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あなたは,それらの価値を認めますか王国宣教 1986 | 12月
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ほうがふさわしい場合は,4節で示された提案を用いることができるかもしれません。あるいは,ブロシュアー中の,家の人にとって関心があると思われる副見出しの一つを指摘できるかもしれません。「見よ!」のブロシュアーは,新しい聖書研究を始めるために特に意図されています。それで,話し合う部分を家の人に示す際,そのページの下にある質問や,引照聖句,また節の中にある聖書に基づく答えにも注意を向けてください。最初の訪問で研究を始めることができるかもしれません。
7 わたしたちは,「神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となる」ことを可能にする聖書を与えてくださったことに対し,エホバに感謝します。(テモテ第二3:17)わたしたちはまた,「聖書物語」の本や「見よ!」のブロシュアーなどのような出版物を与えてくださったことに対しても感謝いたします。わたしたちはそれらの価値を認めますし,12月中他の人々にそれらを提供できることを幸いに思います。
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『行って,弟子としなさい!』―あなたは,そうしますか王国宣教 1986 | 12月
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『行って,弟子としなさい!』―あなたは,そうしますか
1 王国伝道者としてあなたが味わうことのできる最大の喜びの一つは,真理の正確な知識を取り入れるようだれかを助けることです。その人が知識や認識の面で成長するにつれ,あなたの心は喜びで,またエホバに対する感謝でいっぱいになることでしょう。わたしたちは,自分たちが真理の種をまいて水を注ぐ業にあずかるとしても,成長させてくださるのはエホバであることを十分に認めています。しかしながら,心の正直な人を命の道に導く面で役割が与えられていることは何と心の躍ることでしょう!―コリント第一 3:6-9。
2 あなたは家族の頭ですか。もしそうなら,家族との聖書研究を定期的に司会しておられますか。これはたいへん大切な事柄です。家族の頭は,命が得られるような仕方で自分の家族の成員を教え,また導く責任をエホバのみ前で有しています。(申命記 6:4-7。エフェソス 5:25-29。テモテ第一 5:8)ぜひとも,家族の成員を弟子にするという責任を担ってください。
3 家族の聖書研究に加えて,あなたは他のだれかとの研究をも司会できますか。より大切な質問は次のようなものかもしれません。あなたは,イエスの命令に従い,他の人に真理を教えるという特権と責任が自分にあることを認識していますか。(マタイ 28:19,20)日本において,さらに大勢の伝道者が一つの家庭聖書研究を司会する余地があることは明らかです。ある地方では,一つの研究を持つために真剣な粘り強さが求められます。繰り返し再訪問をすることが必要です。恐らくあなたは試みてみたことでしょう。でも,喜んで研究をする人を見いだすことができませんでした。何ができるでしょうか。
心構えが大切
4 最初に,次のように自問できるかもしれません。聖書研究の業に対するわたしの態度はどのようなものだろうか。本当に一つの研究を持ちたいと思っているだろうか。宣教のこの分野を重要な,命を救うものとみなし,世の人々の大部分が『自分の罪過と罪にあって死んでいる』ことを悟っているだろうか。―エフェソス 2:1。
5 伝道者も開拓者も,関心ある人たちを見いだして聖書研究を司会できるよう助けてほしいと明確に願い求めた時に,エホバがどのように自分の熱烈な祈りに答えてくださったかを協会に手紙で告げています。(ローマ 12:12。テサロニケ第一 5:17)あなたはそのようにしてこられましたか。誠実に真理を探し求めている人を見いだして教えるという特権を願い,天のみ父に祈願しましたか。―エゼキエル 9:4。
6 1986奉仕年度中,日本において毎月平均14万6,316件の聖書研究が司会されました。これは本当にほめるべきことです。その同じ期間に,聖書,書籍,および小冊子が282万4,169冊,また雑誌が2,200万冊以上配布されました。それで,まだ研究が司会されていない多くの家庭に協会の出版物があることになります。ですから,さらに多くの家庭聖書研究を始めるよい見込みがあることは明らかです。
7 わたしたちがもっと聖書研究のことを意識し,「見よ!」のブロシュアーを用いて研究を始める一層の努力を払う必要があるでしょうか。あなたは,「永遠の良いたより」を耳にしたいと願っている人々の戸口にエホバの民を導くことによってみ使いたちが業を支えていることを認識し,積極的な態度で宣教にあずかりますか。(啓示 14:6)真理を学ぶよう他の人を助ける時に得られる大きな喜びは,『行って,弟子とし』,教えるようにとのイエスの命令に従うために払う努力を補って余りあるものとなるでしょう。
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良いたよりを伝える ― 休日に王国宣教 1986 | 12月
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良いたよりを伝える ― 休日に
1 一年のこの時期に,多くの人々は,この世の心配事に取り囲まれながら幾らかの幸福を楽しもうと必死になっています。あなたは,明らかに心を奪われているこの時期に,そのような人々に証言することについて消極的な態度になっている自分に気づいたことがありますか。休日の時期には良くない習慣や極端な事柄が広く見られますが,多くの人々の思いは神に向けられているのです。
2 わたしたちは,休日に文字通り忙しい多くの人々に会うことでしょう。この場合,わたしたちの側の思いやりが求められます。地上におられた時イエスは,他の人の感情を認め,彼らを哀れに思われただけではなく,彼らの必要をも認めて援助しようと努められました。今日神を恐れる人々は,王国の音信を同じように必要としています。―マタイ 9:36,37。
3 家の人が戸口に来る時に,家の中の事情に目ざとくあり,思いやりを示すようにしてください。家の人は来客をもてなしていたり,ごちそうの準備のただ中であったりして忙しいですか。そうであれば,提供を手短なものにするのが最善かもしれません。しかしながら,家の人は本当は忙しくないと判断する場合があるかもしれず,その人に親切や誠実な個人的関心を示すことによって,巧みに証言を続けることができるかもしれません。
どのようなことを述べられるか
4 友好的な紹介の言葉の後,次のように言うことができるかもしれません。「このような時期には平和とか幸福について多くのことが話されます。あなたは,地上に真の平和が訪れるのかどうか,もし訪れるとしたら,どのようにそうなるのだろうかと疑問に思われたことはありませんか」。家の人に答えてもらい,それから,最新の会話するための話題を用いて,文書を提供してください。
5 もっと手短な提供がふさわしいと思う場合,次のように言うことができるかもしれません。「この時期になると人々は一年の出来事に注目し,将来について展望します。人々が期待する平和で安全な社会が遠のいていくように思われるこのごろですが,人々が考えているのとは違う方法で真の平和がもたらされることについて聖書が何と述べているかお知らせしたいと思います。このように述べられています[詩編 46:9を読む。]」。また,クリスマスの時期なら次のような証言を簡潔に行なえるかもしれません。「一年のこの時期には,イエスの誕生について考える多くの方々にお会いします。それは非常に大切な出来事でした。もう一つのとても大切な出来事である神の王国が来ることについて聖書が何と述べているか,お知らせしたいと思います。イエスご自身がこのように述べておられます[マタイ 6:33を読む。]」。それから家の人に提供物を示し,王国について述べている点を強調してください。
6 人々が「おめでとうございます」と言う場合,その休日のあいさつのことで論争する必要はありません。むしろ,その親切やわたしたちに耳を傾けるための時間を取ってくれたことに対して簡潔に感謝することができます。もちろん,休日についてどう思うかとはっきり尋ねられるなら,真理に基づき,また敬意をこめて答えることができます。「論じる」の本の221から227ページには,助けになる優れた情報があります。
思いやりを示しなさい
7 休日には,あまり早く訪問しないことによって思いやりを示すことができます。そのような日にゆっくり眠っていたいと思っている人々を邪魔することを避けて,いつもより少し遅い時間に家から家の活動を始めるほうがもっとふさわしいかもしれません。あるいは,奉仕の初めに,会える人への再訪問を幾らか行なうことができます。わたしたちは使徒パウロの次の助言に含まれている知恵を認めています。「あらゆる点で自分を神の奉仕者として推薦するのです」― コリント第二 6:4。
8 休日の証言にあずかることから多くの優れた経験が得られています。会衆によっては,クリスマスの時期にも特別活動を計画したいと思うかもしれません。そのような時,わたしたちすべてが巧みになり,家の人の心と思いに訴えるような仕方で真理の音信を提供する必要があります。コロサイ 4章6節のパウロの助言を思い出し,『あなた方の発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけされたものとしてください』。この優れた助言は,休日に特に適切なものです。
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