ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔77 5/1 264–268ページ
  • 島々でエホバへの賛美を告げ知らせる

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 島々でエホバへの賛美を告げ知らせる
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
  • 副見出し
  • 最初の滞在地 ― マデイラ
  • アゾレス諸島のサン・ミゲル島
  • テルセイラおよびピコ両島へ
  • フロレスおよびファイアル両島
  • サン・ジョルジェ島 ― 未開拓の区域
  • 最後の滞在地 ― サンタ・マリア島
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
塔77 5/1 264–268ページ

島々でエホバへの賛美を告げ知らせる

「彼の律法をもろもろの島は待ち望むのである。エホバに栄光を帰し,島々にあってその賛美を告げ知らせよ」。(イザヤ 42:4,12,新)「もろもろの島」が一体どれほどエホバの律法を待ち望んでいるかは,最近私がマデイラおよびアゾレス諸島を訪れた際に,明らかになりました。私は,エホバの証人の巡回監督として妻を伴って奉仕していました。私たちの旅程には合計八つの島々が含まれており,そのうちの一つはエホバの証人の訪問を初めて受ける島でした。この多事多端な旅で得た幾つかの経験を私たちが思い起こしますので,ご一緒にこの旅に加わってみてはいかがですか。

最初の滞在地 ― マデイラ

ポルトガルのリスボンを飛び立ってから一時間半ほどして,私たちを乗せたジェット機はマデイラ島上空に差し掛かり,機体を横に傾けます。すると,入り組んだ海岸線に絶壁のそそり立つ,息をのむような光景が目に入ります。空港から主要な都市であるフンシャルへ向かう25㌔ほどの道のりを行くうちに,ここが砂糖キビ,バナナの木,うっそうと茂る草木,様々な植物,そして山腹の段々畑にきちんと並んだぶどうの木などの多く見られる島であることが分かります。木が多いことはこの島の名前の意義を理解するのに役立ちます。ポルトガル語で,マデイラという言葉は“木”を意味するからです。私たちはこれから五週間,こうした環境の中で過ごすのです。

私たちの活動は,約4万5,000の人口を擁する都市フンシャルにある三つの会衆を訪問することから始まります。1974年4月25日にポルトガルで革命が起きて以来,以前はカトリックが支配的だったこの島にも大きな変化が起きています。仲間のエホバの証人たちの話によると,証言活動のために事実上,全く新しい区域があるようなものです。教会の指導者たちが以前の独裁政権と“懇ろ”にしていたことに気付いている人は少なくありません。教会の出席者数が著しく減少したのとは対照的に,新しい王国会館(1975年6月に献堂式が行なわれた)が満員になるのを見るのは何と大きな励みとなることでしょう。すでにその施設を拡張する計画が進められています。この地で最近エホバの証人が急激に増加したことは,次の数字を比較してみるだけでも分かります。野外での活発な奉仕者の数が初めて100名の大台に乗るまでには19年かかりましたが,次の四年間にその数は二倍以上に増えました。活発なエホバの証人の一番新しい最高数は274名です。

私たちがマデイラ島で過ごす最後の週には,訪問の最高潮とも言うべき“巡回大会”が行なわれます。市当局者は,市営劇場を無料で提供してくれました。日曜日には448名が出席し,私たちは胸を躍らせます。劇場の責任者は,そこで話された聖書からの優れた教訓に驚きの念を表わしています。劇場の一従業員は,「司祭たちはあなたがたの集まりに出席して,教区民にどのようにして聖書を教えたらよいか学ぶべきだ」と語り,自宅で週毎の聖書研究を司会してもらいたいと申し出ます。

アゾレス諸島のサン・ミゲル島

翌朝,私たちは飛行機で,北大西洋のアゾレス群島に向かいます。この九つの島々は,(マデイラ島と同じく)火山島です。気候は温暖で季節の変化はほとんどありません。主要な産業は牧畜および果実栽培で,この島々では良質のチーズと様々な果実が産出されます。この群島の住民28万人の生活は,今の世の中の目まぐるしい変遷による影響をそれほど受けていません。

サン・ミゲル島で私たちが最初に訪問するのは,リベイラ・グランデの町で奉仕している,三人の“特別開拓者”であるエホバの証人です。カトリック教会の影響がひしひしと感じられ,大抵の人は聖書について話しに来る人に対して非常に懐疑的です。ですから私たちが家から家を訪問すると,家の人の多くは私たちの活動を物笑いの種にし,町から出て行くようどなります。すると,ある一軒の家の戸口で,品の良い婦人が現われ,どなたですかと尋ねます。私たちが,「エホバの証人です」と答えると,「ではどうぞお入りください」と丁寧に私たちを招き入れます。婦人は,自分が以前,エホバの証人に対して意地悪い態度を取っていたと語り,こう言葉を続けます。「私は熱心なカトリック教徒ですが,もうどこに真理があるのか分からなくなってしまいました。先日,司祭に幾つかの質問をしたのですが,そのうちの一つとして,満足な答えが返ってきたものはありませんでした」。

婦人は自分の聖書を取り出し,興味深い話し合いが続きますが,それも無遠慮に彼女の家に入って来た近所の人たちによって邪魔されてしまいます。彼らは,婦人がエホバの証人に耳を傾けていることを不快に思っているという態度をあからさまに示します。驚いたことに,神を畏れるこの婦人は,自分が神について多くの興味深い事柄を学んでいることを,親切な仕方で近所の人々に話します。そして,神の言葉である聖書に対してそんなに偏見を持つ理由はないと述べ,自分としてはもっと勉強してみるつもりであると語ります。すると,近所の人々は,一人また一人と帰って行きます。本当に義に飢え渇いていた,この羊のような婦人と家庭聖書研究を始められるのは何という喜びなのでしょう。

彼女の家を出てから間もなく,私たちはベンチに座っている足の不自由な人の前を通り過ぎます。その人は私たちに何回も呼び掛けますが,他の人々と同様その人も私たちを嘲笑しているのだろうと思い,私たちは注意を払いません。しかし,その人がなおも呼び掛けるので,ついに私たちは振り向きます。「ここで何をしているのですか」とその人は尋ねます。私たちが王国の音信を説明すると,その人は関心を示して目を輝かせます。日曜日に公開講演に出席した42人の人の一人として,この男の人を迎えることができたのはうれしい驚きでした。この人は集会に出席するために,2キロもの道のりを松葉杖を使って歩いて来たのです。

次の訪問地は,約40㌔ほど離れた,島の南側にあるポボアソーです。地中の隠れた裂け目から熱湯を噴き出す温泉を通り過ぎ,マス,クロマス,スズキの多くいる静かな渓流やお茶の木などをながめながらの旅は本当に楽しいものです。目的地に到着し,その地の“特別開拓者”であるエホバの証人の話を聞くと,ある人々が聖書を研究して関心を示したために,地元の司祭は非常に感情を害し,エホバの証人は神も聖母マリアも信じてないと言って,教区民がエホバの証人と聖書を研究することを禁じました。

私は,目抜き通りにある一軒の理髪店に入り,店主と話し始めます。店主はよく耳を傾け,やがて店内にいた人すべてが注意を払うようになります。店の前にはタクシー乗り場があり,ほどなくして,客を待っていたタクシーの運転手全員が店の中に入って来て耳を傾けます。さらに,道の反対側にあるコーヒー店からも幾人かの人がやって来て,増え続ける聴衆に加わります。このような願ってもない機会を与えられて,私は即興で話をすることにし,結局,一時間近い“公開講演”をする結果になります。

それに続いて活発な討論が行なわれ,そこにいた人の多くが聖書に関する質問をします。だれかが店に入って来て,話を始めるたびに,他の人々はこう言います。「静かにしてください。私たちは聖書に関する興味深い説明を聞いているのです。もし聞きたくないなら,ここから出て行ってください。私たちはこの話を聞きたいのです」。ついに聖書からの答えに満足した幾人かの人は口々に次のような注解を述べます。「これは司祭の教えていたこととずいぶん違う」。「司祭にだまされていたんだ」。「司祭は真理を伝えていなかったんだ」。

私たちは,理髪店での討議に加わった人々のうち少なくとも30人が一団となって司祭に会いに行き,彼がエホバの証人について真理を語っていなかったことに抗議したという話を後になって耳にします。幾人かの狂信的な熱狂者たちによる暴力行為の起きる恐れがありましたが,その週の活動は予想以上の成果を収めて幕を閉じます。日曜日には,「諸教会の実情をつぶさに見る」と題するスライドを見るため,52名もの人が集まります。

この島での訪問は巡回大会をもって終わりを告げます。大会の出席者最高数は240名,バプテスマを受けた人は6名です。サン・ミゲル島での一か月にわたる特別な活動の最高潮と呼ぶにふさわしいすばらしい大会です。

テルセイラおよびピコ両島へ

テルセイラ島の名前は,同島がこの群島の中で三番目に発見されたことにちなんで付けられています。同島の名前は,“第三番目”を意味しています。この島では漁業が盛んです。そしてこの島には二つの会衆があり,一つは主な都市であるアングラ・ド・ヘロイスモに,もう一つはプライア・ダ・ビクトリアにあります。二つの会衆で開かれる週毎の集会の平均出席者数は合計200名を越えており,すべての人は本当にその集会を楽しんでいます。未信者の夫と六人の子供を持つ一人のエホバの証人は,12㌔の道のりを歩いて,定期的に集会に出席しています。この人は幾度か“補助開拓者”として奉仕しており,私たちの訪問中には店から店への活動で180冊の雑誌を配布します。

次の訪問地となっている島に向かう直通の飛行機がないので,私たちはファイアル島のホルタに降りてから,小さな船に乗ってピコ島のマダレナに渡らねばなりません。ほんの30分ほどの船旅ですが,それは忘れ難い経験です。海は確かに荒れ模様です。波頭のてっぺんにいたかと思うと,次の瞬間には波と波の間の谷底にいて,上を見上げて圧倒されます。

ピコ島の地形はちょっと変わっています。なだらかな勾配のある沿岸部の平原は徐々に険しくなり,最後に海抜2,350㍍ほどのつり鐘状の山を成します。この島の生活は昔風で,電気の引かれていない家も少なくありません。人々は汗水を流して働き,土地から食糧を得,海から魚を取って来て,どうにか生活しています。ドアに鍵が掛けられていることはなく,だれもが非常に友好的です。

この島には小さな会衆が二つあります。10㌔の道のりを歩いて定期的に集会に出席し,集会が終わると街灯もない小道を通って家に帰るエホバの証人もいます。そうした人々は雨が降るとずぶぬれになって到着しますが,そのようなことに慣れているので,優れた集会から彼らが益を受け損なうことはありません。

この島で私たちは,孤立した区域であるラジェスの町も訪問します。聖書や書籍や雑誌を詰め込んだ荷物を抱え,私たちは一日に一本しか通っていないバスに乗り,朝5時に出発します。バスを降りるとすぐに私たちの仕事が始まります。幾人かの家の人が,「どうか今日は帰らないでください。もう少しゆっくりしていかれて,神のすばらしい事柄について教えてください」と言うのを聞いて,私たちは深い感銘を受けます。その日の午後,数人の人が私たちを捜しに来ます。私たちが午前中その地区を訪問したとき,彼らは家を留守にしていたのです。何と,それらの人々は近所の人たちが私たちから求めたのと同じ聖書文書を自分も手に入れたいと思っていたのです。私たちは,わずか一日で,240冊の文書類を配布します。

ピコ島では土地の事情に応じて巡回大会のプログラムに調整が加えられ,57名の出席者たちは,この「救いの日」にどれほどの時間が残されていようと,忠実に良いたよりを宣明し続けてゆく決意を新たにします。―コリント第二 6:2。

フロレスおよびファイアル両島

私たちは,フロレス島に向かう空の便が二週間に一度しかないことを知らされますが,幸いなことに,サンタ・クルスの港へ向けて船が出るところでした。フロレスは植物の生い茂る小島で,幾つかの美しい滝があります。

この遠く離れた地に,どのようにして会衆が設立されたのでしょうか。ある熱心な夫婦が米国で真理を学び,自分たちの郷里であるこの島に住む親族たちに連絡を取りました。この夫婦は,友人たちが新秩序に関する神の備えを学ぶのを助けるために,1975年にわざわざ島へ戻って来ました。その結果,何という祝福があったのでしょう。すでに八名の新しいエホバの証人が,同島の5,500人の住民に,良いたよりを活発に宣べ伝えています。彼らの小さな王国会館での集会には,平均して20名の人々が出席しています。

私たちはファイアル島に戻り,最近この新しい任命地で業を始めたばかりの,“特別開拓者”であるエホバの証人を短期間訪問し,楽しい時を過ごします。この島での王国を宣べ伝え弟子を作る業には良い見込みがあります。すでに,合計16件もの家庭聖書研究が司会されているからです。

サン・ジョルジェ島 ― 未開拓の区域

さて今度は,大きな特権が私たちを待ち受けています。私たちはアングラ・ド・ヘロイスモで“特別開拓者”の夫婦と合流し,サン・ジョルジェ島で王国の奉仕を始めるため船に乗って同島に向かいます。サン・ジョルジェ島は,この夫婦の新しい任命地です。その業を軌道に乗せるまでの喜びに私たちもあずかります。

船は夜の11時に出港しますが,海が荒れていてだれも眠ることができません。この機会を利用して,私たちは船客全員に無料の冊子を配布します。朝食の際,カトリックの司祭が私たちのテーブルにやって来たので驚かされます。やがて,三位一体や魂の不滅性に関して活発な話し合いが始まります。私たちの話し合いは他の船客の注意を引き,聖書の教える事柄を私たちが一つ一つ示していると,やがて相当数の聴衆がそれに耳を傾けるようになります。司祭は突然立ち上がり,休息を取らねばならないと述べて中座し,そそくさと消えてしまいます。

目的地に着いた最初の日の王国奉仕は本当に産出的でした。私たち四人は,合計343冊の書籍と聖書文書を配布しました。何よりもうれしかったのは,数件の家庭聖書研究が始まったことです。関心を持つ一人の男の人が熱心な態度を示し,「とこしえの命に導く真理」の本を受け取ったことが発端となって,珍しい経験が得られます。その本を数ページ読んだこの男の人は,近所の人のところへ飛んで行き,その本にはすばらしい音信が収められていることを話し,ぜひ一冊求めるよう勧めます。そして少ししてから再びやってきて,自分の友人のために,その本を四冊求めます。彼は行ったと思うとまたすぐ戻って来て,今度はもっと大勢のアミーゴ(友)のためにさらに五冊を求めます。こうしたことは午後になって数回起こり,この島での王国奉仕の最初の日は本当に良いスタートを切った,と私たちは考えます。すでに,神のみ言葉の真理を広めるのに熱心な助け手を得たからです。

『もろもろの島』が一体どれほど『助けを求めている』かは,私たちがビーラスの町の人々を訪れた際に再び明らかになります。一軒の戸口で私が自己紹介をすると,男の人はこう言います。「私は長い間あなたが来るのを待っていました。私は毎日自分の聖書を読んでおり,いつの日か私の家の戸口にイエス・キリストの弟子がやって来ることを確信していました。この終わりの日に彼らはそのような業を行なうと聖書が述べているからです」。言うまでもなく,私たちは優れた話し合いを楽しみ,私は家庭聖書研究を取り決めます。その人は親切に昼食をして行くよう勧めてくれますが,私は弁当を持って来ています。午後には再び会うことになっていましたが,その時に彼はオレンジのいっぱい入った大きな袋を持って来ます。そして,私にこう話します。「昼食をお勧めしましたが,召し上がっていただけませんでした。ですから,どうかこのオレンジを一袋贈り物として受け取ってください。私たちの主は,ご自分の弟子たちはさいふも,食物袋も携えて行く必要がないであろうと言われました。彼らはその報酬を受けるに値するからです」。私たちの携わっている奉仕に対するそのような心からの感謝の表われに私たちは驚嘆せざるを得ません。

最後の滞在地 ― サンタ・マリア島

バプテスマを受けた一人の若いエホバの証人は転勤で,ポルトガルからこの島へ来ていました。この若いエホバの証人は,エホバの目的を島の人々に知らせる機会を熱心な態度で捕らえました。私たちがこの島に着いたとき,この人は寂しがって見捨てられたような気持ちになっているでしょうか。それどころか,次から次へと経験を話してくれます。彼は今,週末や晩の時間を用いて18件の家庭聖書研究を司会しており,一方では全時間の世俗の仕事を維持しながら,同時に王国奉仕に90ないし100時間を費やす月も少なくありません。私たちの訪問は,「相互に励まし合う」すばらしい機会となります。(ローマ 1:12)彼の示す模範は,私たちにとって本当に信仰を強めるものです。

私たちの旅がこれで終わってしまうなどとはとても信じられません。私たちは,この「終わりの日」にエホバの成し遂げておられるすばらしい業を直接見てきました。私たちは,アゾレス諸島で真の意味での宣教者として奉仕する,15人の“特別開拓者”のエホバの証人の示す模範を深く心に銘記します。これらの島々では,合計267名の伝道者や開拓者たちが,271件に上る家庭聖書研究を司会しています。パウロとバルナバの模範に倣って,これらの島々すべての『兄弟たちを訪ね,みんながどうしているか見てくる』ことができ本当に幸いでした。それらの島々では「エホバのことば」が今や非常な熱意をもって宣明されているのです。(使徒 15:36)― 寄稿。

[265ページの地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

アゾレス諸島

フロレス

サン・ショルジェ

ファイアル

テルセイラ

ピコ

サン・ミゲル

サンタ・マリア

大西洋

マデイラ諸島

ポルトガル

    日本語出版物(1954-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする