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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
塔77 7/1 412–413ページ

賢人はどんな意味で述べたか

友人の価値

富を蓄えるためにあくせく働く“孤独な人”は,実に空虚な日々を送っています。賢い王ソロモンはこう書いています。「一人の者がおり,二人目の者はいない[すなわち,友人も仲間もいない孤独な人]。また息子も兄弟も彼にはいない。しかしそのすべての勤労に終わりはない。また,その目は富に満ち足りることもない。『そしてだれのためにわたしは懸命に働き,自分の魂に善い物の不足を生じさせているのか』。これもまたむなしいことであり,それは禍いとなる営みである」。(伝道 4:8,新)友人も息子も兄弟もなく,自分の勤労の益にもあずかろうとしない守銭奴の生活は,何と無意味なものでしょう。そのような人は,自分の生活をより快適で楽しいものとするためにお金を使おうとせず,ただひたすら富を蓄え続けます。しかし,死ぬときが来れば,すべてを後に残さざるを得ません。

良い友人と一緒に働く人は,それよりもずっと良い立場にあります。賢人は続いてこう述べています。「二人は一人に勝る。なぜなら,彼らは自分たちの勤労に対して良い報いを得るからである」。(伝道 4:9,新)二人が一緒に働けば,援助,慰め,および保護などの形で益,つまり「良い報い」が得られます。ソロモン王はこう語ります。「もしそのうちの一人が倒れるようなことがあれば,他の者がその仲間を起き上がらせることができるからである。[というのは,二人が同時に倒れることは余りないからである。]しかし,たった一人の者が倒れ,彼を起き上がらせる他の者がいない場合はどうであろうか。さらに,二人の者が共に身を横たえるなら[旅の途中,寒さの厳しい折りに一夜を明かさねばならない場合のように],彼らは確かに暖まることにもなる。しかし,独りだけならどうして暖まることができようか。そしてだれかが独りの者[危険な道を歩いているような場合]を打ち負かすことができたとしても,二人一緒であればその者に立ち向かうことができる。そして三重のなわ[一こより,あるいは二こよりのなわよりも強い]は素早く断ち切ることはできない」― 伝道 4:10-12,新。

あなたはこの言葉に示されている精神に従って生活していますか。信頼の置ける友を持つことには確かに大きな益があります。

最も高い地位でさえむなしい

人々の間で,人気は大抵の場合つかの間のものです。著名な人も,別の人が人々の心を捕らえるとたちまち忘れ去られてしまいます。最も高い地位を得た人さえ例外ではありません。

ソロモンは,支配者の身に起こりうることを生き生きと描写し,こう記しています。「貧乏で賢い子供の方が,年老いてはいるが愚鈍な王に勝る。その者は十分知るに至っておらず,もはや警告を受けつけない。彼[前述の子供のことと思われる]は獄屋から王となるために出て行ったからである。この者の王権においては資力の乏しい者として生まれたのであったが」― 伝道 4:13,14,新。

王権という最高の地位を持ち,年の功と経験があれば,一般の人々の尊敬や支持を得られると人は考えるかもしれません。しかし,王が他の人々の健全な助言に耳を貸さず愚かな行為に走るなら,その地位と年齢をもってしても,心から尊敬されることはありません。地位や年齢それだけでは,必ずしも敬意を受けられるわけではありません。それゆえ,貧乏でも賢い子供の方が,かつては賢明な政治をしたものの,年を取るにつれてがんこになり優れた助言に耳を傾けなくなった王よりも勝っているのです。行政の仕方を誤ったために,年老いた王は,王国にどうしようもないほどの負債を抱え込ませ,人心を離れさせ,しまいには王位を追われて不面目な死に方をしなければならないかもしれません。一方,賢明に行動し続ける若者は,年老いてはいても愚鈍な王には与えられないような敬意を受けるでしょう。

ソロモンの述べるとおり,そのような賢い若者は,獄屋から王位にまで高められることがあるかもしれません。ヨセフの身の上には,まさにそのようなことが起こりました。エジプトのファラオは深い感銘を受け,ヨセフにこう言いました。「あなたのようにさとく賢い者はない。あなたはわたしの家を治めてください。わたしの民はみなあなたの言葉に従うでしょう。わたしはただ王の位でだけあなたに勝る」。(創世 41:39,40,口)こうして,ヨセフはエジプトで第二の支配者の地位に高められました。

次にソロモンは,支配者の交代に対する人々の移り気な反応に注意を向け,次のように記しています。「わたしは,日の下に歩き回っている,生けるすべての者を見た。第二の者,すなわち,他の者の場所に立ち上がる子供に関して事態がどうなるかを。民すべてに終わりはない。それらすべての者に先立って彼はあったのであるが,彼らに対して。また民が後に彼のことを歓ぶこともない。これもむなしいことであって,風を追い求めるようなものだからである」― 伝道 4:15,16,新。

ソロモンはどんな意味で「第二の者,すなわち……子供」という表現を用いたのでしょうか。ソロモンは,王の後継者を指してこの表現を用いたものと思われます。『生ける者』は,すべて新しい支配者を迎えて興奮しています。彼が王としてその前に立つ「民すべてには終わりはない」とされています。これは,人々すべてが王を支援し,その支配を支持していることを意味しています。しかし,その人気はいつまでも続くものではありません。やがて,人々が歓呼して迎えたはずの人がもはや人々の気まぐれな好みに合わなくなってしまうような時が到来します。幻想を打ち砕かれた人々は,王について歓ぶことをやめてしまいます。

同様に現代においても,一群の政治家が別の政治家の一団によって取って代わられます。ある支配者,総理大臣,あるいは大統領は,当初熱狂的に迎えられるかもしれません。しかし,ほどなくして人々はその支配者およびその政策に不満を抱くようになります。やがて人々は,政権を握る能力のある別の人を求めるようになります。

それで確かに,最も高い地位でさえ,単なる安物の飾りのように「むなしいこと」が明らかになります。こうした点を考えると,この世の中で最も大きな満足をもたらすのは,地位ではなく,とこしえまで存在しておられる神エホバとの良い関係であるということを強烈に印象付けられます。

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