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  • 地震と津波が同時に襲うとき
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目ざめよ! 1977
目77 4/22 13–15ページ

地震と津波が同時に襲うとき

フィリピン諸島の「目ざめよ!」通信員

「突然激しい震動を感じたかと思うと,私たちのいた部屋はゆっくり揺れ,徐々にその激しさを増し,たちまち気が狂ったように激しく揺れ出しました。

「部屋がぐらぐら揺れたときには,恐れのあまり声も出ないほどでした。突然明りが消え,崩れた壁やガラスの破片が建物一面に落ちる音が聞こえました。……悲痛な叫び声がやみの中に響き渡りました」。

これは,1976年8月17日火曜日午前0時13分,フィリピン諸島南部のミンダナオ島を襲った2分間にわたる地震を経験した一生存者の語った言葉です。

マグニチュード7.8のこの地震は,フィリピン諸島を襲った記録に残る地震の中で,最も破壊的で恐ろしいものでした。それは構造性地震,すなわち地殻の変動あるいは変形によって生じた地震でした。米国の地震観測所によると,震央はマニラから南南東へ1,000㌔余り離れた,セレベス海の入り江になったモロ湾でした。

最も被害がひどかったのは,コタバト市(人口8万人)とザンボアンガ市内の海辺の町々でした。コタバト市では,ほとんどの商店が全壊,あるいは半壊しました。家が崩れ,全員が生き埋めになった家族もあります。農地は海水につかり,また漁師たちは打ち寄せる波に船を流され,生活の手段を失いました。

「ブルティン・トゥデー」紙によると,この地震とそれに続く地震波によって,3,373人が死亡,9,149人が負傷し,2,938人が行方不明になり,11万9,000人余りが家を失いました。同紙は当面の損失を,およそ1億㌦から1億3,500万㌦(約300億円から400億円)と推定しています。

地震波による犠牲

地震に続いて,地震波すなわち一般に“津波”と呼ばれているものが襲ってきました。中には,高さが9㍍もあり,時速700㌔余の速度で押し寄せてくる波もありました。津波による犠牲は,甚大でした。生き残ったある漁師は次のように語っています。

「私の家は海辺にありました。私は大抵,夜に漁をしますが,8月16日の真夜中過ぎ,ちょうど網を片付けていると,家が揺れ始め,激しくきしみました。その後,地震はしばらく収まっていました。

「突然,今度は雷のような音が私たちのほうへ向かって来るのが聞こえました。すでに目を覚ましていた家族と共に,近くの丘へ気が狂ったように走り出しました。あわ立つ水はわたしたちを襲って来ました。あの時ほど必死に泳いだことはありません。途中で大分水を飲みましたが,何とか安全な場所へたどり着くことができました」。

この家族は避難した丘から,自分たちの家がまるで水に浮かぶマッチ箱のように海へ押し流されるのを見ました。彼らはまだ良いほうでした。突進して来る高波をぼう然と見ていたために,そのまま波にさらわれた人も少なくありません。

当時,ザンボアンガ市に近いサコル島の岸から100㍍ほど沖の船上にいたある漁師は,激しい大波によって50軒ほどの家が押し流されるのを船の中から目撃しました。水が引いたとき漁師は,ヤシの木のてっぺんにいました。別の地域にいたある女性は,自分の父親が波にさらわれたかと思うと,次の波に乗せられて生きたまま再び帰って来たことを話しています。また,ある人は,近所の子供が木の柱にしがみ付いたまま海に流された有様について語りました。その子供も生きたまま再び岸に押し戻されて来ました。

物品を持ち出そうとした結果,人命が失われたこともありました。ある人は女中に子供を預けて,スーツケースを取りに家へ戻ったところ,その間に子供は死にました。別の人は,略奪者に入られないよう戸に鍵を掛けに戻り,自分の命を失いました。略奪者は来ませんでした。

モロ湾のオルタンガ島のある生存者は,次のように回想しています。「地震の収まったとき,波止場へ行き,四軒の家が陥没しているのを見ました。その後,だれかが海を指して,『津波だ』と叫ぶのに気付きました。私は丘に向かって全速力で走りました。地震で倒れなかった家々も,その大きな波でこなごなに崩されました。大波が海岸に打ち寄せるたびに,ニワトリが空高く飛び上がり,犬がほえ,ブタが叫び声を上げ,人々が泣きわめき,多くの神々に気違いじみた声で叫ぶのが聞こえました。それは,身の毛もよだつ傷ましい光景でした」。

その後

ある生存者は次のように回想しています。「空が白んできて,夜明けの光がゆっくりとさし込み始めたころ,海岸一帯には倒壊した家屋や,泣きさけぶ子供たちが見受けられました。方々に死体が転がっており,生存者たちは見聞きするものを何も信じられない様子でした。愛する人を失った人々の泣き叫ぶ声は,やがて静まりました。そうした人々はゆっくりと立ち上がり,ぼう然とした状態で何かを捜しながら,あるいは当てもなく歩き回っていました」。

災害が収まると民間や軍部の諸機関は,ただちに救援,救助,復旧のための全面的な作業に乗り出しました。技術面,物質面の援助が続々と寄せられました。ある新聞記者の語ったところによると,被災地では体力のある人々が「互いに協力して,生き埋めになっている人や死者を掘り出す仕事に携わり」ました。

災害後のエホバの証人の活動

フィリピン諸島には,エホバの証人が7万6,000人余りいます。当然彼らは,仲間のクリスチャンの安否を気遣いました。地震と洪水が収まると,被災地の会衆の長老たちは仲間の証人全員を捜すために,できるだけ早く出掛けて行きました。ものみの塔協会のある特別な代表者は次のように書いています。

「私たちは海辺の木場に住む数世帯のエホバの証人のことを考えました。明るくなるのを待たずに,できるだけ早くその地域へ向かいました。そこへ着いた私たちは,我が目を疑いました。人口の密集したかつてのにぎやかな町は,すっかりなくなっていたのです。しかし,その地域のエホバの証人すべてが家や家具を失ったものの,死傷者が一人もいなかったのは不幸中の幸いでした。

マランガスではあらゆるものが破壊され,それらが一面に散らばっていました。そっくり残っている家も数軒ありましたが,大抵の家は倒壊していました。モーターボートを使って,流された家を岸に引き戻す作業に励んでいる人もいました。その地域のある会衆の長老は,次のように報告しています。「私は自分の家を首尾よく引き寄せることができました。私たちは衣類を失っただけでしたが,死んだ人や動物は数多くいました。しかし当地のエホバの証人は財産にかなりの損失や損害を被ったものの,死亡者は一人も出ませんでした」。

大惨事の翌朝,コタバト市では午前四時に消灯令が解かれると,エホバの証人のある奉仕のしもべがジープを借りて巡回し,仲間の証人たちの家々を訪問しました。ここでもエホバの証人は全員無事で,ひどいけがをした人はいませんでした。しかし財産に大きな損失を被ったために,政府の設けた避難センターにとどまらねばならなかった人もいます。また他の人々は,多くの余震を見越して,テントを張ったり小屋を建てたりしました。

『そこからここへと地震がある』

この地震は,同じ週にアジアを襲った三つの地震のうちの一つでした。火山学委員会の委員グレゴリオ・アンダルはこう述べました。「現在,地殻は不穏な状態にあり,地震は世界中のどんな場所でもいつでも起きる可能性がある」。別の科学者グループは,現在まだ十分に理解されていない何らかの地殻変動が起きているのかもしれないと考えています。

この点に関して,イエスは現在の事物の体制の「終結」を証拠付ける「しるし」として,興味深い特徴を予告しました。戦争,クリスチャンに対する迫害,増し加わる不法や悩みに加えて,イエスは,「そこからここへと……地震がある」と予告しました。(マタイ 24:3-8。マルコ 13:4-8)さらに聖書の歴史家ルカは,「大きな地震が……あるでしょう」というイエスの言葉を記録しています。―ルカ 21:11。

過去62年間にわたってエホバの証人は,イエスの語ったしるしが1914年以来すべての面で成就していることを隣人たちに指摘してきました。そのしるしの一つの特徴である地震に関して言えば,1914年以来,90万人以上の人々が地震のために死にました。1914年以前の約1,000年間には,地震による死亡者は年に平均3,000人でしたが,1914年以降,その数字は急激に増加し,1万5,000人になりました。地震に関するイエスの預言は,今の時代に当てはまります。

このようにフィリピン諸島のエホバの証人は,そうした非常に破壊的な地震を生き残った人々を忙しく訪問しています。彼らは,新しい体制が現在間近に迫っているという喜ばしい音信で,被災地の仲間のクリスチャンを慰めています。その体制の下では,自然の災害のために不慮の死に遭うことは決してないでしょう。―ペテロ第二 3:13。啓示 21:3-5。

[13ページの地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

ミンダナオ島

スル海

オルタンガ島

コタバト

ザンボアンガ

サコル島

モロ湾

震央

セレベス海

[14ページの写真]

「海岸一帯には倒壊した家屋や,泣き叫ぶ子供たちが見受けられました」

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