくれた長老たちに感謝しました。

15 わたしたちはこの点で昔のパリサイ人の失敗から教訓を学ぶことができます。彼らは神の律法によく精通しており,そのおきてに一生懸命従うよう努力していました。しかし彼らは律法を守るための正しい動機や律法の背後にある精神をよく理解していなかったため,イエスが片手のなえた人を安息日にいやしたときに,つまずいてしまいました。彼らは律法の目的を理解するのではなく,自分たちの伝統や規則を守ることに固執していたのです。それでイエスは,彼らの間違った考え方を正して,次のように言われました。「安息日に許されているのは,善行をすることですか,悪行をすることですか。魂を救うことですか,殺すことですか」。(マルコ 3:4)つまりイエスは,安息日は人の益のためのものですか,それとも活動を無理やり制限するためのものですか,と述べておられたのです。それでわたしたちも,エホバを崇拝するための動機や目的を正しく理解するのは重要なことです。そうすれば,喜びをもってエホバの奉仕にあずかることができるでしょう。

16 罪とは何かを理解するように助ける: 一般社会において,「罪」という言葉が使われることはめったにありません。大抵,それは単なる失敗,あるいは人に対する迷惑にすぎないと考えられています。しかし聖書からすれば,わたしたちすべては罪をおかす不完全な人間であり,神の栄光に達することは不可能です。(ローマ 3:23)罪をおかすということは,単に人や人間の作った法律に対するものではなく,エホバの律法を破り,エホバに対して罪をおかすことです。この点を新しい伝道者や若い人たちが正しく認識するなら,エホバを喜ばせるためにそのおきてに従いたいと願うことでしょう。例えば,聖書の中で淫行や姦淫などの行ないは非とされています。こうした事柄は他の人の権利を侵すものであり,罪をおかした当人にとっても害を及ぼすものですが,とりわけエホバの心を悲しませ,エホバに対する罪であることを意識する必要があります。それは,悪行を避けるより強力な理由となります。それで,自分の行ないがエホバの心を歓ばせているかどうかを常に意識するよう助けるのはとても大切なことです。―詩編 78:41。箴言 27:11。

17 実行可能な目標を定め,到達するよう助ける: 霊的な進歩を遂げることも,わたしたちの喜びに大きく貢献します。若い人や新しい伝道者がふさわしい目標を掲げ,それを徐々に達成できるようにぜひ助けてください。ある人にとっては定期的に個人研究を行なうことが目標となるかもしれません。また,集会の予習の際に主要な聖句を前もって調べ,要点だけを出版物の余白に書くよう励ますことができるかもしれません。研究生の進歩に応じて他の目標,例えば出版物をもっと多く読むこと,エホバに祈ること,聖書全巻を読むことを目標として掲げることができます。目標に向かって努力する助けとして,達成するごとに印を付けて次の目標に進むことができるようチェック・リストを活用している人もいます。進歩を妨げている問題があるなら,率直にそのことについて話し合い,問題をどのように克服し,目標を達成することができるかについて援助を差し伸べます。また,特定の目標をとらえることが難しいと思うなら,無理をせず,別の目標を設けるほうが実際的な場合もあります。例えば次の段階に進む前に聖書や出版物をよく研究して霊性の向上を図り,神の言葉を生活に適用する点で進歩するよう努力するほうがよいかもしれません。大切なことは,彼らが真理のうちを歩み続けることであり,研究に対する熱意や喜びを失わないために目標を定めるのはどうしても必要なことです。

18 引き続き援助を与える: 新しい人や若い人が自分で集会の準備を行ない,実際に参加している様子を見るのは,わたしたちにとって大きな喜びです。しかし研究生が引き続き正しい考え方を保つよう個人的な援助や励ましを与えなければなりません。例えば,幼児が最初の一歩を踏み出したときにわたしたちは大喜びしたものです。しかしその子供は,自分が自転車に乗れるようになった時にも親に喜んでほしいと思うのではないでしょうか。同じように,集会に出席するようになった研究生に対して温かいほめ言葉を与え,引き続き集会における参加の点でいっそう進歩するよう励ますことができます。あるいは,野外奉仕に参加するようになった研究生に対して,質の良い奉仕を行なえるよう漸進的に援助することができます。例えば,対話を拒否するような返事に対応する方法や,「論じる」の本の活用の仕方を親切に教えることができます。彼らが宣教の業に定期的に参加し,確信をもって語れるようになるなら,間違いなく喜びを維持できるでしょう。

19 時々,研究生は自分の失敗や進歩が遅いように思えることで落胆するかもしれません。その時には優しい励ましや称賛の言葉を惜しみなく与えてください。この点でイエスの話されたタラントに関する例えを思い起こすことができます。3人の奴隷たちの中で一人は5タラント,別の奴隷は2タラントをそれぞれ主人から預けられ,そのタラントをもって財産を増やしました。主人はその5タラントの奴隷を一番称賛したわけではなく,むしろ両者に対して「よくやった,善良で忠実な奴隷よ!」という同じほめ言葉を述べました。(マタイ 25:21-23)ですから,研究生や子供たちの能力や性格の違いをわきまえつつ,どんな小さな進歩であっても目ざとく称賛の言葉を与えるなら彼らの喜びに大いに貢献できるでしょう。

20 昨奉仕年度中,日本において1万1,000人以上の人々がエホバの献身した僕になりました。集会での彼らの表情や活発な注解による参加,また宣教に意欲的に取り組む態度は,エホバの崇拝から十分な喜びを味わっていることを示しています。現在,日本中で24万7,000件以上の聖書研究が司会されています。そして,多くの若い人々が親の援助を受けながら集会に出席して伝道者の隊伍に加わっています。この折り込みに記された六つの方法を用いて援助を与えるなら,彼らは引き続き進歩し,正しい動機づけをもってエホバの奉仕から喜びを味わうことでしょう。

21 「幸福な神」エホバを崇拝し,賛美の合唱を奏でるわたしたちに,喜びのない表情は似つかわしくありません。現在,エホバの僕たちは大いに祝福されています。聖書のすばらしい真理を有しており,将来の希望をしっかりと待ち望むことができるゆえにわたしたちは大いに喜ぶことができます。現在わたしたちには,人々の命を救う業に参加する特権があります。このたぐいまれな特権に感謝しつつ,引き続き若い人や新しい人がエホバへの奉仕に喜びを見いだすよう助けてまいりましょう。そして詩編作者の語った次の言葉に心から和することができますように。「わたしたちはあなたの救いのゆえに喜び叫び,わたしたちの神の名によってわたしたちの旗を揚げるのです」― 詩編 20:5。

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