研究記事 10
26番の歌 神と歩もう
エホバとイエスに倣った考え方をする
「キリストは人間として苦しんだのですから,皆さんもキリストと同じ精神を身に着けてください」。ペテロ第一 4:1
ポイント
使徒ペテロはイエスの考え方から大切なことを学びました。私たちはどんなことを学べますか。
1-2. (ア)エホバを愛するとはどういうことですか。(イ)イエスはどのようにエホバを愛しましたか。
「あなたは,心を尽くし,力を尽くし,知力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければならない」。(ルカ 10:27)イエスはこれがモーセの律法の中で一番大切なおきてだと分かっていました。私たちは心を尽くしてエホバを愛します。それには私たちの感情,願い,気持ちが関わっています。また,自分の持つエネルギーを使い,力を尽くしてエホバを愛します。さらに,知力を尽くしてエホバを愛します。そのためにはどんな考え方をするかが大切です。エホバを愛している人はエホバに倣った考え方をしたいと思っています。もちろん,私たちはエホバの考えを完全につかむことはできません。でも「キリストの考え」を学ぶなら,理解を深めていくことはできます。イエスはいつもお父さんエホバと同じ考え方をしていたからです。(コリ一 2:16)
2 イエスは知力を尽くしてエホバを愛しました。エホバが自分にどんなことを望んでいるかを知っていて,その通りに行動する決意でいました。たとえ苦しむことになったとしてもです。イエスはいつもエホバに喜ばれる生き方をすると心に決めていて,ぶれずにその生き方を貫きました。
3. ペテロはイエスから何を学びましたか。クリスチャンにどんなことを勧めましたか。(ペテロ第一 4:1)
3 ペテロと使徒たちは,イエスと一緒に過ごしてイエスの考え方をじかに学びました。ペテロは聖なる力に導かれて書いた手紙の中で,キリストと同じ精神を身に着けるよう勧めました。a (ペテロ第一 4:1を読む。)ここでペテロが使った「身に着け[る]」に当たるギリシャ語は,兵士が戦いの装備をすることを意味する軍事用語です。クリスチャンがイエスの精神つまり考え方に倣うなら,強力な武器を身に着けられるということです。その武器があれば,悪いことをしたいという欲望や,サタンの世界と戦うことができます。(コリ二 10:3-5。エフェ 6:12)
4. ペテロのアドバイスに従うためにこの記事ではどんなことを学びますか。
4 では,イエスの考え方を調べ,どうすればそれに倣えるかに注目しましょう。イエスの手本から,(1)エホバの考え方に倣うこと,(2)謙虚でいること,(3)健全な考え方をすることについて学びます。
エホバの考え方に倣う
5. ペテロはどんな時にエホバと同じ考え方ができませんでしたか。
5 ペテロはエホバと同じ考え方ができなかったことがありました。イエスは使徒たちに,自分がエルサレムに行き,宗教指導者たちに引き渡され,苦しみに遭い,最後には死ぬことになると伝えました。(マタ 16:21)でも,ペテロはそのことを受け入れにくく感じました。イエスはイスラエルが希望を懸けていた約束のメシアでした。そのイエスが殺されるのをエホバが許すことなど,信じられませんでした。(マタ 16:16)それでイエスを脇に連れていき,「主よ,自分を大切にしてください。決してそのような目には遭いません」と言いました。(マタ 16:22)ペテロの考え方はイエスの考え方と違っていました。エホバの考えに自分を合わせていなかったからです。
6. イエスがエホバと同じ考え方をしていた,といえるのはどうしてですか。
6 イエスはいつもお父さんエホバと同じ考え方をしていました。イエスはペテロにこう言いました。「私の後ろに下がれ,サタン! あなたは私の邪魔をしています。神の考えではなく,人間の考えを抱いているからです」。(マタ 16:23)ペテロはイエスのことを思ってアドバイスしていました。でも,イエスはペテロの言葉をはねつけました。イエスが楽な生き方をすることは,エホバの願いではなかったからです。ペテロは自分の考えを神の考えに合わせなければいけないことを学びました。
7. ペテロがエホバの考えに合わせようとしたことはどんなことから分かりますか。(挿絵を参照。)
7 やがて,ペテロは自分の考えをエホバの考えに合わせられるようになりました。それが分かるのは,割礼を受けていない異国人にもエホバに仕える扉が開かれた時のことです。ペテロは,異国人のコルネリオの所に行って真理を伝えるようにと指示されます。ユダヤ人は異国人とはほとんど交流を持たなかったので,ペテロはこの指示に従うために考え方を大きく変えなければいけませんでした。神がどんなことを願っているのかを理解すると,ペテロは考え方を調整しました。それで,コルネリオから自分たちの所に来てほしいと言われた時,「迷わずに」出掛けていきました。(使徒 10:28,29)ペテロが真理を伝えると,コルネリオと家の人たちはバプテスマを受けました。こうして異国人として最初のクリスチャンが誕生しました。(使徒 10:21-23,34,35,44-48)
ペテロがコルネリオの家に入っていくところ。(7節を参照。)
8. エホバの考えに合わせようとする人はどうしますか。(ペテロ第一 3:8と脚注)
8 後に,ペテロは当時のクリスチャンに「同じ考え方」でいるように勧めました。(ペテロ第一 3:8を読む。)私たちみんなが同じ考え方でいるには,聖書に書かれているエホバの考えに自分を合わせることが必要です。例えば,生活の中で王国を第一にするようにというイエスの言葉の通りにしたいと思って,全時間奉仕を始める人が会衆にいるとします。(マタ 6:33)そのような人に,「そんなに頑張らなくていいんじゃない?」などとは言いたくありません。むしろその人を褒め,できるだけサポートしたいと思います。
謙虚でいる
9-10. イエスが謙虚だったことはどんな出来事から分かりますか。
9 イエスは亡くなる前の晩,ペテロとほかの使徒たちに謙虚でいることの大切さを教えました。イエスは使徒たちとの最後の食事に必要なものをペテロとヨハネに準備させました。準備したものの中には,みんなの足を洗うのに必要な拭き布とたらいもあったはずです。では,謙虚にみんなの足を洗うのは誰でしょうか。
10 イエス自らその仕事を行います。普通なら召し使いがすることをイエスがするのを見て,使徒たちは衝撃を受けます。桁違いの謙虚さです。イエスは外衣を脱ぎ,拭き布を取って腰にくくり,たらいに水を入れて使徒たちの足を洗っていきます。(ヨハ 13:4,5)12人全員の足を洗うには時間がかかったはずです。その中にはイエスを裏切ろうとしているユダもいました。イエスはその仕事を終えた後,こう言いました。「あなたたちにしたことが理解できますか。あなたたちは私を『先生』や『主』と呼びます。それは正しいことです。私はそういう者だからです。それで,主であり先生である私があなたたちの足を洗ったのであれば,あなたたちも足を洗い合うべきです」。(ヨハ 13:12-14)
本当の謙虚さには私たちの内面が関係している。
11. ペテロが謙虚さを学んでいたことはどんなことから分かりますか。(ペテロ第一 5:5)(挿絵も参照。)
11 ペテロはイエスの謙虚さから学んでいました。イエスが天に戻った後,ペテロは生まれた時から足が不自由な男性を癒やしました。(使徒 1:8,9; 3:2,6-8)大勢の人がこの奇跡を見て,ペテロの近くに集まってきました。(使徒 3:11)この場面でペテロが自分に注意を引こうとしてもおかしくありませんでした。有名になることや立場が重視される社会で育っていたからです。でも,そんなことはしませんでした。ペテロは謙虚に,自分ではなくエホバとイエスが称賛されるようにしました。こう言います。「イエスの名を通して,その名に対する私たちの信仰によって,あなた方が見て知っているこの人の足は丈夫になりました」。(使徒 3:12-16)ペテロは当時のクリスチャンに宛てた手紙の中で,謙虚さを身に着ける必要があることについて書きました。ペテロが使った,身に着けるという表現は,イエスが拭き布を腰にくくって使徒たちの足を洗ったことを連想させます。(ペテロ第一 5:5を読む。)
ペテロは奇跡を起こした後,謙虚にエホバとイエスが称賛されるようにした。私たちも謙虚でいるなら,褒められることや認められることを期待せずに良いことをする。(11-12節を参照。)
12. どうすればペテロのように謙虚さを磨いていけますか。
12 私たちもペテロのように謙虚さを磨いていけます。謙虚さには,単に何を言うかだけでなく,私たちの内面が関係しています。ペテロが勧めているように,謙虚でいるためには「自分を低く見る考え方」が大切です。私たちが人のために何かをするのはエホバと仲間を愛しているからです。褒められたいからではありません。本当に謙虚であれば,人に気付かれるかどうかに関わりなく,自分にできることを何でもしてエホバと仲間に仕えることができます。(マタ 6:1-4)
「健全な考え方」をする
13. 「健全な考え方」をするクリスチャンはどんなことをしますか。
13 「健全な考え方」をするクリスチャンはどんなことをしますか。(ペテ一 4:7)エホバの考えに沿った決定ができるようにベストを尽くします。また,エホバとの絆を何よりも大切にします。自分が何でも知っているわけではないことをわきまえ,いつも謙虚な態度でエホバに祈って頼ります。b
14. ペテロはどんな時にエホバに頼ることを忘れてしまいましたか。
14 イエスは亡くなる前の晩,弟子たちにこう警告しました。「今夜,あなたたちは皆,私を見捨てます」。でもペテロは自信満々にこう答えました。「ほかのみんながあなたを見捨てても,私は決して見捨てません!」その少し後にイエスは弟子たちにこうアドバイスしました。「ずっと見張っていて絶えず祈り……なさい」。(マタ 26:31,33,41)このアドバイスの通りにしていれば,ペテロは自分がイエスの弟子であることを勇敢に認めることができたはずです。でも,結局ペテロはイエスのことを知らないと言ってしまい,ひどく後悔しました。(マタ 26:69-75)
15. イエスが,亡くなる前の晩にも健全な考え方ができたのはどうしてですか。
15 イエスは心からエホバに頼りました。イエスは完全でしたが,亡くなる前の晩も繰り返し祈りました。それで,エホバが望む通りのことを勇敢に行うことができました。(マタ 26:39,42,44。ヨハ 18:4,5)ペテロは,イエスが真剣に祈る姿をずっと忘れなかったはずです。
16. ペテロが健全な考え方ができるようになっていたことはどんなことから分かりますか。(ペテロ第一 4:7)
16 やがてペテロは,祈ることによってもっとエホバに頼るようになりました。復活したイエスは,ペテロやほかの使徒たちが伝道活動をやり遂げられるよう,聖なる力を与えると保証しました。そしてそれまではエルサレムにとどまるようにと言いました。(ルカ 24:49。使徒 1:4,5)ではその間,ペテロは何をしていましたか。仲間のクリスチャンと「ひたすら祈り続け」ていました。(使徒 1:13,14)後にペテロは手紙の中でクリスチャンに,健全な考え方をし,エホバに祈って頼るよう勧めました。(ペテロ第一 4:7を読む。)ペテロ自身,どんなときもエホバを信頼していました。そんなペテロは会衆のみんなから頼られる,柱のような存在になりました。(ガラ 2:9)
17. 優れた能力を持っているとしても,どんなことは欠かせませんか。(写真も参照。)
17 健全な考え方をするには,頻繁にエホバに祈ることが欠かせません。どんなに優れた能力があるとしても,祈ってエホバに頼ることを忘れないようにしましょう。重要な決定をしなければいけない時は特に,自分にとって何が一番いいかを知っているのはエホバだということを認め,祈ってエホバに導いてもらうことが大切です。
ペテロは祈ることによってエホバに頼るようになった。私たちも大切なことを決める時は特に,健全な考え方ができるようエホバに祈る。(17節を参照。)c
18. エホバと同じような考え方をするためにどんなことができますか。
18 私たちはエホバに倣えるように造られています。そのことを本当に感謝できます。(創 1:26)もちろん完璧に倣うことはできません。(イザ 55:9)でも,私たちもペテロのように成長していけます。神の考えに倣い,謙虚でいるようにし,健全な考え方をすることによってです。そうすれば,エホバと同じ考え方ができる人になっていけるでしょう。
91番の歌 わたしの父,わたしの神,わたしの友
a ペテロ第一 4章1節の「精神」という言葉は「考え方,物の見方」などとも訳せます。
c 写真や挿絵: 仕事の面接の順番を待っている姉妹が無言で祈っている。