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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
塔77 1/15 60–63ページ

政変をくり返す時代の潮流がチリに大漁をもたらす

チリの人々は,海の幸をパンと同じくらいよく食べます。この国の海岸線は太平洋沿いに4,265㌔も延びているので,それも不思議なことではありません。漁業は盛んな産業の一つです。しかし,霊的にすなどる業も驚くべき成功を収めています。イエス・キリストの言葉の中で,この『すなどる業』に携わる人々は,「人をすなどる者」と呼ばれています。(マルコ 1:17)チリのエホバの証人はこの業に熱心に励んでおり,その成果は驚くべきものです。

考えてみてください。この国のエホバの証人の大半は,過去わずか三年の間に聖書の真理を学んだのです。ほんの五年ばかり前に『人をすなどる業』に加わっていた人たちとほぼ同じ数の人々が,1974年と1975年の間にバプテスマを受けました。昨年の10月には,1万6,862名がそうした『すなどる業』に幾らかの時間をささげ,1万7,400件の家庭聖書研究を司会しました。それは,霊的なすなどり人一人につき平均一件以上の研究に相当します。

時には,霊的な網に入ろうと待ち構えているような“魚”もいます。“解放された”若い大学生エゥヘニオの例を取ってみましょう。彼は自分の家に訪ねて来た一人のエホバの証人と聖書について討議し,深い感銘を受けました。次の訪問を待たずに,エゥヘニオはエホバに仕えることを決意し,近くにあるものみの塔協会の支部事務所に行きました。「わたしは宣教者になりたいのです。どこへでもすぐに出掛けて行きます。ペルーでもボリビアでもどこでも結構ですから,とにかくわたしを送り出してください」。あっけに取られた受付の姉妹に,エゥヘニオはこう告げました。何か法律上の問題があるのだろうと考えた彼女は,男性のエホバの証人を連れて来るのでそれまで待つよう,その青年に告げました。

宣教者になるということは立派な目標だが,最初に幾らかの準備が必要だ,とエゥヘニオは告げられました。一回一時間の聖書研究を通して,こうした奉仕をするための資格を徐々に身に付けられるでしょう。都合の良い日を聞かれたとき,「もちろん毎日です」と彼は答えました。週に二回の研究が取り決められ,それから六か月後には,エゥヘニオ自身バプテスマを受けたエホバの証人として,霊的にすなどる業に携わっていました。

一つの聖書研究がきっかけとなり,相次いで大量の“魚”が得られる場合もあります。例えば,地域社会センターの理事とその妻との家庭聖書研究が司会されていましたが,その人は聖書の音信を理解すると,自分の立場を用いて「良いたより」を広めるようになり,近隣の人々が次々に関心を示し始めました。その中にホァンという麻薬中毒の青年がいました。神の言葉を学び始めた彼が,非常に大きな変化を遂げたため,その母親も聖書を学ぶようになったほどでした。彼の二人の兄弟も研究に加わり,その人数は増えてゆきました。やがて,以前は政治に熱狂的だった人やアルコール中毒者,またホァンのような麻薬中毒者を含め,35人の人々がエホバの証人と交わるようになりました。その中には以前の悪い習慣を捨てた後,自分自身で聖書研究を司会するようになった人も少なくありません。これは,その土地のカトリック司祭を大いに動揺させました。彼は仲間の修道女と,エホバの証人に対する反対運動を始めましたが,それは失敗に終わりました。彼らはなぜそのような運動を始めたのでしょうか。ある日,ミサの出席者が一人もいなかったことがあったからです。

北部の乾燥地にあるコピアポという町では,アンヘルという人の家で約60名の人々が心霊術の集会を開いていました。彼のおいは職場のエホバの証人から,心霊術が実際には悪霊崇拝であることを聞かされました。驚いたその人は,そうした行為が危険であることを告げるため,おじに会いに行きました。しかしアンヘルは驚きませんでした。彼はこう考えたのです。『プロテスタントの牧師はもちろんのこと,著名なカトリック司祭も参加しているのに,どうしてこれが悪霊崇拝などと言えるだろうか』。しかし,おいに強く勧められ,アンヘルはエホバの証人と会うことを約束しました。

王国会館に着いたとき,彼は作業服を着た男の人に会いました。「これは“外国人”のために床を掃除している掃除夫に違いない」と,アンヘルは考えました。自分が会衆の長老と話しているのを知ったとき,彼は非常に驚きました。心霊術をやめるべき理由が,聖書からすぐさま示されました。アンヘルはそれを納得し,悪霊崇拝との関係を断つことを決心しました。家に帰ると,司祭が訪ねて来ました。司祭はアンヘルの決定に驚き,その問題に関して霊に尋ねたいと申し出ました。しかしアンヘルはそれに同意せず,神はそうした行為を憎まれると述べました。すると司祭は,「あなたはエホバの証人と話をしてきたのですか」と尋ねました。このような出来事の後,アンヘルの家族全員とその心霊術グループの会員20人が真理を学ぶようになりました。

集会所を設ける

チリの人々の間にそうした優れた反応が見られたため,新しい集会所が数多く必要になりました。そこで,急速に悪化するインフレにもかかわらず,エホバの証人は自分たちの王国会館を手に入れるため,一生懸命働きました。

チリの南部のプエルトモント会衆の場合を取り上げてみましょう。この会衆は,自動車や修理道具に囲まれた自動車修理工場の中で集会を開いていました。激しい風や冷たい雨が身にしみる冬になると,この集会所は非常に居心地が悪くなります。その後,立地条件の良い場所に建物を購入する機会が訪れました。しかし値段が相当高く,その上即座に資金を集めることが必要でした。エホバの証人はできる限り寄付をしましたが,それでも足りませんでした。そこで彼らは宝石類を寄付しました。中には結婚指輪を提供した人々もいました。一人のエホバの証人が首都のサンチアゴへ出掛けて行き,そうした宝石類を現金に換えました。こうして,土地と建物の頭金を払うのに十分な資金が集まりました。

プエルトモントから北へ四時間ほど行くと,バルジビアという,絵のように美しい町があります。この町のエホバの証人たちは,大広場からそれほど遠くない所に土地を入手し,美しい会館の建設に取り掛かりました。彼らは土台用の杭にする大きな木の幹を森から運ぶため,よくプエルトモントへ出掛けて行き,それからフェリーでチロエ島に渡りました。これらの幹をバルジビアまで運ぶのは大変な苦労でしたが,市の住宅規制にかなうような土台をすえるため,そうした幹を打ち込む作業はさらに骨が折れました。近代的な建設設備がほとんど手に入らなかったため,すべてが人力で行なわれたと言ってもよいほどでした。二年余り後,美しい会館は完成しました。地元紙は,「エホバの証人の王国会館は,建築の面でバルジビアに貢献している」と書きました。

顕著な大会

霊的にすなどる業の成果は,1974年1月,サンタ・ローラ・スタジアムで開かれた,「神の勝利」国際大会の際,特に明らかになりました。当時そのような集まりを開くことなど,事実上奇跡に等しかったのです。チリでは,その四か月前に軍部が政権を奪ったばかりでした。事態は極めて不安定で,国内はなおも戒厳令下にありました。集会はほとんど許可されておらず,まして,大きなスタジアムに2万人が集まる大会などとても認可されそうもありませんでした。ところがどういうわけか,政変の一か月後にサンチアゴで巡回大会を開くことが許可され,約4,000人が出席しました。こうして,はるかに大規模な国際大会を開く許可を得るための布石が敷かれました。

国際大会前の一年間に,全国のエホバの証人の間で大会に対する期待が高まってゆきました。だれもがその“大きな大会”に是非とも出席したいと考えていました。旅費を準備するのに家具を売った人は少なくありませんし,自分の家を売った人もいました。

子供や赤ん坊を含めて1,300名の証人たちが,北部から八両編成の特別列車でやって来ました。狭軌鉄道であるため,暑い砂ばくを通過するのに三日間もかかりました。四日半後,ついにその厳しい旅行も終わり,外出禁止時刻を過ぎてから列車はサンチアゴに着きました。

外出禁止時間には,だれ一人その終着駅を離れることができません。警備に当たっていた兵士たちの話によると,大抵の人々は自分の目的地になんとか到達できると考え,その規則に従おうとはしません。そこで,兵士たちは威嚇射撃をして,従おうとしない群衆を一晩車内に閉じ込めておくのが常でした。

サンチアゴのエホバの証人はそうした事態を知っていたので,霊的な兄弟たちのために食べ物,コーヒー,そして応急手当の道具などを準備して,駅に待機していました。警備の兵士が驚いたことに,疲れていたにもかかわらず,エホバの証人は,大変秩序正しく列車から降りて来ました。医者の診察を要する大人や子供のために,当局者は救急車を手配してくれました。残りの証人たちは,そこで夜を明かすため,家族ごとに静かに腰を降ろしました。やがて彼らが歌をうたい始めると,警備兵までがそれに加わりました。その後,サンチアゴのエホバの証人はこれらの大会出席者を自宅で世話し,大半の人々は大会中,バス代と無料の食事を与えられました。

大会の前日,地元の警察部長は,秩序正しいことでよく知られているエホバの証人には,予想される問題は何もない,と述べました。彼が心配していたのは,交通の問題だけでした。しかし,国情が極めて不安定なときなので,大会会場には万一に備えて警察官が配置されました。やがて,これら武装した警官には,いつもの緊張した用心深い態度が見られなくなりました。彼らは食堂で食事をするようにという招きに応じ,武器を壁に立て掛けて,幾千人もの大会出席者と共に食事をしました。警察犬までがのんびりとしているようでした。

この大会で1,502名の人々がバプテスマを受け,最終日には2万1,000名余りが出席しました。

サンチアゴの人々は,大会から深い感銘を受けました。このことは,新聞に載せられた数多くの好意的な言葉に表わされています。「親しみ深く,そしてだらしのない服装をした者がいないので(十代の少年の長髪も認めていない),容易に見分けの付くエホバの証人たちは,世代の断絶といった問題が自分たちの間にないことを保証した」。「良く組織されていること……は明らかである。これほどの規模の集まりにはめったに見られない,秩序と清潔さが保たれている」。「今まで,これほど多くの人を同競技場に集めることができなかった幾つかのプロのクラブよりもこの宗教の会員数のほうが多いということは確かである」。それで,集められた“魚”が数の面だけでなく,行動の面でも他に例を見ないということは,外部の人々も認めているのです。

『すなどる業』がこれほど成功した理由

チリのエホバの証人は,なぜそのようなすばらしい祝福にあずかれたのでしょうか。それには多くの要素が関係しています。文字通りの漁師の場合,“水”が適当でなければなりません。それで,霊的な“魚”をすなどる業の成功は,政変を繰り返す時代の潮流に一因があったようです。

南米諸国の中でも,チリは長い間,政情の最も安定した国の一つに数えられていました。ところが,突然,事態は変化しました。チリでは過去五年間に,互いに根本的に異なる三つの政治形態が政権を取りました。政治的混乱のため,人々は幻滅感を抱くようになりました。その結果,多くの人々は,イエス・キリストによる完全な政府に関する聖書の音信が,心に訴えるだけでなく,理にかなったものであることに気付きました。

また,肥沃な農地や天然資源に恵まれているチリの経済状態が今ほど不安定になったことは,かつてありませんでした。一生懸命働いても,どんなに犠牲を払っても,成功するのは難しいということを,人々はインフレや失業を通して痛感させられました。

しかし,霊的にすなどる業が順調であった主な原因は,諸教会の失敗にありました。長年宗教組織の言いなりになってきた人々が,突然目覚めたのです。そうした人々は,ある政府を支持し祝福していた宗教指導者が,数日後には,それと全く対立する新しい政府を支持するのを見て,失望感を抱いていました。

一方,エホバの証人は,そのような宗教指導者とは著しく異なっていました。以前の共産主義政体の政治に干渉していないことがよく知られていたため,エホバの証人は,軍隊が政権を取った直後でさえ,何の苦しみも受けずにすみました。工場や企業で働く共産主義者が逮捕され,重要な地位に欠員が生じた際,しばしばエホバの証人の労働者は,そうした地位に配置されました。一つの事例として,クーデターの行なわれた朝,一人のエホバの証人の家に兵士たちがやって来て,その土地の石油精製所の操業開始までにどれほど時間がかかるかと尋ねました。資格のある人の中には,信頼の置ける人が外にいなかったのです。

夜明けとともに,近隣の地域で,火器類の捜索が行なわれました。エホバの証人であることが知られている人々の家は,しばしば素通りにされました。ある兵士は,書棚から「とこしえの命に導く真理」と題する出版物を取り出し,こう言いました。「もしすべての人が,この本に書かれている事柄を読んで実行するなら,我々はこのような捜索などしないですむのだが」。

エホバの証人とキリスト教世界の宗教との違いは,人々の注意を引かずにはおきませんでした。政治に関する説教にいや気がさした誠実な人々は,キリスト教世界の諸教会を後にし,エホバの証人と交わって自分たちの霊的必要がついに満たされたということを悟るようになっています。

奇跡によって文字通りの魚が大量に取れたときのペテロと同じように,チリのエホバの証人も「非常に驚き」ましたか。確かに驚きました。しかし,さらに重要なこととして,彼らは,生きた人々を捕らえて永遠の命を得させるために,こうした“魚”の群がる“水”を利用し続けることを決意しています。―ルカ 5:4-11。

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