日本の「喜びに満ちた働き人」地域大会
富山市
北陸の富山市においては初めてのエホバの証人の聖書教育大会が7月26日から7月29日まで開かれました。証人たちはこの喜びに満ちた四日間のプログラムと交わりを心から楽しみました。会場の富山市体育館は6,000人の収容能力があり,3,000人の出席者にとり大変ゆったりした良い会場でした。館長は大会中のエホバの証人の行動をみて「皆さんすべてが熱心で統率がとれているのには驚きました」と述べ,プログラムのいくつかにも耳を傾けていました。またエホバの証人の集まりを初めて経験した会場のいすを管理するある会社の社長は「10年以上もここで仕事をして来ましたが会場にたばこの吸殻が一つも落ちていない人々の集まりは初めてでした。場内の空気がとてもきれいで驚きました」と語りました。エホバ神のみ言葉に従う生活の生み出す益をこの人も悟ったにちがいありません。
「喜びに満ちた働き人」と題する大会のプログラムすべてはエホバの民に必要とされるものばかりでした。第一日目の子供の訓練に関するプログラムを真剣に聞いたある母親はこう述べました。「私も中学一年の子供がおり手をやいていましたが反抗的になっている時に親が感情的に怒るのではなく少し冷静になって,戒めを与えるための時を待つということを学びました」。また一人の独身の人はこう述べました。「子供も,若い人たちそして結婚した人々というように順序正しく良く教えられました。そして私たち結婚していない人でもすべての話から良い益が受けられました」。
この北陸地方や近隣の地方は因襲の強いところで人々が真の神の崇拝に転ずる際反対や問題を努力して克服しなければならない場合が少なくありません。それでも心の誠実な人々の収穫は続いています。その証拠としてこの大会で96人もの人々が創造者エホバ神への献身を水のバプテスマで表わし「喜びに満ちた働き人」の隊伍に加わりました。このような土地で人々に聖書の良いたよりを伝えるにはエホバの証人の側の真の愛と理解が特に必要です。そうした努力を払い今回一人をバプテスマに導いたある主婦の奉仕者は次のように自分の払った努力を語りました。「人々の警戒心を取り除くため自分がどこに住みどんな者かを知っていただきました。それと必ず研究には4人いる子供を連れて行きます。子供と共にいつもニコニコするうちに家の方たちの警戒する雰囲気がなくなってきました。研究生が真理に固くつけばつくほどたくさんの問題が起こります。研究生自身への励ましが必要でした。一日一回顔を見に行くことそれができなければ電話をかけ,声を聞くようにしました」。エホバの証人はあらゆる努力を払って人々が宗教上の誤った教理や慣行から解放されるようこれからも励むよう促されました。エホバの証人の一人であることは有利なことと信じていますかという質問に対し「はい信じています。なぜなら私たちは現在目ざす目標をもっています」と答えた若者と同様,出席した人々すべてはエホバ神から教えられ導かれていることのすばらしさ,そして神と共に人々の救いのため喜びに満ちて働くことの特権を再びこの大会を通して味わうことができました。
名古屋市
7月28日朝,いつもはトレーラーや大型トラックが行きかう名古屋市の金城ふ頭に向かう道路をたくさんの乗用車が走っています。そうです。愛知県,三重県,岐阜県それに静岡県地方の証人たちは再び名古屋市国際展示場に集まって来ました。会場は既に出席する仲間の証人たちのために心をこめて働いた自発奉仕者たちの手で美しく整えられています。
昨年の大会が大変良い印象を与えたために,今年の大会のための計画は名古屋市のそれぞれの役所で問題なく許可を得ることができました。良い印象を受けていたのは役所の人々ばかりではありません。大勢の出席者の宿舎を取り決めるため,旅館組合の代表者たちと交渉が行なわれた際,組合の主な代表者は,「この人たちは誠実で気持ちのよい人たちだから,とにかくこの方たちには全面的に協力しよう」と言いました。その人の心を動かしたものは何でしたか。その人は,昨年の大会が終わって間もなく,その人の旅館に泊まった子供連れの主婦の証人から手紙を受け取りました。そこには,子供がシーツを汚してしまったことを知らせる暇もなく帰宅してしまったことに対するわびの言葉と洗たく代が同封されていたのです。その人は,「長年旅館を営んできて,一度もこんな風にした人はいなかった。商売をしていてこんなうれしい思いをしたことはなかった。この手紙は私の家の宝物として大切に持っています」と述べ,証人たちを賞賛しました。その結果,他の人たちも大変協力的になりました。
愛知,三重,岐阜,静岡県地方からやってくる出席者のために,多くの自発奉仕者は勤勉に働きました。会場の700枚以上の大きなガラスは美しくみがき上げられ,芝も刈り込まれました。敷地の一部には数千人が入ることのできる大きな家型のテントが設営され,炊事の作業場になりました。ステージその他の設備に使うようにと,一人の証人は13万円相当の木材を寄付しました。音響部門の担当者も大きな努力を払いました。ドーム型の会場の中で反響を少なくして明りょうな音を送り出すために,三十数メートルの天井のスピーカーから出る音と地上のスピーカーから出る音を0.1秒ずらす装置を幾日も徹夜して考え出したのです。出席者は話をはっきりと聞くことができてどれほど感謝したでしょう。
プログラムの毎日の主題は大変感謝されました。多くの人は,「家庭で良い事を行なう」という主題で行なわれた最初の日のプログラムを楽しみにしていたようです。名古屋市に住む主婦の奉仕者は,「幼い子供の訓練,若者たちと親との関係,夫婦の問題,と順を迫っての話は,3人の異なった世代の子供を持つ私たち夫婦には非常に考えさせられるプログラムでした」と感謝を述べました。『神はわたしたちひとりひとりから遠く離れておられない』という劇を見た,証人と聖書を研究中の若者は,「正直言ってわたしもあのエホバの証人のようにエホバを遠く感じることがあります。……でもこの劇を通して祈ることの大切さを思い知らされました。これからもすべての事においてエホバにより頼み,励んでいきたいと思います」と率直に語りました。また,聖書のネヘミヤ記とマラキ書に基づく「あなたは自分の奉仕に魂を込めておられますか」という聖書劇を見たある出席者は,自分が奉仕において「自己満足していてびっこや病気のささげものをしてはいないかと吟味しなければと感じました」と感想を述べましたが,これは出席者すべての気持ちをよく言い表わしています。
大会の喜びは,金曜日昼に151人の人々がバプテスマを受けた時さらに増し加わりました。バプテスマの話が強調したように,それらの人々もエホバと共に働く喜びに満ちた働き人となったのです。これらの人々を含め,証人たちすべては,日曜の公開講演に8,090名もの大勢の人々が出席したことに胸を躍らせました。
横浜市
横浜市での大会には関東地方の南部および東部のほとんどの地域からの人々が出席しました。1万人以上の人々が四日間集まるための場所はとても限られていますが,この花月園競輪場を会場として使用できたことにはとても興味深いことがありました。この会場の周辺の町内会の主だった方は以前に聖書を学んだことのある方でしたので,この競輪場が大会の候補にあがった時にそのことを聞き,町内会の人々の協力を得てエホバの証人に大会のために会場を貸してくれるようにと話しかけてくれたのでした。その結果非常にすばらしい協力を花月園競輪場は示し証人たちは喜びました。また,この競輪場の管理者のひとりは以前に後楽園競輪場でのエホバの証人たちの大会を二回経験していました。彼は以前の証人たちの振る舞いや,会場をいつも清潔に保ち,使用以前よりも美しくして返すことを実際に見ていましたので,この度は心から協力を与えました。立派な振る舞いをいつも示すことは何と良い実を刈り取ることになるのでしょう。
毎年の真夏に行なわれている聖書教育の大会になぜこれほど大勢の人々が出席するのでしょうか。エホバの証人の大会は出席する人々の福祉のために欠くことのできない霊的な強さを与えるからです。家族ぐるみで出席するためにはある程度の努力が払われますが,証人たちは大会からの益をそうした努力よりはるかに高く評価します。伊豆大島から家族4人で出席した人は4月から地域大会出席のための費用の準備をしましたが,種々の事情で大会の一週間前まで,必要な分の四分の一しか手元にありませんでした。「ご意志でしたら,家族4人が4日間のプログラムを楽しめますように」という祈りと,それが必ず聞き入れられるという信仰をもち,金策に走らずに霊的なことに重きを置いた生活を続けました。大会の5日前に突然ボーナスが支給されました。その会社はそれまでにボーナスを支給したことが一度もなかったので,その祈りが答えられたのだと確信できました。そしてその金額は必要とされていた額より多くも少なくもなくぴったりだったのです。
家族の全員が聖書を学んでいない場合には,信者である人は自分の配偶者にも大会の益を得てほしいと望みます。千葉県佐倉市から出席したひとりの証人は自分の主人が大会に出席できるように努力し成功しました。以前はきびしい反対のために一時聖書の研究を中断しましたが再び熱心に学び始めたこの方は,「一緒に大会に行きましょう」と主人に言いました。しかし主人は断わりました。そして大会に出席するための費用を与えることも拒んだのです。その婦人は内職を始めましたが十分に経費を蓄えることができませんでした。大会前の二晩彼女は主人と話し合いました。主人は「大きな負債を返済する必要があるから絶対にだめだ」と言いました。彼女はあくまで話し合いました。大会の前日主人は銀行からお金をおろして彼女にわたしたのです。その上大会の日,通りまで見送ってくれました。それでも別れ難く駅まで送ってくれました。そして駅までくると,「僕も定期券があるから…」といってとうとう大会場まで一緒に来てくれ,そして4日間宿泊することにしたのです。この婦人の喜びはなんと大きなものだったのでしょう。
八丈島から出席した婦人も主人からの良い協力に感謝していました。大会の約一か月前に二人の男の子と彼女は主人に大会に出席したいことを話しましたが「だめだ」という返事でした。それからは毎日祈りの中でそのことを願い続け,二人の子供も自分たちの言葉で大きな声で大会にゆけるよう祈りました。父親は時々子供たちの祈りを聞くことがありました。大会が近づいたある日,主人の方から,子供にしっしんができるが東京の医者に連れていくように,日時についてはいつでもよいという,いわば大会に出席してもよいという返事になりました。そして船でゆくより飛行機で行くように勧めました。日が近づいていたために切符が取れずにキャンセル待ちで乗ることになりました。大会の前日主人は会社を休み,朝の4時から車に妻と子供たちをのせ,飛行機が出発するたびに(ほとんど30分おきに)飛行場に行き,空席を待ちました。やっとその日の最後の便の夕方5時に席が取れて無事に横浜大会に出席できたのです。
そのような努力を払った人々が1万3,000人以上,大会の初日から出席しました。ひとりひとりが大会のステージから与えられる話に真剣に耳を傾けていました。自分の幼い子供が少しうるさくさわいだ時ひとりの若い母親が言った言葉は意味深いものでした。「やっと出席できたのだから,静かにして話を聞かせてね」。出席者の熱意と努力は報われました。大きな喜びが証人たちに与えられ,常に幸福で産出的な働きをされている神と共に引き続き勤勉に働き「喜びに満ちた働き人」たらんとする決意が強められました。
小樽市
エホバの証人は毎年主に夏の期間に地域大会や国際大会を楽しんできました。過去17年間に,54の地域大会が日本で開かれましたが,このうち七つが北海道でも開かれました。これらの大会は札幌,旭川,函館,室蘭,岩見沢などで開かれてきました。しかし北海道五番目の大都市である小樽ではいままで地域大会を開催する機会を持つことができませんでした。しかし,1977年8月4日から7日にかけて,同市で開かれた初めての地域大会は出席者すべてに喜びであったばかりか,小樽市の大勢の方々に神の目的や聖書の原則に関するすばらしい証言の機会となったことに加え,その地方に住む大勢の証人たちにとって大きな励みを与えるものでした。
会場に当てられた小樽市総合体育館は緑の豊かな丘の上に建てられた近代的な設備が整ったりっぱな体育館で,3面のバレーボールコートが取れる主競技場を持つ広々とした体育館です。そして催し物などのために約5,000人分の座席を設けることができます。そのほかいくつもの補助体育室が館内にありますので,それらは大会の運営に非常に良く用いられました。北海道にはエホバの証人の会衆や孤立した群れが約80か所に存在していて,約2,500人程のエホバの証人たちが交わっています。一体どれ程の人がこの大会に出席するだろうかと証人たちは深い関心を抱いていました。そして四日間の大会の最終日に行なわれた講演会に4,875人の人々が会場を埋め尽くしたのを見て,出席者一同は大きな喜びを味わいました。
北海道内のずい分遠い所からも大勢の人々がこの大会に大きな期待と深い認識を持って出席しました。例えば日本の最北端の会衆である稚内会衆には現在約33人のエホバの証人たちが交わっていますが,この大会には何と80人もの人々が8時間も列車を乗り継いでやってきました。1969年6月二人の特別開拓者が稚内に任命されてこの市での業が始められました。土地の牧師は特別開拓者たちの働きに神経をとがらして,スピーカーを取り付けた自動車で市内を走り回って証人たちの文書を求めないように叫び声を上げました。ある時には特別開拓者の姉妹たちが奉仕している所を見付けたこの自動車が姉妹たちに近づいてきて,泥水を浴びせて行ったこともありました。しかしエホバは業を豊かに祝福なさったので羊たちは大勢群れに集められ,特別開拓者たちは何回か入れ替わりましたが現在では80人もの人々がこの大会に出席する程大きく成長しました。
函館市からの大勢の出席者の中には80歳になる一人の姉妹がいました。この人は仏教徒として長年の間歩んできました。嫁や息子を通して真理を聞くようになったのは70代も後半に入ってからのことでした。文字から遠ざかっていたり,年を取ったりしていたので聖書を学ぶことは大きな挑戦でしたが,息子や嫁は一生懸命に援助を差し伸べました。例えば,「真理」の本の要点と主な聖句を6冊のスケッチ・ブックに大きな字で書き表わし,この老齢の母親は聖書の基本的教理をはっきりと学びとることができました。いままでの自分の歩みが神の是認を受けないことを知ったこの老齢の母親は大きな変化をし始めました。長年大切にしてきた仏壇を処分したのはこの人が77歳の時でした。そしてエホバの証人たちとのすばらしい交わりを心から楽しんだこの人は,非常にりっぱな進歩を示しました。79歳になった昨年,この方は手紙などを用いて積極的に証言し始めました。永らく病気がちであったこの方は,真理を学ぶにつれ野外奉仕にも参加するようになりました。息子と嫁は奉仕のための集合場所まで車で母親を運びます。孫はいすを持って一緒に奉仕し,この方が奉仕の合間に体を休めることができるようにしています。このようにして短時間ではありますが,この方は毎週エホバの証人が行なう野外奉仕を行なってきました。そして昨年秋の巡回大会でバプテスマを受けエホバ神への献身を公に表明しました。目は不自由ですが大きなレンズを用いて,クリスチャン・ギリシャ語聖書を読み通すこともできました。健康の理由で,大会の出席は危ぶまれましたが,無事に出席し,他のすべての出席者と共に大会を十分に楽しみました。
長いこと北海道で巡回奉仕をしていた一兄弟は次のように語りました。「1967年10月,今から約10年前,北海道全体が一つの巡回区であり,小樽市で開かれた巡回大会に200人の出席があり大変感激したのをはっきりと覚えています。今では北海道が四つの巡回区に分けられ,同じ小樽市で開かれた地域大会に5,000人近い人々が北海道中から集められているのを知って本当に感謝と喜びで満たされます。本当にエホバは業を拡大しておられます」。大会に出席したすべての人は大会の主題の通り喜びに満たされ,引き続きエホバ神とイエス・キリストと共に勤勉に働き続ける決意を新たにすることができました。
いわき市
二つの大会が福島県内で開かれることになりました。大会に予定されていた期間,丁度都合の良い施設を他の県に見いだすことが困難であったからです。それでいわき市には北は青森県から南は茨城県までの太平洋岸の地域の人々が出席するように求められていました。数百キロにおよぶ旅行をしなければなりませんでしたがエホバの証人たちは熱意をもって出席しました。
予想されていた出席者1,700名が初日から集まっていたのは喜ばしいことでした。エホバの証人たちが夏に開かれる地域大会に出席するのは,そこで行なわれる講演や他のプログラムが各のクリスチャン信仰を強化し,将来の生き方に直接関係ある指導が受けられることを知っているからです。ひとえに親たちばかりでなく,年若い者にも多大な益をもたらすことを知っています。こうした認識はエホバの証人のだれにでも見いだすことができます。特にいわき市での大会においてこのことが感じられました。大会出席者の中に数十名の人々が遠く長野県から来ていることが分かりました。なぜでしたか。富山市での大会の期間は,学校がまだ休みに入っていなかったため,大会に出席することが難しかったのです。それで長野県の学校が休みに入った8月に開かれたいわき市の大会に子供たちを連れて来たのでした。子供たちにも大会からの益を得させようとする親の立派な努力が示されています。彼らのその努力が十分に報われたことは,皆が喜びに満ちた顔で帰途についたことからも計り知ることができました。
いわき市で以前伝道奉仕をしていたことのある全時間の奉仕者は会場として使用されたいわき市平市民会館について感慨を込めて次のように述べました。「わたしたちがこの土地で奉仕していた頃,この平市民会館の中の小さな一室を定期的に借りて集まっていました。大ホールを使うようになるとは思ってもみませんでした」。
エホバの証人たちとその大会についてほとんど知らなかったため市民会館の5日間の借用はスムースにはゆきませんでした。しかし大会の準備が始まり大勢の自発奉仕者たちが会館に来て働き始めると非常に立派な協力関係ができて来ました。炊事部門では水を多量に必要としました。そしてその敷地の外れにあった水道栓を工事して使いやすく改良することを提案したところ,会館の館長はそれに大変感謝し,その礼として使用する水道の料金を無料にするといったのです。会館の館長およびそこの職員は次のように述べました。「(東京で行なわれた昨年の)府中競馬場では,あなたがたの大会が開かれる前と後では一変していて,大会前より後の方がずっときれいになっており,また,運営が整然としていたという記事(「週刊新潮」1976年8月12日号)を見て本当にそうだろうかと思っていました。ところが実際にあなた方の大会を見て,その通りであることに感心しました。会場の清掃,食事の供給,プログラム中の静かさ,いずれも他の団体にないことで本当に驚かされました」。
この大会の講演の中で聖書のヘブライ人への手紙 6章10節の言葉が繰り返し読まれました。その言葉は次の通りです。「神は不義なかたではないので,あなたがたがこれまで聖なる者たちに仕え,いまなお仕えつづけているその働きと,こうしてみ名に示した愛とを忘れたりはされないからです」。勤勉な働きを続けているエホバの証人たちは自分たちの行なっている他の人々への奉仕が,正しい動機をもってなされる時,神の是認を得るものであることを確信しているのです。一人の全時間奉仕者はすでに7年間そうした奉仕を続けていますが,その間に50名以上の人々に聖書を個人的に教えるという喜びを経験しました。また全時間開拓奉仕を4年間している別の証人も,彼がそのようにして働いた間,15人の人々をクリスチャンの信仰に援助できました。彼と聖書を研究した人のうち5人がこのいわき大会でバプテスマを受けたのです。これは働きのすばらしい結果と言えるでしょう。
この大会では53名がバプテスマを受け,クリスチャンとしての出発を始めました。土曜日の最終日には1,739名が,最高出席時には1,774名が出席しました。
福島市
大会の三日間は涼しい雨の降った福島地域大会でしたが,その雨は大会出席者の間にみなぎる喜びの霊を湿らせることはできませんでした。ここ福島市において初めての地域大会で,準備のためにいろいろな努力が払われました。しかし会場となった文化センターのりっぱな設備に加え,地元の方々からの暖かい協力は大会の成功に大きな助けとなりました。たとえばエホバの証人が集会のために福島市で用いている王国会館の隣の建設会社は大変協力的で,“隣り組”だからといってテントや足場板など無料で快よく貸してくれました。また会場に隣接した学校は無料で駐車場を提供してくれました。そして会場の責任者も雨が降ったので契約よりも早く会場を開け率先して協力してくれました。この大会には東北地方の五つの県から出席者が来ましたが,福島市の地元の旅館は良く協力しました。たとえばある休業していた旅館の持ち主はその鍵を開け,使うように申し出エホバの証人はそこをきれいに掃除し50人以上の宿泊が可能となりました。
この大会に出席するために立派な努力が払われました。秋田県大館市から車で13時間をかけて来た人々の中には7か月の子供をもつ主婦がいましたし,また忙しい世俗の会社勤めの中で休暇をとるために努力した人も少なくありませんでした。しかし大会の出席から得られる益を高く評価するこれらの人々は信仰を示し休暇をとることができました。中にはエホバの証人のだれもいない町でこれまで二年間一人で伝道をつづけて来た一主婦と二人の子供たちがいました。この主婦は毎月一回汽車に一時間乗り隣の町のエホバの証人と交わっていますが,この大会での大勢の人々との交わりは計り知れない喜びを与えるものとなりました。
最初の日のプログラムは子供の訓練に関する実際的な教訓を含んでいました。大会でバプテスマを受けた一人の主婦は次のように語りました。「真理にはいる前あるサークルに属し,子供に決して体罰を加えてはならずほめて育てるようにと教えられていました」。しかしプログラムを通して幼い時からエホバの懲らしめと精神の規整によって育てるよう学びました。今では聖書の中にある導きが子供の教育の指針となっています。若い人々はエホバの民の中で貴重な立場を占めていますが彼らも目的のない生活から脱し喜びのある人生を歩んでいます。聖書が家族を一致させる力をもっていることについて一夫婦は自分たちの経験を語りました。以前夫は仕事に没頭しその付き合いのため妻と話し合う時間もあまりありませんでした。また妻も夫に反抗的でした。しかし聖書の健全な助言は今では夫が「弱い器」として妻を愛し,妻が夫に従順であることを可能にさせました。二人は喜びを味わい感謝しています。聖書が勧める自己犠牲と愛の精神を実践するエホバの証人の一人は大会で経験を話して皆に励みを与えた71歳の老婦人でした。不具な身体にもかかわらず近隣の人々にすすんで真理を語る事に喜びを見いだしています。彼女は自分のもつ喜びの理由を示し「一人も滅ぼされずすべての人が真理を受け入れて生命の道を歩むことが神のご意志であれば,どうして他の人々に宣べ伝えないでいられるでしょうか。生命のある限り他の人々を助けたいと思います」。このようにあらゆる年代層や立場の人々が真理を受け入れた結果,喜びのあふれた生活に導き入れられたことは言うまでもないことです。その喜びが一般の人々の目にも隠れることはありません。外部の会社のある人は,会うエホバの証人の喜びでほころんだ顔をみて「普通の人とちがいますね。顔が喜びに満ちています」と言っていました。この神のご意志を行なうことから得られる喜びは大会終了後も続くことでしょう。雪で知られるこの東北地方の証人たちは,人々の救いとエホバ神への賛美を引き続き拡大させるためこれからも熱意をもって働く決意をし,喜びをかみしめながら家路につきました。
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大人と共に子供たちも自発的な奉仕に喜んで参加した