ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目78 5/8 16–19ページ
  • 私は音でものを見る

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 私は音でものを見る
  • 目ざめよ! 1978
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 見方の変化
  • それはどんなもの?
  • その働き
  • 訓練と指導
  • 電子メディア依存症になっているだろうか
    目ざめよ! 2011
  • コウモリのエコーロケーション
    だれかが設計?
  • 盲目であっても,充実した有用な生活を送る
    目ざめよ! 1972
  • 電子メディア依存症になっているだろうか
    若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え,第1巻
もっと見る
目ざめよ! 1978
目78 5/8 16–19ページ

私は音でものを見る

暗やみの世界に住むようになってから30年以上たちました。私はカナダに約三万人いる盲人のひとりです。両眼を摘出されて光を完全に絶たれているにもかかわらず,現在では好んで友人たちに,「私は今見ることができるのです。音で見えるのです」と言います。なぜこうなったか,そのいきさつをお話しすることにしましょう。

第二次世界大戦は頂点に達しようとしていました。連合軍は戦闘を続けながらフランスからライン川下流の低地地方に進撃し,アントワープにおける戦闘はたけなわでした。19歳だった私は,カナダのある砲兵連隊の自動者整備班から歩兵連隊に転属したばかりでした。1944年11月1日は,私が初めて前線の戦闘に出た日でした。しかしわずか五分後には,それは最後の日となりました。部隊が堤防に沿って前進していたとき,突如,迫撃砲弾が私の面前でさく裂しました。

意識を取り戻してから私は,重傷を負ってはいましたがどうにか自分の部隊に戻り,また意識を失って倒れてしまいました。17日後,私はイギリスのある病院で目を覚ましましたが,全盲に近い状態でした。左の目に残っていた視力は,物の像をぼんやりと捕えるにすぎませんでした。右の目は損傷がひどかったので摘出しなければなりませんでした。病院は三か月で退院しました。まもなく左の目も全く見えなくなってしまい,私は暗やみの世界に住む身となりました。

1945年6月,ヨーロッパにおける戦争は終結し,私はカナダに送還され,盲人として新しい生活を築きはじめました。あごのあたりも砲弾のさく裂で砕かれていましたから,物を言う練習も必要でした。医師たちが形成外科手術によって私の顔を直すことができたのは非常にありがたいことでした。

神から与えられた触覚に頼って歩き回ることを学ばねばならないのは妙なことでした。

体のすばらしい仕組みが,失われた視力を補う努力をするにつれて,指先が特別に敏感になっていくのは全く驚くべきことです。手探りで,そして長い杖を使って動き回るようになるまでに,それほど長い時間はかかりませんでした。私が初めて盲導犬を手に入れることができたのは1974年でした。この盲導犬リーランドはそれ以後私の忠実な友となりました。

見方の変化

話は1954年にさかのぼりますが,この年に私は,私の考えばかりか生活の仕方全体を変えることになった一つの音信を聞きました。二人の非常に親切な人が私の家を訪れ,神の言葉である聖書から,人類のすばらしい将来について話し始めました。神のみ子イエス・キリストの手中にあるエホバ神の王国が,過去6,000年の間に戦争や暴力や圧制によってつくり出された痛み,苦しみ,悲しみを,地球から永遠に一掃するということを私は学びました。

王国が支配するときには,『耳しいの耳があけられ,ものの言えない者の舌がうれしさの余り叫ぶ』だけでなく,『盲人の目も開かれる』のです!(イザヤ 35:5,6,新)なんという見込みでしょう! 神の約束によると,なかでも一番すばらしいのは,この世代のうちにそのことが実現しはじめるということです。―マタイ 24:7-14,32-35。ルカ 21:28。

そのすばらしい新しい体制を待つ間も,自分の現在の境遇にできるだけ善処する必要のあることを私は知っていました。そこで,あるニュージーランド人の考案した装置を多くの盲人が使用して成功しているということを聞かされたとき,それの将来性を調べてみることにしました。こうして私は,目の見えない人のための電子補助器の使用訓練を受ける,カナダで最初の盲人となりました。この装置は文字通り「音でものを見る」助けになるものです。

それはどんなもの?

私がこの装置をつけて町を歩いているのを見たとしたら,あなたは,あの人は少し大きすぎる眼鏡を掛けている,と考える程度でしょう。遮蔽壁のある三つの小さな穴は,送受波用センサです。中央にある一番下のセンサは音波を発しますが,上二つは受波機です。送波センサの発した高い周波数の音波が行く手にある物体にぶつかってはね返ると,その反響は受波機に入り,両耳の上にかかっている普通より太い眼鏡のつるの中のイヤホーンから,ビーという音になって聞こえます。片方のつるは,私のベルトに付いている制御電源箱に差し込まれています。手ほどの大きさのこの制御箱の中には,再充電のきく電池のほかに,眼鏡の効果的な働きに必要な電子装置が全部入っています。電池は使用時間四時間につき14時間再充電しなければなりません。充電器とこれらの装置は全部,携帯用小形ケースの中に収まります。使わない時のために,ケースにはショールダーベルトが付いています。

その働き

エホバの創造の驚異の一つであるコウモリのことをあなたはよくご存じでしょう。この生き物は,音を出しまたそれを聞き取る非常に優れたシステムを与えられています。その反響位置決定システムについて,ひとりの著述家は次のように述べています。「科学者の推測によると,コウモリの音波探知装置は,細かな点を比べると,人間が考え出したどんなレーダーまたは音波探知機よりも10億倍敏感であり能率的である」。

私の電子補助器は,同じ音波探知機すなわち反響位置決定の原理に基づいて働きます。この装置の送波センサは,私の周囲六メートルくらいのところまで高い周波数の音波を放射します。受波機は,一つを左にもう一つを右に,向きをわずかにそらせてあります。したがって反射音は,私が進む線のどちらの側にその物体があるかによって,右か左かどちらかの耳に大きく聞こえます。音波をはね返す物体はみな違った調子の音をわたしのイヤホーンに送り込んできます。たとえば鋼鉄は一番鋭い音を発しますが,人の場合は鈍い音です。木材の音はガラスの音よりもやわらかです。その調子の変化が,私の前方にあるもの,たとえば木の枝,鋼鉄の柱,木またはガラスのドア,人または自動車などを“見る”ことを可能にするのです。

この装置の使用に上達すれば,自分の歩いている道にどんな種類の木があるか,それは杉か,エゾマツか,ハンノキカ,あるいは生けがきにすぎないかが分かるようになるでしょう。このように私の電子補助器は,長い杖だけでは得られない,また犬を使っても得られない情報を伝えてくれるのです。しかし私はこれら二つの助けなしでこの装置を使うことができません。穴とか急に低くなる場所のあることや,階段を下りる時などを教えてくれる,盲導犬のリーランドがやはり必要です。ともかく,盲導犬と電子補助器を一緒に使うようになってから動きやすさは一段と増し,自信もでき,歩行の安全度も高くなりました。

訓練と指導

人間にはコウモリの持つ本能による能力がないので,電子補助器を使う盲人は,その“言葉”を正確に解釈するための訓練を重ねる必要があります。私が四週間の訓練を受けた場所はトロントでした。オーストラリア,イギリス,アメリカ,カナダなどでこの指導を行なうべく,過去三年間に100人ほどの訓練士が養成されましたが,私の女性訓練士もそのうちのひとりでした。今までのところ,子供を含め400人ほどの視力に欠陥のある人々が,「音でものを見る」ことを教えられてきました。

目の見えない人は,自分がぶつかりそうなものまでどれほどの距離があるかを知る必要があります。それで最初の練習は,「音の高さで距離を知る練習」でした。これは非常に重要な練習でした。「音の高さに示される距離」を十分に理解しないなら,電子補助器を効果的に使うことは不可能だからです。私は自分の前方にある物体までの距離がどのように反射音の高さによって伝えられるかを,すぐに学びました。物体が遠くにあればあるほど音は高く,その物体に近づくと音は低くなります。そしてあと46センチというところで音は止まります。それは「ストップ」の合図です。しかし訓練は複雑になってきました。いろいろな練習をするためにたくさんの柱が立てられました。あるときなど,一列に並んでいる10本の柱の間を,一本も倒さなくなるまで,縫って歩かねばなりませんでした。二列に平行に立てられた柱は,私が中央の線から二,三センチそれてもすぐに倒れました。事をもう少し複雑にするために,その女性訓練士は練習中に柱を私のすぐ前に置いたこともありましたが,私はぶつからないうちに立ち止まりました。三本の柱がいずれも私から正確に4.6メートル離れたところに三角形の位置に立てられました。ここで私に投げかけられた挑戦は,それぞれの柱まで歩いて行ってそれに手を触れ,それから元の場所へ戻ることです。このときは一つ失敗しました。一本の柱に46センチの差で触れることができませんでした。

さらに進んだ訓練はトロントの繁華街で行なわれました。私のうしろを歩いていた訓練士は,私の電子補助器に入ってくるのと同じ音が聞こえる装置を身につけていました。そのとき私は,柱を使っての訓練の価値に気づきました。反射音は郵便箱,駐車中の自動車,通行人などばかりでなく,電柱のようなずっと堅いものからもやってきました。そうしたものを避ける傍ら,一つ一つのものをそれが何であるか見分けなければなりません。訓練士はこのいわば音の万華鏡の中をしんぼう強く導いてくれました。それで私はいろいろなものを一層はっきり“見る”ことができるようになりました。

最後に私は商店の表側と入口を見つけることを習い,一区画の中にある商店の入口を数えることができるまでになりました。その能力を試験するため,私は角から幾つめかの入口に当たる銀行に行くように言われました。私は勇気をふるって歩きはじめ,銀行だと思ったところで方向を変えて中へ入り,自信をもってカウンターと思われたところに歩いて行きました。そして,がらがらガチャン!,家具店に陳列してあった400㌦相当のランプが床にころげ落ちました。幸いに損害は保険で十分に償えました。それからというものは,想像できると思いますが,ずっと用心深くなりました。

一番むずかしかった訓練の一つは,大きな百貨店の中を一巡することでした。私にとってこれは,電子補助器とリーランドを合わせてうまく使いこなすかどうかのテストのようなものでした。それは本物の迷路の中に置かれた感じでした。人々が私のどちらの側を通っているかを訓練士に告げなければならないばかりか,カウンターや通路の位置と幅についても知らねばなりません。私は階段を上って二階に行きました。そこでは訓練士は私にわざと方向感覚を失わせようとしました。ついに一階に戻る時間になりました。来たときの入口を探しあて,リーランドの尾が回転ドアにはさまれないだけの速度でそこを通らねばなりません。その日の訓練の最後として,私たちは地下鉄の駅に腰をおろしました。訓練士は私に,電車に乗り降りする人の数を数えさせました。全く骨のおれる練習です。しかしこれらの練習によって電子補助器の価値は証明され,私はそれを体につけて歩き回ることに自信を強めました。また以上のことから私は,聴覚というものがこのようにいかに敏感に多くの音を聞き分けられるかを痛感しました。

もちろん,神から与えられた視力に匹敵するものはありません。その視力で人間は,愛の深い創造者がわたしたちの周囲に置いてくださった色や美をすべて見ることができます。それでも私は,電子補助器を通して私に開かれた,「ものを見る」新しい方法に心をおどらせています。初めてこの補助器のことを聞いたとき,私はひどく興奮しました。こんどは,私が神のこのすばらしい王国のよりよい宣明者になるのに役立つだろうか,という疑問が脳裏に浮びました。その疑問に対する答えは,トロントの商業地区と住宅地域で受けたすべての訓練によって十分に与えられました。すばらしい『王国の良いたより』を携えて戸別伝道をし,エホバに対して神聖な奉仕をすることが今はずっと容易になりました。(マタイ 24:14)それこそ私が「音でものを見る」ことを学んできた一番大きな理由だったのです。―寄稿。

[17ページの囲み記事/図版]

送波機が送り出す高い周波数の音波は物体に当たってはね返り,マイクロホーンに入る

その物体までの距離が近いほど音は低い

[図版]

受波機

送波機

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする