ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 徹 4章 28–35ページ
  • 「教育のない普通の人」

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 「教育のない普通の人」
  • 神の王国について徹底的に教える
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 「私たちの力による」のではない(使徒 3:11-26)
  • 「話すのをやめるわけにはいきません」(使徒 4:1-22)
  • 「神に向かって声を上げ[た]」(使徒 4:23-31)
  • 「人ではなく神に」責任を問われる(使徒 4:32–5:11)
  • ペテロ ― 進取の気性に富みひときわ目だった使徒
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
  • 使徒ペテロ ― 多くの人からこれほど愛される理由
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
  • 主イエスから許すことの大切さを学んだ人
    その信仰に倣う
  • 主イエスから許すことの大切さを学んだ人
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2010
もっと見る
神の王国について徹底的に教える
徹 4章 28–35ページ

4章

「教育のない普通の人」

エホバに頼った使徒たちの勇気ある行動が報われる

使徒 3:1–5:11

1,2. 神殿の門の近くで,ペテロとヨハネはどんな奇跡を起こしましたか。

午後の傾いた太陽が,行き交う人たちを照らしています。神を畏れるユダヤ人とキリストの弟子たちが神殿の境内に入っていきます。もう少しで「祈りの時間」です。a (使徒 2:46; 3:1)人混みの中にペテロとヨハネもいて,神殿の「美しい門」に向かっています。すると,大勢の話し声や足音がする中,男性が声を張り上げるのが聞こえます。生まれつき足が不自由な中年の男性が,物乞いをしています。(使徒 3:2; 4:22)

2 ペテロとヨハネがやって来るのを見て,男性はいつものせりふを叫び,お金を乞います。2人が足を止めると,男性は期待してじっと見つめます。ペテロがこう言います。「銀や金はありませんが,私にあるもの,それを与えます。ナザレ人イエス・キリストの名によって,歩きなさい!」それからペテロは,男性の手をつかんで立ち上がらせます。男性は生まれて初めて真っすぐに立ちました。見ていた群衆はどんなにか驚いたことでしょう。(使徒 3:6,7)男性は治った足を見下ろし,そっと一歩を踏み出します。どんな気持ちだったでしょうか。跳びはねながら神を大声で賛美したのも,不思議ではありません。

3. ペテロはどのようにして,銀や金よりもはるかに価値のあるものを男性と群衆に与えましたか。

3 興奮に包まれた群衆が,ソロモンの柱廊にいるペテロとヨハネの所に走り寄ってきます。イエスも以前ここに来て教えたことがあります。(ヨハ 10:23)ペテロは,今起きたことはいったい何だったのかを説明します。そして,癒やしよりももっと大事なことをします。悔い改めてエホバに罪を消し去ってもらい,「命へと導く方」イエスの後に従うよう,勧めました。(使徒 3:15)こうしてペテロは確かに,銀や金よりもはるかに価値のあるものをその男性と群衆に与えました。

4. (ア)この日の出来事をきっかけに,どんな対立が始まりましたか。(イ)これからどんなことを考えますか。

4 とても素晴らしい日です。生まれつき歩けなかった人が癒やされ,歩けるようになりました。たくさんの人たちが,「エホバに仕える人にふさわしい歩み方」を教わりました。(コロ 1:9,10)この日の出来事をきっかけに,キリストの後に従うクリスチャンと,伝道を阻もうとする権力者たちとの対立が始まりました。(使徒 1:8)「教育のない普通の人」だったペテロとヨハネの教え方から,どんなことを学べるでしょうか。b (使徒 4:13)反対に遭ったとき,どのように弟子たちに倣えるでしょうか。

「私たちの力による」のではない(使徒 3:11-26)

5. ペテロの教え方にどのように倣えますか。

5 ペテロとヨハネの前にいる群衆の中には,イエスが処刑される時に「杭に掛けろ!」と叫んだ人たちがいたかもしれません。2人はそのことを知っていたはずです。(マル 15:8-15。使徒 3:13-15)それでも,ペテロは恐れずに真実をありのままに語り,イエスの名(権威と力)によって男性は癒やされたと説明しました。かなり勇気があったことが分かります。聞いている人たちにもイエスを殺した責任があることを率直に話しました。でも彼らを憎んではいませんでした。彼らは「よく知らずに行動した」からです。(使徒 3:17)ペテロは「兄弟たち」と呼び掛け,神の王国の良い知らせに注意を引きました。悔い改めてイエスに信仰を持てば,「爽やかにする時期がエホバから来[ます]」。(使徒 3:19)私たちも,神の裁きの日について勇気を持って率直に伝えます。でも,相手を不快にさせるような話し方や厳しい言い方はしません。私たちの兄弟になる見込みのある人だと考えて話します。そして,ペテロのように,神の王国が実現させる良いことに注目してもらうようにします。

6. ペテロとヨハネが謙虚だったことは,どんなことから分かりますか。

6 ペテロもヨハネも謙虚な人たちでした。自分たちの力で奇跡を起こしたわけではないことを認めます。ペテロはこう言いました。「なぜこのことにそんなに驚いて私たちを見つめているのですか。この人が歩けるようになったのは,私たちの力によるのでも,私たちが神への専心を示しているからでもありません」。(使徒 3:12)使徒たちは,宣教で達成するどんなことも,自分たちの力ではなく神の力による,ということを分かっていました。それで謙虚に,自分たちではなくエホバとイエスが称賛されるようにしました。

7,8. (ア)ペテロに倣って,人々をどのように助けることができますか。(イ)預言されていた「全ての事柄の回復」が今どのように起きていますか。

7 神の王国について伝道するとき,私たちも謙虚でいたいと思います。もちろん,現代のクリスチャンが聖なる力によって癒やしの奇跡を起こすことはありません。それでもペテロに倣って,神とキリストへの信仰を育むよう助けたいと思います。そして,エホバに罪を許してもらって爽やかになるよう勧めましょう。そう勧められ,毎年たくさんの人がバプテスマを受け,キリストの弟子になっています。

8 今は,ペテロが話した「全ての事柄の回復」の時です。私たちはそういう時代に生きています。「神が昔の聖なる預言者たちを通して語った」言葉の通り,1914年に神の王国が天につくられました。(使徒 3:21。詩 110:1-3。ダニ 4:16,17)王になったキリストは間もなくして,地球に真の崇拝を回復させることに取り掛かりました。そのおかげで,何百万もの人たちが神の王国の国民となり,楽園にいるかのような幸せを味わっています。それまでの望ましくない「古い人格を脱ぎ捨て」,「神の意志に沿って形作られ」た「新しい人格を身に着け」ています。(エフェ 4:22-24)そういう大きな変化は,人間の力ではなく神の聖なる力によるものです。足が不自由な人が癒やされた奇跡と同じです。それでペテロのように,聖書を上手に使い,神が助けてくれることを信じて教えていきましょう。キリストの弟子になるよう助けることは,私たちの力ではなく神の力によってのみ可能です。

「話すのをやめるわけにはいきません」(使徒 4:1-22)

9-11. (ア)ユダヤ人の権力者たちは,ペテロとヨハネの話を聞いてどう思いましたか。そしてどうしましたか。(イ)ペテロとヨハネはどんなことを決意していましたか。

9 足が不自由だった人が跳びはねながら大声を上げたり,ペテロが語ったりしたため,辺りは騒がしくなりました。それで,神殿の指揮官(神殿域の治安維持のための監督)と祭司たちが,これは何事かと様子を見にやって来ます。それらの人たちはサドカイ派だったと思われます。サドカイ派とは,政治権力を持つ裕福な教派で,ローマ政府との友好関係を保とうとしている人たちでした。パリサイ派が好んだ口伝律法を認めず,復活を信じるのはばかげていると考えていました。c ペテロとヨハネが神殿で,イエスが復活したと熱く語っているのを知って,相当いら立ったはずです。

10 サドカイ派の人たちは怒って,ペテロとヨハネを拘束し,翌日ユダヤ人の高等法廷に連れていきます。特権意識の強い権力者たちに言わせれば,ペテロとヨハネは「教育のない普通の人」で,神殿で教える権限はありません。名の知れた宗教学校で学んだりはしていません。それでも2人が堂々と語るのを見て,法廷にいる人たちは不思議に思います。どうしてそんなに教えるのが上手なのでしょうか。1つには,「2人がイエスと一緒にいた」からです。(使徒 4:13)イエスは「律法学者たちのようにではなく,権威を授かった人のように教えて」いました。(マタ 7:28,29)

11 法廷は2人に,伝道をやめるようにと命じます。当時,法廷の命令にはかなりの効力がありました。少し前,この法廷はイエスについて「この者は死に値する」と宣告したばかりです。(マタ 26:59-66)それでも,ペテロとヨハネはおじけづいたりしません。裕福で高学歴の権力者たちの前で,恐れずに,でも敬意を込めてこう言います。「神よりもあなた方の言うことを聞く方が,神から見て正しいことなのかどうかは,自分たちで判断してください。しかし,私たちとしては,見聞きしたことについて話すのをやめるわけにはいきません」。(使徒 4:19,20)

大祭司と祭司長たち

大祭司は神の前でイスラエル人たちを代表しました。1世紀には,サンヘドリンの長でもありました。大祭司だけでなく祭司長たちも,ユダヤ人の指導者となっていました。その中には,アンナスのような以前の大祭司や,大祭司が選ばれる家族の成人男性がいました。そういう家族は4つか5つだったと思われます。祭司たちの間では,「それら特別の家族の1つに属しているというだけでも,とりわけ名誉なことと見なされたに違いない」と,学者のエミール・シューラーは書いています。

聖書によれば,大祭司の任期は生涯にわたるものでした。(民 35:25)しかし,「使徒の活動」の時代には,ローマの総督やローマから指名された王が,大祭司の任命と解任を自由に行いました。とはいえ,それら異教の統治者たちもアロンの家系の祭司の中から大祭司を選んだようです。

12. どうすれば,恐れずに語れるようになりますか。

12 あなたにも同じような勇気がありますか。富裕層の人,高学歴の人,有名人や有力者に伝道することになったら,どう感じますか。家族や親族,クラスメート,同僚から,「変な宗教をやっている」とばかにされたら,おどおどしてしまいますか。もしそうだとしても,大丈夫です。そういう気持ちは乗り越えられます。イエスは,自分の信仰について敬意を込めながらはっきりと語るためのアドバイスをくれています。(マタ 10:11-18)そして,「私は体制の終結までいつの日もあなたたちと共にいる」と約束しています。(マタ 28:20)イエスの指導の下,「忠実で思慮深い奴隷」もトレーニングしてくれています。(マタ 24:45-47。ペテ一 3:15)「クリスチャンとしての生活と奉仕」などの集会や,jw.orgの「聖書 Q&A」などの記事から,どう話せばよいかを学べます。こういったものを十分に活用すれば,恐れずに語れるようになります。きっとペテロやヨハネと同じように,学んだことについて話すのをやめるわけにはいかない,という気持ちになるはずです。

休憩中に姉妹が同僚に聖書から話している。

学んだことを語るのをやめないようにしましょう。

「神に向かって声を上げ[た]」(使徒 4:23-31)

13,14. 反対に遭ったときはどうするとよいですか。なぜですか。

13 ペテロとヨハネは釈放されると,すぐに会衆のみんなに会いに行きます。仲間たちは「神に向かって声を上げ」,大胆に伝道し続けられるようにと祈っていました。(使徒 4:24)ペテロは,自分の力に頼るのがどれほど愚かなことか,痛いほど知っています。少しばかり前,自信たっぷりにイエスにこう言いました。「ほかのみんながあなたを見捨てても,私は決して見捨てません!」しかし,イエスが言った通り,恐れに負けて大切なイエスのことを見捨ててしまいました。それでもペテロは失敗からきちんと学びました。(マタ 26:33,34,69-75)

14 ただ決意するだけでは,キリストについて語る使命を果たすことはできません。信仰を捨てるよう圧力をかけられたり,伝道をやめるよう言われたりしたときは,ペテロとヨハネの手本を思い出しましょう。力を下さいとエホバに祈りましょう。会衆の人たちにも支えてもらえます。長老や信頼できる仲間に話してください。仲間の祈りは,頑張るための大きな力になります。(エフェ 6:18。ヤコ 5:16)

15. 伝道をやめてしまったことがあるとしても,心配要りません。どうしてですか。

15 恐れに負けて伝道をやめてしまったことがあるとしても,心配要りません。イエスの使徒たちも,イエスの死後みんな伝道をやめてしまいました。でも,すぐに再び伝道を始めました。(マタ 26:56; 28:10,16-20)過去にとらわれるのではなく,失敗から学び,仲間を助けるためにその経験を生かしましょう。

16,17. エルサレムに集まっていた弟子たちの祈りから,どんなことを学べますか。

16 迫害を受けるとき,何を祈り求めるとよいでしょうか。弟子たちは,迫害から逃れられますようにとは祈りませんでした。彼らはイエスがこう言ったのを覚えていました。「世の人々が私を迫害したのであれば,あなたたちをも迫害します」。(ヨハ 15:20)弟子たちはただ,「彼らの脅しに注意を向け」てくださいとエホバに祈りました。(使徒 4:29)起きている事をもっと大きな視野で見ていました。迫害はあらかじめ預言されていたことで,今まさに自分たちがそれを経験していると考えました。権力者たちが何を言うとしても,神が望んでいることは「地上でも行われ」ます。イエスから教わった通り,弟子たちはそのことを願い,祈りました。(マタ 6:9,10)

17 エホバの望むことを行えるよう,弟子たちはこう祈りました。「あなたの奴隷たちができる限り大胆にあなたの言葉を語り続けられるようにしてください」。エホバはすぐに答えてくれました。「集まっていた場所は揺れ動いた。そして一人残らず聖なる力に満たされて,神の言葉を大胆に語るのだった」と書かれています。(使徒 4:29-31)神が行うことは誰にも邪魔できません。(イザ 55:11)どんなに追い詰められ,どんなに敵が強くても,祈って助けを求めれば,神は伝道し続ける勇気と力を与えてくれます。

「人ではなく神に」責任を問われる(使徒 4:32–5:11)

18. エルサレムの会衆の人たちはどのように助け合いましたか。

18 エルサレムの新しい会衆はすぐに5000人以上に増えました。d いろいろな場所から来た人たちでしたが,「心と思いを一つ」にしています。同じ思い,同じ考え方でしっかりと団結しています。(使徒 4:32。コリ一 1:10)弟子たちは祈ってエホバに助けを求めるだけでなく,仲間同士で助け合いました。信仰を強め合い,必要なときにはお金や物も分け合いました。(ヨハ一 3:16-18)例えば,ヨセフ(使徒たちからバルナバとも呼ばれた)は持っていた土地を売り,全額を仲間のために寄付しました。遠くからエルサレムに来ていた仲間たちがもう少しとどまって,キリストについての教えをもっと学べるようにするためでした。

19. アナニアとサッピラがエホバに打たれて死んだのはどうしてですか。

19 アナニアとサッピラという夫婦も所有地を売り,寄付をしました。でも,全額を寄付したように見せ掛け,「その代金の一部をひそかに取って」おきました。(使徒 5:2)2人はエホバに打たれて死にます。金額が少なかったからではありません。寄付をした動機が悪く,うそをついたからです。「人ではなく神にうそをつきました」。(使徒 5:4)神に認められることよりも,人に称賛されることを求めていました。イエスが非難した偽善者たちのようになっていました。(マタ 6:1-3)

20. エホバへの奉仕や寄付についてどんなことを学べますか。

20 1世紀のエルサレムの弟子たちと同じように,現代のエホバの証人も世界的な伝道をサポートするために喜んで寄付しています。伝道のために時間を使ったりお金を寄付したりするよう強制されることはありません。エホバは,私たちが嫌々奉仕したり,誰かに強いられて仕えたりすることを望んでいません。(コリ二 9:7)私たちが寄付するとき,エホバが注目しているのはその額ではなく,どんな気持ちでそうしたかです。(マル 12:41-44)自分の利益のためや人から称賛を受けるためにエホバに仕えるとしたら,アナニアとサッピラのようになってしまいます。私たちがエホバに仕えるのは,神と仲間を心から愛しているからです。いつもそういう気持ちでいたペテロ,ヨハネ,バルナバに倣いましょう。(マタ 22:37-40)

ペテロ 漁師が熱心な使徒になる

聖書の中で,ペテロは5つの名前で呼ばれています。ヘブライ語のシメオンとそれに相当するギリシャ語のシモン,またペテロとそれに相当するセム語のケファ,そして2つの名前を組み合わせたシモン・ペテロです。(マタ 10:2。ヨハ 1:42。使徒 15:14)

使徒ペテロが魚でいっぱいの籠を持っている。

ペテロは結婚していて,しゅうとめや兄弟と同居していました。(マル 1:29-31)ガリラヤの海の北岸の町ベツサイダ出身の漁師でした。(ヨハ 1:44)カペルナウムの近くに移り,そこに住みました。(ルカ 4:31,38)イエスがガリラヤの海の岸辺に集まった大勢の人に話をした時,腰を下ろしていたのはペテロの舟でした。そのすぐ後,ペテロはイエスの指示通りにして,奇跡的にたくさんの魚を取ります。ペテロが怖くなってひざまずくと,イエスは,「恐れることはありません。今後,あなたは人を生きたまま捕るのです」と言います。(ルカ 5:1-11)ペテロは,兄弟のアンデレ,ヤコブやヨハネと一緒に漁をしていました。4人とも,イエスから「私に付いてきなさい」と言われ,漁業をやめることにします。(マタ 4:18-22。マル 1:16-18)約1年後,イエスは「使徒」(「遣わされた人」という意味)を12人選び,ペテロはその1人になりました。(マル 3:13-16)

イエスは,大事なときにはよく,ペテロ,ヤコブ,ヨハネを連れていきました。3人は,高い山でイエスの姿が変わって輝いた時,イエスがヤイロの娘を復活させた時,イエスがゲッセマネの庭園で苦悩していた時,その様子を目にしました。(マタ 17:1,2; 26:36-46。マル 5:22-24,35-42。ルカ 22:39-46)イエスの臨在のしるしについて尋ねたのも,この3人とアンデレでした。(マル 13:1-4)

ペテロは,素直に思ったことを口にする熱い人で,衝動的なところもありました。仲間よりも先に話すことが多かったようです。福音書に載せられているペテロの発言は,ほかの11人の使徒全員の発言の数を上回っています。ペテロは,ほかの人たちが黙っている時でも質問をしました。(マタ 15:15; 18:21; 19:27-29。ルカ 12:41。ヨハ 13:36-38)イエスが足を洗おうとした時には,最初は拒みましたが,ひとたびイエスの気持ちを知ると,手も頭もお願いしますと言いました。(ヨハ 13:5-10)

ペテロは心配のあまりイエスを説得しようとして,苦しめられて殺されるようなことは決してない,と言いました。しかし,その間違った考えをイエスからはっきり正されました。(マタ 16:21-23)イエスが亡くなる前の晩,ペテロは,ほかの使徒たちがイエスを見捨てても自分はそうしないと言い切りました。イエスが捕まえられた時,勇敢にも剣を振るってイエスを守ろうとし,その後,大祭司の家の中庭まで付いていきました。ところが間もなく,イエスのことは知らないと3度も言い,自分のしたことに気付いて激しく泣きました。(マタ 26:31-35,51,52,69-75)

イエスが復活後,ガリラヤで最初に使徒たちに姿を見せる少し前,ペテロは漁に行ってくると言い,ほかの使徒たちも一緒に行きました。イエスが浜辺にいるのが分かると,ペテロはすぐさま水に飛び込み,岸まで泳ぎます。イエスは使徒たちのために朝食として魚を焼き,それからペテロに,「これら以上に私を愛していますか」と尋ねます。「これら」とは,目の前にあった,使徒たちが取った魚のことでした。イエスは,漁業に打ち込むのではなく「私の後に従」うことに専念しなさい,とペテロに勧めました。(ヨハ 21:1-22)

62年から64年ごろ,ペテロは現在のイラクに位置するバビロンで良い知らせを伝えました。そこにはユダヤ人が大勢いました。(ペテ一 5:13)ペテロは,自分の名の付いた第一の手紙をバビロンで書き,第二の手紙もおそらくそこで書きました。イエスが,「割礼を受けた人たちに使徒として仕えるようペテロに力を与え」ました。(ガラ 2:8,9)ペテロは人のことを温かく思いやりながら,熱い心で任務を果たしました。

ヨハネ イエスの愛する弟子

使徒ヨハネはゼベダイの子で,使徒ヤコブの兄弟でした。母親の名前はおそらくサロメで,サロメはイエスの母親マリアの姉妹だったと思われます。(マタ 10:2; 27:55,56。マル 15:40。ルカ 5:9,10)ですから,ヨハネはイエスの親戚だったのかもしれません。ヨハネの家族は裕福だったようです。ゼベダイは人を雇うほどの規模で漁業を営んでいました。(マル 1:20)サロメはガリラヤでイエスに同行して仕え,イエスの死後,遺体の処置のために香料を持っていきました。(マル 16:1。ヨハ 19:40)ヨハネは自分の家を持っていたと思われます。(ヨハ 19:26,27)

使徒ヨハネが巻物を持っている。

ヨハネはバプテスマを施す人ヨハネの弟子だったようです。バプテスマを施す人ヨハネがイエスを見て,「見なさい,神の子羊です!」と言った時に,ヨハネはアンデレと一緒にそこにいたと思われます。(ヨハ 1:35,36,40)この出来事の後,ゼベダイの子ヨハネはイエスに付いてカナに行き,イエスの最初の奇跡を目にしたようです。(ヨハ 2:1-11)イエスがその後エルサレム,サマリア,ガリラヤで行ったことも,ヨハネは実際に見たと考えられます。福音書に生き生きと詳しく書いているからです。イエスから「私に付いてきなさい」と言われた時,ヤコブ,ペテロ,アンデレと同様,漁網や舟を手放して仕事を辞めたことから,ヨハネが信仰のあつい人だったことが分かります。(マタ 4:18-22)

ヨハネは福音書の中でペテロほど目立ってはいません。とはいえ,ヨハネも熱い人でした。それでイエスは,ヨハネとその兄弟ヤコブをボアネルゲス(「雷の子たち」という意味)と呼びました。(マル 3:17)ヨハネは最初の頃,野心があり,目立とうとしていました。ある時,ヤコブと一緒に,王国で高い地位に就かせてほしいと,母親を通してイエスに頼みました。自分のことを考え過ぎていたようですが,王国がつくられることを固く信じていたのが分かります。この出来事を受けてイエスは,謙虚になることの大切さを使徒たちみんなに教えました。(マタ 20:20-28)

強気な一面があったヨハネは,イエスの弟子ではない人がイエスの名によって邪悪な天使を追い出すのをやめさせようとしました。また,イエスと弟子たちを歓迎しようとしなかったサマリア人の村に,天から火を下らせようとしたこともあります。どちらの時も,イエスはヨハネの間違いを正しました。やがてヨハネは,憐れみ深くバランスの取れた人になりました。(ルカ 9:49-56)そういう欠点があっても,ヨハネは「イエスの愛する弟子」で,イエスから母親マリアの世話を頼まれるほどでした。(ヨハ 19:26,27; 21:7,20,24)

イエスが預言していたように,ヨハネは長生きしました。使徒たちの中で最後に亡くなった人でした。(ヨハ 21:20-22)約70年間エホバに心を込めて仕えました。晩年,ローマ皇帝ドミティアヌスの治世中に,「神について語り,イエスについて証言したために」パトモス島へ流刑にされました。その島で96年ごろ神からの幻を見,それを「啓示」の書に記録しました。(啓 1:1,2,9)伝承によると,ヨハネは釈放後エフェソスに行き,自分の名の付いた福音書と,ヨハネ第一,第二,第三の手紙を書き,そこで100年ごろに亡くなりました。

a 神殿では,朝と夕方,捧げ物をする時に祈りが捧げられました。夕方の捧げ物の時間は「午後3時」ごろでした。

b 「ペテロ 漁師が熱心な使徒になる」,「ヨハネ イエスの愛する弟子」という囲みを参照。

c 「大祭司と祭司長たち」という囲みを参照。

d 33年当時のエルサレムでは,パリサイ派の人たちの数が6000人ほどで,サドカイ派の人たちの数はもっと少なかったようです。これらの教派の人たちが,イエスの教えが広まっていくのを脅威に感じたのもうなずけます。

    日本語出版物(1954-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする