ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目74 7/22 29–31ページ
  • 「使徒たちの活動」の内容(つづき)

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 「使徒たちの活動」の内容(つづき)
  • 目ざめよ! 1974
  • 副見出し
  • なぜ有益か
目ざめよ! 1974
目74 7/22 29–31ページ

『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

「使徒たちの活動」の内容(つづき)

24,25 (イ)パウロが三度めの旅に出たころ,エフェソスではどのようなことが起きますか。(ロ)パウロの三年にわたるエフェソス滞在の終わりにどのような騒動が起きますか。

24 パウロは諸会衆をもう一度訪問,三度めの旅(使徒 18:23–20:38)アポロというユダヤ人がエジプトのアレクサンドリアからエフェソスを訪れ,会堂でイエスに関して大胆に話しますが,アクラとプリスキラは,彼がコリントに進んで行く前にその教えに関して正すべき点があることを認めます。パウロのほうは今や三度めの旅に立ち,やがてエフェソスに到着します。その土地の信者がヨハネのバプテスマを受けていることを知ったパウロは,イエスの名によるバプテスマについて説明します。そののち12人ほどの人にバプテスマを施してその上に手を置くと,彼らは聖霊を受けます。

25 パウロがエフェソスに三年滞在している間に,『エホバのことばは力強く伸張して行き渡ってゆき』,多くの人が市の守護神である女神アルテミス(ダイアナ)の崇拝から離れます。(19:20)銀のやしろの製造人たちは商売上の損失になると見て怒り立ち,市を非常な騒動に投げ込みます。その暴徒を散らすのに幾時間もかかります。そのしばらくのち,パウロはマケドニアとギリシャに向けてそこを立ち,途中の信者たちを訪問してゆきます。

26 (イ)パウロはトロアスでどんな奇跡をしますか。(ロ)パウロはエフェソスの監督たちにどんな助言を与えますか。

26 パウロはギリシャに三か月滞在したのち,マケドニア経由で帰途に就きます。マケドニアではルカが再びパウロに加わります。一行はトロアスに渡ります。そこでパウロが講話をして夜中にまで及ぶと,ひとりの若者が眠りこけて三階の窓から転げ落ちます。抱き起こしてみると死んでいましたが,パウロはこれを生き返らせます。次の日,パウロとその一行はミレトスに向かい,パウロはエルサレムへの途上そこに立ち寄って,エフェソスの年長者や監督たちと会合を開きます。彼は,自分の顔をもう見ないであろうとそれらの人々に話します。したがって,それら監督たちが物事を率先し,神の羊の群れをしっかり牧するのは非常に大切なことではありませんか。『聖霊が彼らをその群れの中に監督として任命した』のです。パウロは自分が彼らの中に残した手本を思い出させ,兄弟たちのために惜しまず身を用い,終始目ざめているようにと訓戒します。―20:28。

27 パウロがエルサレムに帰るとどのような応待が待ちかまえていますか。

27 パウロは捕縛されて裁判を受ける(21:1–26:32)エルサレムに足を踏み入れないようにと警告されますが,パウロはしりごみません。彼の仲間たちは,「エホバのご意志がなされるように」と言って黙諾します。(21:14)諸国民の中での宣教に対するエホバの祝福についてパウロがヤコブや他の年長者たちに報告すると,大きな喜びがわき起こります。しかし,パウロが神殿に現われると,異なった応待が待ちかまえています。アジアから来たユダヤ人が全市をかき立てて彼に敵対させ,きわどいところでローマ兵が彼を救出します。

28 (イ)パウロはサンヘドリンでどんな問題を提出しますか。それはどのような結果になりますか。(ロ)ついで彼はどこに送られますか。

28 いったいなぜそうした騒ぎが起きたのですか。このパウロとはどういう人物ですか。彼がどんな犯罪を犯したのですか。疑問に思った軍指令官はこうした点を知ろうとします。ローマ市民権を得ていたパウロはむち打ちの拷問を免れ,サンヘドリンの前に連れ出されます。そこは,パリサイ人とサドカイ人の両派に分裂しているではありませんか。そこでパウロは復活の問題を提出し,両者を対立させます。その争いが激しくなったため,ローマ兵たちは,パウロが引き裂かれてしまう前に彼をサンヘドリンの中からつかみ出さねばなりません。パウロは厳重な護衛兵をつけられ,夜の間にカエサレアの知事フェリクスのもとにひそかに送られます。

29 扇動の罪を着せられたパウロは一連のどんな裁判や聴聞を受けますか。彼はだれに上訴しますか。

29 告訴者たちによって扇動の罪を着せられたパウロは,フェリクスの前でりっぱな弁明をします。しかし,パウロの釈放と引き換えにわいろを得る望みをいだいたフェリクスは,彼をそのままにしておきます。二年が経過します。ポルキオ・フェストがフェリクスに継いで知事となり,新たな裁判を命じます。再び重い罪が着せられますが,パウロは再度自分の潔白を明確に述べます。しかし,ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは,エルサレムに行ってもう一度自分の前で裁判を受けることはどうかと提案します。そこでパウロは,「わたしはカエサルに上訴します!」と宣言します。(25:11)さらに時が経過します。やがて,王ヘロデ・アグリッパ二世がフェストに儀礼訪問をし,パウロは再び裁きの広間に引き出されます。彼の証言があまりに強力で説得力のあるものであったため,それに動かされたアグリッパは,「あなたはわずかの間に,わたしを説得してクリスチャンにならせようとしている」と言います。(26:28)アグリッパもパウロの潔白を認め,カエサルに上訴していなかったら釈放されたであろうと言います。

30 マルタまでのパウロの航海にはどんな経験が伴いますか。

30 パウロはローマへ行く(27:1–28:31)囚人となったパウロは,ローマへの旅路の最初の行程として船に乗せられます。風が逆向きであるため,船の進行ははかどりません。ミラの港で一行は船を変えます。クレタの“良い港”に着いた時,パウロはそこで冬を過ごすことを勧めますが,大多数の者は出帆を促します。船がやっと海に乗り出したと思うころ,大暴風が一行をとらえ,容赦なく船を押し流します。二週間後,一行の船はついにマルタ沖の浅瀬に乗り上げて砕けます。パウロがあらかじめ保証したとおり,276人の乗船者はひとりも命を失いません。マルタの住民は人間味のある親切をひとかたならず示し,パウロのほうは,その冬の間に,神の霊の奇跡の力によって住民の多くの者をいやします。

31 ローマに着いたパウロはどのように迎えられますか。彼はそこでどんな活動に忙しく携わりますか。

31 翌春,パウロはローマに着き,兄弟たちは道の途中まで彼を出迎えます。パウロは彼らを見て「神に感謝し,また勇気づけられ」ます。依然囚人の身ですが,パウロは,一人の衛兵のもとに,自分の借りた家に住むことを許されます。ルカは,パウロが自分のところに来る人をみな親切に迎え,「妨げられることなく,全くはばかりのないことばで人びとに神の王国を宣べ伝え,また主イエス・キリストに関することを教え(た)」,というところでその記述を終わっています。―28:15,31。

なぜ有益か

32 ペンテコステの前およびその祭りのさいペテロはヘブライ語聖書の典拠性についてどのように証言しましたか。

32 「使徒たちの活動」は,福音書の証言にさらに加え,ヘブライ語聖書の典拠性,およびそれが霊感の働きによるものであることを確証しています。ペンテコステが近づいた時,ペテロは,「聖霊がダビデの口によりユダについてあらかじめ語った」二つの預言の成就を引き合いに出しました。(使徒 1:16,20。詩 69:25; 109:8)ペテロはまた,驚き入るペンテコステのさいの群衆に対して,彼らが目撃しているものは預言の成就であることを語りました。「これは預言者ヨエルを通して言われた事がらです」― 使徒 2:16-21。ヨエル 2:28-32。また使徒 2:25-28,34,35を,詩 16:8-11,および110:1と比較。

33 ペテロ,フィリポ,ヤコブ,パウロのすべては,ヘブライ語聖書が霊感によるものであることをどのように示しましたか。

33 神殿の外にいた別の群衆を納得させるために,ペテロは再びヘブライ語聖書に頼り,まずモーセのことばを引用し,ついでこう語りました。「実に,サムエル以来のすべての預言者,およびそれに続いた人びと,およそ語った者はみな,やはりこの時代のことをはっきり宣べました」。後に,サンヘドリンの前で,ペテロは詩篇 118篇22節を引用し,彼らの退けた石であるキリストが「角の頭」となったことを示しました。(使徒 3:22-24; 4:11)フィリポはイザヤ 53章7,8節の預言がどのように成就したかをエチオピアの宦官に説明しました。それによって啓発されたこの人は,謙遜な態度でバプテスマを求めました。(使徒 8:28-35)同様に,コルネリオに対しイエスについて話したペテロは,「彼についてはすべての預言者が証しをしてい(る)」と証言しました。(使徒 10:43)割礼の問題が討議された時,ヤコブは,「預言者たちのことばはこのことと一致しています。こう書いてあります」と述べて,自分の判断の裏付けを預言に求めました。(使徒 15:15-18)使徒パウロも物事の権威を同じものに求めています。(使徒 26:22; 28:23,25-27)こうして明らかなように,弟子やその話を聞く人々は,ヘブライ語聖書を神のことばとして心から受け入れており,そのことは,それらの書が神の霊感による是認を受けたものであることを証ししています。

34 クリスチャン会衆に関して「使徒たちの活動」は何を明らかにしていますか。今日この点で異なるところがありますか。

34 「使徒たちの活動」は,クリスチャン会衆がどのように設立され,それが聖霊の力によってどのように成長したかを示している点できわめて有益です。この劇的な記述全体を通して,わたしたちは,神の祝福による拡大,初期クリスチャンたちの喜びと大胆さ,迫害に遭っても妥協しないその確固たる態度,外国での奉仕に入ってマケドニアへ行くようにとの召しに答え応じたパウロに示されるような,すすんで物事を行なう態度を見ることができます。(使徒 4:13,31; 15:3; 5:28,29; 8:4; 13:2-4; 16:9,10)今日のクリスチャン会衆もこれと異なりません。それは,聖霊の導きのもとに「神の壮大な事がら」について語りつつ,愛と一致と共通の関心とによって結び合わされているからです。―2:11,17,45; 4:34,35; 11:27-30; 12:25。

35 証しの業がどのようになされるべきかを「使徒たちの活動」はどのように示していますか。宣教におけるどんな資質が強調されていますか。

35 「使徒たちの活動」は,神の王国をふれ告げるクリスチャンの活動がどのように遂行されるべきかを示しています。パウロ自身はその手本でした。彼はこう述べています。「わたしは,なんでも益になることをあなたがたに話し,また公にも家から家にもあなたがたを教えることを差し控えたりはしませんでした」。そして彼はさらに,「(わたしは)徹底的に証しをした」と述べます。『徹底的に証しをする』ということは,この本全体のテーマとしてわたしたちの注意を引きますが,特に結びの数節で,それが印象的なかたちで前面に出されています。そこでは,パウロが,獄に捕われた身にありながら,宣べ伝えて教える務めに全く専念していたさまが次のように証しされています。「彼は,神の王国について徹底的な証しをしたり,モーセの律法と預言者たちの両面からイエスについて彼らを説得したりして,朝から晩まで事実を説明した」。わたくしたちも,王国の活動において同じようにひたむきな心を常にいだけますように。―20:20,21; 28:23; 2:40; 5:42; 26:22。

36 パウロの述べたどんな実際的な助言が今日の監督たちにも強力に当てはまりますか。

36 エフェソスの監督たちに対するパウロの講話は,今日の監督たちに対する実際的な助言を多く含んでいます。監督たちは聖霊によって任命されているのですから,彼らが『自分自身と群れのすべてに注意を払い』,群れを優しく牧し,群れの破壊をねらう圧制的なおおかみからそれを保護することは非常に大切です。これは決して軽く見るべき責任ではありません。監督たちは終始目ざめ,神の過分のご親切を示すみことばに基づいて自らを築き上げてゆくことが必要です。弱い人たちを助けるために労しつつ,彼らは,「主イエスご自身の言われた,『受けるより与えるほうが幸福である』とのことばを覚えておかなければ」なりません。―20:17-35。

37 マルスの丘に立ったパウロは,どのような巧みな弁論によって論点を明瞭にしましたか。

37 パウロの他の講話も,聖書の原則を明快に説明するものとして輝いています。一例として,マルスの丘でストア派とエピクロス派の人々に対して行なったあの優れた弁論があります。彼はまず,ある祭壇に書き込まれていた,「知られていない神に」という銘文を引用し,それを自分の推論に利用して,一人の人からあらゆる国民を作った,天地の主である唯一の神が『わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではない』ことを説明します。ついで彼は,「そはわれらはまたその子孫なり」というギリシャの詩人のことばを引用し,自分たちが金・銀・石など無生の偶像から生まれ出たかのように考えることの愚かさを示します。こうしてパウロは,生ける神が主権を持たれることを巧みに論証します。その結びのことばにおいて初めて復活の問題を提出しますが,その場合でもキリストの名には触れません。パウロは唯一まことの神の持たれる主権の至上性を明瞭にし,結果としてある人々は信者となります。―17:22-34。

38 「使徒たちの活動」の中で鼓舞されているような勤勉な研究をする人にはどんな祝福がもたらされますか。

38 「使徒たちの活動」は,「聖書全体」を絶えず勤勉に研究することを励ましています。パウロが初めてベレアで伝道した時,そこのユダヤ人たちは,「きわめて意欲的な態度でみことばを受け入れ,それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べた」ゆえに,「おうようであった」としてほめられています。(使徒 17:11)当時と同じく今日でも,エホバの霊の満ちた会衆に連なって聖書を同じように意欲的に調べる人は,確信と強固な信仰という祝福を刈り取ります。そうした研究を通して,人は神の原則の意味を明確に理解できるようになります。そうした原則の幾つかをはっきり述べたものとして,使徒 15章29節の記録があります。その中で,使徒やエルサレムの年長の兄弟から成る統治体は,割礼は霊的なイスラエルに対する要求ではないが,偶像・血・淫行は明確に禁ずべきものであることを明らかにしました。

39 (イ)弟子たちはどのように強められて迫害に立ち向かうことができましたか。(ロ)彼らはどのように大胆な証言をしましたか。それは効果的でしたか。

39 それら初期の弟子たちは霊感による聖書を深く研究し,その聖書のことばを必要に応じて引用したり当てはめたりすることができました。彼らは正確な知識と神の霊とによって強められ,激しい迫害に立ち向かうことができました。反対する支配者に対して,「神よりもあなたがたに聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなたがた自身で判断してください。しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事がらについて話すのをやめるわけにはいきません」と大胆に語ったペテロとヨハネは,忠実なクリスチャンすべての従うべき模範を示しました。そして,イエスの名によってもう教えてはならないと『きっぱり命じた』サンヘドリンの前に再び引き出された時,彼らは,「自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」とはっきり答えました。こうした恐れるところのない証言の結果,支配者たちに対するりっぱな証しがなされ,著名な律法教師ガマリエルが,崇拝の自由を擁護するあの広く知られた発言をするに至りました。その結果として使徒たちは釈放されたのです。―4:19,20; 5:28,29,34,35,38,39。

40 王国に対する徹底的な証しをする点で「使徒たちの活動」はわたしたちにどのような励みを与えますか。

40 王国に関するエホバの栄光ある目的は,一本の金糸のごとくに聖書全巻を貫いていますが,それは,「使徒たちの活動」の中で特にきわだっています。その冒頭では,昇天に先だつ四十日の間イエスが「神の王国に関する事がらを話され」たことが示されています。また,イエスは弟子たちに,地の果てにまで彼らがまずイエスの証人となるべきことを話されましたが,それは,王国の復興に関する弟子たちの質問に対する答えとして語られたものでした。(1:3,6,8)弟子たちはエルサレムから始め,ひるむことのない大胆さで王国を宣べ伝えました。迫害のためにステファノの石打ちが起きましたが,それは,弟子たちの多くを新しい区域に散らしました。(7:59,60)フィリポが「神の王国の良いたより」をサマリアで宣明して大きな成果を見たこと,また,パウロとその仲間たちがアジア,コリント,エフェソス,ローマで「王国」をふれ告げたことが記録されています。これら初期のクリスチャンはみな,エホバと,ご自分のしもべを支えるエホバの霊とに常により頼み,この点で優れた手本を残しました。(8:5,12; 14:5-7,21,22; 18:1,4; 19:1,8; 20:25; 28:30,31)彼らの不屈の熱意と勇気を見,その努力をエホバがいかに豊かに祝福されたかを見るわたしたちは,「神の王国について徹底的な証し」をする点で自分も同じように忠実でありたいというすばらしい励みを得ます。―28:23。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする