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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 2/1 70–73ページ

太平洋の島々は「良いたより」を聞く

「あらゆる事から離れて,陽光輝く南太平洋へ!」 これは,世界中に張られた旅行ポスターの標語です。そして確かに,『多くの事から離れて』という言葉は,ものみの塔協会フィジー支部がクリスチャン宣教の業を監督している,色彩豊かな南太平洋の九つの群島に当てはまります。

島の温暖な気候と,肥よくで産出的な土地柄は,人々の楽天的な様子によく反映されています。生活は今でも非常にのんびりしたものです。人々がより規則的な生活を営んでいる国において支配的な要素となっている時間その他の事柄は,ここに住む多くの人にとってそれほど重要なことではありません。人々はただ生活の喜びのために生きているように見えます。そして,たいていの人は非常に友好的で,人をよくもてなします。そうした人々の中にエホバのクリスチャン証人が多くいます。

120万の人が幾百もの美しい島に分かれて住んでいますが,そうした人々に奉仕して神の王国の「良いたより」を宣明する人の数は,20年前に比べて15倍にもなっています。そうした人たちの幾人かに会うため,わたしたちと一緒に簡単な島巡りをしてごらんになりませんか。それはちょっとした旅行になることでしょう。

これら九つの群島はオーストラリアの東側から始まり,南太平洋を5,000㌔も横切ってずっと東に伸び,その北端は赤道にまで達しています。わたしたちの最初の目的地はタヒチです。

仏領ポリネシア

仏領ポリネシアの130の島のうち,最も大きく最も発展しているのはタヒチ島です。これらの島々に住む八万人の人に「良いたより」を伝えることは本当に挑戦となりますが,200人を超えるエホバのクリスチャン証人たちが熱心な態度でこの挑戦にこたえています。

タヒチ島に着くと,ティアラの花の香りが漂う,湿気を含んだ生暖かい大気がわたしたちを迎えます。しかし,迎え出てくれた土地の多くの証人たちからの口づけと花輪のレイが,わたしたちを本当にくつろいだ気持ちにさせ,歓迎されていることを感じさせてくれます。わたしたちを案内してくれるジャック・イノーディは,これら友好的な人々の間で働くためにフランスから来た人であり,エホバの証人の,旅行する巡回監督です。

わたしたちは,近くのプノウイア会衆に行くためバスに乗ります。小さな谷が尽きたところで,400人を収容できる大きな王国会館がわたしたちを待っています。クリスチャン兄弟たちがまわりに集まって来ます。わたしたちとの握手や抱擁を求めているのです。外で聞こえるざわめきは,ここでの集会を非常に大切に考え,それに出席するため定期的に150㌔もバスに乗って来る人々が到着した知らせです。集会が終わった後,会衆は,神の約束について知らせるため土地の人々の家を訪ねる準備をしています。イノーディ兄弟は,この地方で人を訪ねる場合によくあることについて次のように説明してくれます。

「わたしたちは普通午前八時半に始めます。人々は,草ぶきか波形トタンを張った屋根の簡素な家に住んでいます。家に近づくと,たいていは一群れの犬に取り囲まれます。戸をたたくと,それにこたえて男の人がワイシャツを着ないで出てきます。その後ろに妻と数人の子供が続いています。わたしたちがエホバの証人であることを知ると,その人は,ちょっと失礼します,と言って家の中に戻り,ワイシャツを着て出てきます。タヒチの人たちは聖書に対してとても敬意を持っており,だらしのない服装をしていると感じながら霊的な事柄を話し合うことを望みません」。

聖書の真理がこれら謙そんな人々の間に神に対する認識をどれほど育てているかを示す一例として,ライアテア島に住む,六人の子供を持つある母親の場合があります。クリスチャンの集会は島の反対側で開かれており,ただ一度のバスは午前一時から三時の間に近くの大通りを通ります。それで,その家族は自分たちの住んでいる山あいの谷から午前一時に出て来ますが,道路に出るまでに15分ほど歩いて川を二つ渡ります。それから家族は何かで身を覆ってバスが来るのを待ち,それまでの間努めて眠ります。あなたは,神とその目的に関する知識を取り入れるための集会に出席するのに,それほどの努力を払われるでしょうか。

イノーディ兄弟に別れを告げる前に,島と島の間をどのような方法で旅行するか聞いてみます。彼はこう答えます。「わたしが奉仕している五つの島では,近代的なターボプロップ式の飛行機から,張り出し付きの小さなカヌーまで,あらゆるものを使って旅をしてきました。今タヒチから足を伸ばそうとしている島のあるものは,何百㌔も遠くにあります。それで,時間を節約するために,わたしたちは小型飛行機で行きます。それは高くつきますが,そこに住む人々に良いたよりを速く携えて行くための唯一の方法なのです」。

紺青の太平洋上空を西へ約2,500㌔飛ぶと,草木の繁茂する熱帯サモアに着きます。

サモア諸島

多くの島から成る仏領ポリネシアと違って,西サモアは,ある程度の大きさの島がただ二つあるだけです。総人口は約14万7,000人です。暑い気候のために人々はたいてい腰のまわりを覆う布を身に着けているだけであり,家々にも壁が全然ありません。壁の代わりに,ココナツの葉を編んだブラインドがあり,夜その他プライバシーを望む時にはそれが下げられます。

1955年に,宣教者として妻と共に米国からサモアに来たポール・エバンズは,クリスチャン宣教の際これらの開放的な家を訪問することについてこう話してくれます。

「村に近づくとだれが在宅なのかすぐに知ることができます。サモアの習慣では,家に入る前にくつを脱がなければなりません。たこの木の繊維で作った床の敷物を土で汚さないようにするためです。それから家の人は,あいさつの言葉を述べます。それは時に数分もかかります。訪問者はそれに答え,家族の全員が元気であるようにとの願いを述べて,家の人が初めに述べた好意にこたえます。この正式なあいさつが終わってはじめて,訪問者は自分の携えてきた音信を持ち出すことができます」。

あるサモア人の婦人はこの音信の価値を正しく認識しましたが,一緒に暮らしている男性と合法的な結婚をしていなかったため,その音信を他の人々に広める業にあずかることを許されませんでした。愛の関心を持って,ポール・エバンスとその妻は,その家の男の人を助けることに努力を集中しました。そして,崇拝を神に受け入れられるものとするため,結婚や清い生活について聖書が何と述べているかをその人に指摘しました。まもなく彼は自分たちの結婚を合法的なものにし,深酒,喫煙,その他の非クリスチャン的な行為をやめました。1974年,彼とその妻はバプテスマを受け,神のご意志を行なうための献身を表明しました。

幾㌔か海を渡った所に,より西洋化した米領サモア諸島があり,そこに住む2万8,000人の住民の間で,70人ほどの「良いたより」の宣明者が働いています。そして,130人ほどの人々が土地の王国会館で交わっています。

仏領メラネシア

さらに2,500㌔ほど行くと,次の訪問先である仏領メラネシアに着きます。ここはフィジー支部管轄下の群島のうちその最西端です。約12万5,000の人が大きい島であるニュー・カレドニア島と,その沖にあるロイアルティー諸島に住んでいます。

「太平洋のこの海域で良いたよりの伝道は1950年代の半ばに始まりました」と,この業に長年携わってきたジャック・シシェマニアンは語ります。「この国では非常に暑くなるので,わたしたちは朝早いうちに旅行するようにしています。最初の日の業が終わると,小川のそばの適当な物陰にテントを張ります。わたしたち三家族,総勢11人は,まる一週間かけてその区域で伝道をするのです」。

ある日,このグループは,壊れた車の風防ガラスを取り替えてくれた一人の機械工に非公式の証言をしました。自分たちがなぜこのように遠く離れた地域に来ているかその理由を説明したところ,彼の次の答えは一行のうれしい驚きとなりました。「これは非常に興味深い。どうぞ中に入ってください」。彼は証人たちを自分の簡素な家に招き入れ,会話に加わるようにと自分の家族も呼びました。証人たちが説明を終えると,彼はこう語りました。

「わたしは自分の部族の長の一人です。最近,一人の司祭がわたしたちを集め,自分のために無報酬で働くように,そうすれば教会を修理する資金を幾らか工面できる,と言いました。そこでわたしは立ち上がって司祭に尋ねました。『カトリックの請負人は教会の建設や修理に80万CFP(300万円以上)も支払いを受けているのに,その一方でわたしたち同じカトリック教徒が無賃金で働かねばならないのですか。請負人のための神と,わたしたちのための神と,ふたりの神がいるのですか。わたしたちは,あなたを援助するのを断わります』」。そして,その機械工は,「わたしは,自分の宗教は本物でないと思いました。そして本当の宗教を探していたところです」と言いました。

シシェマニアン兄弟はこう続けます。「言うまでもなく,その夜わたしたちは疲れてキャンプに戻りましたが,努力してこのへんぴな区域に来たことを幸福に感じました」。

近くのリフォウ島では,「諸教会の実情をつぶさに見る」という題のスライドの上映についてまる一週間宣伝した後なのに,上映の時間になっても,新しく関心を示した人が一人も出席していないように思えました。しかし,驚くではありませんか。物陰から,木々の後ろから,人々が群れをなして現われ始めたのです。人々は,だれが最初に動き出して会館に入るだろうかと,互いに見守っていたのです。最終的に教えたところ,117人が出席しており,場所がないために戻らなければならない人も多くいるほどでした。

ニュー・ヘブリジーズ諸島

フランス語の“ボン・ボヤージュ”のあいさつの言葉がまだ耳に残るのを感じながらニュー・カレドニアから北へ飛ぶと,まもなく,ニュー・ヘブリジーズ諸島のポート・ビラに着きます。8万5,000人ほどの人が,この群島の比較的大きな12の島に主に住んでいます。ここでは,英語,フランス語,また土地の多くの方言が話されています。事実,同じ島で何㌔か離れて住んでいる部族どうしが異なった言語を話しているのを見ることも珍しくありません。

オーストラリア人のエホバの証人であるアラン・テイラーは,最近区域内の比較的近い島のいくつかに行く努力を払ったことについて話してくれます。15人の証人たちが,本島の沖にある五つの島に,12日間の旅行をしました。ポートを雇うのに400㌦(約12万円)もかかり,非常に険しい道を行かねばならないこともありましたが,そうでもしなければ聞く機会がなかったはずの多くの人に王国の音信をもたらすことができました。

ペレ島で,土着のヘブリジーズ人の学校教師は,一行がエホバの証人だと知ると,こう答えました。「まあ,本当ですか。わたしもエホバの証人の一人です。ある人が,『とこしえの命に導く真理』という本を持って来てくれました。わたしはその本を全部読み,それが真理であることがわかりました。それで,自分の生活にそれを当てはめ始めました。あなた方がわたしを見つけに来てくださったことを,エホバに感謝します」。

こうして,王国の「良いたより」は,遠く離れた場所にも伝えられています。こうした拡大を助けているのは,自分たちの家を売り,良いたよりの宣明者をより多く必要とする所で奉仕するために,すすんで移住して来た証人たちのりっぱな努力です。同様の方法で,この音信は,北方のさんご礁の島であるギルバート諸島やエリス諸島にも伝えられており,また,ものみの塔協会フィジー支部の監督する他の島々でも同じようにして伝えられています。南太平洋を去る前に,このあたりの活動の中心地であるフィジーそのものにも一緒にいらしてください。

フィジー

フィジーは多人種社会であり,50万を超える人が住んでいますが,この地の人々は,真理が南太平洋の遠くの島々に広がってゆくのを初めから見てきました。1947年を出発として,王国の業は,人の住む周辺の105の島のうち,その六つの島にある20の会衆へと広がりました。そして,524名もの人が,「良いたより」の伝道に加わっています。

現在これらの島々の活動全体を監督しているドナルド・クレアは,次のように回顧しています。「フィジーの首都スバに良いたよりの宣明者がわずか35名しかおらず,フィジーだけでそれがなされていた時代以来この業が発展してくるのを見ることができたのはわたしの喜びです。今では,九つの区域に拡大し,1,214名もの伝道者がこの業に活発にあずかるまでに成長しました。エホバの助けによって,わたしたちは,遠距離,孤立,多言語などの問題を克服することができました。結果として,イエスが命令されたとおり,良いたよりは,この遠い南太平洋の島々にまで伝道されるようになっています」。

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