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目ざめよ! 1989
目89 3/22 6–7ページ

真の価値規準 その源

道徳律はどんな人間社会にも存在します。どんな人でも,自ら認めたいと思うかどうかにかかわりなく,自分の力を越えた指導力の必要を感じます。人は本能的に自分より上位の力に目を向け,崇拝したり仕えたりします。それが太陽や月や星であることもあれば,山や川,動物や人間,あるいは組織であることもあります。人々の道徳律は,様々な文化の数ある聖典のどれかに説かれていたりして,その必要は,どこに住んでいる人々にも見られます。それは人間の本能なのです。

著名な精神病学者のC・G・ユングによれば,「宗教は人間に特有の本能的態度であり,その表われは人類史全体を通じて見られ」ます。有名な科学者のフレッド・ホイルは,「あらゆる人間社会に存在する道徳律」について書き,さらにこう述べました。「道徳観念を捨てさせようとする誘惑[や迫害]が絶えないにもかかわらず,人間の道徳観念はなくならない,ということを示そうと思えば,相当の論拠を難なく集めることができる」。

あらゆる聖典の中で最もよく知られ,最も広く頒布されている聖書は,人間にこの生来の道徳観念があることを認め,ローマ 2章14節と15節でこう述べています。「律法を持たない諸国民の者たちが生まれながらに律法にある事柄を行なう場合,その人たちは律法を持ってはいなくても,自分自身が律法なのです。彼らこそ,律法の内容がその心に書かれていることを証明する者であり,その良心が彼らと共に証しをし,自らの考えの間で,あるいはとがめられ,あるいは釈明されさえしているのです」。

ホイルは進化論を「いかなるご都合主義的行動をも許してしまうお墨付き」とみなし,こう言葉を続けています。「率直に言えば,いわゆる教育のある人たちが『種の起源』という出版物に従って取り入れることを選んだ虚無主義の哲学のために,人類は自動的な自滅への道を歩むことになったのだ,と思えてならない。地球最後の日へ向けて時限装置はその時セットされて作動し始めたのだ。……今日,社会は根本的にどこかが狂っていると感じている人の数は少なくないが,残念なことに,そういう人たちはささいな事柄を次々に取り上げて抗議することにエネルギーを浪費している」。

生命出現の背後にある理知

そしてホイルは,生命が偶然に地上に存在するようになった確率はゼロに等しいことを数字を挙げて正確に示しています。また,「過去の宗教的行き過ぎ」のゆえに,正統派の科学者たちは創造的な力という考えに背を向けていると述べています。しかしホイルは,生命は遠い宇宙空間に存在する何らかの理知によって創造されたと考えます。地上で不可能だったことが大気圏外では可能だったと考えているのですが,その空間においてさえ,ある種の理知が働いていたと仮定しているのです。最も単純な形態の生命であるバクテリアでさえ,非常に複雑な仕組みになっているため,それが初めて出現するには理知が働かなければなりませんでしたが,ホイルはその理知を神と呼ぼうとはしません。

同じように「社会は根本的にどこかが狂っていると感じている」人々の中には,神を認めることにそれほどやぶさかではない人もいます。先ほど引用した精神病学者のユングもその一人です。彼はこう述べています。「神に対する確固とした信仰を抱いていない人は,この世の肉体的誘惑や道徳的甘言に自分の力で抵抗しようとしてもできるものではない。それゆえに人は,内的,超越的体験の証拠を必要とする。それなくしては群衆の中に埋没してしまう事態から身を守ることはとうていできない」。

上訴裁判所の裁判長,フランシス・T・マーフィーによると,現代人は「人生の究極的な意味を知らず,人生には何の意味もないのではないかと思っている。人はその道徳的主張がどうあれ,実際,生活から,また職場や家庭から神を締め出してしまい,そのため道徳の核心となるものを欠いて」います。スポーツ界ではハワード・コーザルが,運動選手の麻薬乱用問題についての話し合いの際に同じ意見を述べ,「アメリカにはもはや定義できる道徳の核心となるものは何もない。……それは文化全体にとって問題である」と言いました。

新聞・雑誌に記事を提供するコラムニスト,ジョージ・アン・ガイアは言います。「神への信仰がなければ,勢いすべてのことが“自分”中心になり,しかも“自分”だけでは無意味であるから,道徳的な社会や国家を作ることは不可能である。……“自分”があらゆる事柄の尺度になるとき,つまり神や教会や家族がないがしろにされ,社会人また市民としての一般に認められた行動規範が無視されるとき,我々は困った事態に陥ることになる」。

アレクサンドル・ソルジェニーツィンは,もしこの20世紀の主要な特色を一言で言うよう求められたら,「人は神を忘れてしまった」と答えると言い,さらにこう語りました。「この20世紀は,無神論と自滅のうずに完全に吸い込まれようとしている。……我々が悔い改めて自分の意識を万物の創造者に向け直さないかぎり,今日の世界の窮状から逃れる道を見いだそうとする試みはすべてむだに終わる。そうしなければ,出口は一つも照らし出されることはなく,我々はいたずらに出口を探すことになるだろう」。

人間は6,000年間,自分で正邪を決めながら独自の道を歩んできました。そして現代に見られるのは,正邪などない,自分の好きなことをしろという風潮です。どちらにしても歴史はその恐ろしい結果を記録しており,自分の歩みを導く能力が人間にないということを証明しています。「人が見て自ら正しいとする道でも,その終りはついに死に至る道となるものがある」のです。(箴言 14:12,日本聖書協会口語聖書。エレミヤ 10:23)エホバ神は人間をお造りになりましたから,人間の内も外もよくご存じであり,幸福に至る地図ともいうべきものを備えられました。「あなたのみ言葉はわたしの足のともしび,わたしの通り道の光」とあるとおりです。(詩編 119:105)み言葉聖書は,人間の祝福となる真の価値規準を明らかにしています。囲み欄には,すべきこととすべきでないことの例が挙げられています。

[7ページの囲み記事]

生活の指針となる価値規準

▸ 心と思いと魂と力をこめてエホバ神を愛する

▸ 隣人を自分自身のように愛する

▸ 自分にしてほしいと思うことを同じように他の 人にする

▸ イエスを模範とする

▸ 許してほしいのであれば,他の人を許す

▸ 父母を敬う

▸ 他の人に優先権を与えて敬意を示す

▸ 何事も誠実に行なう

▸ だれとでも平和にやってゆくようにする

▸ 温和,親切,自制心を追い求める

▸ だれに対しても悪に悪を返さない

▸ 善をもって悪を征服してゆく

▸ 偽りの神々を崇拝しない

▸ 偶像に身をかがめない

▸ 殺人を犯さない

▸ 盗みをしない

▸ 偽りの証言をしない

▸ 神のみ名をみだりに用いない

▸ 隣人の持ち物を欲しがらない

▸ 怒り立ったまま日が沈むことのないようにする

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