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目ざめよ! 1984
目84 9/22 15–18ページ

子供たちに外国語を教える

わたしたちは活動的な世界に住んでいますから,明日にも隣の家に外国語を話す人たちが引っ越して来ないとは言えません。政治や経済や社会に関係した理由で,また教育を継続するために,世界中どこでも人々はよく引っ越しをします。もしかしたら,あなたが住んでいる所にも外国語を話す人たちが既にいるかもしれません。本当に今ほど東西南北がよく相会する時はありません。ですから,もし子供たちが走って家に帰って来て,「お父さん! お母さん! 新しいお友達ができたんだけど,そのお友だち,わたしたちとは違う言葉を話すのよ!」と興奮して言う時,子供たちに一つ外国語を教えてみることを真剣に考え始めるのが良いかもしれません。

『だれがですか? 私が? まあ,自分の国の言葉さえ満足に話せないのに!』と言いますか。

しかし,見込みはないと思い込む前に,こういう事実を考えてみましょう。つまり,特定の言語を母国語とする人たちと話すことは最善の“教師”としての役割を果たすということです。その人たちと近づきになり,親切にもてなしているうちに,こちらもその人たちの言葉について何か学ぶことができるでしょう。そうなれば,その言葉を子供たちに教えることができます。一人で外国語の勉強に熱中している人たちなら,あなたと立場を取り替えるチャンスがあればそれに飛びつく人がどんなにか多いことでしょう。一人で勉強するだけでは,その言語を話す人々が身につけているような言語感覚を身につけるのは難しい場合が多いのです。

ですから,子供たちを教える際の第一歩は,知り合いになることでしょう。

知り合いになる

クリスチャンの使徒パウロほか275名を乗せた船がマルタ島で難破した時,「外国語を話す人たちが,人間味のある親切を一方ならず示してくれた」ということが記録されています。(使徒 27:37; 28:1,2)そのマルタ島の人々は,ローマ帝国の共通語であったギリシャ語は話さなかったものの,難船した仲間の人間が何を必要としているかは分かっていました。それと同じように,よそから来た人たちのために,生活に必要なものを準備してあげたいという誠実な気持ちがあると,言葉の溝はそれによって埋められ,お互いに言葉を教え合うという結果さえ生じます。その人たちは最近外国から来た人たちでしょうか。もしかしたら荷物が着くまで,シーツとか毛布,タオル,炊事道具などが必要かもしれません。そういう時は,その人たちの言語でそれらの品物をどう呼ぶかを学び,相手がまだ知らないなら,それらの言葉に相当する自国語を教えてあげる良い機会です。

最初のうちは,子供たちも交えて,その新しい隣人と,とびら,窓,帽子,くつ,本など,どちらの家にもあるような普通の物をお互いの国の言葉でどう呼ぶかをはっきり知るようにすると楽しいに違いありません。のちほど,家族がそろった時に,学んだ言葉を復習してみるのも良いでしょう。あなたの語彙は増え続けます。子供にとってあなたは,学びながら教える教師になったのです。同じほど大切なこととして,神は,『一人の人からすべての国の人を造られた』という事実に対する認識も深まってゆきます。(使徒 17:26)ほんの二,三度会っただけで,人間だれしも身体的必要を抱え,自己の尊厳が他の人々から敬われることを切望している点では変わりがないということがはっきり分かります。これは子供たちに伝えるべき大変貴重な教訓で,外国語を学ぶ際の副産物です。

もちろん,あなたの町に外国語を話す人たちが既にいるなら,同じ国籍の人たちが新しく来た人のために基本的に必要な品々を準備してあげているかもしれません。そうなると,その人と知り合いになるには工夫がいるでしょう。それでも,学校や職場や色々な公共組織を通して,あるいは商店で,自分とは違う言語を母国語とするだれかと知り合いになれるかもしれません。エホバの証人とその子供たちは,聖書のことを話すために家々を訪問する結果として,他国語を話す人々と接触するようになることがしばしばあります。

言葉の組み合わせを学ぶ

別の言語を実際に使いこなせるようになるには,名詞のリストとわずかの数の動詞ぐらいでは間に合いません。その言語の構成部分全体がどのように組み合わさっているかを理解する(感じ取る)ことが必要です。どんな言葉の組み合わせが,その言語を母国語とする人々に自然に聞こえるか,またどんな組み合わせがこっけいに,あるいはばかげて聞こえるかを感じ取らなければなりません。慣用句をよく用いるようにすると,会話は味わいのある実際的なものになるでしょう。慣用句は知力を試しまた刺激するものです。慣用句というのは一つの言語に特有の表現で,直訳や逐語訳では理解できないものです。ですから,他の言語の中の同じ意味を持つ表現に置き替えなければなりません。

次の事も忘れてならない大切な点です。つまり,多くの言語においては,若い人たちは他の人々に対し,その人々の年齢と社会的地位に応じた敬意を示す名詞や代名詞,動詞などを用いることを期待されるという点です。もし自国語にそのような形態がなければ,これは子供たちに優しく教え込まねばならない必要な教訓です。そのような礼儀を示さない若者は不作法な者というレッテルを張られるでしょう。

勉強に熱が入って来ると,基礎的な文法の本とか,語学のレコードやテープを買い歩くようになるに違いありません。外国語を話す隣人の中には,あなたがその人たちの言葉を習う努力をしていることをうれしく思い,あなたに進んで話し掛けて励ましてくれる人が大勢いることでしょう。それと交換に,あなたも自分の話す言語をその人たちがマスターするように助けてあげることができるかもしれません。生きた話し手たちの中にいると,言語を習得するのに重要な促進剤である練習する機会があります。言語学者のマリオ・ペイは次のように書いています。「言葉は口を開いて話す時に話せるようになるのであって,座り込み,思案をし,考えているだけでは話せるようにはならない。全身を耳にしてよく聞き,ヒントを得る機会を敏感にとらえ,最初うまくいかなくても,すべての言葉がついに分かるようになるまで何度でも繰り返す時に,理解できるようになる」。

話すことを学ぶには実際に話すことです。レコードも良い助けにはなりますが,一つの大きな欠点は,返答してくれないことです。生きた会話をするためには,生きている人々に話し掛けなければなりません。ですからもし近所に別の言語を話す人がいるなら,しりごみしないことです。

練習をする機会

一方,子供たちは,違う言語を話すグループの子供たちと遊んでいるかもしれません。移住してきた子供たちには,できるだけおかしいアクセントを付けないようにその国の主要な言語を学び,両親の話す言語を故意に無視する傾向があるようです。またある国に一時的に住む人々は,帰国する前にできるだけよく練習をしておく目的で,その国の言語を好んで話す場合が少なくありません。その人たちが(その国の人々の助けを得て),速く流ちょうに話せるようになるのを見ると,子供たちも同様の援助があれば速く学べるようになることが分かります。

あらゆる国と言語の人々を尊敬するように子供たちに教えてきたなら,子供たちは地域社会の中の大多数の人が自分の話す言語を話していても,その言語が他の言語より優れたものだとは考えないでしょう。ですから学校の友達や遊び友達に,母国語を学ぶよう,うまく励ますことができるでしょう。言語を学んでいる学生たちの中には,ある時には一人の学生の話す言語で話し,次にはもう一人のほうの言語で話す取り決めを作っている人たちがいます。このようにすれば両方が助けられるわけです。

そうなると,状況そのものがある意味で教師になります。親の役割としては,健全な交わりの機会を作ってやることが大切になってきます。そして,家族全員が顔を合わせる機会に,それぞれが学んできたことを比べたり,復習したり,練習したりすることができます。

こうしたことのほかにも,家族の関心を高めておくのに役立つ事柄があります。

言語志向の計画

外国語のアルファベットを覚えてしまったなら,家族でつづり字のゲームをして遊ぶことができるようになります。数字を覚えてしまった子供たちは数学の腕を披露できるでしょう。音楽を楽しむ家族であれば,覚えやすいリズムの簡単な民謡も言語の学習に妙味を添えるでしょう。種類別に語彙を増やしてゆくことは,記憶の助けになり,会話を刺激することにもなります。次のような言葉のグループを語彙に加えるのも良いでしょう。つまり体の部分,衣類,感情や抽象的な特質,サイズ,形,感触,色,方角,よく知っている動物や鳥,家の各部分や備えつけ家具,通常の旅行手段などです。良い文法書は確かにそうした言葉を沢山紹介しています。しかし,家族の人たちは自分自身の語彙,自分自身の関心や生活経験から生まれ出るものを貯えたいに違いありません。

子供たちの会話技術が上達してくると,自分が経験したことやニュースで聞いたことなどを話し合うように仕向けてゆくことができます。聖書研究を楽しんでいる人たちなら,聖書を読んだり,聖書について討論したりすることに多くの時間を費やし,楽しく過ごすことができるでしょう。経営者やウエイターたちに,新しく学んだ言葉で話し掛けることができるレストランに行ったり,またその言語が話されそれを聞くことができる店に買い物に行ったりすると,家族の人たちはさらに上達しようという気持ちを刺激されます。もちろん,新しい言葉を話す友達を家に招いて食事を共にすると,言語の範囲を広げる決意をしたことがうれしく思えてきます。

子供たちに外国語を教えることには確かに幾つかの益があります。家族全員の知的活動が活発になり,すべての人が確かにただ一つの人間家族を形成しているという確信を深めるよう助けられます。それと同時に,一つの拡大計画にあずかることによって家族の関係は一層親密なものになります。全く新しい友人の分野が開けます。異なる文化や背景を理解することを学びます。自分のことを笑うようになるのでユーモアのセンスが発達します。自分の子供に外国語を教えるとさまざまな喜びが生まれますが,これらはその中のほんの一部に過ぎません。

[17ページの図版]

子供たちは普通大した苦もなく別の言語を習う

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