-
読者からの質問ものみの塔 2004 | 7月15日
-
-
読者からの質問
レビ記 25章にある,ヨベルの年に関する取り決めは何を予表していますか。
モーセの律法には次のような規定があります。『七年目には,その地のために全き休みの安息が設けられるべきである』。この年に関連して,イスラエル人はこう命じられていました。「あなたの畑に種をまいてはならない。あなたのぶどう園の刈り込みを行なってはならない。あなたの収穫のこぼれ種から生えたものを刈り取ってはならず,刈り込みをしなかった木のぶどうを取り集めてもならない。その地のために全き休みの年が設けられるべきである」。(レビ記 25:4,5)こうして,7年ごとにその地のための安息年が設けられました。また,七つ目の安息年の翌年,つまり50年目はヨベルと定められました。この年にはどんなことがあったのでしょうか。
エホバはモーセを通してイスラエルにこうお告げになりました。「あなた方は五十年目を神聖なものとし,その地においてそのすべての住民に自由をふれ告げなければならない。それはあなた方にとってヨベルとなる。あなた方は各々自分の所有地に帰るように。各々自分の家族のもとに帰る。その五十年目はあなた方にとって,ヨベルとなるのである。あなた方は種をまいてはならない。こぼれ種からその地に生えたものを刈り取ってはならない。刈り込みをしなかった木のぶどうを取り集めてもならない」。(レビ記 25:10,11)ヨベルがある時には,その地のために前年に続いてもう1年の安息年が設けられることになります。一方,その地の住民には自由がもたらされました。奴隷として売られていたユダヤ人は,だれであれ解放されることになっていたのです。さらに,やむをえない事情で売り渡されたのかもしれない世襲所有地は,持ち主の家族に返されました。ヨベルは,古代イスラエルにとって回復と解放の年となりました。このことは,クリスチャンにとって何を予表しているでしょうか。
人類は,最初の人間アダムの反逆によって罪の奴隷となりました。神は,人類をこの罪の捕らわれから自由にするため,イエス・キリストの贖いの犠牲という手だてを設けられました。a (マタイ 20:28。ヨハネ 3:16。ヨハネ第一 2:1,2)クリスチャンが罪の律法から自由になるのはいつでしょうか。使徒パウロは油そそがれたクリスチャンに対して,「キリスト・イエスと結びついた命を与える霊,その霊の律法が,あなたを罪と死の律法から自由にした」と述べました。(ローマ 8:2)天での命の希望を持つ人たちは,聖霊で油そそがれた時にこの自由を得ます。その人たちは肉の体を持っていて不完全ですが,神はそれらの人を義と宣し,ご自分の霊的な子として養子にされます。(ローマ 3:24; 8:16,17)集団としての油そそがれた者たちにとって,クリスチャンのヨベルは西暦33年のペンテコステの日に始まりました。
地上で永遠に生きる見込みを持つ「ほかの羊」についてはどうでしょうか。(ヨハネ 10:16)ほかの羊にとって,キリストの千年統治が回復と解放の時となります。イエスはこの千年期のヨベルのあいだ,信仰を持つ人々にご自分の贖いの犠牲の益を適用し,罪の影響を消し去ってゆかれます。(啓示 21:3,4)キリストの千年統治の終わりには,人々は人間としての完全さに達し,受け継いだ罪と死から全く自由にされます。(ローマ 8:21)それをもって,クリスチャンのヨベルは終わりを迎えます。
[脚注]
a 実際にイエスは,『とりこにされた者たちに自由をふれ告げる』ために遣わされました。(イザヤ 61:1-7。ルカ 4:16-21)イエスは霊的な解放を告げ知らせたのです。
[26ページの図版]
千年期のヨベル ―「ほかの羊」にとって回復と解放の時
-
-
『明敏な者はみな知識をもって行動する』ものみの塔 2004 | 7月15日
-
-
『明敏な者はみな知識をもって行動する』
神の言葉 聖書から得られる導きは,「金よりも,いや,精錬された多くの金よりもさらに願わしいもの」です。(詩編 19:7-10)なぜなら,「賢い者[エホバ]の律法は命の源であり,それは人を死のわなから遠ざける」からです。(箴言 13:14)聖書の助言を当てはめるなら,生活の質が向上するだけでなく,命を脅かすわなを避けることにもなります。聖書の知識を求め,学んだ事柄に調和して行動することは,確かに重要です。
箴言 13章15-25節にあるとおり,古代イスラエルのソロモン王は,わたしたちがより良い人生をより長く楽しめるよう,知識をもって行動する助けとなる忠告を与えました。a わたしたちが他の人の好意を得,忠実に宣教奉仕を行ない,懲らしめに対する正しい態度を持ち,仲間をよく選ぶ面で,神の言葉がどのように役立つかを簡潔な格言で示しています。また,わたしたちが自分の子どもに財産を残したり,愛をもって懲らしめたりすることが,いかに思慮分別のあることかについても述べています。
良い洞察力を示して恵みを得る
「良い洞察力は恵みを与えるが,不実な行ないをする
-