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目ざめよ! 1971
目71 1/22 3–6ページ

危険な誤信

本物として通るにせ金があるように,誤った考えで一般に通用しているものが相当あります。にせの1セント(3円60銭)銅貨のために,ひどいめに会うことはなくても,それがにせの20ドル紙幣(7,200円)ならたいへんです。同様に,比較的無害な誤信もあれば,確かに危険な誤信もあります。ですから,物事を明確かつ正しく考えるには,そうした誤った考えをすべて払い去ることが有益です。

赤い色を見せると,雄牛は怒るとか,うさぎを持ち上げるには,耳をつかむのがよいとか,貝がらを耳にあてると,波の音がするとかという話をきっと聞いたことがあるでしょう。そうした通俗的な考えは,厳密に調べた場合,真実でありうるでしょうか。

普通,雄牛が放し飼いにされている牧場を横切るのでもないかぎり,色彩に対する雄牛の反応など,たいして気にもとめないでしょうが,種々の実験によれば,牛は色彩感覚を持っていないとのことです。それが信じられないなら,別の色の布を振ってごらんなさい。雄牛は同じ反応しか示しません。雄牛が突進してくるのは,何かが動くのを見て,それに注意を向けさせられるからです。

ねこのしっぽをつかんで持ち上げるのは,ひどいことだと考える人は,耳をつかんで,うさぎを持ち上げる気にはなれないでしょう。うさぎの耳の神経はとても敏感なので,耳をつかんで持ち上げるのはむごいことだ,と動物学者は唱えます。

それにしても,貝がらを耳にあてると,海岸で波が砕ける,あの響きが聞こえるように思えませんか。貝がらは独特な構造をしているので,周囲のさまざまな物音の反響音がまじりあって,不明りょうな響きを生じさせ,それが,わけを知らない人の耳をあざむくのです。反響が少しもない静寂な場所で,貝がらを用いて実験してみるのは,興味深いことかもしれません。

昔の誤信の数々

昔,幾世代もの人びとが信じていた通俗的な考えの多くは,今や完全に退けられ,知識の進歩とともに,種々の誤信は,その偽りが暴露され,老人の語り草となってしまいました。たとえば,地球は平らであるとか,太陽は固定した地球のまわりを回っているとかという考えを支持する人が今日いますか。

また,何世紀にもわたり,人びとは,飲む者に永遠の命を与える薬を処方する秘法を捜し求めました。ヨーロッパやアメリカでは,病気をいやし,老人を若返らせる効能を持つ,“青春の泉”がどこかにあるとされ,探検家ポンス・デ・リオンは,そうした泉を求めて,フロリダ地方を探検したほどです。

あらゆる金属を金に変える力があるとされる,賢者の石を本気で捜し求めた人もいます。また,屋根や壁にさえ使われるほど金の豊富な所とされる,仮想の土地,エル・ドラマを見つけようと,南米北部に多数の探検隊が送られたこともあります。

また,生命が腐敗したものから自然に発生すると,一般に信じられていました。腐った肉や食べ物にはやがて,うじがわいたのですから,そう信ずるだけの根拠があったのではありませんか。はえがそこに卵を生みつけたということに,昔の人は気づかなかったのです。そうした根も葉もない考えと,太古の軟泥に生命が自然に発生したと説く進化論との間に大差がないのは,たいへん興味深いことです。

今日一般に見られる誤信

今日でも種々の誤信が一般に受け入れられていますが,なかにはほとんど無害なものもあります。たとえば,胃を主要な消化器官とする考え方があります。しかし実際には,食物の消化は,それが口の中でだ液といっしょになった時に始まるのです。今日では,食物が胃を通過してから,小腸が消化作用の大半を行なうということが知られています。

ほかには,感情的なひどい衝撃を受けると突然しらがになる,と,一般に考えられていますが,そうではありません。しらがは徐々に生じます。髪の毛ははえる前に,色素を内部にたくわえるので,突然しらがになることはありません。“突然しらがになる”という問題に関し,皮膚病学者はこう述べています。「濃い色素を持つ毛髪を一夜にして失い,しらがだけを残して,突然はげるのは,ある種の奇病にかかる患者だけである」。

危険な考え違い

しかし,なかには危険な,場合によっては致命的な危険をさえ招く誤った考え方があります。たとえば,広く受け入れられているものに,凍傷にかかったら,患部を雪でこすればよいという考え方があります。しかし,実際にそんなことをすれば,ひどくなるだけです。著名な北極探検家ステファンソンは,雪をつけて凍傷を直そうとするほど「ばかげたことはない」と断言し,なすべきことは,「防寒手袋を脱ぎ,凍傷にかかって堅くなった白い患部が平常にもどるまで,しばらくのあいだ」患部を暖かい手でしっかりおさえること,であると述べました。

同じ場所に2度落雷することは決してない,と信ずる人がいます。あなたはどうですか。そのような考え方をあてにしてはなりません。それも危険な考え違いで,致命的な事態を招く場合があります。写真を調べればわかるように,同じあらしのあいだでさえ,同じ場所に落雷することがしばしばあります。

また,浮き砂は人を吸い込む,と一般に考えられていますが,そうではありません。1953年6月号,「科学アメリカ誌」は述べました。「一般の考えに反して,浮き砂は物体を吸い込まない」。そうした一般の考えをいだいていると,命を失いかねません。

実際のところ,浮き砂には水よりはるかに大きな浮揚力があります。ですから,水の中で浮くことができる人なら,当然,浮き砂でもそうすることができます。浮き砂に落ち込んで,からだがだんだん深く吸い込まれそうになるのは,あわててもがくからです。

では,浮き砂に落ち込んだら,どうしますか。できるだけ冷静さを保ち,むだな動作は避けるべきです。水の中なら,浮かんで泳ぐでしょう。浮き砂の中では,直ちにあお向けになって,腕を広げることです。この姿勢を取れば沈みません。救助者がいない場合,かなり骨の折れることですが,一度に片足ずつゆっくりと引き抜き,次に,からだをころがしながら,堅い地面まで移動します。その間,何度もあお向けに“浮かんで”は,からだを休めます。

宗教上の幾つかの誤信

聖書の教えに関しては,数多くの誤信が何世紀にもわたって伝えられてきました。たとえば,聖書はこう述べています。「罪を犯せる魂は死ぬべし」。(エゼキエル 18:4,20)魂は不滅ではないことを,これ以上はっきり述べたことばがあるでしょうか。ところが,今日,たいていの人は,その正反対,つまり,思弁的な宗教の所産である,霊魂不滅という考えを好んでいます。人間は実際には死なないとするなら,いったい復活の必要がどこにありますか。しかし,聖書は明らかに復活について教えているのです。―ヨハネ 5:28,29。使行 24:15。

イエスの誕生の日付に関する問題は,広く受け入れられている別の誤信を浮き彫りにするものです。それは12月25日である,と教会で教わりませんでしたか。J・フレーザー卿は自著,「金枝編」の中でこう書いています。「われわれのクリスマスの祝いは,古代の太陽の祭りにキリスト教の名を冠して継承したものにほかならない。なぜなら,3世紀の終わり,もしくは4世紀の初めごろ,それまで12月25日に異教徒が太陽にささげていた崇拝を,教会の権威者たちは自分たちの主にささげさせるのに都合よくするため,キリスト降誕祭の日付をそれと同じ日に勝手に改めたからである」。

しかし,ともすれば,「イエスの誕生を祝うのでさえあれば,日付は問題ではない」という人がいますが,それにしても,そう主張する人は,数々の異教的特色を伴うそうした祝いを,イエスがご自分の追随者にご自身の誕生ではなく,その犠牲の死を記念するようにと命じられた事実にどのように調和させるかという問題をかかえています。―ルカ 22:19,20。

12月25日の祝いに関しては,ほかにも種々の誤信が生まれました。贈り物を携えてやって来た博士たち,つまり占星術者たちは全部で3人だった,と多くの人は考えています。あなたも同じ考えですか。聖書はその数をしるしていません。また,それら占星術者たちは星に導かれて,まっすぐベツレヘムのイエスのもとに行った,と一般に考えられています。が,実際には,星に導かれて,エルサレムに,しかも,その赤子を殺したいと考えていた,ヘロデ王のもとに行ったのです。また,彼らがようやくベツレヘムに着いたときには,一般に信じられていることに反して,イエスはもはやかいばおけの中ではなく,とある家で生活していました。ご自分の聖書を開いて,マタイ伝 2章1-12節の記述を読んでごらんなさい。

それは問題ですか

以上のことからすれば,誤謬を信ずるのは重大な問題ではありませんか。“凍傷”や“浮き砂”に関する誤信は相当の危害,場合によっては死をさえもたらしかねない,といわねばなりません。

しかし,聖書の述べることに反する,無責任で誤った宗教上の考えに固執すれば,さらに重大な危害を招きかねません。なぜですか。なぜなら,単に現在の命が脅やかされるにとどまらず,永遠の命が関係してくるからです。真理と永遠の命は密接に関連しているのです。―ヨハネ 17:3; 4:23,24。

聖書は,明らかに神の「意志は,あらゆる種類の人が救われ,真理の知識に至ることである」と述べています。(テモテ前 2:4,新)一方,イエス・キリストの使徒であったパウロは,誠実でありながらも,誤導されていた人びとについて,こう言いました。「彼ら(は)神に対する熱心をいだいている…が,それは正確な知識に従っていない」。(ロマ 10:2,新)あらゆる誤信を自分の思いから一掃するのは確かに安全な道であると言わねばなりません。

[4ページの図版]

凍傷の治療法として患部を雪でこするやりかたは,凍傷を悪化させるおそれがある

[5ページの図版]

浮き砂そのものは人を吸い込まないが,あわててもがくと,いっそう深くはまり込む危険がある

[6ページの図版]

12月25日の祝いに関連して,種々の誤信が生まれたことをご存じであろうか

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