エホバの証人の王国の忠節地域大会
7月に4か所で大会があったあと,8月に14の都市で引き続き「王国の忠節」地域大会が開かれました。過去にもそれらの都市で大会が開かれたことがありましたが,神戸市(エホバの証人の戦後の活動の出発となった所のひとつ)ではなんと1958年以来23年ぶりになりました。その当時,全日本から集まった証人の合計は881名だけでした。今年は神戸周辺だけで6,144人の出席がありました。今年で二回目となった熊本市では昨年の証人たちの良い振舞いの結果として地元の人々のよい支持と関心が示されました。その大会の第三日目には地元のテレビ局が取材に訪れ,その日のプログラムの一部が夕方のニュース時に放映されました。その都市の証人たちが,出席者たちのために解体工事があった空地を駐車場にするため草刈りとくぎ拾いに汗をだしました。なんと,集めたくぎは500㌔㌘にもなりました。
東北の郡山市での大会も同様の経験をしました。クリスチャンの集まりについて十分に理解されないまま大会の初日を迎えました。それほどの関心を向けていなかった会場の責任者は,エホバの証人の大会の第一日目を見て,その見方が変わり次の日の職員たちとの朝礼のとき,エホバの証人たちを市のお客さんとして温かく迎えるようにと話したと伝えられました。約3,700人がそこに集うことができました。
大会に出席するクリスチャンたちは,その機会を善用して他の人々に伝道することがあります。故郷の新潟大会に出席した川崎市の若い男の人は,歩いて新潟までゆき,道々会う人々に聖書の伝道をしてゆく計画を立てました。しかし伝道しながらゆくのに上野近くまで約10時間もかかってしまいました。予定を変更して列車でその後の旅を続けることになりましたが,車内でも「たっぷりと」新潟に着くまで人々に証言を続けたのです。彼の幸福そうな表情は聖書の真理を学んだ結果と,それを他の人々に熱心に勧めることから生まれたのでしょう。
青梅市の一クリスチャン婦人は所沢大会に出席する途中女の子を連れた主婦に「西武園の遊園地」へゆく道を尋ねられました。自分もそこにゆくので一緒に行くことにしました。子供を育てることに不安があるというその主婦の言葉から話をはじめ,聖書に子供の懲らしめについての優れた教えがあると伝道し,手引きの本を会場で求められることを話しました。その方は会場まで来て,午前中のプログラムを聞いて楽しみました。その主婦の方は,おしゅうとさんとの仲たがいがあって,その日子供を連れて遊園地に行こうとしていたのでした。そのエホバの証人はこのことに神の導きを感じました。
他の信仰を強められる報告の中には困難のなかにあっても四日間の大会すべてに出席しようとした忠節な婦人のものがあります。20年ほど前から特別開拓者(エホバの証人の全時間伝道者)として奉仕したその女性は今腎臓の病気で週2回の人工透析を受けています。最近数年間は夏の大会に全日出席することはできませんでした。五日間連続して透析ができなくなるほか,水分塩分の制限のため暑い夏は特に苦しいからです。しかし,祈りのうちに計画を立て,その結果として,秋田市の大会に二日間,そして郡山に後半の二日間というようにして,5年ぶりにすべてのプログラムを聴くことができました。彼女の祈りをこめた努力と難病にもめげぬ態度は他の人々を励ますものでした。
8月の前半は台風などの影響で気温が低く,多くの都市では快適な大会となりました。しかし,台風の影響をまともに受けた北海道では全道のエホバの証人たちにとって大会出席の努力は並々ならぬものがありました。それについての報告の一部を紹介しましょう。
大会の直前から降り出した雨は台風の影響をうけた低気圧によるものでやがてそれは600年に一度といわれる札幌気象台はじまって以来の猛降雨量のものであることが判明しました。この豪雨のため北海道全域で鉄道や道路が被害を受け,また河川のはんらんのため洪水が引き起こされました。大会前日の国鉄ダイヤは一日中ついに無ダイヤの状態に追い込まれました。大会初日の時点で道路の損壊は1,212か所,橋の流失147か所,堤防の決壊21か所にも上り洪水のひどかった江別市では市の3分の1が水に浸りました。このような中で北海道各地のエホバの証人たちがどのように札幌市の大会に出席したかについて知るのは胸の熱くなる思いがします。
釧路 ― 大会前日の朝に汽車で128人が釧路をたつ予定であった。9時に鉄道不通の知らせを受け旅行会社に直ちに相談し,3台のバスで出かける手配がされた。是非大会に出席したいとの熱意が旅行社の係員を動かした。狩勝峠が無理な場合旭川へと遠回りしても札幌まで乗客を運ぶことに同意してくれた。午後4時の出発となったがバスに乗り込んだ後道路状況がさらに悪化しており,出発は翌日(大会当日)に延ばされた。この間,証人たちは皆冷静に従順に,世話をする責任をもつ兄弟の指示に従った。翌日も不安が残る状況だったが12時に出発となった。ところがバスに乗りたいという希望者が37人増え,乗りきれない状態となった。しかし前日の2台の大型と1台の小型のバスにかえ,3台の大型バスが出発の時には来たので全員乗ることができた。約10時間をかけ無事に夜の10時に札幌に着き,大会二日目から出席できた。
美幌 ― この会衆からの証人たちも集中豪雨の困難な状況をエホバの保護と兄弟たちの愛によって切り抜け大会に出席できた喜びを語ってくれた。朝9時に中型バスで出発した。途中通過した石北峠は通行後すぐにがけくずれのため通行止めになった。5時間半かかり旭川まで到着した。そこから進んだが二つの道路ともひどいところは1㍍も水に浸っている有様でどうしても引き返さざるを得なくなり旭川にもどった。地元のエホバの証人に連絡をとるとすぐに手配してくれて,王国会館でひとまず休憩をとることができた。そればかりか地元のエホバの証人たちは自分たちの事も同じように気懸りな状況の中にありながら,遠くから来た仲間の証人たち40人のために夕食を用意して深い愛を示した。状況が悪化しつつある中で相当遠回りになるが1本の道が走れそうだとの情報が入った。ある証人のひとりが現在その道路を走っており,可能なら電話連絡があることになっていた。その情報をたよりに,合計11台の車が夜8時に旭川を出発した。さらに通行止めやう回を重ね,朝4時に会場に到着。美幌を出てから実に20時間を要するものであったが,エホバの保護と仲間の信者の親切により大会の第一日目から無事出席できたことは感謝であった。
芽室 ― この群れの独身の姉妹たち二人は大会二日前に家を出て国道12号線奈井江町から5時間もかかって岩見沢市に来たが,道路が各所で寸断しそれ以上進めなかった。その夜は地元の証人のところに一泊した。雨はその晩も降り続き,ほとんどすべての道路が不通となった。ますます雨が多くなるとの情報にとにかく行けるところまで進む決意をした。エホバの保護と道理をわきまえた良い判断ができることを祈りつつ,冒険のように感じられる水害の真っただ中をバイクで出発した。そして地元のタクシーの運転手が親切にも札幌に行くための裏道を利用する特別な道を教えてくれた。この時点で主要な道路のすべては通行止めであった。大変な緊迫感と危険を冒しつつ,洪水地帯をバイクで突きぬけ無事札幌に到着した。最初のプログラムから聴くことができた。
厚岸 ― この群れの4人の伝道者の姉妹たちは釧路まで車で出て釧路から飛行機で出席することにした。他の方法は見当らなかったからである。大会の初日,朝5時に釧路飛行場につき空席を待った。自分たち4人の空席待ち番号は18から21番であった。皆が一緒に乗れるようにと祈りつつ時を待ち続けた。祈りが聞きとどけられたかのようにちょうど21番目の姉妹まで乗ることができ一日目の夕方6時頃会場に到着した。
旭川 ― ある婦人の奉仕者は大雨のため前日にたてず,大会当日の朝,なんと午前2時にタクシーで旭川をたち日高を回って札幌に向かった。運転手に自分の信仰を弁明し,その真の熱心さを理解した運転手は札幌に向け夜中の2時にその奉仕者を乗せ走りに走った。普通なら3時間で2,500円前後で来れるところを約4万円の費用をかけ朝7時半に会場に到着した。この人はこの大会でバプテスマを受けることを望んでいた。「初めが大切ですし,エホバの備えをおろそかにしたくないと思いました。何らかの手段を取ってでも行けるなら行きたい」と願っていました,と語った。そして無事水の浸礼を受け,喜びの131人の一人に加えられた。
稚内 ― 日本最北端,稚内会衆からの団体バスの約60人も天塩川の増水のため,道路が危険で通行止めされ引き返さねばならなかった。一たん稚内にもどり,家に帰って一夜あけた大会初日,慎重に考慮の上再びそのバスは札幌めざし一路南下した。数多くの不通箇所があったがラジオニュースや係員の指示に注意しつつ祈りのうちに進む道を検討し,ついに夕方6時頃会場へと到着した。
北見 ― ある主婦の姉妹は8歳と6歳と3歳,そして生後70日目の赤ちゃんを連れて大会に出席していた。大会前日の汽車は台風の影響で走らなかった。しかし大会には是非出席したいと思い近くの姉妹たちと連絡を取り,レンタカーで行けるのではないかと話し合いレンタカー会社と交渉した。大会二日目となっていたが朝7時半北見を出発し8時間をかけ札幌に着いた。そして大会の三日目からのプログラムを楽しんだ。この姉妹はもし満員の汽車で来る以外にはなかったとしても赤ちゃんを負い子供の手を引き,たとえ立っても出席する覚悟でいたと語った。忠節な態度は本当にすばらしいものであった。
函館 ― 大人8人子供7人の一群のエホバの証人たち(大人は全員姉妹たち)は災害のニュースを聞き汽車が不通になったことを知ったが,神の準備された霊的食物が決して無駄にされることはないとの確信をもって,「どうぞ,札幌まで行く手段を教えてください。そして無事に行けますように」と不可能を可能にされる神に祈った。(マタイ 19:26)駅で持久戦を覚悟していたが他の会衆のエホバの証人から電話がはいり函館から長万部までバスで,そしてそこから虻田まで汽車で,そこから洞爺湖温泉までハイヤーに乗り,そこから目的地の札幌までバスが運行されているという情報を入手した。一行は一刻も早く長万部へ着くことを願い正午前の満員バスに乗り込んだが,長万部に着いた時には予定より20分遅れていたため頼みの汽車は10分前に発車したあとであった。さらに途中から引き返した特急列車の乗客を乗せた代替えのバスも札幌へ向けて出発したばかりであったため,やむなく洞爺湖温泉までハイヤーに乗って行くことにし,駅の案内にその洞爺湖温泉から札幌へ行くバスの時間を尋ねたところ15時が最終とのこと,すでにその時には15時になっていた。このままでは長万部の駅に泊まるかハイヤーで札幌へ行くか以外に方法がなかった。ところがそばで話を聞いていた若い女性の旅行客が時間表をしらべたところ駅員が気づかなかった他のバス会社のバスがあることがわかり,今から1時間以内でそこに着くなら間に合うことが判明した。不安もあったがまず行ってみようと決定した。親切なハイヤーの運転手が15人が乗れる3台の車を集めてくれ,その運転手たちは彼らの事情を聞き最善の努力をしてそのバスの時間までに運んであげようと約束してくれた。長万部をたちハイヤーで虻田の駅にさしかかった時,「札幌行き」のバスが目にはいりそのバスに乗れるかどうか尋ねると補助席であれば可能であるとの返事が返ってきた。あとでわかったことであるがこのバスは長万部で乗り遅れたバスであった。札幌の宿舎に無事到着したのは午後の8時であり10時間をかけた手に汗をにぎる旅であった。「私たちは余分なお金をもち合わせていたわけではありませんでしたのに計算しますと汽車賃とあまり変わらない料金で来ることができました。これも私たちの事情を良くご存じの全能の神のなせる業以外考えられない事でした」と大会に最初の日から出席できた喜びを語っていた。
ある16歳の少年の研究生は大会の益を受けるため室蘭から自転車で出席した。途中で一泊して二日掛りで到着したが道中エホバの愛ある世話を経験した。
このような災害をあまり経験しない北海道のエホバの民にとり今回の出来事ははじめての経験でした。しかしエホバ神の備えである大会に是非出席して感謝を表わしたいとの決意が数多くの問題を克服して出席するのを可能にしました。初日の出席数は予想をかなり下回るものでしたが,すばらしいことに二日目午前には昨年の出席を上回り,最終日には昨年よりも750人も多い7,599人の出席数になりました。これほどの大洪水の災害の中で,国鉄がすべて運行停止となり札幌にはいる主要道路のほとんどが通行不能に陥る前代未聞の事態の中で,エホバの証人の払った努力はすばらしいものでした。
こうした道内各地からの出席の努力に合わせて札幌や近郊の地元の証人たちの愛ある努力もすばらしいものでした。夜遅く到着する仲間も多かったのですが温かく迎えられました。しかも地元の証人たちが今年は炊事のすべての仕事をするように計画されたので朝の3時半から奉仕した人をはじめ5時,6時頃から6か所の王国会館で出席者のための食事が毎朝用意されたのです。小学生の奉仕者を含め四日間早朝の自発奉仕を熱心に支持しました。地元の証人たちは遠くから来る人々をもてなしたいとの願いも込め喜んで働きました。興味深い料理の一つは山菜弁当でした。雪どけの春に各地でゼンマイ,タケノコ,フキなどをとり塩づけにしておき,大会でおかずに供しましたが味のよい情緒のあるものでした。こうした早朝の仕事を皆で支持することによりほぼ全員が毎日最初のプログラムから益を得ることができました。
水害の問題を乗り越えてきた多くの人々にとり大会最初の歓迎の言葉は何と慰めと愛に満ちたものだったでしょう。まだ到着していない仲間の無事を祈る言葉も聞かれ,遅れて到着した仲間の証人たちは感激しました。最終日にはなお不通となっている鉄道やその他の困難な問題のためすぐに家路につけない証人たちのため,札幌市の会衆で宿舎を準備していることが聴衆に知らされ大会を世話する人々の思いやりが深く感じられました。加えて大会に出席できなかった人々で必要とする方々のため各巡回区のブロックごとにプログラムの録音テープを取り,プログラムにあずかれなかった人々への思いやり深い配慮がなされていたのはうれしいことでした。
そして大会事務所にはいった知らせによるとこれほどの大災害であったにもかかわらずエホバの証人の家で被害をうけたのはごく少数でした。今わかっているのは栗山市の一開拓者の家が腰まで水につかったことですが,近隣の仲間の証人たちはきびんに活動し必要としている援助をすぐに開始しているとのことです。大会出席者のうち洪水のためのけが人などはいませんでした。
忠節という特質は真のクリスチャンのうちに見いだすことのできるものです。大会に出席する点で払われた多くの努力について聞くことができました。しかし別の点で,特に日々の生活を通してそれを示し続けることはより重要なことです。沖縄市での大会に出席した石川市の80歳のエホバの証人(Sさん)は次のような忠節な歩みをしてきました。
村や血族の共同体意識が特に強い沖縄地方では,真理を知って行動に移すとき,周囲からの強い反対に直面することが少なくありません。共同体ぐるみで行なわれるそのような反対,迫害,蔑視は,真理に従って行動しようとする人の忠節を大いに試みるものとなります。しかし,エホバは確固として信仰を守り抜いた忠節な人々を豊かに祝福してこられました。彼とその妻の場合もその良い例です。今から24年前に真理を受け入れた二人は学んだことを直ちに行動に移しました。偽りの崇拝の対象物を家から取り除いたことが知られるようになると,反対が始まりました。ある時畑仕事をしていた妻は,手首をつかまれて,「殺してやる」と言われたことさえあります。S兄弟の父親が87歳で亡くなり,その葬式が先祖崇拝の風習を避けて行なわれた時,村人は一層嘲笑や軽蔑をあらわにするようになりました。さらに,こうした変化の原因がS兄弟の崇拝する神にあることを知った人々は,その神を「Sの神」と軽蔑的に呼び,その神に対する拒否反応を示しました。しかし,S兄弟とその家族はこうして村八分にされても屈することなく,信仰を守り通したのです。その結果どんな祝福がありましたか。今年80歳になった同兄弟は,真理を愛する息子,娘,そして8人の孫に囲まれ,孫のうち7人が奉仕や集会に定期的に参加するのを見て喜びを感じています。成員10人足らずで始まった石川会衆は,今では48名の成員を持つ会衆に成長しました。こうした忠節の模範が,会衆の他の人々にも真理に従い続ける励みを与えたことは間違いありません。「Sの神」に拒否反応を示した人々も,同兄弟の家族の上に期待していた災いがのぞまず,かえって繁栄しているのを見て,今では悪口を言う人もなくなりました。確かにエホバは忠節な者の足を守られます。
「王国の忠節」大会の第三日目にはバプテスマ(水の浸礼)が行なわれました。関西の大会の一つから送られた報告に次のような経験がありました。
大会のプログラムの一部に参加したある主婦のエホバの証人は,生まれた時から同和地区と呼ばれる区域の中で育ち,当然のこととして,そうした差別をなくす社会運動を支持して来た経験の持ち主でした。自分たち以外の人々にもいろいろな災害がのぞむのをみて,神は公平だと思って喜んでいました。しかしこの人の住む区域でエホバの証人たちが聖書の音信を宣べ伝えた結果神が公平な方で平等に人々を扱われ,義の社会をまもなく実現させられることを知りました。聖書のペテロ第二 3章13節には「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」と記されています。差別のない公平で正義の社会が来るということにこの方は引かれました。エホバの証人は男性の奉仕者でしたが,彼はこうも尋ねました。「差別をもたらしているのは神でしょうか,それとも人間でしょうか」。こうしてこの婦人はエホバの証人との聖書研究に応じ漢字もよめるように努力することを励まされ,あまり教育を受けていなかったにもかかわらず聖書の音信をよく理解しました。これまで他のキリスト教の宗派に二つほど加わったことがありましたが,寄付を求められたり漢字がよめなかったりしたため何の満足も得られなかったのです。ついにエホバ神と王国の良いたよりについて学ぶ機会をもったこの誠実な婦人は,卑しめられ見下げられてきた背景から来る感情的圧力を退け,真理によって解放された喜びのうちに4年前にバプテスマを受け同和地区の人々の中で最初の献身したエホバの証人となりました。その後全時間の正規の開拓奉仕者となり身近な親族をはじめ人々に熱心に聖書の福音を宣べ伝えはじめました。同じようにこの方の結婚した妹も姉から音信を聞き,3年後にバプテスマを受け全時間の奉仕者となり,人々に解放の音信を宣べ伝えはじめたのです。そして今度は,姪の一人がエホバの証人となりその主人も研究しています。さらにもう一人の姪夫婦も続いて神の愛ある備えについて学んで奉仕者となり,今回の大会でバプテスマを受けた238人の中に含まれていました。同和地区の解放運動が実現できない事柄を聖書の真理が成し遂げている様を目撃するのは本当にすばらしいことです。これらの人々と共に同じ地区の一人の研究生も大会に出席しました。
こうした報告は他にも多く,次号の「目ざめよ!」誌でご紹介いたします。今年の夏の大会は8月23日福山市大会がその最後となりました。18か所の出席の合計は11万9,669名であり水のバプテスマを受けた人は合計2,322名でした。
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聖書劇は「王国の忠節」を強く心に訴えた