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    聖書から論じる
    • などと言うように,「日」という言葉で一つの時代を表わすこともまれではありません。同じように聖書も,「日」という語を使って,ある程度の長い期間を表わしている場合が多くあります。(ペテロ第二 3:8と比較。)こうして,創世記 1章の「日」という言葉は幾千年もの長さを表わすと見るのは道理にはずれたことではありません。

      さらに詳しくは292,293ページ参照。

      もし,こう言われたなら ―

      『わたしは進化論を信じています』

      こう答えられます: 『あなたは,何らかのかたちで神がそこに関与しておられると思われますか。それとも,生命の発生はその最初から全く偶然の過程であった,というお考えですか。(次いで,相手の答えに基づいて話を進める。)』

      あるいは,こう言えます: 『科学的な事実であることが十分に証明されている事柄を受け入れないのは現実的なこととは言えませんね。……この点に関してたいへん興味深い科学者たちの言葉がここにあります。(228ページの副見出し,「進化論は本当に科学的なものですか」,または,229ページの副見出し,「進化論を唱道する人々の見解は一致していますか。……」の項の資料を用いる。)』

      こうも言えます: 『確かな証拠があって証明されているなら,私たちすべてはその事を受け入れるべきではないでしょうか。……私は覚えていますが,学校の教科書には,進化論を裏付けるものとして色々な化石の絵が出ていました。ですが,その後,私は,化石の記録について科学者たちのたいへん興味深い言葉を読みました。(229ページの副見出し,「化石の記録はどんな見方を裏付けていますか」の項の資料を用いる。)』

      ほかの提案: 『あなたは物事を事実に即してご覧になる方であると考えてよろしいでしょうか。……私もそのような見方をしたいと思っています』。それから,こう付け加えられます: 『どこか野原を歩いていて,木や石でできた家が建っているのを見つけたとしたら,だれかが私より先にそこに来て,それを建てたのだということは,明らかなことに思えます。そうではないでしょうか。……ですが,その家のそばに咲いている花はただ偶然にでき上がったのだと考えるとしたら,それは筋の通ったことと言えるでしょうか。もしそのように感じるのであれば,私はもっと近づいてその花の緻密な設計をよく見る必要があります。設計されたものの背後には当然その設計者がいることは基本的な真理である,ということを知っているからです。これは聖書がヘブライ 3章4節で述べている点です』。

      あるいは,このようにも答えられます(年配の人の場合): 『進化論の基本的な考えの一つは,それによって人間の進歩を,つまり人間が今日の状態にまで発展した理由を説明しようとすることにあるのではないでしょうか』。それから,こう付け加えられます: (1)『あなたは世の中の移り変わりを多く見てこられた方だと思います。子供の時代に物事がどのようであったかを覚えておられるでしょうか。その時代にも今と同じほど犯罪があったでしょうか。……そのころ,入口にいつでもかぎを掛けなければならなかったでしょうか。……そのころの人たちは隣人や年配の人たちに今よりも思いやりを示したように思われますか。……ですから,技術的な面では大きな進歩がありましたが,人間そのものは非常に大切な特質のあるものを失っているように思えます。これはなぜでしょうか』。(2)『私が学んだ点ですが,わたしたちが共に見てきたこうした現実は,聖書のこのローマ 5章12節に記されている事柄と一致しています。……ですから,実際には,次第に低下してゆく傾向があるのです』。(3)『しかし,聖書は,これがどのように変化するかを示しています。(ダニエル 2:44。啓示 21:3,4)』

      『神は進化という手段で人間を創造した,とわたしは信じています』

      こう答えられます: 『同じような意見を持つ方たちにお会いしたことがあります。あなたは神に対する強い信仰を持つ方であると考えてよろしいでしょうか。……ですから,あなたの信仰は生活の中で重要な位置を占めているわけですね。それを導きとして他の物事の価値を決めておられることと思います。……私もそのような見方をしています』。それから,こう付け加えられます: (1)『私の信じている事柄が本当に真理であれば,それは実証された科学の事実とは矛盾しないはずです。同時に私は,神の言葉の述べている事柄を無視するのが愚かなことであるのも知っています。神はご自分のみ業について私たちのだれよりよく知っておられるからです。私は,神の霊感による言葉,聖書が,この創世記 1章21節で述べている事柄に感銘を受けました。(「その種類にしたがって」という部分を強調する。)』(2)『それから,創世記 2章7節を見ると,神が人を,それ以前の動物からではなく,塵から形造られたことが分かります』。(3)『そして,21,22節には,エバが,動物からではなく,アダムのあばら骨の一本をもとにして形造られたことが記されています』。

      あるいは,こう言えます: 『(前述のような共通の土台を築いた後に……)アダムに関する聖書の記述は一種の寓話であると言う人たちがいます。しかし,もしそうだとすれば,それはどういうことになるでしょうか』。(1)『このローマ 5章19節で何と述べられているかを見てください。「一人の人[アダム]の不従順を通して多くの者が罪人とされたのと同じように,一人の方[イエス・キリスト]の従順を通して多くの者が義とされるのです」。同じように,コリント第一 15章22節はこう述べています。「アダムにあってすべての人が死んでゆくのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのです」。しかし,アダムという名の「一人の人」が実在しなかったのであれば,その人の罪もなかったはずです。その人が罪を犯さず,子孫に罪を受け継がせることもなかったのであれば,キリストが自分の命を人類のために与える必要もなかったことになります。キリストが実際にはわたしたちのために命を与えてくださったのでなければ,わたしたちには現在の幾年かの命のほかには何の見込みもないことになります。そうなると,キリスト教には何も残されていないことになってしまいます』。(2)『ですが,キリスト教の中には,道徳上の最高の原則が具現されています。真実さと正直さという点で最も優れた教えが根本的には偽りであるような事柄から発しているということが考えられるでしょうか』。(また,41ページの主要な見出し,「アダムとエバ」の項も参照。)

      『しかし,高い教育を受けた人たちはそれを信じています』

      こう答えられます: 『確かにそうですが,それを信じていると言う人たちでも,同じように進化論を信じているほかの人たちと大きく意見の異なっている場合のあることを,私は知るようになりました。(229ページにある例を挙げる。)ですから,進化と創造のどちらを信じるべきかを判断するために,証拠を自分自身で調べてみなければなりません』。

      あるいは,こう言えます: 『確かにそうです。ですが,高い教育を受けた人たちで,それを信じていない人たちのいることも,私は知るようになりました』。それから,こう付け加えられます: (1)『なぜそのような違いが起きるのでしょうか。それらの人々はみな同じ証拠に通じているのです。人の動機がここで関係しているのでしょうか。そのような事も考えられます』。(2)『どちらが正しいかをどうしたら判断できるでしょうか。それぞれのグループを全体として見るとき(だれか個人を批判するのではありませんが),どちらのグループのほうが正直だろうとお考えになりますか ― 人間は神に創造されたことを信じて,神に対して責任を自覚する人々でしょうか,それとも,自分は偶然の所産なのだから,他のだれからも責任を問われることはない,と言う人たちでしょうか』。(3)『ですから,生命に関して創造と進化のどちらが十分に納得のゆく答えを提出しているかについて,自分自身で証拠を調べてみることが必要です』。

  • 信仰
    聖書から論じる
    • 信仰

      定義: 「信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です」。(ヘブライ 11:1)真の信仰は,軽信,すなわち確かな証拠がないのに,あるいは単にそうであってほしいと望むゆえに,ある事柄を簡単に信ずることではありません。純粋の信仰には,基本的もしくは基礎的な知識,および証拠に関する知識だけでなく,その証拠が示す事柄に対する心からの深い認識が必要です。ゆえに,正確な知識がなければ,真の信仰を持つことは不可能ですが,人は「心で」信仰を働かせると,聖書は述べています。―ローマ 10:10。

      なぜ多くの人々は信仰を持っていないのですか

      信仰は神の霊の実であって,神はご自分の霊を求める人たちに喜んでその霊をお与えになります。(ガラテア 5:22。ルカ 11:13)ですから,信仰のない人たちは,神の霊を求めていなかったり,求めるとしても間違った目的のために求めていたり,あるいは生活の面での神の霊の働きに抵抗していたりすることがあります。このことには次のような様々な事柄が影響を及ぼします。

      聖書に関する正確な知識の不足: 聖書は神からの霊感を受けて記されたものですから,神の霊の所産です。(テモテ第二 3:16,17。サムエル第二 23:2)聖書の研究を怠れば,真の信仰の成長はことごとく妨げられます。教会員は聖書を持っているかもしれませんが,神の言葉の代わりに人間の考えを教えられていたなら,神とその目的に対する真の信仰は持てないでしょう。そして,生活上の問題を解決するために,自分自身の考えや他の人間の考えに頼ろうとするでしょう。―マタイ 15:3-9と比較。

      宗教に幻滅を感じる: キリスト教世界の諸教会は神の言葉を教えている

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