ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目93 3/8 20–22ページ
  • 卒業記念パーティーに行くべきだろうか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 卒業記念パーティーに行くべきだろうか
  • 目ざめよ! 1993
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 華やかさの陰に潜むものを見通す
  • 妥協させようとする状況
  • パーティーが終わった後
  • ダンスは単なる罪のない楽しみではないのですか
    目ざめよ! 1984
  • クリスチャンはダンスに対してどのような見方をしますか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1973
  • 若者向けのクラブはどうだろうか
    目ざめよ! 2004
  • ダンスに対するクリスチャンの見方は何か
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1962
もっと見る
目ざめよ! 1993
目93 3/8 20–22ページ

若い人は尋ねる…

卒業記念パーティーに行くべきだろうか

「普通,卒業記念パーティーの晩には親から初めて『じゃあ,明日の朝まで楽しんでおいで』と言ってもらえるものです」。

「学校のダンスパーティーに行ったときのことを覚えているけど,付き添いの人は二人しかいなくて,みんながしていることを気にも留めていなかったわ」。

クラスメートの間では何か月も前からその話題で持ちきりです。何と言っても,高校の卒業記念パーティー(プロムa)は一生に一度の行事だからです。何年間かつき合ってきたクラスメートにさよならを言うことになるので,あなたも当然出席したいと思うでしょう。18歳の女の子は,「中学校のときからずっと卒業記念パーティーに出たいと思っていました」と言います。

ある国では,高校の卒業記念パーティー ― 高校卒業前に開かれる公式のダンスパーティー ― は若者にとって一つの通過儀礼となっています。卒業記念パーティーは単なるにぎやかな社交的行事というよりは,大人への入り口となる伝統的な儀式です。セブンティーン誌(英文)はこう述べています。「普通,卒業記念パーティーの晩には親から初めて『じゃあ,明日の朝まで楽しんでおいで』と言ってもらえるものです。一晩じゅう外出していても大丈夫。というより,そうするのが当たり前と思われています」。

すべての若者が一晩中いかがわしい振る舞いをしようと計画しているわけではありません。むしろ,多くの人は美しくロマンチックなことを味わうのを楽しみにしています。現代のシンデレラや魅惑の王子になるチャンスなのです。「空想の世界みたい」と,19歳のダーシーは言います。「卒業生たちは借りてきたリムジンから降りると,写真を撮り,友達にいろいろと見せびらかします。注目を浴びる瞬間なんです」。

学校のダンスパーティーも,それほど華やかではないかもしれませんが,一般的になっています。「時々パーティーに出かけて,楽しくやらないとね」と,15歳のジェイミーは言います。しかし,魅力となっているものがダンスだろうと,ディナーだろうと,ドレスアップすることだろうと,ほとんどの若者はそうした行事に参加することを一種の義務のようなものだと思っています。彼らが気にしているのは,だれと一緒に行くか,何を着るか,その晩のためのお金をどうやって手に入れるかということです。しかし,ほかにも考えなければならない事柄があります。

華やかさの陰に潜むものを見通す

イエス・キリストご自身も,上品な社交的集まりに出席なさいました。(ルカ 5:29; ヨハネ 2:1,2と比較してください。)しかし,「浮かれ騒ぎ」あるいは「破廉恥なパーティー」は聖書の中で非とされています。(ガラテア 5:21,バイイングトン訳)1世紀当時,乱痴気騒ぎは普通のことで,異教徒たちは堂々と「みだらな行ない,欲情,過度の飲酒,浮かれ騒ぎ,飲みくらべ,無法な偶像礼拝」を行なっていました。ですから,クリスチャンはこうした始末に負えない集まりに出席しないようにと警告されました。―ペテロ第一 4:3,4。

卒業記念パーティーや学校のダンスパーティーはどうでしょうか。中には組織だって行なわれ,監督も行き届いていて,比較的統制のとれた行事もあるでしょう。乱暴なことをする人がいても,すぐに止められたり,抑えられたりするかもしれません。しかし,多くの場合 ― もしかするとほとんどの場合 ― 卒業記念パーティーの華やかさや魅力の陰には浮かれ騒ぎという精神が潜んでいます。b 「性の不道徳をしたり,お酒を飲んだりする人がたくさんいます」と,ある十代の若者は本誌に語りました。アルコール飲料は表向きは禁止されているかもしれません。しかし,化粧室や階段や駐車場でお酒を飲む人がたくさんいるかもしれません。

聖書は,「ぶどう酒はあざける者であり,酔わせる酒は騒がしい」と警告しています。(箴言 20:1)それに加えて,激しい音楽や感覚に訴える音楽,慎みのないダンス,薄暗い照明,聖書の原則に対する認識をほとんど持たない大勢の若者など,浮かれ騒ぎの要素があります。付き添って監督する人が事態を制御してくれることを当てにできるでしょうか。いつもそうとは限りません。チャールズという名前の十代の若者は率直に,「付き添いの人は何もしてくれません」と言います。そんなはずはないと思いますか。ダーシーによるとそうではありません。「学校のダンスパーティーに行ったときのことを覚えているけど,付き添いの人は二人しかいなくて,みんながしていることを気にも留めていなかったわ」と言っています。

たとえ付き添いの人がかなり良心的だとしても,薄暗い体育館の中で楽しくやろうと決めている大勢の若者を統制することなど,ほとんど不可能に近いということを認めなければなりません。その結果,一夜のロマンスの夢はたちまちのうちに悪夢に変わってしまいます。ある十代の女の子は,「あちこちでけんかがありました」と言っています。

妥協させようとする状況

もちろん,卒業記念パーティーや学校のダンスパーティーではいつも暴力事件が起こるわけではありません。しかし,妥協させようとする状況の中に気づかないうちに追い込まれてしまう危険が確かにあるのです。一人の若い女性はこう語っています。「チークダンスを踊っていると,男の子は手であなたの体じゅうを触り始めます。それを我慢するようあなたに期待しているのです」。そうした問題は,みんなから離れていれば避けられるのではないでしょうか。多分そうでしょう。しかし大抵の場合,言うは易く行なうは難しです。

同伴者なしで,あるいは友達とグループで出席したとしましょう。ある十代の子はこう語ります。「中には一人で来ている男の子もいて,できるだけ大勢の女の子の後を追いかけようとします」。そこには積極的な女の子もかなりの数いることでしょう。一人で出席する若者は,望んでもいないのに関心の的にされてしまう可能性が高いのです。

一方,仲間の信者と同伴で行くとしても,ほかの思わぬ問題を招くことがあります。とにかく,現在エホバの証人はデートのことを真剣に受け止めています。c また,同伴者が自分に対してロマンチックな思いを寄せていないことを確信できると仮定しましょう。その場合,同伴者はどの程度保護となるでしょうか。19歳のローラはこう述べています。「踊っているときに他の人が割り込んできたり,他の人が一緒に出かけようと誘ってきたりしたとき,それを防ごうとしたら,どんなことになるでしょうか。何が起こるでしょうか」。緊張した,決まりの悪い状況に発展してしまいかねません。

さらに見過ごしてならないのは,ガードを緩めて,自分の規準を下げてしまい,その場の雰囲気に呑み込まれてしまう危険性です。悪い交わりは確かに「有益な習慣を損なうのです」。(コリント第一 15:33)18歳のニックは次のことを認めました。「たとえエホバの証人同士が二人で出かけたとしても,ほかのみんながやっていることをするよう簡単に動かされてしまう可能性があります」。

パーティーが終わった後

しかし大抵の場合,本当に問題が起こるのはパーティーの後です。「中にはホテルに行ったり,だれかの家に行く人もいます」と,年若いターニャは言います。ヨランダはそれに付け加えて,「あなたは一晩じゅうそこにいることになっています。それも伝統なのです」と言います。麻薬やお酒やセックスも卒業記念パーティーの伝統の一部です。しかし朝になって残っているのは,良心が打ちひしがれ,自尊心の傷ついた,妊娠やエイズにおびえる若者たちかもしれません。

このように余りにも多くの場合,卒業記念パーティーや学校のダンスパーティーは,ロマンスや健全な楽しみの一時になると思われているのとは裏腹に,破廉恥なパーティー,浮かれ騒ぎに成り下がってしまいます。預言者イザヤが,当時の『夕闇の中で遅くまで』続いた集まりを神が是認されないことを示したという点をわたしたちは思い起こすべきです。パーティーにはお酒や音楽 ―「たて琴と弦楽器,タンバリンとフルート」― がそろっていました。楽しいパーティーでしたか。もちろんです。しかしイザヤはパーティーによく出入りする人たちについて,「彼らはエホバの働きを見ず,そのみ手の業を見なかった」と言いました。―イザヤ 5:11,12。

そうです。聖書の見方に対する認識を持たない若者たちと過ごすパーティーのような環境に飛び込むなら,重大な危険にさらされる可能性があります。確かに,そうした行事がすべて浮かれ騒ぎに発展するわけではないでしょうし,世界中で状況は異なっていることでしょう。ですから,そこに出席するのがふさわしいかどうかはあなたが親と一緒に決めなければならない事柄です。ある女の子は「それは難しいことです。卒業記念パーティーは魅力的だし,とても誘惑です。そしてそれが一年じゅう目の前にぶら下がっているんです」と言っています。

しかし,そのことについて親や円熟したクリスチャンに話すなら,物事をはっきりさせる助けになります。次の点について考えてみてください。ダンスパーティーにはだれが出席しますか。監督はどのようになされますか。お酒は出されますか。どんな種類の音楽が流されるでしょうか。これまでに問題が起こったことがありますか。こうした行事に参加することを他の人々,特に仲間のクリスチャンはどう思うでしょうか。出席すればだれかの前につまずきのもとを置くことになりませんか。―コリント第一 10:23,24,32。

卒業記念パーティーや学校のダンスパーティーに関連する問題すべてを考慮し,クリスチャンの若者は親と相談して出席しないことに決めるかもしれません。しかし,卒業するというのは立派なことではないでしょうか。もちろんです。それで,仲間のエホバの証人と喜びを分かち合うことにより,もっと安全な方法でそれを祝うことができるかもしれません。例えば,家族で計画して,ささやかな集まりかディナーパーティーを開けるでしょう。そうした集まりの人数が適度なもので,よく計画されていれば,重大な問題が生じることはめったにありません。d

そうした集まりには学校の公式な卒業記念パーティーのような華やかさや魅力はないかもしれません。それでもそうした機会は楽しいものにすることができますし,卒業記念パーティーや学校のダンスパーティーにありがちな落とし穴がありません。何より,コリント第一 10章31節のパウロの次の言葉に調和して行動することができます。「あなた方は,食べるにしても,飲むにしても,あるいはほかのどんなことをするにしても,すべての事を神の栄光のためにしなさい」。

[脚注]

a 「高校や大学で,一般に卒業時,あるいは卒業間近に行なわれる公式のダンスパーティー[プロムナードの短縮形]」― アメリカン・ヘリテージ英語辞典。

b 「浮かれ騒ぎ」という言葉の定義は,騒がしいパーティーやお祭り騒ぎです。

c ものみの塔聖書冊子協会発行の「若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え」という本の30章をご覧ください。

d 「ものみの塔」誌,1992年8月15日号の「社交的な場での娯楽 ― 有益な事柄を楽しみ,わなを避けなさい」という記事をご覧ください。

[21ページの図版]

付き添いの人が出席者全員の振る舞いを統制することなど不可能に近い

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする