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  • 『日ごとに彼の救の良いたよりを宣べ伝えよ』
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1957
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  • 沖繩
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1957
塔57 3/15 103–119ページ

『日ごとに彼の救の良いたよりを宣べ伝えよ』

1956年中の日本,沖繩,台湾の発展 ― 年鑑の報告

幾千万人という多くの人のいる日本では,まだまだ沢山の仕事をしなければなりません。しかし,昨年中には良い証言がなされました。伝道者の数は27パーセントも増加し,日本にいるどの兄弟も,新しい人や,兄弟と交る他の人々を円熟に導こう,と日ごとに努めています。ヱホバの力に倚りたのんでいる兄弟たちは,みな確信をもつてはげみ続け,そして小なる者も実際に千人となり,多数の人々がヱホバの御名を讃える時を待ち望んでいます。日本の新世社会に入つているすべての人は,大いなる群衆を集めることを望んでいます。日本には,大いなる群衆がいると御国の証者たちは確信しております。しかし,地上の多くの場所の場合と同じように,それらの大いなる群衆を見出すことが大問題なのです。そのためには,日本全地にいる592名の伝道者各人が,勤勉でなければなりません。兄弟たちは,ほんとうに勤勉の精神を示しております。手を弛めることなく,昨年中には今までにない多くの時間を奉仕に捧げ,今までにない多くの予約を得,そして今までにない多くの雑誌を配布しました。それだけに止まらず,兄弟たちは再訪問や聖書研究の司会という大切な業に多くの時間を費しました。今は,手を弛める時ではありません。今こそ,豊かに注がれたたくさんの祝福にたいする私たちの感謝の意を,ヱホバ神に示す時であります。そして,ヱホバ神の力に依り頼みつゝ前進しつづけるべき時です。東京にいる支部の僕は,日本,沖繩,そして台湾における業について,非常に興味深い報告を送つてきました。それらの経験は,みな私たちの心をよろこばします。

この1年は,またまた繁栄とよろこびの年でした。それについて,私たちはヱホバを讃えます! 増加の年でした,そして4月のノア兄弟とアダムス兄弟の訪問,および決して忘れることのできない東京大会とともに,ぐんと拍車が掛けられ,増加の度合は増しました。4月,5月,6月,そして7月と,どの月も伝道者の新最高数が得られ,ついに592名の伝道者,27パーセントの増加に達したのです。

特別開拓者の働いている一地方の新聞は,大会と『ものみの塔』についての良い記事を出しました。そのことから,特別開拓者は多くの興味深い経験を持つようになりました。或る雨降りの日,特別開拓者は病院に雨宿りして,ひとりの看護婦さんに証言し始めました。この証言を立ち聞きしたお医者さんが内から出て来て,『ものみの塔』を手に取り『この雑誌のことを新聞で読みました。1部25円ですか。1年ではいくらですか。』と言いました。そして,直ぐに予約をしたのです。その地方の高等学校の先生が,ヱホバの証者についての記事を読みました。その人は,開拓者のところに手紙を書き送りましたので,開拓者はその先生を訪問しました。その人は,予約をするだけでなく,開拓者の持つていたすべての文書を求めました。次の日曜日から,『ものみの塔』の研究に出席し始め,また個人的な研究も始めたのです。開拓者は,たくさんの手紙や葉書を受け取りましたが,その中の1通はこう述べていました,『新聞で「ものみの塔」のことを読み,私も会員のひとりになりたいと思います。規則集を送つていただけませんか。』

盲の人も,目が見え始めています! ひとりの日本人の開拓者は,子供の頃から盲になつた人と研究しました。幾月か後になつて,その母親は,開拓者に打ち明け話をしました。それによると,母親はいろいろの宗教にお願いして娘の気持を楽にしてもらおう,としましたが,どの宗教も,みな金にならないという理由で,断つたとのことです。ヱホバの証者が娘のためにこんなにも思い遣りを示してくれる,ということに両親はすつかり感激してしまい,そして,娘を連れて大会に出席し,ノア兄弟の話を聞きました。その話から非常な感銘を覚えました。娘は会衆の集会に定期的に出席しており,伝道者です。この同じ開拓者は,つんぼで,しかも目が良く見えない別の娘さんと研究を始めました。研究は,分り易いように,しかも幾度も幾度も繰り返して司会されました。そして,その人の掌の上に指で日本語を書くことによつて,研究が行われました。研究を熱心にしているとき,開拓者の指は時折り痛みました。その盲の人は,いまでは狐の崇拝を止めて,真の神なるヱホバの証者です。

目が良く見えないため,ほとんど盲と言つても良い84才になる大阪の一老人は,最近に浸礼を受けました。何かを読むためには,二つの眼鏡が必要です。それでも,一度に精々10分しか読めないのです。しかし,この人は,真理を早く理解して,伝道者になりました。この人は,夏には,太陽の直射を避けるために傘をさします。冬には厚い足袋を4足はいても,寒さを感じるのです。だが,この老人はどんな季節のときでも伝道します。洗礼を受けてからの6ヵ月間に,その人の1ヵ月あたりの平均伝道時間は36時間で,また585冊の本や冊子や雑誌を配布しました。

新しい奉仕年度が始まる時には,1年前の10人とくらべて,32名の特別開拓者が日本にいるでしよう。特別開拓者たちは,この1年間に多くの増加をもたらしました。未亡人の母親,その息子と娘で構成されている熱心な一群は,仏教徒,神道の者,自称クリスチャンたちのいるところで,1月1日に特別開拓奉仕を始め,たくさんの興味深い経験をしました。最初の月に15の研究を司会したのです。8月までには,10人の伝道者が出て,会衆は設立されました。特別開拓者の奉仕した地の新しい伝道者から開拓者になる人が出て,証言を更に増加させています。特別開拓者奉仕は,いまや日本の4大本島に証言をひろめ,9000万人の住む大きな区域,そして証言が一度もなされたことのないこの日本の区域を開拓しています。

沖繩

御国の業は,沖繩でもどんどん進歩しつづけ,またまた伝道者の数は増加して,26名という最高数を得ました。二人の特別開拓者は,日本から沖繩に派遣されて,業の組織を援助しています。この1年のうちに,数人の新しい伝道者が浸礼をうけました。これらの新しい伝道者たちは,雑誌の業に極めて熱心で,1ヶ月の中に100冊も配布しました。特別開拓者は,目標数の2倍も配布し,会衆の伝道者は,1年を通して,目標数の4倍以上も配布しました。沖繩の人々は,日本語の『ものみの塔』と『目ざめよ!』誌を,よろこんで読んでいます。合計して453の予約が得られました。

この1年の中に,協会の映画が再び上映されました。その一度は,田舎の村で映写されましたが,多くの人々が興味を示しました。村長さん自身が出歩いて,みなさんを招待したのです。その時刻が来たとき,或る人は斧をもつて出かけて行き,大きな村の鐘を叩きました。映画を一人残らず見るようにと,告げたのです。村中の人がみな映画を見て,心からの拍手喝采をしました。

沖繩の小さな会衆は,多くの国籍の人々で成り立つている一致した群です。この1年中の伝道者たちには,日本人,アメリカ人,フイリッピン人,ドイツ人,そして韓国人がいました。しかし,そのすべての人々は,互に理解し合うように見えます。すくなくとも,みなさんは一つの新しい世の言語を語ります。この幸福な群は,飛行場での極く僅かの時間でしたが,極東訪問中のノア兄弟を出迎え,たいそうよろこびました。

台湾

この1年における台湾では,自由が多く得られ,よろこびに充ちる経験がたくさんありました。このよろこびは,盛会であつた4月19日の1日間だけの大会のときに最高潮に達しました。そして,ノア兄弟とアダムス兄弟もこの大会に参加したのです。たつた1日だけでしたが,なんとすばらしい1日だつたのでしよう! 台湾の兄弟たちは,この大会のために18年間も準備してきました。1日だけの大会のために18年間の準備? そうです,ヱホバの証者が台湾で組織を始めて以来,9年間は日本人から迫害され,他の9年間は中国人から抑圧されたり,誤解を受けたりしていたのです。ヱホバの証者は,今度はじめて,完全な自由の中に,ひとつの群に集まることができました。はじめて大会の自由を味わつたその味は,なんと快いものだつたのでしよう! ものみの塔協会の会長が,1808名の熱心な群に講演をなし,そして『クリスチャンは幸福でなければならぬ』という話で,その大会を最高潮に導いたことは,なんとふさわしいことだつたのでしよう! その日,台湾のヱホバの証者は,幸福で充ち益れていました!

この年の終る時までには,台湾にある32の御国会館の中,29は登記が完了して,集会が開かれていました。この年は,建設の年でもあり,また『平和な時』の状態にたいする再組織の年でした。集会を司会するときには,中国語を話さねばなりません。今までずつと日本語を話していた会衆の僕たちは,自分から進んで台湾の首府,台北に行き,中国語を3ヵ月勉強しました。政府は,無料で先生を世話して呉れました。このような再組織をしている期間中に,伝道者の平均数は低下しました。しかし,会衆の僕たちが帰つて来て,熱心な努力を払つた結果,奉仕年度の終るまでには,29パーセントの増加にあたる1907名の伝道者の新最高数というよろこばしい結果を得ました。

兄弟たちは,自分たちの住む区域で映画を映写するために多くの障害を克服したのです。映写機用にガソリンの発電機を買いました。兄弟たちは,歩いたり,又は場所によつては自転車に乗つたりして,この発電機とガソリンを幾百マイルも運んだのです。翌晩の映写のために,焼きつくような強い日差を受けながら,運搬することはつらい仕事でした。しかし,その価値はありましたか。この年度中の4ヵ月間の映画の運動に,合計4万8357人が出席しました。二人の台湾人の特別開拓者が伝道を始めた或る町では,4500人が出席して映画を見ました。

台湾で証言する際には,地方の習慣と取り組まねばなりません。新しい宗教は,村に死をもたらし,そして別の宗教の伝道者が一晩宿まるなら,地方の神々はその家から出て行つてしまうという,迷信があります。村の人々は,たいていの場合に,伝道者の立ち去ることを望み,その立ち去る後から米や塩を投げます。ヱホバの証者の伝道が村の中で行われるとき,それは村全体の問題になります。そして,しばしば村の人の半数は,遂には新世社会の側に立場を取るようになります。800人以上の住む或る村では,村長さんにいたるまで全部の人がヱホバの証者です。この村の人々は,7つの分会になつて,新しく建てられた7つの御国会館で集会しています。こゝにいる兄弟たちは,多くの場合に一晩中という長い時間を歩いて,証言のできる区域を探しに行かねばなりません。

ギレアデで訓練をうけた二人の宣教者は,台北で業を始めました。そして,中国語を熱心に勉強しています。6カ月の後には,戸口の良い証言を中国語ですることができます。それで,英語をすこしも知らない人々と良い研究をしています。

1957年ヱホバの証者の年鑑(英文)より

    日本語出版物(1954-2026)
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