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  • 思い煩いに負けてはなりません
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1999
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1999
塔99 3/15 21–23ページ

思い煩いに負けてはなりません

「次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで十分です」。(マタイ 6:34)イエス・キリストのこの助言は,慌ただしくてストレスの多い現代の社会に住むわたしたちすべてにとって,たいへん実際的です。

しかし,実際のところ,自分たちの問題や決定,義務や責任について思い煩わずに生活することなど可能なのでしょうか。落ち込んでいる人,困窮している人,重荷に苦しんでいる人は無数にいます。精神安定剤や鎮静剤の販売が莫大な利益を上げているのはそのためです。

どこで一線を引くか

わたしたちは自分たちの義務や割り当てられた仕事,決定や問題のために,前もって計画を立て,準備しておく必要があります。それらが急を要するかどうかは問題ではありません。聖書は,大きな事業に乗り出す前に『座って費用を計算する』ことを勧めています。(ルカ 14:28-30)これには,幾つかの選択肢を比較考量すること,自分の選択が及ぼすかもしれない影響を分析すること,必要とされる時間,エネルギー,それに金銭を見積もることが含まれています。

起こりそうなことは注意深く検討すべきですが,不慮の事態を一つ残らず考えておくということは不可能であり,建設的でもありません。例えば,家族の安全を図って,家が火事になった場合に備えてなすべきことを考えるとしましょう。火災探知器と消火器を購入して取り付けるかもしれませんし,家のさまざまな場所からの避難経路を考えておき,その予行演習を行なうかもしれません。しかし,道理にかなった実際的な計画はどこで終わるのでしょうか。言い換えれば,根拠のない過度の思い煩いはどこから始まりますか。それは,仮定の状況をあれこれ際限なく考えて思い悩むときに始まります。その多くは,たくましい想像力から生まれるのかもしれません。そうなると,不安で気持ちが落ち着かず,自分は何かを見過ごしているに違いないとか,家族を守るために万全の策を講じていないと思い込むことがあります。あなたは自ら課したこの苦悩で押しつぶされそうになり,眠りさえ奪われるかもしれません。

ファラオの前に出るモーセ

エホバ神はご自分の預言者モーセに難しい任務をお与えになりました。モーセはまずイスラエル人の前に出て,自分がエホバからの任命によりイスラエル人をエジプトから導き出すことになる,ということを彼らに確信させなければなりませんでした。それからファラオの前に出て,イスラエル人を去らせるように要求しなければなりませんでした。そして最後に,幾百万にのぼる群衆を,敵対的な人々の住む土地へと,荒野を通って導かなければなりませんでした。(出エジプト記 3:1-10)どれを取っても,非常な恐れを感じさせる任務だったに違いありません。では,モーセはこれらの任務で思いがいっぱいになるほど過度に思い煩ったでしょうか。

モーセが幾つかの重要な問題について心配していたことは明らかです。モーセはエホバに,「わたしが今イスラエルの子らのもとに行って,『あなた方の父祖の神がわたしをあなた方のもとに遣わした』と言うとしても,『その方の名は何というのか』と彼らが言うとすれば,わたしはこれに何と言えばよいでしょうか」と尋ねました。エホバはモーセに答えをお与えになりました。(出エジプト記 3:13,14)モーセはまた,ファラオが自分を信じなかった場合に事態がどうなるかも心配しました。このときも,エホバはご自分の預言者に答えをお与えになりました。最後にモーセは,「私は流ちょうに話せる者ではございません」と言いました。この問題はどのように解決されたでしょうか。エホバは,モーセに代わってアロンが話すように取り決められました。―出エジプト記 4:1-5,10-16。

疑問に対する答えを与えられたモーセは,神に信仰を抱いて,エホバが命じられたとおりに行ないました。ファラオとの対決で事態がどうなるかを恐れて苦しむよりも,むしろ『そのとおりに行ないました』。(出エジプト記 7:6)もしモーセが思い煩いに負けていたなら,任務の遂行に必要不可欠だった信仰は弱くなり,大胆さは失われていたことでしょう。

任務に対するモーセの平衡の取れた取り組み方は,使徒パウロの言う「健全な思い」の手本です。(テモテ第二 1:7。テトス 2:2-6)もしモーセが健全な思いを働かせていなかったならば,自分の任務の重大さにたやすく圧倒されて,それを受け入れることはできなかったでしょう。

自分の考えを制御する

日常生活の中で信仰の試みや試練に直面した場合,あなたならどう反応しますか。前途に立ちはだかる障害や難問のことだけを考えて,パニック状態になる傾向がありますか。それともそうした試練に対して平衡の取れた見方をしますか。『取り越し苦労をしてもしかたがない』と言う人々がいますが,それはせっかくの苦労が結局は無駄になるかもしれないからです。それでどうなるか分からないことを,どうしてあれこれ思い悩むのでしょうか。聖書には,『人の心の煩い事はこれをかがませる』とあります。(箴言 12:25)取り越し苦労をする人は,決定を先に延ばすので,なすべき事が後回しになって手後れになることが少なくありません。

これよりはるかに深刻なのは,過度の思い煩いがもたらしかねない霊的な害です。イエス・キリストは,富の欺きの力と「この事物の体制の思い煩い」が,「王国の言葉」に対する認識を完全にふさいでしまう危険性を示唆しました。(マタイ 13:19,22)いばらが苗木の生長と結実を阻害するように,制御されない思い煩いも,わたしたちが霊的な発育を遂げ,また神への賛美という実を結ぶのを妨げることがあります。中には害になる思い煩いで自分を苦しめ,神への献身を思いとどまる人さえいます。そういう人たちは,『献身にふさわしく生きることができなかったらどうなるのだろう』と心配するのです。

使徒パウロが述べたように,わたしたちは霊的な戦いにおいて,「一切の考えをとりこにしてキリストに従順にならせ」ようと努力しています。(コリント第二 10:5)一方,わたしたちの大敵,悪魔サタンは,わたしたちの心配事を巧みに利用して,わたしたちを落胆させ,身体的にも感情的にも霊的にもわたしたちを弱らせることに大きな喜びを感じています。サタンは,疑念を抱かせることによって不注意な人々をわなに掛ける名人です。だからこそパウロはクリスチャンたちに,『悪魔にすきを与えてはなりません』とも警告したのです。(エフェソス 4:27)「この事物の体制の神」であるサタンは,「不信者の思いをくらまし」てきました。(コリント第二 4:4)しかし,わたしたちの思いがサタンに制御されることなど決してありませんように。

助けがある

子供は問題にぶつかると,愛情深い父親のところに行って,導きと安心感を得ます。同じように,わたしたちも天の父エホバのところに自分の問題を持っていくことができます。事実,エホバは重荷と思い煩いをご自分にゆだねるよう勧めておられます。(詩編 55:22)子供は父親に話して安心したならそのあとは,その問題についてもう心配しないものです。わたしたちもエホバに重荷をゆだねたなら,ゆだねたままにしておくべきです。―ヤコブ 1:6。

ではどのようにして自分の思い煩いをエホバにゆだねるのでしょうか。フィリピ 4章6,7節には,「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」とあります。そうです,エホバはわたしたちのたゆみない祈りと祈願に答えて,わたしたちに内面の穏やかさをお与えになることができます。この内面の穏やかさが,不必要な思い煩いで悩まないよう,わたしたちの思いを守るのです。―エレミヤ 17:7,8。マタイ 6:25-34。

しかし,祈りに調和して行動するには,身体的にも精神的にも孤立してはなりません。(箴言 18:1)むしろ,問題に関連した聖書の原則や導きを熟考してみるのは良いことです。そうすれば,自分の理解に頼らないようにすることができます。(箴言 3:5,6)若い人も,年老いた人も,決定を下す方法や問題に対処する方法に関して,聖書とものみの塔の出版物から豊富な情報を得ることができます。さらに,クリスチャン会衆には,いつでも喜んで相談に乗ってくれる,経験を積んだ識別力のある長老たちや,他の円熟したクリスチャンたちがいます。(箴言 11:14; 15:22)感情面で当の問題にかかわっておらず,その問題に関して神の見方を持つ人に相談すれば,別の観点から問題を見るよう助けてもらえることが少なくありません。彼らは,わたしたちに代わって決定を下すことはしませんが,大きな励まし,また支えとなってくれます。

「神を待ち望め」

想像上の問題を心配してストレスを増やさなくても,わたしたちはみな毎日,現実の問題に対処するだけで十分のストレスを感じています。何か起こりはしないかという思い煩いで不安になったり気が動転したりするなら,祈りと祈願によってエホバに頼るようにしましょう。神のみ言葉とその組織に頼って,導きと知恵と健全な思いを得るようにしましょう。そうすればどんなことが持ち上がったとしても,それに対処する助けがあることを知るでしょう。

詩編作者は,心が重く,動揺していたときに,「わたしの魂よ,なぜお前は絶望しているのか。なぜお前はわたしの内で騒ぎ立つのか。神を待ち望め。わたしは,わたし自身の大いなる救い,わたしの神として,なおもこの方をたたえるからだ」と歌いました。(詩編 42:11)わたしたちも詩編作者と同じ思いを抱きましょう。

そうです,起こりそうなことに対しては対策を立て,予測できないことに関してはエホバにゆだねるようにしましょう。「自分の思い煩いをすべて神にゆだねなさい。神はあなた方を顧みてくださるからです」― ペテロ第一 5:7。

[23ページの図版]

あなたもダビデのように,重荷や思い煩いをエホバにゆだねますか

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