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目ざめよ! 1979
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ディスコの起源は何か

物の起源,つまり源は,たいていそこから生み出されるものと深いかかわりがあります。では,ディスコの場合はどうでしょうか。ディスコの起源はどこにありますか。

驚かれるかもしれませんが,ディスコワールド誌の1978年1月号の表紙を調べてみるとよいでしょう。その表紙には,中の記事の一つを宣伝する,次のようなことが書かれています。

パーティー族 ディスコの同性愛的な起源

びっくりされましたか。しかし,同性愛者たちがディスコの発展と大いに関係のあったことはまぎれもない事実です。そして,同性愛者たちは依然としてその背後にある主要な勢力なのです。「ディスコ・フィーバー」という新刊書はディスコの一覧表を載せ,こう論評しています。

「読者の中には,ここに挙げたディスコテックの多くがゲイ(同性愛者)・ディスコまたはゲイ・クラブであることに気付かれるだろう。ビルボード誌[著名な娯楽産業雑誌]の推定によると,我が国のディスコテックの少なくとも50%はゲイである。ディスコ流行の推進力は主にゲイ社会から得られたのであるから,それも驚くにはあたらない。音響と装飾に凝った新しいゲイ・クラブに関するニュースが広まると,ダンス好きの正常な人々がどうしてもその門戸をたたくようになる」。

ディスコと同性愛者のつながりを隠す人はひとりもいません。それどころか,デトロイト・フリー・プレス紙は次のように述べています。「ディスコは,ゲイの参加が公に宣伝された最初の文化的な出来事として,記憶にとどめられるであろう」。

それどころか,そうしたゲイとのつながりを誇るような傾向もあるようです。現代の音楽の社会的意味を専門分野にしている,バンダービルト大学の社会学の教授,リチャード・ピーターソンの意見によると,ディスコの世界がゲイの世界であるということは,「単に容認できるというだけでなく,ある意味でいきなこととさえされている」のです。

確かに近年になって,性道徳の規準は大きく変化しました。そして,現代の生活を特徴づけるものの中で,恐らくディスコほどその変化を大きく映し出しているものはないでしょう。この事実を示しながら,ホライゾン誌,1977年5月号は次のように述べています。

「ディスコで,社会慣習と性に対する態度の極めて著しい変化を象徴しているものは男同士および女同士のダンスである。

「欧米の高級なディスコの中には,踊りたいと思う人すべてに門戸を開放するようになったゲイ施設としてスタートしたものもあるが,それは秘密でも,ゴシップに対する言い訳でもない。……あるディスコがゲイ用か“混合”用かという事実は,大新聞のナイト・ライフ特集の中で気軽に触れられている。そこでは,つい最近までスキャンダルの種になっていたような自由が,当たり前のこととして扱われている」。

憂慮すべき問題?

事態を憂慮するどころか,性の規準の変化を賞賛する人も少なくありません。そうした人々は,規制がわきへ押しやられるのを見て喜び,ディスコに群がる人々の間に極めて明らかに見られる,新しい性の自由を歓迎します。しかし,聖書の教えを尊重する人々は憂慮しています。なぜでしょうか。

それは,聖書が同性愛を是認することも,大目に見ることもせず,それを非としているからです。イスラエルの国民に対するその律法の中で,神はこう語られました。「女と寝るのと同じようにして男と寝てはならない。それは嫌悪すべき事である」。(レビ 18:22,新)これはどれほど重大な問題だったのでしょうか。

神の言葉はこう答えています。「男が,女と寝ると同じようにして男と寝た場合,その二人は共に嫌悪すべき事を行なったのである。彼らは必ず死に処せられるべきである。彼らの血がその者たちの上にある」。(レビ 20:13,新)そうです,これが同性愛に対する神の見方でした。

神の見方は変化したでしょうか。クリスチャンに与えられた,使徒の次の諭しを検討するとよいでしょう。「あなたがたは,不法な者が決して神の王国を所有するようにはならないことを知っているはずである。間違ってはいけない。淫行の者,偶像礼拝者,姦淫や同性愛的倒錯の罪のある者はだれも……神の王国を所有することはない」― コリント第一 6:9,10,新英訳聖書。

そうです,神の言葉は,同性愛が間違っており,そのような生活様式に足を踏み入れる者は神の祝福を享受しないことを,率直に示しています。この点を考えると,なぜクリスチャンの監督がディスコの流行を憂慮するかがお分かりになりませんか。

しかし,ディスコにはほかの起源もあります。それは何ですか。

音楽とダンスの起源

冒頭の記事の中で,ディスコ音楽は最近の流行であると述べました。しかし,権威者によると,その起源はずっと以前の時代にまでさかのぼります。1977年9月の「ディスコ音楽の進化」という特集記事の中で,ディスコワールド誌はこう述べています。

「ディスコ音楽をディスコ音楽たらしめているもの,ディスコ音楽を形造っているものは,実のところ,そのビートである。

「そして,これは知らない人にお知らせすることだが,ディスコのビートは1965年のある晴れた朝に始まったのではない。……また,それから十年後,バン・マッコイが自分の“ザ・ハッスル”で初めてヒット・チャートに打って出た時でもない。そのビート ― ディスコ音楽の基本 ― は,アフリカのものである。

「起源といえば,今日ディスコへ行く人は,基本的に言って,大昔,アフリカの西海岸で行なわれていた儀式の1977年版に参加しているのである。確かにディスコ音楽は,24トラック録音,シンセサイザー,鼓膜を破るような音を出す拡声装置,メッキの施された弦楽器,甘くささやくようなボーカルなど,最新の技術を駆使したとはいえ,けばけばしいだけのがらくたで飾り立ててある。しかし,そうした装飾すべてを取り去ってしまえば,人々は,クンタ・キンテの先祖を駆り立てたに違いない,その同じビートにひたっているのである」。

古代アフリカに起源があるということ自体が理由で,ディスコ音楽はふさわしくないというのですか。もちろんそうではありません。その音楽が古代アジア,ヨーロッパ,アメリカに起源があったところで同じことです。しかし,問題と関係があるのは,その古代音楽の目的です。この音楽に合わせて,どんな踊りが踊られたのでしょうか。

ディスコ関係の文書は,それら古代の踊りとその目的について注解を述べています。事実,現代のディスコの踊り手たちは,それら古代の踊り手たちの奔放で狂ったような踊り方を見倣うよう教えられ,自分にあるかもしれない抑制力をかなぐり捨てるよう勧められています。ディスコワールド誌の1977年5月号は次のように述べています。

「原住民は,その狂乱した体から悪魔や邪悪な霊を追い払い,新しい作物を産出するよう“母なる大地”をなだめるために踊った。春になると,“多産の儀式”の際に踊った。女たちが健やかな子供を育て,種族を絶やさないようにするためである。新しい生命の誕生を祝うため,また死の準備をするためにさえ踊った。しかし,その踊りのはっきりした目的が何であろうと,との踊りも実際にはその神々に対する崇拝の表われである。その崇拝は,神々に敬意を示すもの,神々の善意を求めるもの,あるいは神々の怒りを静めるもののいずれかである。……しばしばそのエネルギーが高じて,流される血が神々をなだめてくれればとの願いを込め,若い処女や子羊がいけにえとされたものである」。

それから,現代のディスコの踊り手たちに対する助言として,この雑誌の記事はさらにこう述べています。「それはただ自分自身を解放するというだけの問題だ。まず最初に,自分の精神を解放しなければならない。そうすれば,体はそれに付いて行く。踊るとき,私は宇宙に飛び出すかのような気分になり,自分の体を離れてしまう」。

ディスコワールド誌の別の号は,「ブードゥー教徒,原始的な部族民,ブラジルのマクンバ,カラハリ砂漠のブッシュマンなどの間に見られる」ディスコの起源に注意を引き,さらにこう助言しています。「人間の体は互いに混じり合うエネルギーの複合体で,より大きな宇宙的エネルギーとさえ結び付いている。古代人はそのような見方をしており,我々はこの点を再び学び直そうとしている。徐々に気付かなくなるまで,踊っている間,あらゆる感覚を意識するよう努め,自分を周囲にとけ込ませるのである」。

ディスコで踊る人々はこの種の助言に従っていますか。そうした人々は,通例,狂ったような放縦さに身を任せますか。「ディスコ・フィーバー」という新刊書の述べるところに注目するとよいでしょう。「ディスコテックと共に,ディスコ風ダンスがもたらされた。これはハッスルの範ちゅうからは全くかけ離れた形のダンスではあるが,ダンスのフロアーではハッスルと少しも違和感がない。……ディスコ風ダンスは ― それがフリースタイル,あるいは自由型と呼ばれているかどうかにかかわらず ―“自分の好きなことをする”ダンスである」。そうです,それは抑制されない,何でも許されるスタイルのダンスなのです。

しかし,それに異存がありますか。古代の人々がその神々を崇拝する際に用いたスタイルのダンスを採用するのは間違っているのでしょうか。そうです,真のクリスチャンにとってそれはふさわしいことではありません。なぜなら,創造者,すなわち聖書の神は,それら諸国民の神々を非としておられるからです。創造者は,参加者と観客双方の情欲をかき立てるよう作られている多産の踊りを是認されませんでした。古代イスラエル人の間に発展した事態を嘆いて,聖書はこう述べています。「彼らもまた,自分たちのために,すべての高い丘の上やすべての生い茂った木の下に,高き所[みだらな儀式の行なわれた場所]や聖柱[バアルの神の男根の象徴]や聖木[カナン人の多産の女神を表わす]を建てていた。それに,この国には神殿男娼さえいた。彼らは,エホバがイスラエルの子らの前から追い出した諸国民のすべての忌み嫌うべき事をそのとおりに行なった」― 列王上 14:23,24,新。イザヤ 57:5-8。

しかし,性的に興奮させる多産の踊りが行なわれた古代の場所と現代のディスコで行なわれている事柄を比較する根拠が本当にあるのでしょうか。では,ディスコをもっと詳しく調べてみることにしましょう。

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