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  • あなたの宗教上の習慣はなんですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
塔66 3/1 137–144ページ

あなたの宗教上の習慣はなんですか

1,2 毎年,教会にたくさんの人が集まるのはいつといつですか。考えさせるどんな質問が起きますか。

どんな宗教もそれぞれの「聖日」を設けており,各自の礼拝堂で特別の儀式を行ないます。そうした特別な日に崇拝の場所は人でいっぱいになるのが普通です。キリスト教国の降誕祭では,ヨセフとマリヤ,赤子のイエスとそれを見に来た羊飼いなどの色どり豊かな人形が飾られます。祝いの音楽が演奏され,会衆のほとんどすべてがこの礼拝に出席します。その宗教団体に属していない人々さえ集まって来て特別の音楽を聞き,見せ物を見ます。復活祭の日曜日もキリスト教国の「聖日」であり,その時大々的に行なわれる春の帽子や装身具のファッションショーは多くの人を集めます。もとより自分の教会に行き,キリスト・イエスの死と復活の意味をまじめに考える人もいます。しかしキリスト教国の多くの人々はなぜこのような「聖日」がなければ自分たちの崇拝の場所に行かないのですか。それは52週のうちのわずか2週です。年に2度だけのクリスチャンとなっている人々にとって,これら二つの祝いにどんな深い意義があるのですか。その人々は,自分たちを救うためにイエス・キリストが死なれたということをほんとうに信じていますか。自分たちをどう救うのですか。すべての行事が終わった時,その人々が自分はさらに良いクリスチャンになったと考えると思われますか。それとも偽善者のように感じると思われますか。あなた自身の宗教上の習慣はなんですか。

2 クリスマスと復活祭の時期にキリスト教国の教会の多くが人でいっぱいになることは一般に知られています。しかし教会に行かれるかたなら,このように自問したことがありますか。「わたしはなぜ行ったのだろう。他の人が行ったからだろうか。社交のためだったろうか。あるいは商売上の利益を考えたためだろうか」。政治上の仲間にそこで会えると考えておられるかもしれません。ほかに大切なことがなかったので行ったのですか。ゆっくり考えて下さい! あなたが自分の宗教の集会場所に行くのは,ほんとうに神について,また自分の救いについて真理を学ぶためですか。

3 どんなことが神の家に行く真の理由となるべきですか。神の家に行くとき人は当然にどんな感化を受けますか。

3 神の家にはいるほんとうの理由は,わたしたちすべてが永遠の命を得るための備えをされた,わたしたちの創造者エホバと,エホバのみ子キリスト・イエスについていっそう学ぶことでなければなりません。神が御国を立て,み子をとおして全人類にもたらされる救いについて学ぶことを願うべきです。クリスチャンはこの御国について,「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」と祈ることを教えられているのです。(マタイ 6:10)神の家にいつも行くことによって,わたしたちは考える力を養い,命が神からの賜物であることに感謝し,人間が地上にいる理由を考えるようにならねばなりません。神の家で真理を学ぶなら,人類に対するエホバのそなえについて自分の学んだことを他の人に伝えたくなるはずです。もしあなたの崇拝の場所があなたを動かし,そこで学んだ事柄を人に知らせたいという気持ちを起こさせないなら,真理を学び,正しい崇拝の仕方を学べるところを他に求めたほうがよいでしょう。

4 (イ)イエスが会堂に行くことを習慣としたのはなぜですか。(ロ)イエスは人々にどんな音信を伝えましたか。

4 イエスの話を聞いた人々はその教え方に驚き,イエスに従ったのです。日を重ねるごとに彼らはいっそうの真理を学び,イエスから教えられたことを実行しました。あなたの宗教はあなたにこれをしていますか。安息日ごとに会堂に行くことはイエスの習慣でした。そこではヘブル語聖書の一部から神のことばが読み上げられるのを,イエスは知っていたからです。イエスはそこで聖書が論じられ,説明されることをも知っていました。ナザレにいたイエスはある安息日に聖書の朗読を求められ,読んだところを自分自身にあてはめました。イエスは自分が貧しい者によいたよりをのべ伝えるために油をそそがれていることを知っていました。このためには,イエスはあちらこちらと沢山の旅行をし,多くの人々に語りかけねばなりません。イエスは抑圧されていたユダヤ人に,捕われた者に解放があること,やがて自由になれることを告げました。盲人がふたたび見えるようになるとの約束はどのようにして果たされるのですか。イエスはたしかに盲人をいやされました。しかしさらに大切なのは真理を見,理知と心とによって神のことばを理解することでした。(ルカ 4:16-20)近づいた「天国」を受け入れるなら,聞く人はこのすべてにあずかることができました。このためには精力的に教え,伝道することが必要ではありませんか。これは大きな務めでした。しかしイエスはエホバの祝福を得てそれを果たすことができました。イエスは神の国の到来を人類に告げる奉仕者の筆頭でした。人々はイエスを神の奉仕者として受け入れますか。イエスは言われました。「人の子がきたのも,仕えられるためではなく,仕えるためであり,また多くの人のあがないとして,自分の命を与えるためである」。(マタイ 20:28)イエスはたしかに神の定められた時に多くの人をあがなうでしょう。そしてわたしたちは,神の国によって神のみこころが天におけると同じように地上でも行なわれるのを見るでしょう。あなたの宗教は,あなたが「御子を信じ」て永遠の命を得るのを助けていますか。(ヨハネ 3:16)そしてあなたは自分が学ぶことを人に知らせ,他の人々に仕えていますか。

5 みずから奉仕者となることのほかに,イエスは何をされましたか。

5 イエスみずからは仕える者となるために来られましたが,同時にご自分の弟子を訓練して奉仕者とならせました。ご自分の弟子が神のことばを学び,ついでそのことばをいつも伝道するように取りはからいました。今世紀のクリスチャンも同じようにしなければなりません。彼らも奉仕者となり,神の国の良いたよりをすべての人に伝道し,教えなければなりません。―マタイ 24:14。

6 (イ)イエスの弟子たちは学んだことをどのように実行しましたか。(ロ)宗教指導者や支配者は彼らをどう見ましたか。

6 選ばれてイエスの12弟子となった者は絶えずイエスの旅行に伴い,行く先々で学び,また伝道しました。会堂や宮に行き,イエスの教えを聞くことは彼らにとっても習慣となっていました。彼らはイエスが何を話すかと期待しました。彼らはたくさんの質問をしました。イエスの知っていたことを学ぼうとしたからです。人の集まるところでは互いに論じ合うこともできました。あるとき彼らはイスラエルで伝道するために二人ずつ派遣されました。これは考える力を養う機会ともなりました。彼らの性格は異なり,職業もさまざまでした。このことも彼らの会話におもしろ味をそえました。たとえばシモンとアンデレは漁師でした。イエスは二人に,「わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう」と言われたのです。二人はすぐに網を捨てて,イエスに従いました。イエスは同じ時にヨハネとヤコブをも召されました。この5人はカペナウムに行き,「安息日にすぐ,イエスは会堂にはいって教えられた。人々は,その教に驚いた」。(マルコ 1:16-22)イエスに従ったのは権力があり,身分の高い人々ではなく,どちらかと言えばこの世で平凡と見なされる人々でした。しかし,その者たちはイエスと共におり,イエスから学んだことによって,永続的な影響を受けたのです。このことを知る例を一つあげれば,捕えられた使徒たちが宗教指導者や支配者の前に立った時,「人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見,また同時に,ふたりが無学な,ただの人たちであることを知(り)……そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め」ました。(使行 4:13)弟子たちは会堂でイエスの教えを聞くことから益を得ました。それによって彼らは円熟し,より有能な奉仕者となったのです。

使徒パウロの習慣

7 使徒行伝 9章15-20節にはサウロについてどんな興味深いことが書かれていますか。

7 初期のクリスチャンはイエスと同じように集まり合うことの大切さを知り,伝道のために会堂を利用しました。ユダヤ教からキリスト教に改宗したサウロは,「ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから,ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え,このイエスこそ神の子であると説きはじめた」。(使行 9:15-20)サウロが真理を学んでから自分の信仰を表明するまでに長い時間はかかりませんでした。のちにパウロと呼ばれたサウロは,伝道を始める最良の場所は人のいるところであることを知っていました。

8 パウロはアンテオケの人々にどんな興味深い音信を伝えましたか。彼はどこでそれを伝えましたか。

8 キリストの弟子は多くの旅行をしました。すべての国民に接するためにはみずから旅行しなければなりませんでした。弟子たちが町から町へ,州から州へ行くことによって神の国の良いたよりは伝道され,クリスチャン会衆は成長しました。パウロをはじめユダヤ人のクリスチャンたちは町にはいる時,いつも会堂に行き,安息日にそこで伝道しました。彼らはイエスの習慣にならったのです。当時のならわしの一例をあげましょう。「ふたりは,ペルガからさらに進んで,ピシデヤのアンテオケに行き,安息日に会堂にはいって席に着いた。律法と預言書の朗読があったのち,会堂司たちが彼らのところに人をつかわして,『兄弟たちよ,もしあなたがたのうち,どなたかこの人々に何か奨励の言葉がありましたら,どうぞお話し下さい』と言わせた。そこでパウロが立ちあがり,手を振りながら言った。『イスラエルの人たち,ならびに神を敬うかたがたよ,お聞き下さい』」。(使行 13:14-16)パウロは立って自分の信仰を表明する機会を心待ちにしていたのであり,使徒行伝 13章にしるされるとおり巧みな話をしました。パウロはまずエジプトに居留していた時代からさばきびとや王の時代にいたるユダヤ人の歴史を語りました。数百年の歴史を要約したパウロは,ついでイエスの到来を告げた預言者,浸礼者ヨハネのことばを引きました。そして,驚いて聞く人々を前にしてイエス・キリストの復活について語り,こう言いました。「しかし,神はイエスを死人の中から,よみがえらせたのである。イエスは,ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに,幾日ものあいだ現れ,そして,彼らは今や,人々に対してイエスの証人となっている」― 使行 13:30,31。

9 パウロの音信は人々にどんな影響を与えましたか。

9 安息日に使徒パウロが会堂で行なったこの説教はたしかに人を動かしました。「そして集会が終ってからも,大ぜいのユダヤ人や信心深い改宗者たちが,パウロとバルナバとについてきたので,ふたりは,彼らが引きつづき神のめぐみにとどまっているようにと,説きすすめた。次の安息日には,ほとんど全市をあげて,〔エホバ〕の言を聞きに集まってきた。するとユダヤ人たちは,その群衆を見てねたましく思い,パウロの語ることに口ぎたなく反対した」。(使行 13:43-45〔新世〕)会堂で声をあげ,人々に次のことばを語ったパウロとバルナバには大胆さが必要でした。「〔エホバ〕はわたしたちに,こう命じておられる,『わたしは,あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果までも救をもたらすためである』。異邦人たちはこれを聞いてよろこび,〔エホバ〕の御言をほめたたえてやまなかった。そして,永遠の命にあずかるように定められていた者は,みな信じた」。(使行 13:47,48,〔新世〕)まさに神の家の中でこれら初期の信者は真理を学んだのです。彼らがここで真理を学んだのはパウロとバルナバが神のことばについて話す備えをしていたからです。二人は家から家に行き,あるいはほかの公の場所に行った時と同じように,自分の信仰を他の人々に伝えるために会堂に行ったのです。いつでも,どこででもよいたよりを伝道することは彼らにとって火急のことでした。今や自分が持つ真の宗教について語ることは彼らの習慣となっていました。キリスト・イエスに対するあなたの信仰は,初期クリスチャンと同じように伝道し,語ることをあなたの習慣とさせていますか。そうあるべきです!

10 (イ)アテネにいた時,パウロはいつもどこにいましたか。(ロ)その伝道の結果としてパウロはどこに行きましたか。

10 アテネに行ったパウロは町が偶像で満ちており,人々が彫像をおがんでいるのを見て非常な憤りを感じました。「そこで彼は,会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ,広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた」。この訪問のおりパウロは自分の全時間を用いて「広場では毎日そこで出会う人々を相手に」伝道できる立場にありました。パウロは個人的にもまた人の集まりでも,「毎日」多くの聖書の話をしたに違いありません。次の記録があります。「また,エピクロス派やストア派の哲学者数人も,パウロと議論を戦わせたが,その中のある者たちが言った,』このおしゃべりは,いったい,何を言おうとしているのか』。また,ほかの者たちは,『あれは,異国の神々を伝えようとしているらしい』と言った。パウロが,イエスと復活とを,宣べ伝えていたからであった」。(使行 17:17,18)これは使徒パウロにとってアテネの学者たちと語る機会となりました。「そこで,彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って,『君の語っている新しい教がどんなものか,知らせてもらえまいか……』と言った」。(使行 17:19)パウロは「語る者は,あなたがたではなく,あなたがたの中にあって語る父の霊である」と言われたイエスのことばを信じつつ,この機会を利用して驚くべき証言をしました。―マタイ 10:20。

11 コリントとエペソでのできごとから,パウロのクリスチャン宣教についてどんなことがわかりますか。

11 クリスチャンとしてのパウロの生活は活動に富んでおり,またきわめて興味深いものです。やがてパウロはアテネを立ち,コリントに来ました。ここでパウロはイタリアから来たユダヤ人アクラとプリスキラに出会いました。宣教を続ける資金が必要な時にパウロのする手職がありましたが,それはアクラの職業と同じでした。パウロは二人の家に滞在し,アクラと共に天幕工として働きました。しかし,「パウロは安息日ごとに会堂で論じては,ユダヤ人やギリシャ人の説得に努めた」。(使行 18:4)これはパウロの宗教上の習慣となっていたのであり,彼は弟子を作りました。あなたの宗教上の習慣はなんですか。「さてパウロは,なお幾日ものあいだ滞在した後,兄弟たちに別れを告げて,シリヤへ向け出帆した。……一行がエペソに着くと,パウロはふたりをそこに残しておき,自分だけ会堂にはいって,ユダヤ人たちと論じた」。(使行 18:18,19)パウロは決して機会をのがしませんでした。彼はエホバのみ名の立証に関心を持っていたのであり,「神が偽ることのできない」かたであることを明らかにしたのです。―ヘブル 6:18。

12 パウロは仲間の信者との交わりをどう見ていましたか。

12 どこに行っても,パウロはいつも人々と共にいるように計画し,できるならいつも「私たちの神の家」に行きました。それは互いの信仰によって励まし合うためでした。パウロは他のすべての人と同じように励ましを必要としていたのであり,また自分自身はいつも喜んで人を励ましました。パウロはローマのクリスチャンにあててそのことをこう書いています。「わたしは,あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて,力づけたいからである。それは,あなたがたの中にいて,あなたがたとわたしとのお互の信仰によって,共に励まし会うためにほかならない」。(ロマ 1:11,12)「私たちの神の家」で自分の思うところを述べるなら,どれほど兄弟たちの益になるかを考えてごらんなさい。エホバの証人は御国会館における毎週の集会でこれをしています。

今日の宗教上の習慣

13 (イ)今日,「天国」の音信はキリスト教国の教会で聞かれますか。聞かれるものはなんですか。(ロ)イエス・キリストの音信と行ないはローマカトリック教会の法王のものとどう違いますか。

13 イエスとその弟子たちの宗教上の習慣は「私たちの神の家」を使って他の人々に真理を伝え,各自の信仰を言い表わし,聖書について正確な知識を得,人間の唯一の希望として神の国をのべ伝えることでした。今日,キリスト教国の教会で行なわれていることは初期クリスチャンの集会場所で行なわれていたことと同じですか。あなたは「天国」についてキリストの時代の人々が聞いたと同じ音信を聞いていますか。あるいは教会で,国際連合は「最後の希望」であるとの話を聞きますか。あなたは法王パウロ6世が国際連合に語ったことに同意しますか。法王はこう述べました。「わたしたちの音信はこの高遠な組織を是認し,神聖なる精神的支持を与えることであると言ってよいだろう。……地上の人々は一致と平和のための最後の希望として国際連合を信頼している。彼らが託する希望と栄誉にそえて,わたしたちの分をもここにささげよう」。1900年前イエス・キリストは,この世のすべての国々を与えようとのサタン悪魔の申し出を退け,刑柱につけられる前に総督ピラトにむかって,「わたしの国はこの世のものではない」と言われました。(ヨハネ 18:36)今日キリスト教国の主要な宗教指導者が,『わたしたちは国際連合を是認する』と述べ,一致と平和の最後の希望として国際連合に頼ることを地上の人々に勧めるなら,神の国についてその者の信仰と教えはどこにあるのですか。何ももっていないのです! あなたは教会合同的な精神にしたがって,もはや聖書を信じていない人々と行動を共にすることを望みますか。キリスト教国の指導者は神の国を捨てているだけでなく,キリストの教えに対する信徒たちの信仰をほとんどすべて打ち砕こうとしているのです。

14 キリスト教国は聖書の教えやイエス・キリストの信仰とは異なる見解をほかにも抱いています。そのあらましを述べなさい。

14 19世紀前イエスは,墓にいる者がみな出て来ること,死人がイエスの声を聞いて復活することを教えました。(ヨハネ 5:28,29)キリスト教国の牧師が,人間は永遠の火の地獄か煉獄に行き,少数の者は天国に行くと教えるようになったのはなぜですか。クリスチャンにとってこの教えは奇妙に聞こえます。なぜなら聖書は,人間が死んだ時に行く陰府,墓には「わざも,計略も,知識も,知恵もない」と述べているからです。(伝道 9:10)人間は墓(シェオール)に眠り,どこにも存在しないのです。「あなたは,ちりだから,ちりに帰る」。(創世 3:19)忠実なヨブはこのことを知っていましたが,同時に神の国と死人の復活とを信じていました。ヨブは言いました。「どうぞ,わたしを陰府にかくし,あなたの怒りのやむまで,潜ませ,わたしのために時を定めて,わたしを覚えてください」。(ヨブ 14:13)聖書は人間が創造されたことを教えます。しかし科学と宗教指導者の多くは,人間はある下等な動物あるいは他の生命形態から進化したと唱えます。あなたはどちらを信じますか。人間ですか,神ですか。(創世 2:7)聖書は神が世を愛され,世を救うためにご自分の子をつかわされたと述べています。しかし牧師は神が来たのであり,キリストは神であると述べ,そのために異教からきた三位一体の教理を教えます。(ヨハネ 3:16)イエス・キリストはヘブル語聖書から引用し,ノアの時代のこと,またソドムとゴモラなどについて語りました。イエスは書かれた神のことばを信じていました。しかし今日,キリストに従うことを自任する牧師の多くは創造のはなし,ノアと箱船,ソドムとゴモラ,イスラエル人が紅海を渡ったこと,そしてイエスが処女から生まれたことをさえ神話であるとし,事実また真理として信ずるに足りない単なる説話であるとしています。キリスト教国の指導者がなにを教えようとも,エホバの証人は,「たとえすべての人の偽り者であることがわかっても,神の真実なことを見出しなさい」と語った使徒パウロのことばに従います。(ロマ 3:4,新世)クリスチャンの教えはどうしてこれほどにも変わってしまったのですか。聖書はその点にも答えます。―創世 1,2,6-8章; 19章1-29節。出エジプト 14章。ルカ 1:26-38。

15 このような異なった見解があるのはだれの責任ですか。エホバの証人はどんなならわしに従っていますか。

15 この世の神サタン悪魔は人々の目を見えなくしており,人々を暗やみにとじこめています。(コリント後 4:4)イエスが当時の宗教指導者である学者やパリサイ人について語ったことはまちがいではありませんでした。「彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら,ふたりとも穴に落ち込むであろう」。(マタイ 15:14)不幸なことに,自分で考えずに,キリスト教国の諸宗派の牧師に考えてもらう人が実に多くいます。偽りの宗教にしたがって迷うより,自分で聖書を勉強するほうがはるかによいでしょう。多くの人は祈りも牧師にしてもらいます。そしてその祈りは多くの場合,祈禱書の祈りの文句の朗読にすぎません。宗教的な集会において聴衆は自分の思いを述べません。そこに「お互の信仰によって,共に励まし合う」ことはないのです。聖書が読まれ,聴衆全体の討議がそれに続いたイエスの時代とは大変な違いではありませんか。エホバの証人は「ものみの塔」研究の時になおこのならわしを保っています。司会する奉仕者が討議する主題を述べ,ついで注解の中心となる聖句が読まれます。「ものみの塔」誌が全会衆の討議をみちびくものとして用いられますが,会衆が自分の思いを述べます。

道徳上の習慣

16 (イ)聖書に対する見方が変わった結果として,多くの人は聖書の律法と戒めについてどう感じていますか。(ロ)しかし,神の戒めをおかす者について神のことばはなんと述べていますか。(ハ)黙示録 18章4,5節は何を命じていますか。大いなるバビロンからのがれ出る人はどこに行くべきですか。

16 四,五十年前そしてそれ以前は,人々は家庭でもっと聖書を勉強しました。多くの宗教組織は家庭で聖書を読み,勉強することを勧めました。今日,一般の人々は聖書を良い教えと良いことばのある優れた文学書であると見なし,ほかにすることがないときに読むものと考えているようです。多くの人はこう言います。「今どき聖書の道徳に従うことなどできない。姦通や私通に関する聖書の教えは時代おくれだ」。こうして彼らは結婚前の性交が悪くないなら,結婚後に多少の変化を求めてなぜいけないのかと考えます。そうした乱婚は世界中のキリスト教国に見られます。しかしキリスト教国はそれについて何をしていますか。なにもしていません! 牧師はパウロの書いたことに目を閉じているのですか。「正しくない者が神の国をつぐことはないのを,知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,男娼となる者,男色をする者,盗む者,貪欲な者,酒に酔う者,そしる者,略奪する者は,いずれも神の国をつぐことはないのである」。(コリント前 6:9,10)『法王パウロ6世が国連は「最後の希望」であると考えているなら,神の国をつぐことについてどうしてこれ以上考える必要があるのか』と人は言うでしょう。そして,神の国に対する信仰がないなら,神の国の道徳律を無視することも容易です。キリスト教国全体はこれを無視しているようです。事実,偽りの宗教の世界帝国,大いなるバビロンは霊的にも,道徳的にも人に与えるものを何ももっていません。書かれた神のことばが,「わたしの民よ。彼女から離れ去って,その罪にあずからないようにし,その災害に巻き込まれないようにせよ。彼女の罪は積り積って天に達しており,神はその不義の行いを覚えておられる」と述べているのはこのためです。(黙示 18:4,5)数十万の人々が大いなるバビロンから離れ去って,清く,飾り気のない神の崇拝に転じており,その人々は真のクリスチャンになりつつあります。あなたはそうした人々が今日エホバの証人と交わっているのをごらんになるでしょう。その人々は神のことば全体を信ずる人々と交わり,その人々と聖書を勉強することの大切さを認めているのです。聖書全体を信ずる人々はエホバのみ心を行なうために自分の命を,ささげており,人類の唯一の希望である神の国を伝道することはその人々の宗教上の習慣となっているのです。『世を友とするのは,神への敵対であり,おおよそ世の友となろうと思う者は,自らを神の敵とするのである』ことを知るエホバの証人は,聖徒たちにひとたび伝えられた信仰を守るために「私たちの神の家」にいつも集まります。(ヤコブ 4:4)クリスチャン会衆の目的は清い信仰のうちに互いを建て起こし,神のことばにある良いたよりを伝道するように神の民を訓練することにあります。妥協して『世の友』となることではありません。真のクリスチャンになりなさい。キリスト・イエスの足跡に従いなさい。イエスのしたことにならいなさい。キリスト教国の「聖日」だけでなく,1年を通じてクリスチャンでありなさい。まことの神エホバの家で崇拝することを自分の習慣とし,「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており,彼らはわたしについて来る。わたしは彼らに永遠の命を与える」と言われたイエスのことばの意味を知りなさい。―ヨハネ 10:27,28。

[139ページの図版]

「わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう」。

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