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目ざめよ! 1984
目84 9/22 4–7ページ

憎しみの犠牲者に差し伸べられている希望!

憎しみが全世界からぬぐい去られる時は必ず到来します。しかし,それがどのようにして可能になるのかを調べる前に,(1)憎しみを引き起こすものは何か,また(2)憎しみを除き去るためにはどうしたらよいかを知らなければなりません。

もちろん,“憎む”とか“嫌う”とかいう言葉はしばしば無造作に使われます。幼い子供は顔をしかめて,「肝油なんて大嫌いだ!」と言って騒ぎます。それも,仕方のないことだと思えるかもしれません。しかし,ここで今考慮しているのは,その種の憎しみではありません。

憎しみを引き起こす今日の争いや心痛は,非常に激しい,しかもしばしば悪意に満ちた敵対行為や敵意です。それはある民族に対する積年の恨みであることもあります。この種の憎しみは焼き尽くす火のようなものになります。制御されなければそれが破壊的なものになり得ることは,だれもが知り過ぎるほど知っています。

憎しみを引き起こすのは何か

一つの点として,年若い人々に歴史を教える方法によっては,ある国民や民族に対する人々の見方全体がゆがめられることがあります。家庭での影響も一役買っていることが認められています。別の人種や民族についての偏見に満ちた言葉を無視することは子供たちにはとてもできません。あるアイルランド人が英国人に対して抱いている見方,およびある英国人がアイルランド人に対して抱いている見方を見ればよく分かるはずです。

宣伝家もやはり一役買っています。老若を問わずどんな人の考え方も自分の聞く事柄の影響を受けるものです。例えば,政治宣伝に耳を傾けていると,ある民族を憎むようになるかもしれません。それは,人の思考を操る巧妙な人々のせいでその民族を誤った型にはめて見るようになるからです。これは戦時中によく見られることです。この点に関して,J・A・C・ブラウンは「説得の技術」という本の中で,「戦争宣伝の場合のように,別のグループに対する……強い憎しみの感情をかき立てようとしているにすぎないことがかなりある」と書いています。そのような宣伝にはどの程度の効果があるでしょうか。ブラウンは,それが「敵に対する誇張された憎しみに結びつくだけでなく,自分たちも残虐な振る舞いをした場合に自らの罪悪感を和らげる」と述べています。

ほかにも憎しみの原因を幾つか思い出せるでしょう。しかし,読者も他の心ある人々と同様,これほど多くの苦しみを引き起こしている元凶をなくすためにはどうすればよいかということのほうにはるかに大きな関心を抱いておられるでしょう。では,そのことについて考えてみましょう。

どうすればよいのか

当然のことながら,一人の人間が世界を変えることはできません。しかし,宗教は様々な種類の憎しみをなくす面で優れた影響力となるように思えるかもしれません。では,その点について少し考えてみてください。宗教的な偏狭はしばしば憎しみを助長してきたのではありませんか。少なくとも,世界の諸宗教は人類社会の上に垂れ込めているこの暗い影をぬぐい去ることに大して成功してはいません。レバノンや北アイルランドで異なった宗旨の党派が戦い合っていることを考えてみるとよいでしょう。興味深いことに,18世紀の著述家ジョナサン・スウィフトは,「我々には憎しみを宿すのに丁度よい程度の宗教があるが,愛し合うようになるには不十分である」と言いました。

とは言っても,宗教は憎しみを一切非とするよう教えるべきだというわけではありません。聖書は,「何事にも定められた時がある。……愛するのに時があり,憎むのに時がある」と述べています。(伝道の書 3:1,8)しかし,これは敬虔な憎しみです。正しく制御されたこの感情は保護ともなり得ます。神が邪悪な事柄を憎んでおられることは明らかです。そうした事柄を憎むのは,神の僕たちにとっても正しいことです。詩編作者は,「エホバを愛する者たちよ,悪を憎め」と述べています。―詩編 97:10。

しかし,悪意に満ちた憎しみとなると話は別です。どうしたらそうした憎しみを避ける,あるいは除き去ることができるでしょうか。では幾つかの点を吟味してみることにしましょう。

その源を考慮する。基本的に言って,盲目的な憎しみは人間の不完全さの所産です。クリスチャン使徒パウロは次のように書きました。「さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意[憎しみ,欽定訳],闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません」。(ガラテア 5:19-21)敵意,つまり憎しみは,闘争や口論と共に,「肉の業」とされ,その種の業は人を神の王国から締め出すものとなります。

ですから,天からの祝福を切望する人は自分の心の中から間違った憎しみを払いのけなければなりません。では,どうしたらそれができるようになりますか。

自分の思いを守る。この破壊的な感情から自分を守り,生活からその種の感情をなくしてしまうには,自分の思いをどんなもので養うかに用心しなければなりません。当然のことながら,正当と思われる不満の種がある場合や,何らかのひどい不公正が行なわれている場合,あるいは自分の権利が踏みにじられている場合,自分の思いを守るのは容易なことではありません。しかし,そのような事柄を気に病み,ガンにも似た憎しみが自分の内面をむしばむにまかせるなら,自分で事態を悪化させているにすぎないということを覚えておかなければなりません。言うまでもなく,自分の思いを養う事柄に用心すると口で言うのは簡単でも,それを実際に行なうのは難しいものです。しかし,幾つかの積極的な措置を取ることができます。まず,憎しみをあおる人々の片寄った話に耳を傾けないようにすることができます。しかし,そのほかにどんなことができるでしょうか。

積極的な考え方をする。これには,苦々しい感情に換えて,築き上げる,建設的な感情を抱くことが関係しています。使徒パウロはそのことを次のように言い表わしています。「終わりに,兄弟たち,何であれ真実なこと,何であれまじめなこと,何であれ義にかなっていること,何であれ貞潔なこと,何であれ愛すべきこと,何であれよく言われること,また何であれ徳とされることや称賛すべきことがあれば,そうしたことを考え続けなさい」。(フィリピ 4:8)優れた助言です! しかし,積極的な考え方のほかにまだ必要なものがあります。これは,何らかの善を実際に行なう筋に信頼を置くことも関係しているのです。

神の善良さに信頼を置く。そうです,事態を正す神の能力と意欲を持っておられることに確信を抱くのです。そうすれば,感情に駆られて誤った行動に走ることはありません。むしろ,明快で,理性的で,道理にかなった考え方を保つことができます。そのためには祈りが非常に有益である,と真のクリスチャンたちは感じています。使徒パウロはこう述べています。「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」― フィリピ 4:6,7。

すでに消えつつある憎しみ

当然のことながら,そのような考え方や神への信頼は一夜にして培えるものではありません。しかし,培うことは可能です。幾十万もの人々がイエス・キリストの次の賢明な助言に従うことができるようになっています。「『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい」― マタイ 5:43,44。

1世紀には,当時知られていた世界の至る所の人々がイエス・キリストの追随者になりました。そして,それらの人々はそのような卓越した愛によって知られるようになりました。憎しみにあふれた人々が,イエスの弟子のステファノを石打ちにして殺した時,ステファノの最期の言葉は,「エホバよ,この罪を彼らに負わせないでください」というものでした。ステファノはその人たちを喜んで許すつもりでした。自分を憎んだ人々にとって最善のことを望んだのです。―使徒 7:54-60。

エホバの現代の僕たちも,互いのこと,つまりクリスチャンの兄弟姉妹のことだけでなく,自分たちを憎む者をも愛するようにという助言にこたえ応じてきました。そして自分たちの生活の中から悪意に満ちた憎しみを除き去ろうと一生懸命に努力しています。自分の内部に憎しみを生みかねない強力な力があるのを認めて積極的な行動を取り,憎しみに換えて愛を抱いています。確かに,「憎しみは口論をかき立て,愛はすべての違犯を覆う」のです。―箴言 10:12。

使徒ヨハネは,「すべて自分の兄弟を憎む者は人殺しです。そして,人殺しはだれも自分のうちに永遠の命をとどめていないことをあなた方は知っています」と述べています。(ヨハネ第一 3:15)エホバの証人はそれを信じています。その結果,あらゆる民族的および文化的背景,さらにはかつての宗教的また政治的背景から出て来た人々が,今や憎しみの全くない一致した人々の交わり,真の世界的な兄弟関係へとまとめ上げられています。

憎しみは間もなくなくなる!

『しかし,それは関係者にとっては非常に良いことかもしれないが,だからといって地上から憎しみが一掃されるわけではない』と言われるかもしれません。なるほど,自分の心の中に憎しみを宿してはいなくても,いまだにその犠牲者になることがあります。ですから,この問題の真の解決策は神に仰がなければなりません。

しかし,気を取り直してください。誤導された,不敬虔な憎しみは間もなく地上から除かれるのです。これは,神に祈り求めるようイエスがわたしたちに教えてくださった天の政府の支配のもとで間もなく起きようとしています。「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」と祈るようイエスは言われました。(マタイ 6:9,10)その祈りが余すところなく聞き届けられる時,憎しみを助長する状況は存在しなくなります。憎しみを利用して生み出されてきた様々な状況も除き去られるでしょう。無知や偽りや偏見に替わって,啓発や真理や義が行き渡ります。そのとき正に,神は『彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやなくなっている』のです。―啓示 21:1-4。

さて,何よりのたよりがあります。憎しみがほとばしり出て壊滅的な世界大戦に至るのを見,自分たちが「終わりの日」に住んでいることを示す他の証拠を目撃してきた世代は,不敬虔な憎しみがこの地球からぬぐい去られるのを見ることになるのです。(テモテ第二 3:1-5。マタイ 24:3-14,34)神の約束された新秩序には真の兄弟関係の霊が存在するようになります。人類は完全な状態を回復しているからです。さらに,この地球の住みかが楽園になり,その住民がすべて神の優れた道徳的特質を本当に反映するようになる時,あなたもそこにいることができるのです。(ルカ 23:43。ペテロ第二 3:13)そうです,愛が全地に行き渡り,不敬虔な憎しみが過去のものとなるその時に,生活することができるのです。

しかし,真の兄弟関係を享受するのに,その時まで待つ必要はありません。事実,続く経験談が示すとおり,かつては憎しみに満たされていた心にクリスチャン愛がすでに宿るようになっているのです。

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人はある民族を憎むようになるかもしれない。それは,人の思考を操る巧妙な人々のせいでその民族を誤った型にはめて見るようになるからである

[5ページの拡大文]

「我々には憎しみを宿すのに丁度よい程度の宗教があるが,愛し合うようになるには不十分である」― ジョナサン・スウィフト

[6ページの拡大文]

「すべて自分の兄弟を憎む者は人殺しです」

[7ページの図版]

間もなく愛と一致が地に満ちる

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