ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目70 4/22 24–26ページ
  • 心暖まる思い出となった悲惨な事故

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 心暖まる思い出となった悲惨な事故
  • 目ざめよ! 1970
  • 副見出し
  • 誠実な医師
  • 手術が終わってから……
  • 快い思い出
目ざめよ! 1970
目70 4/22 24–26ページ

心暖まる思い出となった悲惨な事故

エクアドルの「目ざめよ!」通信員

1969年1月20日の午後,エクアドルのクエンカでのこと,荷を積んだ1台のダンプカーが小学校のそばの狭い車道にバックしながらはいってきました。この時,10歳になるひとりの少女が,ダンプカーは自分のそばを通り過ぎると思ったのでしょう,そのまま車道に立っていました。巨大なダンプカーの後輪が通り過ぎようとしたとき,少女の洋服がひっかかり,そばにいた人々があっと驚く間に,少女は車輪の下に引き込まれてしまいました。

叫び声を聞いた運転手はすぐに車を止め,何が起きたかを知ろうと車から出てきました。ひとりの少女がダンプカーの下敷きになっているではありませんか。運転手の驚きのほどを想像してください。車は少女を下敷きにしたまま止まっていたのです。運転手になし得ることは,ダンプカーを再び前に動かすことだけでしたが,そうすれば,少女の傷ついたからだの一部にはもう一度相当の重圧がかかることになります。しかしとにかくダンプカーの車輪は,少女の左足を,次に腹部を横ぎりました。少女はすぐに病院に運ばれましたが,驚いたことに意識を保っていました。

急を知らされてかけつけてきた母親に少女が最初に語ったのはどんなことばでしたか。「おかあさん,わたしまだ死ねないわ。聖書研究を司会したことさえないんですもの」。それに少女は,治療には血を使用しないでほしいということを看護婦に自分で話していたのです。なんですって? 重傷を負ったその少女は,聖書を人に教えたいので死にたくないというのですか。看護婦たちはとても信じられませんでした。

誠実な医師

医師は,内臓がどの程度いたんでいるかを確かめるための手術を直ちに勧めました。少女の父親は手術に同意しましたが,手術は輸血なしでしていただきたいと述べました。輸血なしでそうした重大な手術を行なったことのない医師は,それを聞いて驚きました。しかしその両親は血に関する神の律法を守る自分たちの立場を説明しました。(レビ 17:14。使行 15:20)そして,子供のために全力を尽していただくなら,輸血をしないで施す処置に関しては自分たちが全責任を負いますと述べました。

医師は最善を尽して治療をしたいと告げ,こう語りました。「わたしも信仰を持っており,自分の信じている事を人に尊重してもらいたいと思いますから,あなたがたのお考えを尊重いたしましょう」。

車で手術室に運ばれる直前,少女は父親に,「おとうさん,心配なさらないでね」と告げました。急を聞いてかけつけてきた親族や知人を含め,居合わせた人々にとって手術が終わるまでの5時間はたいへん長く感じられました。その間,見舞いに来ていたそれらの人々は何を目撃しましたか。その両親は,たとえ少女が死ぬようなことがあっても娘は復活するので,必ずもう一度娘に会えるということをまわりの人々に落ち着いて説明していたのです。それはほんとうに忘れられない光景でした。

両親の確信のほどに,医師はもとより,手術の結果を知ろうとして集まった人々も深い感銘を受け,ある人はこう語りました。「わたしも父親ですが,このような事態に直面したなら,あなたが示されたほどの冷静な態度は取れないと思います」。

また別の人は,「あの人たちのような信仰を持てたなら,わたしは一番しあわせな人間になれるのですがね」と述べました。

この家族の隣に住む,夫をなくして間もないひとりの未亡人が見舞いを終えて帰るまぎわに,こう語りました。「夫が死んでから2年間というもの,わたしは暗い気持ちで過ごしてきました。しかし,あなたがたに会って,あなたがたの神に対していだいておられる信仰に接し,また,あなたがたの希望を知って,わたしは生まれて初めて深い喜びを見いだすことができました」。

手術が終わってから……

さて,医師の報告が発表されました。骨はどこも折れていませんでしたが,内臓は相当ひどい傷を受けていました。横隔膜に通じる大動脈が切れて,少女の血液の半分以上が失なわれていました。しかし,手術が始まった時分には,動脈の切れたところが凝固した血液でふさがり,出血は止まっていました。心臓からわずか10センチほどのところで動脈が切れて出血が生じたにもかかわらず,少女は死を免れたのです。医師にはその理由がどうしてもわかりませんでした。

肝臓も裂けていました。また,おそろしい圧力を受けたため,胃は横隔膜を破って飛び出し,横隔膜は2個所で裂けていました。そのため,左の肺臓はつぶれ,それとともに,心臓のまわりの心膜も破れていました。つまり,ダンプカーはもう少しで心臓を破裂させるところだったのです。万一,そうした事態が生じていたなら,少女は即死していたでしょう。

医師は手術の経過が満足のゆくものであったことを述べ,少女の両親が,手のほどこしようのないほどに泣き騒いで医師の気持ちを乱すようなことをせず,落ち着いた態度を示したことに感謝しました。医師は冷静な気持ちをいだいて,そのむずかしい手術を行なうことができたのです。

しかし依然として危険な問題が残っていました。失われた血液はどうするのですか。他の病気に冒される危険についてはどうですか。そのいずれも致命的なものとなり得るのです。長時間の手術中,腸が破裂していないかどうかを確かめるため,腸全体をたんねんに調べねばなりませんでした。また,すべての内臓を調べて,損傷の有無を確かめねばなりませんでした。少女のからだにたいへんな重圧がかかったことは,首のわきや目の中の細い血管が破裂していたことからもわかりました。

翌朝,目をさましたミミ(少女の愛称)は,かなりはっきりと意識を保っており,驚いたことに,手術後の痛みを訴えませんでした。危険な48時間は経過しましたが,別の病気の兆候は現われませんでした。病院の医師たちは,少女が輸血なしでのその大手術に耐え,手術後わずか5日を経て急速に快方に向かったことに驚嘆しました。

事故の1週間後に退院したミミはその後も順調に回復してゆきました。ところがその後,重大な併発症が現われたのです。心臓の回りの保護膜が破れていたためと思われますが,心臓のまわりに,ある種の液体が生じていたのです。さて,どうなるでしょうか,それはほんとうに不安な時でした。その液体が自然に消散しなければ,心臓に関する危険な手術をおそらくもう一度受けなければならないでしょう。

次の日,心臓の専門医がミミを診察しました。ところがその専門医も,またかかりつけの医師も驚いたことに,その液体は一夜にして消散し,すべてが順調に働いていたのです。

事故の5週間半後,傷ついた器官はみな直り,そのような恐ろしい経験など何もしなかったように,ミミは学校に戻って,友だちと遊んでいました。

快い思い出

こうした悲惨な事故が,快い思い出となることがあり得るでしょうか。その父親のことばをお聞きください。「わたしは自分自身の反応に驚きました。そのような恐ろしい知らせに接しても,しっかりしていられるとは思いませんでした。しかしすぐに,わたしたちにとって何が必要かをエホバがよく知っておられるということを知りました。それで,ミミの生死にはかかわりなく,神がすべての事柄を見守っておられることを悟ったわたしは,かつて経験したこともないほどの落ち着きを得ました。エホバは試練の下にある御自分のしもべを強めてくださることを述べた経験を読んだことがありますが,それが真実であることをわたしは体験しました」。

また,少女の母親は次のように述べました。「横たわっている娘を一目見たとき,わたしは全身から血の気が引いてゆくように感じました。しかし次の瞬間,エホバにすべてをゆだねていることを思い起こすにつれ,何かほのぼのとしたものに包まれる自分を感じました。エホバの霊は力と勇気を与えるものです」。

医師はどうでしたか。その手術は,その病院開設以来最も危険なものでしたが,それでも輸血なしで成功したのです。医師は述べました。「わたしはこの経験から多くを学びました」。何を学んだのでしょうか。

その後まもなく,ひとりの大学生が虫垂炎の手術を受けることになりました。そして,輸血をするのが妥当ではないかとの意見が出たとき,その医師はそれを退けてこう言いました。「わたしは1月以来,輸血をしないほうがずっと良いことを知りました」。その虫垂炎の患者はほどなくして大学に戻り,今では元気にやっています。

その土地のエホバの証人の監督奉仕者として仕えているひとりのアメリカ人も深い感銘を受け,次のように述べました。「この国におけるそうした緊急事態下の処置と,アメリカその他の国での同様の事態に接してしばしば取られる処置との相違に驚きました。『狂信的な信仰のために子供の命が危ぶまれる』といった大げさな見出しの記事が新聞に載ることもありません。むしろ,ラジオ放送は,重大な試練の下でこの家族が示したきわだった信仰と冷静な態度を取り上げました。傷ついた子供にどんな治療を受けさせるかを決める権利を奪って,高圧的な法定命令を取りつけて勝手に決定を下す代わりに,その医師は親の立場とその良心上の信念を尊重しました」。

ひとりの著名な医師は,「この症例は医学界ではまさに一つの奇跡とされているということを知っていただきたい」と言明しました。このことがあってのち,血に関する神の律法を説明した小冊子が多数配布されましたが,その多くは,この重大な問題に関する詳細を知りたいと考えた医師たちに配布されました。

最後にミミ自身は次のように語りました。「わたしは,わたしを助けてくださったエホバに感謝しています。なぜなら,もしわたしが死んでしまったなら,輸血をしなかったから死んだのだと多くの人々は考えたでしょう。しかし,たとえ危険な状態でも,神の律法に従うのがいつも一番良いことを多くの人たちはきっと知ってくださるでしょう」。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする