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目ざめよ! 1989
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不謬性と初期クリスチャン

不謬性に関する教理は,法王の“首位権”,つまり至上権と密接な関係があります。エンシクロペディア・カットリカには,「首位権の裏づけとなる聖句は,法王の不謬性を証ししている」とあります。同辞典はこの教理を支持し,キリストがペテロに話された次のような幾つかの節を引用しています。

マタイ 16:18: 「あなたはペトロである。私はこの岩の上に私の教会を立てよう」。

ルカ 22:32: 「私はあなたのために信仰がなくならぬようにと祈った。あなたは心を取りもどし,兄弟たちの心を固めよ」。

ヨハネ 21:15-17: 「私の小羊を牧せよ」。「私の羊を牧せよ」。「私の羊を牧せよ」。―バルバロ訳。

カトリック教会によると,ここに挙げた聖句から,まず第一に,ペテロは「使徒たちの第一人者」である,つまり使徒たちの間で首位を占めている,第二にペテロは不謬である,第三にペテロには彼の大権と首位権と不謬性を持つ「後継者」がいる,ということが実証されるはずだというわけです。

しかし,この点に関して,教会史の講師であるジュゼッペ・アルベリゴは,次のような意味ある注解を行なっています。「よく知られているように,新約[新約聖書]の中に,『法王』という語,あるいは『法王制度』を示唆するような考えは一度も出て来ない。唯一の支配的な人物はナザレのイエスである。聖書本文に基づいて,弟子たちの中に,とりわけ使徒たちの中に,他のすべての者たちに抜きん出ている人物を認めるのは非常に難しい。ペテロ,ヨハネ,ヤコブ,パウロは,独特の個性を持つ重要な人物であり,互いに異なり,他を補う存在である。ペテロはキリストが比較的頻繁に語りかけた使徒たちの一人として示されていることは確かだが,そういう人はペテロだけではなかったし,ペテロが最も重要だったのでもない」。

初期クリスチャンは何を信じていましたか。アルベリゴ教授はこう答えます。「初めの数世紀には,法王という人物やその職務に関する教理上の入念な説明や実用主義は存在しない。……“エピスコプス・エピスコポルム”[司教の中の司教]の可能性は,本人がカルタゴ会議で主張したように,聖キプリアヌス[3世紀の著述家]の心得違いであった」。

法王制度の教理はいつ根づいたのでしょうか。アルベリゴ教授は,「4世紀の終わりごろ,法王としての機能,つまり西方諸教会の一致を求めるローマ教会の声は次第に執ようになってきた」と述べてから,「マタイ 16章18節に基づき,ペテロは使徒たちの間で“首位権”を持つという考えが[発展した]のは,レオ1世[5世紀]が司教の職にあった時である。新約の中には,ペテロや他の使徒たちの後継者についてイエスが示唆している箇所は一つもない」と付け加えています。

しかし,カトリックの神学者が最も頻繁に用いてきたマタイ 16章18節のような箇所は,法王制度の教理を裏づけているのでしょうか。

貴重な土台「石」とはだれか

「あなたはペトロ[ギリシャ語で,ペトロス]である。私はこの岩[ペトライ]の上に私の教会を立てよう」。カトリック教会に関する限り,この二つの語がよく似ていることは,ペテロが真の教会,つまりクリスチャン会衆の土台石であったことを示しているのです。しかし,聖書は象徴的な石に関して多くのことを述べているので,正確な理解を得るために他の聖句を調べることが必要です。―マタイ 16:18,バルバロ訳。

ヘブライ語聖書中の重要な預言の中では,来たるべき象徴的な土台石と,その石が果たす二重の役割について,すでに発表されていました。それは,信仰を働かせる人を救うための器となることになっていました。「いまわたしはシオンにひとつの石を基として据える。それは試みを経た石,確かな基の貴重な隅石である。信仰を働かせる者はだれも恐れ慌てることはない」。(イザヤ 28:16)矛盾しているようですが,その岩は不信仰なイスラエル人がつまずく岩になるのです。こう記されているからです。「建築者たちの退けた石が隅の頭となった」(詩編 118:22),「イスラエルの二つの家にとっては,突き当たる石,つまずく岩とな(る)」。―イザヤ 8:14。

単なる人間が,特に衝動的なペテロが,象徴的な石の二重の役割を果たすことができたでしょうか。(マタイ 26:33-35,69-75。マルコ 14:34-42)わたしたちは救いを得るためにだれに信仰を働かせるべきでしょうか。ペテロにでしょうか。それとももっと偉大な方にでしょうか。聖書は,貴重な石に関する預言がペテロにではなく,神のみ子イエス・キリストに成就したことを明確に示しています。マタイ 21章42節から45節に示されているように,イエスはイザヤ書と詩編 118編の預言をご自分に当てはめられました。

ペテロ自身,ペテロ第一 2章4節から8節に記されているとおり,土台石となるのは自分ではなくイエスであると見ていました。それよりも前,ペテロはユダヤ人の宗教指導者に話をした際,「ナザレ人イエス・キリスト」は,「あなた方建築者たちにより取るに足りないものとして扱われたのに隅の頭となった石」であることを確証しました。―使徒 4:10,11。

ローマ 9章31節から33節,コリント第一 10章4節,エフェソス 2章20節などの聖句から理解できるように,使徒パウロも同じ考えを抱いていました。この最後の聖句は,クリスチャン会衆の成員が,「使徒や預言者たちの土台の上に築き上げられているのであり,キリスト・イエスご自身は土台の隅石」であるという事実を確証しています。キリストは「会衆の頭」でもあり,天から会衆を導いておられます。「わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです」と,イエスは言われました。―エフェソス 1:22; 5:23。マタイ 28:20。コロサイ 1:18。

ペテロ ― 法王か,対等の人たちの中の一人か

イエスは昇天の後,忠実な追随者たちの業を導くために,どんな器をお用いになりましたか。そのうちの一人を法王のような,至上権を有する“代理”として指名しましたか。いいえ,イエスは会衆を支配する君主制のような統治形態を確立されませんでした。むしろ,羊の群れに対する世話を,忠実な僕たちの一団もしくは一つのグループに託されました。クリスチャン会衆はその始まりから,十二使徒全体ならびにエルサレム会衆の長老たちの導きを受けていました。

困窮した人たちにどのように物質の必要物を供給するかを決定したのは,十二使徒全員でした。(使徒 6:1-6)サマリア人が良いたよりを受け入れた後,サマリア人のもとへ派遣されるべき人を決定したのも12人から成るこの一団でした。そしてペテロとヨハネが選ばれました。この時ペテロは,自分自身の決定を下すどころか,使徒たちによって「派遣」された人たちの一人に過ぎなかったようです。―使徒 8:14。

最後に,「使徒や年長者」が聖書に基づき,キリスト教に改宗した異邦人に割礼を施す必要はないという決定を下したのは,西暦49年ごろエルサレムで開かれた集まりにおいてでした。(使徒 15:1-29)歴史的な記述からすると,その集まりで主宰の任を務めたのは,ペテロではなく,イエスの異父兄弟であったヤコブであることが明らかになります。その証拠に,ヤコブはその時の議事を終えるに当たって,『わたしの決定は,諸国民から神に転じて来る人々を煩わさないことです』と述べました。(使徒 15:19)その場にいたペテロが使徒たちの間で首位を占めていたのであれば,どうしてヤコブは『自分の決定』を語ることができたでしょうか。

使徒パウロは会衆を築き上げることに貢献する様々な奉仕の務めについて語りましたが,いわゆる法王の教学権については触れず,むしろすべての使徒たちの集団的な奉仕について述べました。―コリント第一 12:28。エフェソス 4:11,12。

アルベリゴが書いているとおり,ペテロはその熱意と進取の気象ゆえに「相当の」役割を果たしたに違いありません。イエスはペテロに「天の王国のかぎ」をお与えになりました。(マタイ 16:19)ペテロはそれら象徴的なかぎを用いて,ユダヤ人,サマリア人,異邦人が天の王国に入るための機会を開きました。(使徒 2:14-40; 8:14-17; 10:24-48)また,『縛ること』や『解くこと』の責任も与えられましたが,これは他の使徒たちと共同で行なう仕事でした。(マタイ 16:19; 18:18,19)ペテロはクリスチャン会衆を牧することになっていましたが,それはすべてのクリスチャンの監督たちが行なうべき事柄です。―使徒 20:28。ペテロ第一 5:2。

しかし,ペテロ以外の使徒たちも,クリスチャンとしての特質ゆえに,「主立った」存在でした。パウロは会衆の「柱と思えた人たち」について語り,「ヤコブとケファ[ペテロ]とヨハネ」の名を挙げました。(ガラテア 2:2,9)イエスの異父兄弟ヤコブはとりわけ重要な役割を果たしました。前に述べたように,彼はエルサレムでの集まりを主宰しましたが,ヤコブの顕著な役割を確証する記述はほかにもたくさんあります。―使徒 12:17; 21:18-25。ガラテア 2:12。

神はイエスの忠実な弟子たちに大きな力を付与されましたが,その中には奇跡を行なう能力も含まれています。しかし,弟子たちに不謬の発言をする力をお与えになったとは,どこにも記されていません。ペテロは忠実でしたが,幾つも過ちを犯しました。イエスから戒めを受け,ある時などは公に使徒パウロから矯正されました。―マタイ 16:21-23; 26:31-34。ガラテア 2:11-14。

不謬なのは,神の言葉である聖書だけです。ペテロは,輝くともしびのように注意を払うべき「預言の言葉」について語っています。(ペテロ第二 1:19-21)神のご意志を知りたいなら,自分自身を神の『生ける』言葉にゆだねなければなりません。(ヘブライ 4:12)人類が切実に必要とする確実なものを提供しているのは,宗教指導者による幾つもの意味に取れる定めではなく,神の言葉だけです。現代においても,キリスト・イエスはご自分の僕たちの一団を用いておられます。彼らは誤りを犯すことはあっても忠実であり,集合的に「忠実で思慮深い奴隷」と呼ばれています。―マタイ 24:45-47。

今日,地上においてこの象徴的な奴隷を代表しているのはだれでしょうか。聖書について正確な研究を行なうなら,その実体を見分ける助けが得られます。エホバの証人は喜んでご援助いたします。

[9ページの図版]

土台石はだれか ― 忠実なキリストか,それとも三度イエスを否定したペテロか

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