「心臓」か「こころ」か?
● 文字どおりの心臓は動機の宿る所であるという事実に調和するものとして,「ものみの塔」の出版物にかぎらず,有名な著述家も,つかみどころのない“こころ”の代わりに,“心臓”という語を用いて表現上の効果を収めている。その一例は,福田恆存氏の訳(1960年)になるシェークスピアの「アントニーとクレオパトラ」の冒頭に出てくる,ファイロのせりふである。「その勇める心臓の高鳴りが胸に食入る鎧の締金をみごと弾きとばしたことがある。今は同じ心臓が自制の箍を脱ぎすてて,鞴,団扇も同然,熱っぽいジプシー女の欲情をさます道具になりさがってしまったのだ」。アントニーのたどった情欲の道は,確かに彼の文字どおりの心臓に発していた。