ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目77 3/8 22–24ページ
  • ギリシャは集会の自由を擁護する

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • ギリシャは集会の自由を擁護する
  • 目ざめよ! 1977
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 僧職者の態度
  • 僧職者による反対の結果
  • ギリシャにおける集会の自由がもたらした祝福
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
  • クレタ,クレタ人
    聖書に対する洞察,第1巻
  • 難しい割当てに取り組むテトス
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
  • ギリシャ正教会 暴力を振るうと脅し,大会を妨害
    目ざめよ! 1988
もっと見る
目ざめよ! 1977
目77 3/8 22–24ページ

ギリシャは集会の自由を擁護する

ギリシャの「目ざめよ!」通信員

地中海で五番目に大きい島であるクレタ島にとって,真のキリスト教は何ら耳新しいものではありません。1,900年余り昔,使徒パウロは,諸問題を取り扱い,同島の様々な都市にあったクリスチャン会衆内に長老を任命させるために,同労者テトスをその島に残しました。これは決して容易な務めではありませんでした。というのは,古代クレタ人の評判は非常に悪かったからです。西暦前六世紀に生存したエピメニデスと思われる,クレタ人の一人の預言者でさえ,「クレタ人は常に偽り者,害をなす野獣,無為に過ごす大食家」であると語りました。―テトス 1:10-12。

しかし,真のキリスト教は,それを受け入れたクレタ人に健全な影響を及ぼしました。使徒パウロは,テトスがクレタ人の中に責むべきところのない評判の持ち主を見いだせると期待していました。どんな特質を持つ人に責任をゆだねることができるかを仲間の働き人テトスに指示した中で,パウロはこう書いています。「監督[あるいは長老]は,神の家令としてとがめのない人であり,我意を張らず,すぐに憤らず,酔って騒いだりせず,人を殴らず,不正な利得に貪欲でなく,むしろ,人をよくもてなし,善良さを愛し,健全な思いを持ち,義にかない,忠節であり,自制心があ(る人でなければならないのです)」― テトス 1:7,8。

僧職者の態度

クレタの宗教指導者たちは,会衆の責任をゆだねるにふさわしい人たちの内に,テトスが見いだすことになっていた高潔な要求に従って行動してきましたか。エホバのクリスチャン証人の開いた平和的な大会と関連して,これら宗教指導者の取った行動そのものが,答えを提出しています。

この大会は,クレタ島中東部北海岸の海港イラクリオンにあるエルゴテレス・スタジアムで,1976年7月29日から8月1日まで開かれる予定になっていました。大会では,「神聖な奉仕」という主題の下に,専ら聖書に基づく話や劇や実演などに当てられるプログラムが予定されていました。プログラムは一貫して,両親,配偶者,子供,そして隣人として果たすべき聖書の要求にいよいよ近づくよう,すべての人を大いに励ますものとなるはずでした。実際,神を恐れる人であれば,至高者に仕えることに関する,四日間にわたる健全で聖書的な討議を歓迎していたことでしょう。しかし,クレタ島のギリシャ正教会の僧職者は,そのように考えませんでした。

7月の中旬,借り受けられたスタジアムで大会の準備が始まると,宗教的なグループから,エルゴテレス・スタジアムの管理委員会に対して,契約を破棄させようとする圧力がかかりました。義にかない,忠節で,責むべきところのない行状の点で模範となっているはずの人が,そのような行動を取るとはとても考えられません。賞賛すべきことに,スタジアムの委員会の委員たちは僧職者の圧力に屈せず,自分たちの約束,および賃貸契約書に付された署名を有効と認め,それに従いました。

次いで宗教指導者たちは,地元クレタの当局者,およびアテネの政府当局者に働きかけて,エホバの証人の大会を中止させようとしました。イラクリオン,およびその近郊の司祭たちは,市長,検察官,および憲兵隊長にあてて,次のような抗議文を送り付けました。「本日,7月16日午前9時,イラクリオン市およびその近郊の司祭は,クレタ大主教管区で一堂に会した。それは,7月29日から8月1日まで,我が市で千年期説信奉者,つまりエホバの証人の大会が開かれることになっているからである。この者たちは,我々の信仰および祖国の敵であり,国際シオニズムの手先である。信者を改宗させることを目的とする,ヘブライ人に扇動されたこの悪名高い大会という,受け入れ難い祭典に対して,司祭たちが義憤を表明している旨貴下に通知できるのは光栄である。我々はまた,教区民の強硬な抗議をも伝える。……よって我々は,この挑発的な大会を中止させるべく,貴下が,必要とされる措置を取り,手を尽くされるよう要望する。万一大会が開かれるようなことにでもなれば,いかなる事態が生じようとも,我々はその責任を負わない」。

大会の開催日が迫るにつれて,僧職者および特定の教会員たちは,抗議を続け,さらにその度合いを強めました。例えば,7月26日,約5,000人の群衆が,エルゴテレス・スタジアムを破壊すると脅迫しました。しかし,その努力も警察によって阻止されました。アテネの一新聞は,「スタジアムを“焼打ち”するためイラクリオンで5,000人が騒ぐ」という見出しの下に,その事件に関する記事を載せました。その記事と一緒に掲載された写真には,僧職者たちがスタジアムの外に立っている場面が写っていました。

大会に対する反対運動が続いたにもかかわらず,大会は予定通り7月29日から始まりました。平和裏に開かれている大会を粉砕しようとする妨害者を取り締まるために,警察が警備に当たっていました。第一日目は万事うまく行ったように見えましたが,それも大会出席者たちが帰途に着くまでのことでした。狂信的な暴徒たちが,自動車に向かって投石し,車に損害を与え,大会出席者たちを傷付けたのです。警察の尽力,およびその場を立ち去るようにという,暴徒に対する市検察官の命令にもかかわらず,僧職者に扇動された群衆は投石を続けました。

この暴動は,イラクリオン憲兵隊の隊長の発した布告に反するものでした。その布告は,一部次の通りです。「千年期説信奉者[エホバの証人]に反対し,その大会を妨害しようとし,彼らに対して不穏当な行為をする市民が,屋外でいかなる集会を開くことも,抗議のデモ行進を行なうことをも禁ずる」。違反者には,懲役5年以下,また場合によっては懲役20年以下の刑が課せられるにもかかわらず,僧職者および多数の狂信的な教会員たちは非道にも法令を無視しました。彼らの行動は,「すべての魂は上にある権威に服しなさい」という聖書の命令に反するものです。その権威とは政府を指しています。―ローマ 13:1。

大会二日目の朝,ものみの塔協会の代表は,アテネからやって来た二人の弁護士を伴って,同市の検察官のところへ行き,生じた出来事について報告しました。検察官は,前日のような不穏当な行為の再発を妨ぐための措置が取られたことを保証しました。

僧職者による反対の結果

時々上がる叫び声とスタジアム周辺の街路から打ち上げられる花火を除けば,大会の残りの時間中はそれ以上さしたる騒ぎも起きませんでした。僧職者たちのそそのかした宗教的不寛容な運動のお陰で,エホバの証人の大会は,クレタ全島だけでなく,ギリシャ全土に知られるようになりました。というのは,僧職者たちの活動がイラクリオンおよびアテネ両市の新聞で,大々的に報道されたからです。

その報道は,宗教指導者たちが虚偽の陳述に訴えていたことを明らかにしました。クレタの僧職者たちは,テトスが長老として任命したクリスチャンのようになるどころか,同国民の預言者の一人に非難された古代クレタ人たちのような行動を取っていました。その例証となるのは,僧職者たちがエホバの証人とシオニズムを結び付けようとしたことです。イラクリオンの新聞パトリス紙は,僧職者の主張が偽りであることを暴露した,アテネのイスラエル人中央協議会からの電文を掲載しました。その電文は次のようなものでした。「我々は,千年期説信奉者たちの開いた大会とユダヤ教およびシオニズムを関連付けようとする許し難い試みに,断固として抗議する。ユダヤ教およびシオニズムは千年期説と全く関係がない。このことは,世界中で知られ,かつ認められている」。

賞賛に値することとして,礼儀正しくて親切なイラクリオンの住民の大半は,不寛容な僧職者や僧職者に扇動されて暴徒と化した人々の不法な行動を快く思っていませんでした。そうした行動を非とする言葉が数多く聞かれました。商店を経営する一人の人は,エホバの証人に,「あなたがたの非の打ちどころのない態度には頭が下がります」と語りました。

僧職者たちの虚偽の宣伝と不法な行為は,こうして,どこで真のキリスト教が実践されているかを知る機会を人々に提供するものとなりました。確かに宗教指導者たちは,長老に対する聖書の要求を満たしてはいません。とがめられるところのない行状を保つどころか,彼らは極めて恥ずべき仕方で振る舞い,不法な行為に携わるよう他の人々をそそのかしたのです。しかし幸いなことに,政府当局者が正しい原則を擁護する勇気を失わず,脅迫や暴動に面してもおじけづかなかったため,僧職者たちの不寛容な試みはざ折しました。

クレタ島の不寛容な僧職者たちに関して,次のような質問をするのは当を得たことです。そのような責むべきところのある人から,健全なクリスチャンの教えを受けられるでしょうか。むしろ,神に対する神聖な奉仕について聞くため平和裏に集まった人々の間でこそ,一世紀のキリスト教の教えを学べるのではありませんか。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする