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目ざめよ! 1998
目98 8/22 8–9ページ

広告の力

その昔,民放テレビのコマーシャルは,「ここで,スポンサーから一言」という言葉で始まったものです。スポンサーとは,お金を払って自社製品を宣伝してもらっている会社のことです。“スポンサーからの一言”が氾濫するようになった一方で,スポンサーはやはり,テレビ,雑誌,新聞,ラジオなど,報道や娯楽のメディアを資金面で支えており,メディアの目に見える部分と見えない部分に影響力を行使しようとします。

一例として,1993年,ドイツのある高級車メーカーは雑誌30誌に対して書面で,同社の車の広告は,「きちんと編集上の配慮が払われている場合にのみ」掲載するようにと指示しました。そこには,その会社の広告が載っているのと同じ号の雑誌に,同社の車,ドイツの製品,あるいはドイツそのものを批判するような記事を載せてはならない,と述べられていました。もちろん,この会社は雑誌広告に1,500万㌦(約19億5,000万円)を投じているのですから,「きちんと編集上の配慮が払われている」ことを期待しても意外ではありません。

雑誌が新品の婚礼衣装の広告を載せる時に,中古の婚礼衣装の広告を受け付けないのも,また新聞が不動産業者のリストを載せる時に,不動産業者を介さずに家を買う方法を取り上げないのも,驚くには当たりません。同じように,たばこや宝くじを広告するメディアが,喫煙やギャンブルを批判しないのも不思議ではありません。

消費文化

ですから,広告の力が及んでいるのは商品の販売分野だけではありません。それは消費本位の生活様式,つまり,物質中心の世界的な文化を助長するのです。

それには何か問題があるでしょうか。だれに尋ねるかによって,答えは違ってきます。広告主たちは,人は物を買ったり所有したりするのが好きだから,広告は人のためになっている,と論じます。それだけでなく,広告は働き口を作り出し,スポーツや芸術を後援し,手の届く範囲のメディアをもたらす助けとなり,競争を促し,品質を向上させ,価格を抑え,十分に情報を得た上での買い物を可能にする,と言います。

一方,広告は飽くことのない欲望を生み,育てるので,人々は落ち着きを失い,持っている物に満足しなくなる,と主張する人もいます。研究者のアラン・ダーニングはこう書いています。「広告は,この時代のように,変わりやすく,快楽主義で,イメージを盛んに利用し,流行に左右されている。また,個人を讃え,消費を個人的な充足への道として理想化し,技術の進歩こそ運命を左右する力であると断言する」。

広告があなたに及ぼす影響

商業広告は,わたしたちの人となりや欲望を形成する要素となっているでしょうか。恐らくなっていることでしょう。しかし,その影響力は他の影響力次第で大きくも小さくもなります。

聖書の原則と価値観を導きにするなら,物質を所有するのは間違いではないことが分かります。何と言っても,神はアブラハム,ヨブ,ソロモンなどの人々を祝福し,莫大な富をお与えになりました。

一方,聖書の原則を当てはめるなら,充足感や幸福を得ようとして物質の飽くなき追求に走る人々のように満足しない状態に陥らないようにします。聖書は,“くたくたになるまで買い物する”ことを勧めていません。むしろ,次のことを教えています。

神に頼る。「今の事物の体制で富んでいる人たちに命じなさい。高慢になることなく,また,不確かな富にではなく,わたしたちの楽しみのためにすべてのものを豊かに与えてくださる神に希望を託すように」― テモテ第一 6:17。

満足する。「わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともでき(ません)。ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです」― テモテ第一 6:7,8。

慎み深くある。「女も,よく整えられた服装をし,慎みと健全な思いとをもって身を飾り,髪のいろいろな編み方,また金や真珠や非常に高価な衣装などではなく,神をあがめると言い表わす女にふさわしい仕方で,すなわち良い業によって身を飾るように望みます」― テモテ第一 2:9,10。

敬虔な知恵は富に勝るということを知る。「知恵を見いだした人,識別力を得る人は幸いだ。それを利得として得ることは銀を利得として得ることに勝り,それを産物として得ることは金そのものにも勝るからである。それはさんごよりも貴重であり,あなたの他のすべての喜びもこれに及ばない。長い日々がその右の手にあり,その左の手には富と栄光がある。その道は快い道,その通り道はみな平安である。それはこれをとらえる者たちには命の木であり,これをしっかりととらえている者たちは幸いな者と呼ばれる」― 箴言 3:13-18。

与えることを実践する。「受けるより与えるほうが幸福である」― 使徒 20:35。

この一連の記事自体,一種の広告であり,ある考えを“売り込んでいる”と言えるかもしれません。それは,物質的な価値観によって霊的な価値観をわきに押しやるべきではないという考えです。この結論には恐らくあなたも同意なさることでしょう。

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神の王国を宣伝する

説得力のある音信を人々に伝える最善の方法の一つは何でしょうか。「広告: 原則と実践」という本はこう述べています。「理想的な世界においては,すべてのメーカーは販売している製品あるいはサービスについて,すべての消費者と一対一で話せるだろう」。真のクリスチャンは2,000年ほど前から,このような方法で神の王国を自発的に広めてきました。(マタイ 24:14。使徒 20:20)人々の心をとらえるこの方法を使う企業が少ないのはなぜでしょうか。同書はこう説明しています。「非常に金がかかる。セールスマンによる訪問は,1軒あたりのコストが150㌦を優に上回る」。もちろん,クリスチャンは自発的に神の王国を“宣伝”します。それは彼らの崇拝の一部なのです。

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聖書は,“くたくたになるまで買い物する”ことを勧めていない

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