創造の事実を確証する化学者の重要な発見
フィンランドの「目ざめよ!」通信員
今から100年余り前,ロシアの化学者ドミトリ・メンデレーエフaは,いすに腰掛けながら元素相互間の関係について考えを巡らしていました。メンデレーエフは,自分の行なった研究に基づいて,幾つかの元素がなおこれから発見されるはずであるとの結論に到達しました。メンデレーエフの推論は正しかったでしょうか。もし正しかったとすれば,その事実は何を裏付けているでしょうか。すべての物質が単なる偶然によって存在するようになったということですか。それとも,地球及び宇宙全体が知性を持つ創造者によって設計されたということですか。
1860年代に入るころには,今日知られている103の元素のうち,63の元素の存在が確認されていました。メンデレーエフは,何らかの秩序つまりパターンを見いだそうと,これらの元素の特性を研究していました。彼は,各元素の相対原子量から,質量の相互関係をすでに知っていました。また,一組の元素,および一つの族に属する元素の間に,幾つかの類似性の見られることにも気付いていました。こうした類似性の中には,わたしたちの日常生活でよく知られているものも少なくありません。例えば,食餌療法のため,食卓塩として塩化ナトリウムの代わりに塩化カリウムを用いることがあります。硬貨や装身具には,金や銀の代わりによく銅が使用されます。マグネシウムとカルシウムは非常によく似ているため,苦灰質石灰岩の鉱物構造上,両者は互いに入れ替えることが可能です。ある元素は非常に似通っているのに,他の元素が全く異なっているのはなぜだろうか,とメンデレーエフは疑問に思いました。
メンデレーエフは,詳細な情報を記した元素別のカードを準備し,これを壁にピンで留めることにしました。彼は,様々な特性や特徴を考慮に入れつつ,カードを原子量順に並べるために試行錯誤を繰り返しました。やがて一つのパターンが浮かび上がってきました。最初の七つの元素(水素はそれ自体で一つの組を形成するため除外する)を縦に一列に並べ,次の七つの元素をその横に置くと,横に並ぶ元素の間に驚くべき類似性のあることが分かりました。ナトリウムはリチウムの横に置かれましたが,この二つの元素は,水と反応して強いアルカリ性の化合物を作り出すのでアルカリ金属と呼ばれています。塩素とフッ素も一つの組を作りました。これら二つの気体にはいずれも塩を作り出す強い傾向があり,そのためハロゲン(造塩元素)と呼ばれています。これらは,やがてメンデレーエフの周期表として知られるようになる表の最初の二つの“周期”を構成していました。
第三欄に進むと,ナトリウムの横にカリウムが,マグネシウムの横にカルシウムがきました。ここまでは順調だったのですが,ここから先が複雑になります。メンデレーエフは,カードをいろいろと置き換えた後,ヨウ素に至るまでの,それに続くすべての元素を各々17の元素から成る二つの長い周期に配列できることを知りました。彼は,表に示されているように,短周期の部分を二分することによって,周知の化学元素族と正確に対応する最上部二列と最下部三列の元素群を発見しました。長周期の真ん中には金属元素が並びました。この中には,わたしたちが日ごろよく知っている金属も含まれています。
しかし,このすっきりした配列を完成するには,メンデレーエフは幾つかの空白を残さねばなりませんでした。この空白は,最初の長周期に三つ,二番目の長周期に一つありました。メンデレーエフは,これらの空所を気にしてこの周期表の発表を控えたりしませんでした。彼は,元素が秩序正しい一つのパターンに従って創造されたと固く信じるに至ったため,勇敢にも,未知の元素が将来発見され,空白を満たすであろうと宣言したのです。彼は大胆不敵にも,原子量や密度やその元素の形成する化学結合の型など,空所を満たす元素の性質を予告することまでしました。そして,それが属すると期待される族の特徴に従って,それらの元素に“エカホウ素”,“エカアルミニウム”,“エカケイ素”という仮の名を付けました。
“自然”の秩序に対するメンデレーエフの確信は誤っていませんでした。人々が予想していたよりもずっと早く,欠けていた元素が発見され始めたのです。1876年にはフランスでカリウム(エカアルミニウム)が,1879年にはスウェーデンでスカンジウム(エカホウ素)が,そして1886年にはドイツでゲルマニウム(エカケイ素)が発見されました。しかも,メンデレーエフ以外のすべての人を驚かせたことは,各元素の物理的特性や原子量がほぼメンデレーエフの予告通りだったことです。ついでながら,今やゲルマニウムは,トランジスタを製造する上で欠かせないものとなっています。
これらの元素が発見されるに及んで,当初はメンデレーエフの周期表をほとんど意に介していなかった科学者の間から,彼を天才科学者として賞賛する声が国際的に沸き上がりました。メンデレーエフの周期表は化学の研究や授業に欠かすことのできない重要な資料となり,今日では化学の教室や研究室の壁には必ず掲げられています。周期表の空所を埋めるのに必要な他の元素もやがて必ず発見されるということを疑う人はだれもいなくなりました。
予期せぬ新しい族の出現
その後の新元素発見により,メンデレーエフの周期表は拡張されることになりました。1894年にジョン・レイリーとウイリアム・ラムゼーが大気中の窒素からある希薄な気体を分離しました。この気体は他の元素と反応しないため,この二人によってアルゴンと命名されました。翌年,ウラン鉱石の中にさらに希薄な不活性ガスのあることがラムゼーによって発見され,それはヘリウムであることが確認されました。ヘリウムは1868年の日食の際に観測された太陽光線のスペクトルの分析によってすでに知られていましたが,それが地球上に存在することは当時はまだ確認されていませんでした。これらの予期せぬ元素は周期表のどこに置かれるべきでしょうか。
メンデレーエフは,周期表が不完全なのではないかというラムゼーの説を徹底的に検討し,これら二つの元素の属する新しい族を設定することを提唱しました。不活性ガスから成るこの新しい族はアルカリ金属の前に置かれました。しかしこれは,周期表の新しい列を埋めるべく,さらに三種の不活性ガスが発見されなければならないという意味でした。果たせるかな,それからわずか三年もしないうちに,ラムゼーの研究室で,大気を構成するさらに微量な三種の気体,ネオン,クリプトン,キセノンが発見されました。それらの原子量は周期表のふさわしい場所にきちんと収まりました。
創造を裏付ける証拠?
これらの事実は創造を裏付ける真実の証拠となるでしょうか。元素が全く偶然に形成されたのであれば,多少のばらつきはあるにしても,元素の原子量はある平均的な数字に集中しているのではないでしょうか。それだけでなく,密度や融点や化学反応などの特性も元素によってまちまちになっているはずではありませんか。元素間の相関関係を期待できるのはなぜでしょうか。偶然に形成されたものであれば,種々の元素を極めて明白な類似性を持つ幾つかの族に類別することなど期待できるものではありません。
ところがメンデレーエフの周期表は,物質のつくりのどこを見ても,それが決して無規律なものではないことを証明したのです。それが極めて秩序正しいことからして,物質が偶然に存在するようになったとは思えません。物質のこの基本構造に見られる極めて複雑なパターンは,設計された証拠となるものです。
これは,知性を有する設計者つまり知恵に富む創造者が存在していることを示す強力な証拠であると思われませんか。それとも,さらに多くの証拠を望まれますか。その後,新たな証拠が明るみに出ることになっていました。事実,一群の不活性ガスが加えられたことにより,周期表の短周期は八つの元素に,長周期は18の元素に広げられました。これはその後,原子構造論が完成を見るための土台となりました。
新しい証拠
さらに意欲的な研究が進められ,原子内の詳細な様子が明らかになってきました。まず,J・J・トムソンによって,どんな原子からでも負の電荷を帯びた電子を分離できることが示されました。アーネスト・ラザフォードは,原子の正電荷が原子核と呼ばれる極めて微小な領域に集中していることを明らかにしました。ニールス・ボーアは,原子が太陽系に似ており,原子核を中心とする軌道上を多数の電子が回っていると考えました。正電荷はある単位電気量の整数倍になっていました。水素にはわずか一単位の電荷しか有りません。この単位電荷体は陽子と呼ばれます。個々の元素は一定数の陽子を有する原子から成っていました。そして,原子核中の陽子と同数の電子が軌道上にあるため,全体としては電気的に中性になっていました。
ヘンリー・モーズリーの注目すべき発見によって,各原子の有する陽子と電子の数を正確に知ることが可能になりました。モーズリーは原子内部の最も深い位置にある電子がかく乱されるときに放射される種々の元素のX線のエネルギーを測定し,そのエネルギーが,整然とした数学的秩序を保って,メンデレーエフの周期表上に並ぶ元素順に増大している事実を発見しました。表に空白のある個所では,エネルギーの差は二倍もありました。モーズリーは各元素に順次番号を付けることを提唱しました。始めの水素は1,ヘリウムは2といった具合いです。この原子番号は,各原子の原子核中の陽子の数および電子の数と同じです。
この番号は,元素の特性を整理する上で原子量よりもさらに基本的なものであることが明らかになりました。元素を原子番号順に並べると,例外なく周期表上の所定の位置にきちんと収まりました。メンデレーエフはアルゴンをカリウムの前にもってくる必要があると考えましたが,アルゴンの原子量は40,カリウムの原子量はわずかに39でした。化学的な調和を図るために順番を入れ替える必要の生じた他の個所も,モーズリーの原子番号によってすべて説明できるようになりました。こうして,あらゆる矛盾点が解決されました。また,原子番号を正確に定めていくことによって,どの元素が未発見であるかを明言できるようになり,他に空白は残されていないことが確かめられました。これにより,不活性ガスが登場した時のような仕方で,新しい族が出現する余地はなくなりました。
1925年までに,水素からウランに至る元素の一覧表が確定し,各元素は周期表の92の位置に正しく置かれました。これには四つの空白が依然含まれていました。そのうちの二つ,85番と87番の元素は放射性元素であろうと考えられました。ビスマスより原子番号の大きい元素はいずれも放射性元素だったからです。43番と61番という他の二つの元素については,微量元素の鉱石を分析するなど,懸命な研究が行なわれました。しかし,何人かの化学者がそれらを発見したと主張したものの,やはりその存在は確証されませんでした。
殻の中の電子
ボーアはある理論を導入し,他の科学者がそれをよりち密なものにしていきました。それは,電子の軌道は幾つかの殻の中に収まっており,各々の殻の中に入る電子の数には限界があるという理論です。最も内側の殻には,わずか二個の電子しか入ることができません。この殻の中の電子は最小の軌道を描くことになります。幾分大きな軌道の次の殻には,最高八個の電子が入ります。第三番目の殻には18個,第四番目の殻には32個まで入ります。これらの数は,ボーアの“量子”論に基づいて,円や楕円など,軌道の取り得る様々な形を研究した結果得られたものです。
これらの殻がどこまで詰まるかは各原子の電子数つまり原子番号に依存しています。例えば,ヘリウムの場合は,最内殻が二個の電子によって満たされています。リチウムからネオン,つまり原子番号が3から10までの元素では,二番目の殻の電子が一個から八個まで順次増加しています。次のナトリウムは11個の電子を有しているため,三番目の殻に電子が一つ入っています。このようにして,殻内の電子が増えていきます。
他の原子との相互作用は外殻の電子に支配されています。つまり,元素の化学反応は外殻にある電子の数に依存しているのです。これで,リチウムとナトリウムが同族に属している理由が分かります。両者とも外殻の電子の数が一つだからです。これは,他のアルカリ金属,カリウム,ルビジウム,セシウムについても言えます。フッ素,塩素,臭素,ヨウ素のハロゲン族の元素は,いずれも外殻に電子を七個持っています。
ネオン,アルゴン,クリプトン,キセノンという不活性ガスは外殻に電子を八個有していることが明らかになりました。電子が八個あると非常に安定した状態になります。これらの原子は自分自身に満足していて,電子をやり取りしようという他の原子の申し出をはねつけているようなものです。それに対して,ナトリウムやカリウムの中の不安定な電子は簡単に失われてしまいます。これらの金属は,ほとんどすべての物質と,水や空気とさえ激しく反応します。周期の逆の端にあるフッ素や塩素は,他の元素から電子を一つ取って,電子数八の安定した状態になろうとします。そのため,これらの元素も化学的に活発です。しかし,それはナトリウムやカリウムとは反対の理由によります。
金属ナトリウムは化学反応を起こしやすいため,取り扱いが非常に危険です。また,気体の塩素元素は極めて有毒です。しかし,ナトリウムから塩素に電子を一つ移すと,どうなるでしょうか。塩素は,不足している電子が補われた状態になり,不活性ガスであるアルゴンと同じく,外殻に八個の電子を持つことになります。そして,ナトリウムも,ネオンと同じく,外殻に八個の電子を持ちます。このため,化合物である塩化ナトリウム(通常の食卓塩)の中の両元素はともに全く無害となり,食べても安全です。
中性子の発見によって全容が明らかになる
しかし,原子のもう一つの重要な部分に関する知識が依然として欠けていました。周期表をご覧になると,水素を除く全元素の原子量が,原子番号の少なくとも二倍以上になっていることに気付かれるでしょう。陽子は一単位の重量しか有していないはずです。では,六個の陽子しか有していない炭素の原子量が12であるのはなぜでしょうか。この難題は,1932年に中性子が発見されるに及んで解かれました。中性子というのは,陽子とほぼ同じ質量の粒子ですが,電荷を有していません。つまり,炭素は,六個の陽子と六個の中性子でできた核及び陽子の電荷と均衡を取るように核を取り巻く軌道上を回っている六個の電子から成っているのです。
元素の中には,核中の中性子の数が異なる同位元素を有しているものが少なくありません。例えば,炭素原子には,ごくわずかながら,六個ではなく七個の中性子を持つものがあります。中性子の数が違っても,電荷が変わったり電子の配置が変わったりすることはありませんが,原子量には変化が生じます。メンデレーエフが二,三の個所で原子量の順番が入れ変わっているのを発見したのは,中性子の数にこうした変化があるためです。
原子の大半は空虚な空間で占められていますが,軌道を回る電子の速いスピードやその作用によって,固体ないしは液体の外観を呈することになります。どんな物質であれ,原子の中の陽子,中性子,電子は同じです。すべての物質はこれら三つの構成要素から成り立っています。では,何が様々な物質を作り出しているのでしょうか。それは,原子核にある陽子の数と,原子核を取り巻く殻中の電子の配列や数にすぎないのです。これらすべてが本当に小さなものであることを思いに留めてください。原子の直径は,二億もしくは三億分の一㌢にすぎないのです!
このように,現代の原子論は,元素が一つの秩序ある構想に基づいて創造されたというメンデレーエフの信念の正しさを驚嘆すべき仕方で確証しました。その原子論は,原子量によって元素をほぼ正しい族に類別できる理由を説明するものとなりました。またメンデレーエフが変更を加える必要があると感じた例外的な個所についても,正しい説明がなされました。同族内の元素に化学的類似性の見られることも理論的に説明できます。これらの元素が,調和に満ちた一つの美しい体系を作り上げていることは明らかです。こうした体系を発見した人物を高く評価するのは正当なことです。であれば,その体系を考え出し,各々の元素をこうした深い意味のあるパターンに従って創造した方には,なおいっそうの誉れが帰されてしかるべきでしょう。
周期表が完成する
今日では,メンデレーエフの周期表上の空所はすべてふさがりました。原子番号85番と87番の元素は,予想通り,ウラニウムの放射性崩壊系列の中間生成物で,ごくわずかしか存在しないことが判明しました。43番と61番の元素は,サイクロトロンや原子炉を利用した人工核変換によって,人工的に造り出されました。各元素の同位体も幾つか造り出されましたが,それらはいずれも放射性元素で,地球の年齢よりずっと短い時間で完全に崩壊してしまうことが明らかになりました。これらの元素が“自然界”に発見できないのは,こうした理由によります。
さらに,“超ウラン”元素が造り出されることにより,92の元素の並ぶ当初の周期表は大幅に拡張されました。ここでも,原子炉やサイクロトロンが大きな役割を果たしました。もちろん,これらすべては放射性元素で,質量が大きいほど不安定です。これまでに,原子番号103までのすべての元素が確認されています。しかし,重い元素は数分で崩壊してしまうはかない存在であるため,これを捕捉し,研究することは,かなりの困難を伴います。
原子番号103までのすべての元素が明らかになることによって,メンデレーエフが100年前に懸命に考察を重ねた周期表は,今や完全なものとなりました。既知の元素の間に,他の元素が入り込む余地はありません。新しい元素が発見されるとすれば,それは周期表の端に加えられることでしょう。ソ連や米国の科学者の中には,104番および105番の元素を発見したと主張している人もいますが,それらはいずれも確証されていません。
創造か,盲目的な偶然か
原子についてすべてを語り尽くしたわけではありませんし,この記事の中でわたしたちが考慮した問題は限られたものにすぎません。しかし,この驚くべき秩序と調和は,創造の事実を確証する強力な証拠,つまり自分が行なっている事柄を知っている創造者なる至上者の存在することを示す証拠であるということに同意されませんか。わたしたち自身を含め,わたしたちの周囲にあるすべての複雑な物質が,中性子,陽子,電子という三種の単純な構成要素で造り上げられていることなど,だれが想像し得たでしょうか。その驚くほどの多様性にも目を向けてください。あらゆるものの中に見られる美と調和を観察してみてください。
物質や原子や元素について学ばねばならない事柄が多く残されていることは明らかです。しかし,物質の基本的な配列をこのように簡単に考察してみるだけでも,その知識は,知性を持つ設計者なる創造者のみ手の働きの強力な証拠となることが十分に分かります。(ヘブライ 3:4)物質は盲目的な偶然によって存在するようになったのではありません。
[脚注]
a ドミトリ・イワノビッチ・メンデレーエフは1834年にシベリアのトボリスクに生まれ,1907年にロシアのサンクトペテルスブルクで没しました。
[19ページの図表]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
殻の中の電子の配置
番号 元素名 第1 第2 第3 第4 第5 第6
1 水素 1
2 ヘリウム 2
3 リチウム 2 1
4 ベリリウム 2 2
5 ホウ素 2 3
6 炭素 2 4
7 窒素 2 5
8 酸素 2 6
9 フッ素 2 7
10 ネオン 2 8
11 ナトリウム 2 8 1
12 マグネシウム 2 8 2
13 アルミニウム 2 8 3
14 ケイ素 2 8 4
15 リン 2 8 5
16 硫黄 2 8 6
17 塩素 2 8 7
18 アルゴン 2 8 8
19 カリウム 2 8 8 1
20 カルシウム 2 8 8 2
21 スカンジウム 2 8 9 2
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26 鉄 2 8 14 2
* * *
30 亜鉛 2 8 18 2
31 ガリウム 2 8 18 3
32 ゲルマニウム 2 8 18 4
33 ヒ素 2 8 18 5
34 セレン 2 8 18 6
35 臭素 2 8 18 7
36 クリプトン 2 8 18 8
37 ルビジウム 2 8 18 8 1
38 ストロンチウム 2 8 18 8 2
* * *
53 ヨウ素 2 8 18 18 7
54 キセノン 2 8 18 18 8
55 セシウム 2 8 18 18 8 1
56 バリウム 2 8 18 18 8 2
* * *
82 鉛 2 8 18 32 18 4
* * *
[21ページの図表]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
メンデレーエフの元素周期表 近似原子量付記
2 10 18 36 54
ヘリウム ネオン アルゴン クリプトン キセノン
4 20.2 40 83.8 131.3
1 3 11 19 37 55
水素 リチウム ナトリウム カリウム ルビジウム セシウム
1 7 23 39 85.5 133
4 12 20 38 56
ベリリウム マグネシウム カルシウム ストロンチウム バリウム
9 24.3 40 87.6 137.3
5 13 21 39 57-71b
ホウ素 アルミニウム スカンジウム イットリウム
10.8 27 45 89 139-175
22 40 72
チタン ジルコニウム ハフニウム
48 91.2 178.5
23 41 73
バナジウム ニオブ タンタル
51 93 181
24 42 74
クロム モリブデン タングステン
52 96 183.8
25 43 75
マンガン テクネチウム レニウム
55 99 186.2
26 44 76
鉄 ルテニウム オスミウム
55.8 101 190.2
27 45 77
コバルト ロジウム イリジウム
59 103 192.2
28 46 78
ニッケル パラジウム 白金
58.7 106.4 195
29 47 79
銅 銀 金
63.5 107.9 197
30 48 80
亜鉛 カドミウム 水銀
65.4 112.4 200.6
31 49 81
ガリウム インジウム タリウム
69.7 114.8 204.4
6 14 32 50 82
炭素 ケイ素 ゲルマニウム スズ 鉛
12 28 72.6 118.7 207.2
7 15 33 51 83
窒素 リン ヒ素 アンチモン ビスマス
14 31 75 121.8 209
8 16 34 52
酸素 硫黄 セレン テルル c
16 32 79 127.6
9 17 35 53
フッ素 塩素 臭素 ヨウ素
19 35.5 80 127
この表は1869年にメンデレーエフが発表した最初の形ですが,メンデレーエフによって行なわれた1871年の改訂も含まれています。最近の周期表では,周期は横に,族は縦に並んでいるのが普通です。ここに掲げられている原子量の数値の多くは,メンデレーエフの時代に知られていたものより正確です。1871年以後に発見された元素と1913年以来使用されている原子番号には色が付されています。
[脚注]
b メンデレーエフは,バリウムとタンタルの間の第三,第四グループに,当時存在が知られていた四種の稀土類元素ランタン,セリウム,エルビウム,ジジミウム(後にネオジムとプラセオジムの混合物であることが判明)を置きました。これまでに,合計15種の稀土類元素が発見されており,これらはいずれもイットリウムと同族です。
c ビスマスより重い二つの元素トリウムとウランはここに示されていませんが,メンデレーエフはこれらの元素を第六周期の第四,第六族にそれぞれ別個に置きました。
[16ページの図版]
ドミトリ・イワノビッチ・メンデレーエフ