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  • 私は無神論者だった
  • 目ざめよ! 1971
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目ざめよ! 1971
目71 7/8 3–8ページ

私は無神論者だった

私は1940年代の初めごろのある日のことを今もよくおぼえています。そのとき私はわずか5歳でした。スウェーデンの中央部にある私の町の子どもたちは,親とともに全員ある日曜学校の祝いに招かれました。子どもたちは宗教に関係のある余興を準備してプログラムに参加するようにと頼まれていました。私はアコーデオンがひけたので,自分の番がきたときに,ポピュラーなワルツをひきはじめました。聴衆の様子はなんとなく変でした。あとで私は,あのような音楽を演奏するのは罪だ,恥を知りなさい,と言われました。

私は小さな子どものとき,あれをするのは罪だ,これをするのは罪だ,とよく言われました。しかしなぜそれが罪なのか,その理由を教えてくれた者はいませんでした。そのため,私の心には神に対する愛よりも,盲目的な恐れが満ちはじめました。この恐れのために,宗教教育が正規の授業の大きな部分を占めていたにもかかわらず,私は宗教を避けるようになりました。小学校の時のいわゆる聖書の授業は,想像によるつくり話という感じで聞きました。イエスやその弟子たちが奇跡をした話を聞くのはおもしろいことでしたが,そういうことが実際にあったという確信は少しもありませんでした。

やがて14歳になって,堅信礼を受けるときがきました。国立教会の牧師と接したのはその時がはじめてでした。その牧師については,いらいらした神経質な人で,チェーンスモーカーだったということしか記憶にありません。堅信礼の準備は,神と聖書への信仰を確実にする機会というよりも,慣例の事柄といったほうが当たっていました。堅信礼の日,私は,聖ざんにあずかる者になったことよりも,新しいカメラを買ってもらい,新しいスーツを着せてもらったことのほうがずっとうれしくて興奮していました。

神への信仰は完全に消滅

高等学校在学中にも,神に対する私の信仰は強められませんでした。創造の記録も含めて聖書を全部は信じない,と公言する牧師が宗教の授業を担当しました。聖書は人間が書いたものであるから,ほかの本を読む場合と同じく批判的な態度をもって読むべきだ,とその牧師は教えました。私は生物の授業で教えられる進化論が,聖書の創造の記録に取って代わりうると考えました。近代史の勉強では,キリスト教国をもって自任する国々が互いに殺し合いをしたことを学びました。こうした事柄が影響して,私は無神論的な考えに傾いていきました。

信仰を打ちこわされる経験はあとをたちませんでした。高等学校卒業後,私は軍隊に召集されました。従軍牧師は戦争は必要な悪だと言いました。剣を取る者は剣によって滅びるとイエスが言われたから,兵士は神のしもべであり,だれかが滅ぼすほうの剣をふるわねばならない,と牧師は言いました。そして戦争は真の宗教を実現させる手段として神が起こされた,と力説しました。私は考えました。もしキリスト教がこの程度のものなら,私には必要ない,と。

こうして,日曜学校で失望した少年は,宗教はまやかしであり,現代科学は神の必要を取り除くとかたく信ずる若者へと成長していきました。私はほかの多くの人たちと同じような経験をし,彼らと同じような態度を示しました。天を指さして,「地上にこれほどの腐敗と悪があるのに,どうして天に全能の恵み深い神がいると言えるのか」と問いかけました。私にとってこの質問に対する答えはただひとつ,神はいない,ということでした。

結婚と人生観

この無神論的な見方は,当然生活の仕方にも表われました。私は自分と同じような考えをもつ女性と結婚しました。母の胎から墓場までの道は非常に短いのだから,「若くて元気なうちに,できるかぎり人生を楽しもう」というふうにわたしたちは考えました。

わたしたちは結婚というものを厳粛な規定とは見ず,道徳は個人的な問題であるはずだと考えました。ふたりはいっしょに楽しむこともできれば,いつでも好きなときにわかれることもできる。ほんとうに自由だ,とわたしたちは考えていました。わたしたちの人生観は全く物質主義的で,私の職業まで物質主義的な性格のものでした。私は,ストックホルムにあるコンピューター・センターのシステムアナリストで,大会社が将来の経済的発展を計画するのを助ける仕事をしていました。

予期せぬ訪問者

そして1963年のある春の日,だれかが玄関のベルを鳴らしました。私がドアをあけると,上品な身なりの青年が,私は奉仕者で,神への信仰を起こすために訪問しているエホバの証人です,とひかえめな態度で自己紹介をしました。私は最初考えました。「お気の毒な狂信者よ,おまえは全く見当ちがいのところへやってきた」と。しかし彼には,私にドアをしめさせない何ものかがありました。彼は狂信者には見えませんでした。ごく正常で,自然で,落ち着いていました。そこで私は,「よろしい,ひとつこの気の毒な若者に,考え違いをしていることだけでも知らせてやろう」と思いました。

私は彼を家の中へ入れました。妻は寝室で聞いていました。私は神と宗教にかんする憤りをぶちまけました。「科学的な研究も,論理的な推理も,神の存在が証明できないのに,どうして神が信じられるんですか」と私は尋ねました。私が接した宗教の信仰はほとんどが,絶望的な信仰か,偽善的な信仰か,あるいは良識に逆らう信仰だった。キリスト教は異教と同様,腐敗も戦争も暴力も阻止できなかったのだから,失敗したと言わざるをえないではないかと私は言いました。

この調子で私はしばらくまくしたてました。もうこのへんで,「この人は救いようがない」と見て取って,引きあげるだろうと思ったとき,彼は静かにうなずいただけでした。あなたのおっしゃることはよくわかります。最近は,あなたと同じような考えをもっている人が少なくありません,と彼は言いました。このことばで私のとげとげしい議論はいく分やわらげられました。そして,彼がこの種の議論にぶつかったのはこれが初めてではないということもわかりました。そこで私は,好奇心と懐疑心の入り混じった気持ちで彼に話をさせました。

キリスト教世界とキリスト教は同じではない

彼はこう言いました。問題を検討するまえに,わたしたちはまず真の崇拝と偽りの崇拝の区別を知らねばなりません。いわゆるキリスト教が偽りで,信頼できないものであっても,それは真の,信頼できるキリスト教がないという意味ではありません。「キリスト教世界とキリスト教とには大きな相違があるのです。キリスト教世界の言うことなすことによって,キリスト教を非難することはできません」。

キリスト教世界と真のキリスト教とのちがいについて,彼は次の点を指摘しました。「キリスト教世界が人々を抑圧したのは事実ですが,キリスト教はそういうことはしませんでした。戦争をしたのもキリスト教世界であって,キリスト教ではありません。道徳の低下を阻止しえなかったのもキリスト教世界であって,キリスト教ではありません。聖書はキリスト教世界を支持しません。反対に,キリスト教世界を有罪とすることを預言しています。

「キリスト教世界が主の祈りにいかに反した行ないをしているかをお考えになってみてください」と彼はことばをつづけました。「キリスト教世界は,『天にましますわれらの父よ』と祈りますが,四海兄弟の精神を実行しません。神の御名が清められますようにと祈りますが,神に御名のあることさえ認めようとしません。神の王国がきますようにと祈りますが,愛国精神が強く,自分たちの王国を支持してきました。神のご意志が天で行なわれるように地にも行なわれますように,と祈りますが,自分自身のこの世的な政策を推し進めてきました。日ごとのかてを与えてくださいと祈りますが,飢えている人々に,自分たちのありあまる『パン』を分け与えることにどれほど積極的だったでしょうか。負いめと罪を許してくださいと神に祈りますが,他との紛争ですぐに相手を許し,そのことを忘れてきたでしょうか」。

たしかに私は,この青年が,かつて私とこの問題を討論した他の宗教熱心な人たちと違い,事実に目を閉じたり物事をわい曲したりして,言いつくろうことをしないのを認めました。正直なところ,そういうことは自分が経験したことだったので,認めないわけにはいきませんでした。しかし私は,そう簡単に信者になるつもりはありませんでした。キリスト教国の失敗だけでは,神の存在の何の証明にもなりません。それで私は,「科学的な研究や論理的な推理が神の存在を証明できないのに,現代の人間がなぜ神を信じられるのですか」と質問しました。「そのことについては,また来週ごいっしょに考えたいと思います」と彼は言いました。

再訪問

その証人がつぎに尋ねてきたときには,私は前述の件をほとんど忘れていました。また討論がはじまりました。妻はやはり寝室から聞いていました。開口一番私は進化論を信じていることを宣言しました。そして,科学の全世界が自分のうしろだてになっている,と考えました。ところが,彼はこの点についてもかなりよく考えていたようでした。というのは,科学にかんするかぎり,ある区別をもうけることが重要だと言ったからです。

「一方においては,自然にかんする事実を発見し,観察し,記述する科学があります。そのような科学は,神を創造の偉大な創始者とする信仰となんら矛盾するところはありません。他方においては,事物の起源を仮説や学説によって判断し説明しようとする,いわゆる世にいう科学があります。そういう科学はしばしば神という創始者を否定します。真のクリスチャンは,事実を発見し,観察し,記述する精密科学は信じますが,仮説や学説をすぐに記述する事実と決め込むことはできません。まして,それにもとづいて人生観を築くようなことはしません」。

私は自分が進化論を単なる学説とは考えていなかったことを認めねばなりませんでした。それはもちろん学説でしかないのですが,それでもかなり確からしい学説だとは考えました。それでそのことを彼に話しました。

偶然かそれとも創造か

するとそのエホバの証人は,もし創造の背後に理知ある創始者のいることを否定するとすれば,わたしたちは創造における指導要素として偶然に依存しなければならないことを私に認めさせ,「偶然の確率はどのくらいだと思いますか」と質問しました。

「そうですね,この問題を解くためには,確率論とよばれるものがあります」と,自分の畑にもどったような気持ちになって私は答えました。

「そうですね。そういう計算の例をひとつ考えてみましょう」といって,彼はかばんの中から1冊の雑誌を取り出して読みました。「別の科学者は1個のタンパク質分子(生命体に必須の分子の一つ)が偶然にでき上がる確立を計算しました。『人間の運命』(英文)という本の中に説明されているように,そのためには10億に10の243乗〔1にゼロが243〕をかけたほどの年数がかかります。科学者の算定によると地球の年齢は数十億年とのことですから,これではとてもタンパク質が自然にできるほどの時間はなかったでしょう」。

この点が徹底するようにしばらく休止をしてから,彼はまた読みつづけました。「この計算をした科学者は言いました。『分子一つではなんの役にも立たない。同じような分子が何億も必要である。……もし生きた細胞1個の出現する確率が数学的に表わせるとしたら,さきにあげた数字は無視してもよいくらいになるだろう』」。

「もしこれが事実だとしたら,多くの科学者が進化論を信じているのはどういう訳だね」と私は尋ねました。

「彼らはそれを信じているとあなたは言われましたが,それは確かに正しいことばです。彼らは証明できないので信じているのです」と彼は答えました。

「しかし彼らの信仰のほうが,神に対する君の信仰よりも,確かな根拠に基づいているはずだ」と私は主張しました。

「世界で最もすぐれた科学者が,れんが工がれんがを扱うように分子を扱うことができ,また仕事の材料として,ほんの少量のたんぱく分子をもっていると想像してください。あなたはその科学者が,何億ものそうした分子からなる細胞を1個つくれると思われますか。それを生かし,成長させ,繁殖させ,その子孫に,それ自身の,そしてそれ自身だけの特質を残させることができますか。できないことはあなたもご存じです。

「しかし,無神論的な考えによりますと,最もすぐれた人間の理知をもってしてもなし得られないことが,偶然に生じたのです。そういう信仰にどれだけの根拠があるでしょうか。それを信じる人はひとつの方向にものを信じたい,そして他の方向には信じたくないという極度に強い願望をもっているにちがいないとの結論しか得られません」。

その夜,若い証人が帰って行ったあと,私は次の討論ではどんな立場をとるべきかわからなくなりました。ともかく彼は,1963年4月22日号の「目ざめよ!」誌(日本語版は1963年10月8日号)を置いていきました。彼はそれから引用したのです。私はまちがいを見つけるつもりでそれを読むことにしました。しかし読んでいくうちに,その論理的な推理の仕方にいっそう深い感銘をおぼえました。その資料を読んで私はほんとうに考えなおさねばなりませんでした。

人間はすばらしく造られている

わたしたちの討論は毎週つづきました。人間がいかにすばらしく造られているかについて話し合ったときのことはいまだに忘れられません。いく十億もの細胞からなるわれわれ人間のからだが,各部分調和して働くように,きわめてくすしく造られていることを考えると,たしかに身のひきしまる思いがしました。また,愛し,喜び,考え,発見し,記憶し,再現する能力,また話ことばや文章,微笑,涙,歌,音楽,即座の行動や注意深く計画された行動などによって考えや感情の秘奥を表現する能力を考えてもそうです。

この討論によって,私は,たんぱく分子と人間との隔たりはいうにおよばず,知覚のない生命と知覚をもつ生命との間の大きな隔たりに気づかされました。そしてこの討論はついに,こうした事柄すべてに対して賛美と感謝を帰せるかたとして,単に自分たちの周囲に見られるものよりもさらに次元の高いだれかを持ちたいという欲望を私の中に生み出しました。

生活の変化

しばらくのち,私は証人と聖書の勉強をすることに同意しました。これによって,神の存在を証拠づける新しい分野が開けました。聖書の歴史的な正確さ,その調和,高潔な文体,預言の成就,人間と地球に対する神の目的 ― これらはみな,時がたつうちに私に深い感銘を与えました。

寝室でよく立ち聞きしていた妻も,やがて勉強に参加するようになりました。それから二,三か月後,わたしたちはエホバの証人の王国会館の集会に出席しはじめました。やがて彼らの大会に出席するときも訪れました。この大会で,わたしたちは大ぜいのクリスチャンに会いました。それは種々の国籍,あらゆる年齢,あらゆる職業や社会的背景の人々からなる大家族であり,紛争や敵対心などは見られませんでした。共通の信仰と活動が彼らを一致させ,わたしたちの夢想だにしなかった友愛を生み出していたのです。

わたしたちは人生に新しい意味を見つけるようになり,その価値はしだいに重要なものになっていきました。すばらしい将来が開けました。新しく見つけた信仰によって,わたしたちは自分にではなく,神に頼るようになりました。この信頼はわたしたちの生活を正すものとなり,それは真の祝福となりました。その結果,わたしたちは精神的に,ひいては肉体的にも清くなるよう助けられました。結婚はわたしたちにとってより安定した,より重要なものとなりました。また互いに対して十分の信頼をいだけるようになり,ひとりの小さなむすこを育てるよりよい準備ができたように感じました。考えかたを改め,エホバ神に献身したいま,わたしたちは実在者としての神に親近感をおぼえています。

これは,絶望的な信仰や,偽善的な信仰,または良識に逆らう信仰にもとづく,何かを実在するとみなす感傷的な知覚ではありません。神に対する平衡のとれた,純粋で,十分な根拠をもつ信仰にもとづく現実です。だからこそ私は今,自分は無神論者だった,しかし二度と無神論者になることはない,と言えるのです。―寄稿。

[5ページの囲み記事]

キリスト教世界は

□ 人々を抑圧し,戦争をした。

□ 自らの道徳の低下を阻止しえなかった。

□ 四海兄弟の精神を実行しなかった。

□ 神の王国と神のご意志が地に行なわれることを祈り求めながら,自らはこの世的な政策を支持してきた。

☞ このことはキリスト教の失敗を証明するだろうか。そうではない。キリスト教世界とキリスト教は同じではない。

[6ページの図版]

1個のたんぱく分子が偶然に生ずる確率はどのくらいだろうか。ある科学者の概算によると,それが生ずるには,10億に10の243乗(1にゼロが243つく)をかけた年数がかかる。地球の歴史はそれほど長くない

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