小さな群れからの良いたより
「徹底的に証しするようにとわたしにお命じになりました」。(使徒 10:42)ペテロはイエス・キリストと王国の良いたよりについて証しするようこのように命じられました。日本の野外で「徹底的な証し」がなされました,と言えるようになるためには780万人に及ぶ未割当ての町村でも定期的な証言がなされなければなりません。それで多くの開拓者たちはこうした区域に出かけまだ王国の良いたよりを聞いたことのない人々に霊的な援助を差し伸べています。そして,そうした所での開拓者たちの勤勉で忍耐強い働きとその奉仕にそそがれたエホバの祝福によって小さな都市や町でも王国のわざのすばらしい発展が見られています。
例えば茨城県那珂湊市で伝道が組織的に行なわれるようになったのは1973年9月からでした。ここは漁業を中心として栄えている港町で3万3,000人の人口です。二人の特別開拓者の姉妹たちは古い因襲やこの土地特有の根強い考えにもよく対処し,任命された最初の月に二人で363冊の書籍,454冊の雑誌を配布し,11件の家庭聖書研究を報告することができました。二人が伝道を始めて6か月後には合わせて23の研究が司会されるようになり,土地の新しい二人の伝道者が生まれたのは16か月後のことでした。今では9人の伝道者に増加しそのうち6人は過去6か月の間にバプテスマを受けて兄弟姉妹になっています。今年1月に巡回監督が訪問した際,27人が公開講演に出席したのを見て開拓者も伝道者もみな大きな励みを得ました。そしてこの群れが4月から会衆として発足したことは何とすばらしいことでしょう。では二人の開拓者の姉妹たちがこうした成功を収めることのできた背後にはどんな努力が払われてきたでしょうか。巡回監督の報告によれば姉妹たちは研究を司会するためによく準備したこと,司会する時に要点を強調し興味を起こさせるようにしたこと,研究のたびに行なう組織の話も工夫しながら一人一人の研究生の必要に応じた話をしてきたことなどが挙げられています。また10件かそれ以上の研究を司会していても再訪問を数多く行ない(毎月100前後)たえず進歩的な研究を司会することに意欲的であることも成功に導く力となっています。
和歌山県はエホバの証人1人当たりの人口の割合が6,000人から7,000人であり,開拓者の働きを最も必要としている10県のうちの一つです。最近この地方に多くの開拓者が派遣されましたが,人口2万4,000人の那智勝浦町でも1975年1月から特別開拓者の姉妹たちが伝道するようになりました。巡回監督がこの小さな群れを二回目に訪問したのは今年の3月末でした。その訪問を受ける前の6か月くらいの間には3人が新しい伝道者となり二人の開拓者と一緒に王国の良いたよりを公に語るようになっていました。初めは,よその土地の人が行なっている宗教活動と受けとめていた町の人々もそれからは地元の人がしているのを見て安心感を抱くようになりました。そして聖書の真理に関心を持つ人々が研究を始め集会に定期的に出席するようになったばかりか,学ぶ事柄の討議にも活発に参加しています。この地方には人を恐れるといった傾向がありますが,研究生たちは神とキリストの愛について正しく学ぶよう助けられてきました。原則に基づいた愛を仲間にも隣人にも示すように聖書から教えられることによって,この群れにもクリスチャンの愛がみなぎりお互いが家族の成員であるかのように暖かい気遣いや関心を示し合っています。この群れの集会に出席している人たちの数ですか? 巡回監督から寄せられた二枚の報告を見てみましょう。1975年5月の報告には奉仕会に6名,新しく学んだ事柄に対する話と討議に6名,公開講演に11名と記入されていますが,今年3月の各集会には16名,19名,37名(700%の出席率)もの出席があったと書かれています。そしてこの5月から会衆になりましたが,それは開拓者たちがこの町に入ってからわずか17か月目のことです。
兵庫県は和歌山県と対照的に人口1,000人から2,000人に一人の割合でエホバの証人がいますので,最もエホバの証人の比率の高い県と言えます。しかし伝道されていない町や村がないわけではありません。山崎町も1974年11月までは近くの竜野会衆が時々伝道する程度でしたが,12月に特別開拓者の姉妹たちが派遣されてから活発に伝道されるようになりました。静かで平和な町ですから土地の人々は悪化して行く世界情勢などにはあまり関心を持っていませんが,それでも聖書が約束している将来の明るい希望の話に耳を傾ける人々が見いだされています。1年後の12月には3人の新しい伝道者が誕生し今では9人の伝道者が開拓者たちとともに熱心に家から家に伝道しています。そして今年の春の巡回大会で4人がエホバ神への献身を水のバプテスマで表わしました。この小さな群れから4人の新しい兄弟姉妹が一度にうまれたことは群れの大きな喜びとなったに違いありません。
確かに孤立した小さな町での伝道にはそれなりの良い努力や勤勉な働きそして尽きることのない忍耐が求められますが,その上にそそがれるエホバの導きや祝福も他の所では経験できないような味わいがあります。また王国の良いたよりを聞くことのできた人にとって小さな町や村で伝道するためにやってきたエホバの証人の「足」は「美し」く映るというイザヤ書 52章7節のことばは真実のものとなっています。