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目ざめよ! 1979
目79 2/22 27ページ

エホバは私を見捨てなかったことを感謝しています

(昨年)の夏にバプテスマを受けてエホバの証人となって間もなくのこと,プロテスタントの友人を訪問して聖書から証言し終わったとき,その友人は「まあ神様は思いもかけないことをされるのね。奇跡を行なわれたのね」と言いました。「だって覚えている? あなたと初めて会ったとき,たばこをくわえてマージャンに夢中になっていたわ。そしていつもそうだった。あなたがうれしそうに神とか感謝とか言うのですもの,びっくりして腰がぬけそうよ」。わたしはテモテ第二 3章1節を示し,私はだれからの言葉もきかなかったけど16節にあるように,聖書だけが自分を教え戒め義にそって訓育してくれたことを言うのでした。

私は小さい時からカトリックの学校で育ちました。高校のころ神がいらっしゃるような気がして洗礼を受けました。しかし友人に,「告解でロザリオを何回となえなさいと言われても,それで神に喜ばれると思えない」などと言っていました。そのようなわけですぐに教会の儀式にはついてゆけなくなりました。それから後は自分だけを頼みとする,あらゆる権威を認めない生活へところげていきました。何でも自分のしたいと思うことはやってみて味わってみてから良いか悪いかを決めないと悔いが残るという自論をふりまわし,他の人にもそう勧めてきました。少女時代に母親をなくした私の生活ははどめするものが何もなく,異性とのつき合い,遊び方,振る舞い,生活の全部がひどく乱れたものでした。家は友人たちのたまり場になり,週のうち何回もお金をかけてマージャンをして徹夜し,次の日は昼ごろ起きて他の楽しみを考えるという有様でした。その生活は結婚後も,子供ができてさえ変わりませんでした。それは幸福をみつけたいからであり,どうしたら充足するのか必死になって求めていたからだと思います。

そんな時にエホバの証人が訪ねてきたのです。二度目に訪ねてきたとき聖書をこちらに向けてすっと差し出されたときには昔の良い人間になりたいと思ったころのこと,そして聖書の堅苦しいに違いない生活のことが頭をよぎり,「まだ知らせてほしくなかったのに」と思いました。次に気が付いたときには机の上で向き合って創世記 3章15節を見つめていました。耳にたこの聖書の説教でなく,とてつもない膨大なことを知らせてくれそうだと思い勉強が始まりました。間もなくこれが真の宗教だと確信しました。

でも自分は……とふり返ると,あまりにもどろどろになった役立たずの雑布のような気がして絶望的な気持ちでした。たばこ,かけ事や勝負事,仲間とお酒をのんだりすることが好きでした。これらを全部捨てたら私は不幸になると思い込んでいました。

ある時の勉強で箴言 27章11節の『わが子よ知恵を得て我が心を悦ばせよ然ば我をそしる者に我こたうることを得ん』を示された日,司会者が帰られてから泣きました。「ああ,お父さん,今まで知らないでごめんなさい。こんな自分にも参加できる場所があるなんて。あなたの側につく一員になりたい」と祈ったのです。自分が良く生きるかどうかだけでなく自分の生き方が,エホバがある者に対して解答を出すときに役に立ち,しかも「我が心を悦ばせよ」とおっしゃっていることを知って以来,今まで全く一人で生きてきたのに対して,エホバの言葉と共に生活することが始まりました。しかし同時にサタンが弱いところをついてくる誘惑が露骨になってゆきました。集会に定期的に行くこと,活字を読むこと,人に伝道することなどはきらいでしたが,それでも毎日祈ったことは「エホバ,それらのことを好きにならせてください」ということでした。

正確な知識を得るにつれたばこを吸うことが良心を悩ませるようになりました。何度も何度もエホバとの約束を破りました。やはり自分には神の民となる資格がないのかと絶望的になってゆきました。自分の中に自制とか忍耐とか良いものが何もないことを痛感した最高潮のころ,「こんな状態です。でもエホバの民になりたいのです。どうにかしてください」と祈りました。それから間もなく本当にエホバが助けてくださったのです。五日間手を出そうと思っても手と口が出なくなったのです。自分でもびっくりしましたが,エホバの憐れみと愛を感じて感謝の気持ちがあふれそうでした。それからは,せきがきれたようにエホバの取決めを行なうのが楽しくなりました。(昨年)の2月の巡回大会の時,プログラムが終了しても帰りたくなく,「エホバの取決めを好きにならせてください」という祈りが本当に聴かれたことを知りました。もうこの柵から一歩も外に出たくないと思いました。今やエホバの民となる準備が完了しました。

こうして私の身の上に起こった同じことが私の多くの友人にも起ころうとしています。あっちを見てもこっちを見ても昔の仲間は今や聖書をにぎって勉強しています。その数は13人に達しました。その友人一人一人に証言するときエホバがくださった聖霊の導きを述べれば話は終わりそうにありません。「エホバ,ありがとうございます」と連発してもまだ足りません。ほんの数年前の空しく寂しい充足のない生活の代わりに今は心の底から幸せです。―寄稿。

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