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  • コルネリオ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • コルネリオは預言者たちの書物に通じ,ユダヤ人に憐れみの施しをし,神を恐れ,絶えず祈り,エホバのみ名を用いてはいましたが,ある人々が主張するようにユダヤ人の共同体に属する改宗者だったわけではありません。聖書はこの士官が完全な意味で無割礼の異邦人であったことを明確に示しています。コルネリオがもし改宗者であったとすれば,外人居留者に関して律法に書かれていた事柄から見て,ペテロはユダヤ人の自分がこの「別の人種の人」と交わるのは許されないとは言わなかったでしょう。(レビ 19:33,34; 使徒 10:28)コルネリオが改宗者であったとすれば,ペテロと共にいた他の6人のユダヤ人は「諸国の人々の上に」聖霊が注ぎ出されるのを見て「驚嘆」することはなかったでしょう。(使徒 10:45; 11:12)コルネリオが改宗者であったとすれば,「割礼を支持する人々」がこの問題をめぐってペテロと言い争ったのはなぜでしょうか。―使徒 11:2。

      実際のところ,コルネリオはクリスチャンになった無割礼の非ユダヤ人の初穂でした。これは,異邦人がクリスチャン会衆に受け入れられる前に,エチオピア人の宦官の場合のようにユダヤ教への改宗者になっている必要はこの時までになくなっていたことを示すものです。この歴史的な出来事に際し,ペテロは感嘆の叫びを上げて次のように言いました。「わたしは,神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります」。(使徒 10:34,35)ペテロはペンテコステの際,ユダヤ人に対して最初に“この道”を開いた人物でしたが,この場合にも,無割礼の異邦人に救いの良いたよりを最初にもたらした人となりました。ヤコブも,神が「諸国民」に注意を向けられたのはそれが「初めて」であったことを認めています。―使徒 15:7,14。

  • ゴルゴタ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • て指摘される近くの“園の墓”は,元々西暦前8世紀か7世紀のある時期に切り開かれて使用されたものである,と述べています。それは,ヨハネ 19章41節の,『まだだれをも横たえたことのない新しい記念の墓』という描写に合致していません。―「聖書考古学レビュー」誌,1986年3/4月号,50ページ。

      ゴルゴタの同定は感情の絡んだ宗教的な論争になることが少なくありませんでした。しかし,“ゴードンのカルバリ”がその場所であるという考古学上の証拠はありません。聖墳墓教会のある場所に関しては,その同定は考古学上の発見物を考慮に入れてはいますが,多分に4世紀ごろの伝承に基づいています。後者の場所について,「聖書考古学レビュー」誌(1986年5/6月号,38ページ)はこう述べています。「聖墳墓教会の敷地がイエスの埋葬の場所であるという絶対の確信が持てるわけではないが,それと同じほど有力であると主張できる場所がほかにないことも確かである」。それで,この同定は推測の域を出ていません。

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