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  • 聖書の第65番めの本 ― ユダの手紙
  • 目ざめよ! 1975
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  • ユダの手紙の内容
  • なぜ有益か
目ざめよ! 1975
目75 7/8 29–31ページ

『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

聖書の第65番めの本 ― ユダの手紙

筆者: ユダ(イエスの兄弟)

書かれた場所: パレスチナ(?)

書き終えられた時期: 西暦65年ごろ

含まれている時代: 確定できない

1 ユダが兄弟たちのために力強い手紙を書く必要を認めたのは会衆内にどんな状態が存在していたためですか。

ユダのクリスチャン兄弟たちは危険に直面していました。キリスト・イエスの死と復活以来の期間に,種々の異質の要素がクリスチャン会衆内に入り込んでいました。敵対者が,信仰を破壊する目的で忍び込んで来ていたのです。それは使徒パウロが14年ほど前に警告したとおりでした。(テサロニケ第二 2:3)兄弟たちにこの点をどのように気付かせ,危険をどのように警告したらよいでしょうか。ユダの手紙は,その力強くたくましい,しかも率直な文章の中でその答えを提出しています。ユダ自身,その状況を3,4節の中で次のようにはっきり述べています。『あなたがたに書き送る必要のあることを知りました。ある人びとが忍び込み,その不敬虔な者たちが,わたしたちの神の過分のご親切を不品行の口実に変えているからです』。健全な教理と道徳律の土台そのものが脅威にさらされていました。ユダは兄弟たちのために戦う必要を感じました。それによって,今度はその兄弟たちが信仰のために厳しい戦いをするためです。

2 (イ)ユダはどんな人でしたか。(ロ)彼はイエスとのどんな関係を最も重んじていますか。

2 しかし,このユダとはだれのことでしょうか。冒頭のことばは,この手紙が,「イエス・キリストの奴隷,しかしヤコブの兄弟であるユダ」により,「召された者たち」にあてて書かれたものであることを告げています。ユダという名には「ほめられた」という意味がありますが,ユダは使徒のひとりだったでしょうか。イエスの初めの12使徒の中には,ユダという名を持つ人が二人いました。(ルカ 6:16)ユダは自分のことを使徒とは述べていません。むしろ,使徒たちのことを,「彼ら」という三人称で語り,明らかに自分をその中に含めていません。(ユダ 17,18)さらに,自分を「ヤコブの兄弟」と呼んでいます。これは明らかに「ヤコブの手紙」の筆者と同じヤコブです。それはイエスの兄弟でした。エルサレムにあった会衆の「柱」の一人として,このヤコブは広く知られており,そのゆえにユダは自分をこのヤコブと結び付けて述べています。つまり,このユダもイエスの兄弟であったという意味です。この名はイエスの兄弟の中に挙げられています。(ガラテア 1:19; 2:9。マタイ 13:55。マルコ 6:3)しかし,ユダは,イエスとの肉的な関係を利用しようとはしませんでした。むしろ,謙遜な態度で自分を「イエス・キリストの奴隷」と述べて,イエスとの霊的な関係に重点を置きました。―ユダ 1。コリント第一 7:22。コリント第二 5:16。マタイ 20:27。

3 この書の典拠性を何が証明していますか。

3 この書の典拠性は,この書が二世紀のムラトリ正典目録の中に取り上げられていることによって裏付けられています。また,アレクサンドリアのクレメンス(西暦150-220年ごろ)もこの書から引用し,この書を預言的な知能の所産と呼んでいます。オリゲネスは,この書を,『ほんの数節ながら,天の恩ちょうを伝える強力なことばに満ちた』作品と呼んでいます。a テルツリアヌスもこれを典拠の正しいものと認めています。これが,霊感による聖書の他の部分と同列に扱われるべきものであることは疑いありません。

4 これはどんな種類の手紙ですか。これはおそらくどこで書かれましたか。これが書かれた時についてどんなことが考えられますか。

4 ユダは「召された者たち」にあてて書いていますが,特定の会衆や個人のことは述べていません。したがって,彼の書簡は一般的な手紙であり,すべてのクリスチャンの間に広く回覧される性質のものでした。述べられてはいませんが,これが書かれた場所はおそらくパレスチナであったでしょう。また,書かれた年代をはっきり定めることも簡単ではありません。しかし,それはクリスチャン会衆がすでにかなり発展していた時代であるに違いありません。ユダは「わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちがさきに語ったことば」に注意を促し,明らかにペテロ第二 3章3節のことばを引用しているからです。(ユダ 17,18)さらに,ユダの手紙と,ペテロ第二の手紙第二章との間にははっきりした類似点があります。これは,ユダがペテロと同じ時期に書いたこと,これら両人が当時会衆に臨んでいた危険に深い配慮を払っていたことを示しています。こうした理由で,だいたいの年代として西暦65年ごろが挙げられます。ユダはケスチウス・ガルスが西暦66年のユダヤ人反乱鎮圧のために進んで来ているとは述べていません。また,西暦70年のエルサレム陥落についてもふれていません。こうした点も上記の年代を支持しています。ユダはその書簡の中で,罪人に対して執行される神からの明確な裁きについて述べています。その時すでにエルサレムが陥落していたなら,そうした形での裁きの執行に当然言及して自分の論議を強化していたはずです。特に,その出来事はイエスによって予告されていたからです。―ユダ 5-7。ルカ 19:41-44。

ユダの手紙の内容

5 (イ)ヨハネが,召された者たちに,「信仰のために厳しい戦いをする」よう書き送る必要を感じたのはなぜですか。(ロ)ユダは警告のためにどんな例を挙げていますか。

5 淫行,および主たる者の地位を無視することに対する警告(1-16節)「召された者たち」に愛のこもったあいさつを伝えた後,ユダは,「わたしたちがともにあずかる救いについて」書こうとしていたこと,しかし,「信仰のために厳しい戦いをする」ことについて書き送る必要に気付いたことを述べます。これはなぜでしたか。不敬虔な人々が忍び込んで,神の過分のご親切を不品行の口実に変えているからです。これらの者たちは「わたしたちの唯一の所有者また主であるイエス・キリストに不実な者となっている」とユダは述べます。(1,3,4節)そして,エホバがエジプトから民を救い出した後,「信仰を示さない者たちを滅ぼされた」ことを思い出させます。また,自分たちのあるべき居どころを捨てた使いたちを,エホバは「大いなる日の裁きのために」留め置いておられるのです。同様に,ソドムとゴモラおよびその近隣の諸都市に下された永遠の処罰は,『はなはだしい淫行を犯し,不自然な用のために肉を追い求める』人々に対する警告の例となっています。―5-7節。

6 不敬虔な人々はどんなことにふけっていますか。ユダはそうした人々の行為の誤りと結末をどのような例で説明していますか。

6 同様に,不敬虔な者たちは「肉を汚し,主たる者の地位を無視し,栄光ある者たちをあしざまに」言います。み使いの頭ミカエルでさえ,モーセの体について論じ合った時,悪魔に対してあしざまな言い方をしませんでした。彼はただ,「エホバがあなたを叱責されるように」と言いました。それなのに,これらの者たちはあしざまな言い方をし,理性のない動物のごとくに自らを堕落させてゆきます。彼らはカインやバラムの道に,また反逆のコラの道にはいりました。彼らは,水の下の隠れた岩,水のない雲,二度死んで根こぎにされる実のない木,自らの恥をあわだてる荒波,進路の定まらない星などに似ています。こうした者たちのためには「やみの暗黒が永久に留め置かれて」います。―8,9,13節。

7 (イ)不敬虔な人々の前途にはどんな裁きが待っていますか。使徒たちはそうした人々についてどのように警告していましたか。(ロ)『愛される者たち』は,永遠の命の希望をいだきつつ,自分自身と他の人々のために何を行なうべきですか。

7 神の愛のうちにとどまることに対する助言(17-25節)エノクは,エホバがこれら不敬虔な者たちに裁きを執行されることを預言しました。これらはつぶやく者,不平を言う者であり,利己的な態度で人物を賞賛する人々です。主イエス・キリストの使徒たちは,「終わりの時期には,あざける者たちが現われ,不敬虔な事がらに対する自分の欲望のままに進むであろう」と常々警告していました。これら問題を引き起こす人々は「動物的な人間であり,霊性を備えていません」。それゆえ,「愛する者よ」,信仰のうちに自分を築き上げ,自らを神の愛のうちに保ち,同時に,「永遠の命を目ざしつつ」キリストのあわれみを待ちなさい。そして,自分自身としては,動揺している者たちにあわれみと助けを差し伸べなさい。ユダは,つまずかないように守ってくださるかた,「救い主なる唯一の神」に,主イエス・キリストを通して栄光をささげて,この手紙を結びます。―18-21,25節。

なぜ有益か

8 ユダは,兄弟たちを訓戒するにあたり,霊感による聖書と「自然の本」をどのように用いましたか。

8 霊感による聖書が『愛する者たち』を説き勧め,励まし,教え,訓戒し,また必要な警告を与えるのに有益なものであることを,ユダ自身が見いだしました。不敬虔な侵入者たちのはなはだしい罪を暴き出すにあたり,ユダはヘブライ語聖書からの数々の意味深い例えを用いています。誤った道に逆戻りしたイスラエル人,罪を犯したみ使いたち,ソドムとゴモラの住民に関することなどがその例であり,これと同様の悪徳をならわしにする者がみな同様の処罰を受けることを示しています。彼は堕落した人間を理性のない動物になぞらえ,そうした人々がカインの道を進み,バラムの誤りに陥り,その反逆的な言動のゆえにコラのごとくに滅んでゆく,と述べました。ユダは,いわゆる「自然の本」からも生き生きした描写の題材を得ています。率直なことばで書かれたユダの手紙も,「終わりの時」に取るべき正しい行動について知るため,残りの部分とともに学ぶべき「聖書」の一部となっています。―ユダ 17,18,5-7,11-13。民数 14:35-37。創世 6:4; 18:20,21; 19:4,5,24,25; 4:4,5,8。民数 22:2-7,21; 31:8; 16:1-7,31-35。

9 ユダの与えた警告はなぜ今日でも必要なものですか。クリスチャンは自らを築き上げる努力をどのように続けてゆかねばなりませんか。

9 外部から臨んだ反対や試練もキリスト教の成長と拡大をくい止めることはできませんでしたが,今や兄弟たちは内部からの腐敗のために危険にさらされていました。水の下に隠れた岩が会衆全体を破船させかねない形勢でした。この危険がさらに拡大しうることを悟ったユダは,「信仰のために厳しい戦い」をすべきことを強調しました。ユダの手紙は当時と同じく今日でもきわめて適切なものです。そこに述べられる警告は今日でも必要です。今日でも信仰をしっかりと守り,そのために戦わねばなりません。不道徳は根こぎにし,疑う者たちはあわれみをもって助け,可能であれば「火の中からつかみ出」さなければなりません。道徳的忠誠と霊的な力,また真の崇拝のために,クリスチャンは今日でも,自らをきわめて聖なる信仰のうちに築き上げ,正しい原則に従って歩み,祈りによって神に近づく努力を続けなければなりません。また,クリスチャン会衆内でのエホバの物事の取り決めに従い,「主たる者の地位」に対してふさわしい配慮を払うことも必要です。―ユダ 3,23,8。

10 (イ)会衆は動物的な人々をどのように扱わなければなりませんか。それはどのような結果になりますか。(ロ)王国の相続者にはどんな祝福が待ち受けていますか。その人々はユダに加わって何を行ないますか。

10 『動物的で,霊性を備えていない』人々は決して神の王国に入れません。そうした人々は,永遠の命の道を行く他の人々の妨げとなるにすぎません。(ユダ 19。ガラテア 5:19-21)会衆はこうした人々に対して警戒し,それを除き去らなければなりません。それによって,「あわれみと平和と愛」が愛される者たちに対して増し加えられ,その者たちは,『永遠の命を目ざし,わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ちつつ』,自らを神の愛のうちに保つことになるでしょう。救い主なる神は王国の相続者たちを「きずのない者としてその栄光のみまえに大いなる喜びをもって立たせ(て)」くださるのです。まさにその者たちはユダに加わり,「栄光,威光,偉力,そして権威」をイエス・キリストを通してこのかたに帰するでしょう。―ユダ 2,21,24,25。

「あなたがたは一度すべてのことを知りましたが,それでもわたしは,あなたがたに次のことを思い出させたいのです。それは,エホバが,民をエジプトの地から救い出したにもかかわらず,のちに,信仰を示さない者たちを滅ぼされたことです。また,自分本来の立場を保たず,そのあるべき居どころを捨てた使いたちを,大いなる日の裁きのために,とこしえのなわめをもって濃密なやみのもとに留め置いておられます。同様に,ソドムとゴモラおよびその回りの都市も,ここに述べた者たちと同じようにはなはだしい淫行を犯し,不自然な用のために飽くことなく肉を追い求めたのち,永遠の火による司法上の処罰を受け,警告の例としてわたしたちの前に置かれています」― ユダ 5-7。

[脚注]

a J・D・ダグラス編「新聖書辞典」,1962年,675ページ。

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