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目ざめよ! 2008
目 08/3 3–5ページ

真の宗教 ― 幾つもある?

この質問は不快だと思う人がいます。世界には宗教が星の数ほどあるのだから,自分だけが真理を有していると唱える人は心が狭くて傲慢である,というわけです。どの宗教にも ― 少なくとも大半の宗教には ― 良いところがあるはずだ,と考えるのでしょう。あなたはどう思われますか。

もちろん,意見の多様性を認めるのが妥当な場合もあります。例えば,自分の健康にはこの食品が良いという信念があるとしても,それが健康に生きる唯一の方法であるかのように他の人に押しつけてよいでしょうか。賢くて慎み深い人は,他の人が選んだ食品を否定はせず,少なくとも当人にとってはそちらのほうが良いのかもしれないと認めるでしょう。

では,宗教についてもそう言えますか。多様な選択肢から,人それぞれ,生まれ育ちや感性に基づいてどれを選んでもよいのでしょうか。それとも,全人類に当てはまる一式の宗教上の真理がありますか。聖書が何と述べているかを見てみましょう。まず,そもそも真理を見つけることは可能か,という点を考えます。結局のところ,それが不可能なのであれば,ただ一つの真の宗教を探しても無駄だということになります。

宗教上の真理を見つけることができますか

イエス・キリストは,処刑される少し前に尋問を受けた時,ローマの総督ポンテオ・ピラトにこう言いました。「真理の側にいる者はみなわたしの声を聴きます」。それに対してピラトは,おそらく冷笑的に,「真理とは何か」と応じました。(ヨハネ 18:37,38)しかしイエスは,真理について語ることを恥じませんでした。真理が存在することを疑っていなかったのです。例えば,様々なタイプの人に対してイエスは次のような四つの言葉を述べました。

「真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」。―ヨハネ 18:37。

「わたしは道であり,真理であり,命です」。―ヨハネ 14:6。

「神は霊であられるので,神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません」。―ヨハネ 4:23,24。

「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。―ヨハネ 8:31,32。

イエスは真理について,また真理を知ることについて,このように強い確信を込めて語りました。そうであれば,宗教上の真理が存在するかどうか,それを見いだせるかどうかを調べることは,わたしたちにとっても価値があるのではないでしょうか。

絶対的な真理 ― 本当に存在しますか

あなたも何かに関して絶対の確信を抱いておられるのではありませんか。例えば,自分自身が存在していることや,自分の周りにある物が実在していることを疑ってはおられないでしょう。木や山,雲や太陽や月,こうした物質界のものは想像の産物ではありません。中には,そうしたものも疑わしいという哲学的な考え方をする人もいるにはいます。しかし,あなたはそのような極端な見方はなさらないでしょう。

様々な自然法則はどうですか。それらにも絶対の確信を抱いておられるのではありませんか。例えば,崖から飛び出せば落下します。食べなければ空腹になります。そして,ずっと食事を取らないでいれば死んでしまいます。そうした法則が,ある人にとっては真実であっても,別の人にとっては真実ではないかもしれない,などと思えるでしょうか。そうした法則は,全人類に当てはまるからこそ,普遍的法則と呼ばれているのです。

聖書はそうした普遍的法則の一つに言及し,「人はその懐に火をかき集めておいて,なおその衣を焼かれないようにすることができるだろうか」と述べています。この言葉が書き記された当時,衣服を火に接触させれば燃えるということは普遍的な真理でした。とはいえ,この聖書の格言はその事実を述べたうえで,もっと重要な点を指摘しています。「仲間の者の妻と[性的な]関係を持つ者」は悲惨な結果を身に招く,という点です。―箴言 6:27,29。

この言葉は絶対的な真理であると断言できますか。真理ではないと言う人がいます。道徳規準は人それぞれであり,人の生まれ育ちや信条や環境に左右される,というのです。では,聖書に収められている神の道徳律(道徳の法則)を幾つか調べ,それらが普遍的真理と言えないかどうかを考えてみましょう。

聖書は姦淫を悪としています。(コリント第一 6:9,10)この聖書の戒めを真理として受け入れずに姦淫を行なう人がいます。しかし,そのような人にもたいていは,つらい結果が臨みます。良心の呵責,離婚,関係者全員の感情的な深い傷といった結果です。

酒を飲んでひどく酔うことも,神は悪としておられます。(箴言 23:20。エフェソス 5:18)常習的にひどく酔う人はどうなりますか。職を失い,健康を害し,家族をも感情的に苦しめ,家庭崩壊に至ることが少なくありません。(箴言 23:29-35)飲み過ぎを悪とは考えない人にも,そうした結果は臨みます。そうであれば,このような道徳律の真実性は人それぞれの信条や認識によって決まる相対的なものである,と言えるでしょうか。

聖書には,行なうべき事柄に関する道徳面での命令もあります。妻を愛しなさい,夫を敬いなさい,他の人に善を行ないなさい,といった命令です。(マタイ 7:12。エフェソス 5:33)こうした命令に従うなら良い結果が生まれます。このような道徳上の忠告が当てはまる人も当てはまらない人もいる,と思われますか。

聖書の道徳律に従う人にも,従わない人にも,結果が臨みます。この事実から,こうした法則が人それぞれ選べばよいような単なる見解ではないことが分かります。これらの法則は真理なのです。聖書の道徳律に従うなら良い結果が,従わないなら悪い結果が臨むことは,証拠を見れば明らかです。

それで,こう考えてみてください。聖書の道徳律が全人類に当てはまる真実であるのなら,神の言葉に収められている崇拝に関する規準はどうでしょうか。死後の状態や永遠に生きるという希望について聖書が述べている事柄はどうですか。論理的に言って,そうした聖書の教えも真理であり,全人類に対するものである,と言えるのではありませんか。そうした教えの益と結果は,信じない人にも及びます。

真理を見いだすことは可能です。神の言葉 聖書は真理である,とイエスは言いました。(ヨハネ 17:17)それでも,真理を見つけることはやはり不可能に思えるかもしれません。聖書の述べる事柄を教えると唱える宗教があまりにも多いからです。では,神の言葉に収められた真理を教えているのはどの宗教でしょうか。ただ一つの宗教だけがそうであると限定すべきですか。それとも,真理あるいはその断片は幾つもの宗教の中に見いだせますか。

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火を懐に入れることと,神の法則に背くことは,どんな点で似ているか

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