神の目的とエホバの証者(その60)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
第36章 今よりのち永遠に神の御心を行なう
ロイス: 今までのお話でエホバの証者の制度に対する理解がとても深められました。それで1958年の「神の御心」国際大会のことをお聞きするのを楽しみにしていました。もちろんテレビで大会の模様をいくらか見ましたし,トムは新聞に出た大会の記事を全部読みました。それはかなりの量になります。私としては,大群衆の洗礼が印象に残っています。しかし牧師の怠慢を非難した決議文の見出しには,少し驚きました。
トム: さあロイス,本当のことを言ってごらん。お前はたしかに怒っていたよ。その言葉まで覚えている。―「エホバの証者はなんだって牧師の事を言わずにいられないのでしょう」。もちろんお前はその内容を読もうとしなかったが,もし読めば,かなり納得できたと思う。
ロイス: いまなら読んでみたいと思いますわ。ではジョンさんのお話をお聞きしましょうか。
ジョン: まずはじめに年鑑の報告の第1節を読むのがいちばん良いと思います。
神の御国は全宇宙にわたって支配す! 1958年の夏,御国の存在はかってないほどに感じられた。少しの暴力もなく,それは平和裡に表わし示された。訓練と協議また一致した公の証言と宣明のために,これほど大勢の御国の大使が集まったのは初めてである。ニューヨーク市最大のヤンキースタジアムとポログランドは文字通り大群衆で埋めつくされたが,混乱は少しも見られず,宇宙の秩序を律する高い政府を代表する人々にふさわしい秩序が見られた。連続8日間にわたって14万5000人以上が集まり,神の国に関する事柄に思いを傾けた。平和,秩序,兄弟愛がみなぎっていた。南に数マイルはなれた国際連合の議場でつね日頃見られる緊張,非難,反撃,衝突などは,7月27日,日曜日から8月3日,日曜日まで開かれたエホバの証者の「神の御心国際大会」にみじんも見られなかった。少なくとも123の国々と島から参集したにもかかわらず,いま支配している神の国の下に集まったこの人々は一致を示した。a
報告の次の言葉にも示されているように,当時は政治的に見て国際関係の悪化したときであり,中東の情勢は全面戦争の危険をはらんでいました。
世界情勢は緊張の度を加えており,どんな大きさのものにしても政治の色彩を持たない国際大会を開くには,時機が悪いように思われた。世界各地,不安な情勢をかもしている地域からさえも代表者が集まり,国際的な交通機関を利用して来ることを考えればなおのことである。
しかし1年半も前から開催を発表されていた国際大会は,その名にたがわなかった。その開催は「神の御心」であり,世界情勢もそれに順応したかの如くである。即位したイエス・キリストによって治める天の至上なる神は,悪鬼と人間から成る敵の只中で支配するその力を示された。天にある神の国の大使たちが御心に従って平和に集まるため,神は東西両陣営の背後にある勢力を抑止したのである。b
19ヵ月前に大会の開催が「ものみの塔」誌上に発表されたとき,協会ではヤンキースタジアムの使用契約をすでに結んでいましたが,1953年以来の新世社会の拡大に照らして,この施設だけでは不十分なことが明らかでした。
トム: ポログランドを使用できたのは幸いでしたね。
ジョン: 全く幸いでした。ニューヨーク・ジャイアンツのこの球場はヤンキースタジアムに近い好都合な場所にあるうえ,ニューヨーク・ジャイアンツがニューヨークからカルフォルニア州サンフランシスコに移る話が出ていたため,もしこれが実現すればポログランドの使用が可能になるわけで,従って協会では事態の進展を見守っていました。それで1957年8月19日,球団の移転が本決まりになると,協会の会長はヤンキースタジアムとポログランドの同時使用契約を直ちに結びました。
次の問題はトレイラーの町の用地を確保することです。しかし度重なる努力も実を結ばなかったため,遂に神の御心は,大会出席者全部が一堂に会し,「互に親しく交わり,ひとつの管理の下にあってクリスチャンの愛,友誼,団結を示すことである」ことが明らかになりました。そして「トレイラーの町」は設けられない旨が発表されました。c
加えて協会では,エホバの見える制度の重立った人々の会合を計画しました。この集会のためと,会場にはいりきれない人を収容するために,ポログランドから南に一区画をへだてたニューロックランド・パレスが貸切られました。
大規模な大会の準備
大会の開催が公に発表されるずっと前から,事前の準備はすすめられていました。
大会は神の国の存在,その力,組織力,神権的秩序を世の人々にはっきり示さねばならぬ。そこで大会は,幾千にもわたる細部の点にも気を配り,少しの手落ちもないように準備することが必要であった。神の国のことで,いいかげんにできる事はひとつもない。このように大きな大会ともなれば,1万人の自発奉仕者を集めて組織し,それぞれの部門に割当てることが必要である。プログラムを受け持つ人はもちろんのこと,重要な清掃,衛生部門に至るまで22の部門別に人々が配置された。神の国をひろめる一致した野外活動と演壇上のプログラムを連続8日間にわたり満喫できるよう,大会出席者の便宜を図り,助力することを考えれば,どんな事でもゆるがせにはできない。細大もらさぬ計画と組織が必要だったことは想像に難くない。組織の面にとどまらず,演壇,その装飾,拡声装置など,多くの作業も必要であった。多くの言語の出版物を短時日に印刷するため,協会のブルックリン工場では何週間ものあいだ昼夜兼行で仕事が行なわれた。d
大きな仕事は100以上の国々から集まる15万人以上の宿舎を確保することでした。これらの人々の大半は,宿泊その他大会の費用を出すにしても資力に限りのある人々です。この運動を始めるにあたって,1958年4月26日,土曜日の午後ヤンキースタジアムに9000人を集めて「運動開始」の集会が開かれました。そして翌朝,宿舎探しのため,かつてない大ぜいの人々が野外に繰り出したのです。以来何週間にもわたって熱心な努力がつづけられたにもかかわらず,大会の月の最初の週末になってなお3万人分の宿舎が不足でした。しかし勤勉な働き,信仰と忍耐は報われました。そして大会の始まる数日前,宿舎を請求した人々の数に見合う宿舎が確保され,なお事前に申し込まずに来る人のために数百の予備も用意されました。
ニューヨーク市ブルックリン,サンヅストリート77にある協会の新しい13階建印刷工場に大会本部がおかれ,11階全部が一寸のすき間もなく,大会準備の仕事場にあてられました。
大会を機に協会の会長は支部の僕全員との会合をとりきめました。
世界情勢の緊迫にもかかわらず,ただ二人の支部の僕がこの世の権威に妨げられ,ブルックリンにあるエホバの証者の本部の招きに応じて参集できなかったに過ぎぬ。全世界の支部,工場を訪れている会長は,証明ずみの能率的な方法でそれぞれの部門を運営することの必要を痛感していた。それで会長自身,協会最大の,高度に分化したブルックリンの支部を数週間にわたって検討した結果,支部組織全般を包括する指導および指示要項を編み,これを印刷させた。これは158頁ルースリーフ形式の大型本で「ペンシルバニヤ州のものみの塔聖書冊子協会支部事務所の運営要領」と題され,1958年9月1日から実施されることになった。この本を討議,研究するため,大会の始まる2週間前の7月16日,協会会長は80人以上の支部の僕および補佐,合計160人に余る監督を,コロンビヤハイツ136にあるブルックリン・ベテルの御国会館に集めて,大会の始まる2日前まで毎日を,この本の討議,説明,また質疑応答についやした。支部の僕各人におくられたこの本は,大会最初の,少なくとも大会に先立って発表された第1番目の出版物であった。
各支部にこの指導要領が備えられ,それに従って運営が行なわれることになったので,世界のどこにいてもエホバの証者は,その地域の証言活動,会衆を監督する支部に全幅の信頼を寄せることができる。本部から遠く離れ,あるいは最近に設立されたにしても,またどんなに小規模なものでも,最大最古の支部を含めて他のすべての支部と全く同じく,それは最新の方法で運営される。このようにしてどの支部も軽視されるべきではなく,すべてのエホバの証者は,多くの部分から成る全組織が全く一致して働いることを認識しなければならない。また協力と服従を惜しんではならない。e
重大な日々
周到に計画されたプログラムに基づき,大会の日には,一定の神権的な原則あるいは活動を強調する名前がそれぞれつけられていました。
7月27日,日曜日にはじまり次の順序でそれぞれの名がつけられていた。忠実の日,専心の献身の日,宣教拡大の日,神の恵みを味わう日,みちたりた奉仕の日,恐れのない宣教の日,「御心が地に成るように」の日,神の御国の日である。これは最終日の最高潮をなす公開講演の題,「神の御国は支配す ― 世の終りは近いか」とよく調和していた。神の国は神の御心ときりはなすことができない。神の国によって天の父への祈り,「御心が天になる如く地にも行なわれんことを」(マタイ 6:9,10)が成就するからである。最初の日から7日目までのすべての討議と講演によって神の栄光の御国が即位した御子イエス・キリストによって1914年以来支配しているという大会出席者の認識は,いやがうえにも高められた。f
神の御心国際大会は,献身したクリスチャンが単に集まってくつろぎ,自己賞賛の話に耳を傾けて楽しむというものではありません。年鑑の報告はこの大会の崇高な目的を説明し,「忠実なさとい僕」が設けたすばらしいものを詳述しています。それは必要な霊的食物と装備を新世社会に与えるものであり,これによって新世社会の各人は更に確固とした,また有用な地位を神の目的の中に占めるようになりました。
計画された通り大会は,聖書と制度に関する最新の教えと訓練を授ける学校であった。このため協会の支部の僕のみならず,地域および巡回の僕の全員,英語を理解するなるべく多くの外国の会衆の僕が大会に呼ばれた。これらは全地にわたるエホバの証者の新世社会内で枢要な地位を占める人々である。これらの人々はとくに助言と訓練,大会で得られる霊的な励ましを必要としていた。このほかものみの塔ギレアデ聖書学校の卒業者で宣教また特別開拓者として宣教に励んでいる人々が呼ばれた。これらのふさわしい人々の旅費の一助にと全地の会衆からものみの塔協会に寄せられた寄付により,アジヤ,アフリカ,オーストラリア,ヨーロッパ,中南米から大ぜいの人が大会に出席できたのである。
協会会長はこれら重立った者たち,任命された僕との集会を開いた。ニューロックランド・パレスはとくにこのような集会のために借りたのである。7月29日,火曜日の朝,世界各地で58の言語を用いて宣教を行なう1211人の宣教者が会長およびギレアデ学校の教訓者と一堂に会して,励みとなる話を聞き,食事を共にした。31期にわたるギレアデの各期の卒業生が集まったが,その中には1943年の第1期卒業生31人もいた。水曜日朝には,世界各地の任命地で重要な証言のわざに携わる特別開拓者との集会が開かれた。
巡回,地域の僕の多くはギレアデの教育を受けているが,木曜日,金曜日の午前9時半に協会の会長は,世界各地から参集した,いろいろな国籍の地域,巡回の僕全員とパレスにおいて会合した。これは地域および巡回区にある諸会衆の総監督たるこれら僕の宣教を改善するためである。この両日の午前中に行なわれた討議と教訓の授受に加えられるものとして,水曜日の晩,ヤンキースタジアムにおいて「歩き方に十分注意する」および「巧みに羊を牧する」と題する話が副会長と会長によって行なわれた。これらの話はとくに地域,巡回の僕と会衆の僕に対し述べられたもので,これらの人々はスタジアム内に特設された席に座ってこの話を聞いた。
更に土曜日の朝,協会の理事で本部の奉仕部門に働く一人が「監督たち,会衆を活発なものに保ちなさい」と題する話をして,奉仕の特権のレベルの如何を問わず,すべての霊的な監督の重大な務と責任を強調した。更に大きな責任を持つ監督すなわち支部の僕と補佐は土曜日の午前9時,再びパレスにおいて協会会長と会合し,大会中に十分の訓育を授けられた。g
これらすべての集会は,参集する特権を得たすべての人を励まし,教えるものでした。それは神の民の霊的な福祉を気づかう協会の霊的統治体の愛ある関心を如実に示すものであり,見える制度の重立った僕たちは,与えられた教訓によって監督の責任をいっそうよく果たせるようになりました。
[脚注]
a (イ)1959年度年鑑,27,28頁。
b (ロ)1959年度年鑑,28頁。
c (ハ)1958年7月,「御国奉仕」。
d (ニ)1959年度年鑑,32頁。
e (ホ)1959年度年鑑,34,35頁。
f (ヘ)ホに同じ。35,36頁。
g (ト)1959年度年鑑,36,37頁。