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目ざめよ! 1970
目70 4/22 3–5ページ

「エホバの証人への賛辞」

エホバの証人の伝道活動は急速に発展したため,ニューヨーク市ブルックリンにあるその国際本部の施設は大いに拡張されました。

このことはその付近の人々の話題にものぼり,本部から2区画先のプリマス教会(組合教会)では,説教の中にさえ取り上げられました。100年ほど前,その教会の初代の牧師だったヘンリー・ウォード・ビーチャーの住んでいた建物は今では,ものみの塔協会の大規模な本部の建物の一部となっています。

さて,「エホバの証人への賛辞」と題するその説教をしたハリー・H・クルーナー博士は,まず最初にこう述べました。「真の宗教にとって肝要な幾多の教理の面で,エホバの証人はまったく誤っている,と言わざるを得ません」。

しかしそれから,「とは言っても,心の中では彼らに感心しています。それで今朝の話にこの題を選びました」と述べた同博士は,次のように語りました。

「自分たちの宗教について語るという点で,わたしはエホバの証人に感心しています。……わたしたち〔教会員〕は申し合わせたように沈黙を守っており,宗教を,絶対に話してはならない事柄の一つにしています。……

「わたし自身,人前では自分が牧師であることをめったに口にしません。そうしようものなら,たちまち座がしらけてしまうからです。……先日,ある教会の外にあった掲示板の次のようなことばが目にとまりました。『もしあなたがクリスチャンゆえに裁判を受けたとしたなら,あなたを有罪とするに足る十分の証拠が提出されるであろうか』。……

「わたしたちの多くは,そうした証拠を皆無にせんばかりに気を配ってきたが,エホバの証人は自分たちの信仰の証拠,つまり口頭による証拠を日々提出しています。彼らは堂々と語っているのです」。

聖書によれば,真のクリスチャンは何を行なうべきですか。使徒パウロはこう語ります。「それ人は心に信じて義とせられ,口に言ひあらはして救はるるなり」。(ロマ 10:10)またイエス・キリストは今の時代について次のように予告しました。「御国のこの良いたよりは,すべての国の民への証として,人の住む全地に宣べ伝えられるであろう。それから終わりが来るのである」。(マタイ 24:14,新)もしあなたが教会に属しておられるなら,あなたの教会の会員はこのことを行なっていますか。

エホバの証人についてはどうですか。昨年,133万6,112名の証人たちが,203の土地で合計2億3,900万時間を費やして活発に伝道し,そのわざを無償で行ないました。彼らはみな,神とそのお目的について他の人に語り,聖書を教え,関心のある人々の家で聖書研究を司会しています。昨奉仕年度だけで聖書を教える新たな人々12万人余がバプテスマを受けて,エホバの証人の隊伍に加わりました。

前述のクルーナー博士はまた,別の点を取り上げてこう述べました。

「わたしはエホバの証人の,人種差別のない親交に感心しています。……彼らは『主にあって平等である』ことを身をもって体験していますが,諸教会は,100年,あるいはそれ以上かかってもいまだにこの平等を実践し得ないでいます。証人たちにとっては皮膚の色の違いは意味がない。彼らは互いに兄弟なのです。……

「証人たちの親交すなわち兄弟関係は実にうらやましいものです。彼らは,黒人と白人また貧富の別なく,互いを同じ人間として受け入れています」。

これは真のキリスト教にとって大切なことですか。イエスは言われました。「互に相愛することをせば,これによりて人みな汝らの我が弟子たるを知らん」。(ヨハネ 13:35)使徒ペテロは述べました。「神はかたよることをせず,いづれの国の人にても神を敬ひて義をおこなふ者を容れ給ふことを」。(使行 10:34,35)もしあなたが教会に属しておられるなら,あなたの教会はこの点でどんな実を生み出していますか。

前述の牧師は同じ説教の中で,次の点にもふれました。

「わたしは彼らの自己鍛練に感心させられています。彼らは自分たちの宗教について語り,それを擁護し,また驚くほどの兄弟愛をいだいています。それだけでなく,自らを訓練し,エホバの証人として恥ずかしくないようにきちんとしており,聖書をよく勉強します。……彼らは集会に駆け足で通っているようにさえ見えます。これとは対照的に,カトリック信者は朝早くミサを済ませるために足早やに歩き,新教徒は,たいてい教会の中庭の木々や草花を眺めながらのらくらと歩きます。これに反して,エホバの証人は行進しています。彼らは主の軍隊の“幸福な走者”と言えるでしょう」。

1世紀当時の訓練された“走者”はだれでしたか。それは真の宗教を奉じた人々,すなわちイエスの追随者でした。それは当時の律法学者やパリサイ人,またその追随者ではありませんでした。あなたの教会の会員は,自らを訓練し,訓練を受けて,聖書研究と神への奉仕に活発に携わっていますか。

クルーナー博士は,エホバの証人に同意できない点として,証人の伝える音信は,「無情な神」の音信であると唱えました。しかしエホバの証人とともに聖書を勉強した人なら,「神は愛である」という事実を証人たちが強調していることを知っています。(ヨハネ第一 4:8,新)聖書研究の手引きとして広く配布されている,「とこしえの命に導く真理」という本をお読みになって,このことを確かめてください。神の御国のもたらす祝福が,その本の中でどんなに強調されているかに注意してください,神はその御国の統治の下で,楽園の新しい秩序を地上に築かれるのです。その新しい秩序で神は,「人の目からすべての涙をぬぐい去られ……もはや死はなく,悲しみも,叫びも,苦痛もない」状態がもたらされるでしょう。―黙示 21:4,新。

前述の牧師はまた,エホバの証人は「聖書全体の10%にも満たない黙示に関する聖句の,世の終わりという考えにしがみついている」として,こう述べました。「彼らの考えからすれば,神はハルマゲドンの日における残忍な復しゅう者ですが,これはイエスが地上に来て教えた事柄すべてを否定することにほかならないと思います」。

しかし,現在の邪悪な事物の体制の終わりに関し率先して教えたのは,ほかならぬイエスご自身でした。そのことはマタイ伝 24章,ルカ伝 21章,マルコ伝 13章にしるされています。また,黙示録 16章14-16節に指摘されている“ハルマゲドン”のことは,同じ黙示録 19章11-21節その他,聖書中の多くの個所で述べられています。そうです,聖書は,「世と世の慾とは過ぎゆく,されど神の御意をおこなふ者は永遠にとどまるなり」と明確に教えています。―ヨハネ第一 2:17。

そうした黙示に関する教えは,「聖書全体の10%」を占めるにすぎないので,重要でないと言えますか。イエスや聖書の記述者たちはそう考えませんでした。橋の最後の部分が10%ほど流失したと聞かされながら,車でその橋を渡ろうとする人がいるでしょうか。聖書は今が「終わりの日」であり,現在の邪悪な体制がまもなく終わろうとしていることを示しています。(テモテ後 3:1-5,新)今だれもが行ない得る最も重要な奉仕は,このことを人々に知らせることです。なぜなら,それは人々の永遠の福祉にかかわる事柄だからです。―エゼキエル 3:18-21。

宗教組織の会員を木にたとえたイエスは,言われました。「すべて善き樹は善き果をむすび,悪しき樹は悪しき果をむすぶ」。そしてこう警告しました。「すべて善き果を結ばぬ樹はきられて火に投げいれらる」。(マタイ 7:16-19)あなたの交わっておられる教会の会員を“木”にたとえて,吟味してください。それらの木は,神が求めておられる実を生み出していますか。

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