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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
塔67 2/15 99–100ページ

知らなかったではすまないこともある

「知らなかったと言えばそれですむ」。「自分のことをしていればいい。人の世話をやくな」。「知らなかったのだから,とやかく言われることはないだろう」。他人とのかかわりを避け,ほかの人のことで責任を負わされるのを避けようとする人は,このような言いかたをします。必要以外のことで人とかかわりをもてば,心配や問題がふえると考えているひともいます。

このような態度は賢明ですか。神の子キリスト・イエスに従おうとする者が,このような態度をとって神の恵みをいただくことができますか。

「無知は幸い」と言われることがあります。また,無知のゆえの犯罪が故意の犯罪より軽く見られることも世の慣例です。それで,知らなければそれですむという考えも,表面的には正しく見えるかもしれません。

しかし,この問題についても,権威ある答えのよりどころとして,神のことば聖書をひもとくべきです。アブラハムのおいロトの場合を例にとりましょう。この忠実な神の崇拝者は,人が何をしてもかまわない,事情を知らなければ知らないほど自分の責任は軽いと考えて,ソドムおよび隣接の町々でなされたことのすべてに目をつぶっていることもできました。しかし,神の是認を受けたこの人はそのような考えかたをしましたか。聖書はこう答えます。「この義人は,彼らの間に住み,彼らの不法の行いを日々見聞きして,その正しい心を痛めていたのである」― ペテロ第二 2:8。

隣人また仲間の人間の幸福や安全を左右することがらに責任を負わなければ,めんどうな問題にまき込まれないですむと思えるかもしれません。「自分のことをしていればよい」と言う人の中にはこのような考えかたをする人がいます。しかし,その人はこう自問するべきでしょう。つまり,自分の態度は,「わたしが弟の番人でしょうか」と神に言った人殺しカインの態度とどこが違うだろうか。(創世 4:9)同じ町の市民が殺されてゆくのを,助けも求めずにだまって傍観する都会人の冷酷さの背後には,こうした他人に対する無関心さがあります

自分の知らないことが重大な,時には致命的な結果になる場合のあることは確かです。アパートの上の部屋にいる人が下の部屋で大きな火事の起きていることを知らないなら,その人は事実上大きな危険にさらされています。同じように深い穴のほうへ進んでゆく盲人にも大きな危険があります。いずれの場合でも,必要なのは警告です。しかしもしすべての人が「人の世話をやくな」と決めこんでいるなら,だれが危険を知らせるのですか。危険にさらされている人は,自分の知らない事柄によって害を受けるではありませんか。

危険を警告されてもそれに注意しない人がいますが,そのことを使徒ペテロはこう書いています。「彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し,地は神のことばによって,水がもとになり,また,水によって成ったのであるが,その時の世界は,御言により水でおおわれて滅んでしまった」。(ペテロ第二 3:5,6)警告を退け,知らなければすむという態度をとった人はだれひとりとしてその水による滅びを生き残りませんでした。

仲間の人間に何が必要かを知りながら,それに目をつぶる人は自らに災いを招きます。聖書はそのことを明らかにしています。霊感を受けた賢人は述べました。「おのれを人と異にする者は,おのれの欲するところのみを求めて,すべてのよき考へにもとる」。(箴言 18:1,文語)よく考えるならその人自身にも他の人との建設的な交わりの必要なことがわかるでしょう。孤立主義的な態度によって責任をのがれることはできません。またそれは災いに対する身の守りともなりません。

それで,ことわざのだ鳥のように砂の中に頭を隠すだけでは何の役にも立ちません。知らなかったと言っても,知る機会を自分で退けていたなら,その者は責任を免れません。神の警告を聞こうとしなかったイスラエル人に恐るべき事態の臨んだことを忘れてはなりません。その者たちについて神ご自身が言われました。「彼かくよばはりたれども彼らきかざりき,そのごとく〔その災の日に〕彼らよはるとも我きかじ,万軍のエホバこれを言ふ」― ゼカリヤ 7:13,文語。

重要な事柄について知ろうとしない人,知らなければ知らないですむと考える人は,それによって実際には自分の命を危険にしているのです。なぜ? キリスト・イエスは天の御父への祈りの中でその理由をこう述べられました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。(ヨハネ 17:3)それで,確かな知識を取りいれることは非常に大切です。知識は知恵を生み,知恵は災いに対する身の守りとなるからです。―伝道 7:12。

1900年前,キリスト・イエスとその弟子たちは御国のたよりを宣明しましたが,それは耳を傾けると傾けないとによらず,聞く者すべてに大きな責任をもたらしました。さて今日,知識のゆきわたったこと,また今が重大な時代であることを考えるなら,その責任はいよいよ大きいと言わねばなりません。それで今,適切なのは使徒パウロの次のことばです。「神は,このような無知の時代を,これまでは見過ごしにされていたが,今はどこにおる人でも,みな悔い改めなければならないことを命じておられる。神は,義をもってこの世界をさばくためその日を定め,お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている」― 使行 17:30,31。

神が地の果てまで知識を広めておられる今の時代にあって,神の御目的に無知であるなら,神の裁きの大庭にあって言いのがれることはできません。確かに,知らなかったではすまない場合があるのです。

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