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  • 車いすの影につきまとわれて生活する
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
塔83 11/15 9–10ページ

車いすの影につきまとわれて生活する

「お気の毒ですが,30歳にならずして車いすがないと生活できなくなる人がいることを,やがて認めざるを得なくなると思います」。

私はそのようなことをとても信じられず,「いいですか,私は19歳なんですよ。90歳ではないんです」と,つい言ってしまいました。

「どうすることもできないのですよ」という静かな答えが返ってきました。「甘んじて受け入れるよりほかありません。世の中には30歳前に歩けなくなる人がおり,あなたもその一人になるのです」。

整形外科専門医のそのぞっとする話は,脊椎の生まれつきの性質のためにやがては一生,体が不自由になることを初めて指摘するものでした。私は全く信じられずに,自転車に飛び乗って走り去りました。

自分の時間を最大限に活用する

私はここ英国で2年間,開拓者として全時間宣教に携わっていました。それは実に幸福な2年間でした。全時間宣教を続けることを心に決めていましたが,専門医の言葉が絶えず思い出されました。本当にそうなるのでしょうか。「本当になっても,ならなくても,その時が実際に来る前にやめたところでどうにもならないわね」と自分に言ったのを覚えています。それで開拓奉仕を続けることにしました。

その後の10年間に,脊椎の具合が悪化していることは次第に明らかになってゆきました。私が全時間の伝道活動を続けられたのは,主として,私の開拓奉仕の友であるエルザの励ましと実際の援助があったおかげです。私たちは何百キロも自転車をこいで海辺の町々で証言し,美しい田園を旅行し,郊外の地域で働き,最後にロンドンの都心部を中心に活動しました。来たるべき地上の楽園という神のすばらしい約束について神の言葉から宣べ伝えるという業に全時間費やすことができて,とても大きな解放感と深い満足感を味わいました。

手術を12回したので,入院のために中断することが時々あったものの,開拓奉仕は続けることができました。足の支持器を使うようになり,やがて前腕松葉杖を使わなければならなくなりました。開拓奉仕を行なった最後の2年間は,このようにしてなんとか歩き回りました。人々は本当に親切でした。あるタクシーの運転手はいつも私に注意を払っていて,1軒の家から別の家を訪問する時に無料で車に乗せてくれたものです。そのほか,私を見かけると家で休んでいきなさいと言ってくれる人も大勢いました。

その後,専門医の言葉は悲しくも真実の事柄となりました。突然脊椎に強い変形が生じたのです。長い間入院し,さらに何か月もの間ギプスをはめられた末,車いすに乗る身となりました。「いつか目を覚ましたら,これがうそだということが分かるんだわ」と自分に言ったものです。なんとなく,その日を指折り数えて待っているような気がしました。

体が不自由なことに順応する

最初のうち,私は憤慨していました。他の人の思いやりや助けをどうしても必要としていましたが,それを受け入れなければならないことに恥ずかしさを覚え,取り乱しさえしました。しかし,援助が差し伸べられないと,同じほど憤慨したのです。突然他の人にこれほど頼らなければならなくなるとどんな気持ちがするかは,同様の経験をした人でなければ恐らく理解できないでしょう。人前でにこにこしていましたが,それは計り知れない悲しみと無力感を隠すためのものでした。

時がたつにつれ,そうした消極的な感情の中でも最もひどいものを努力して克服しました。振り返ってみると,転機になったのは,仲間の一証人がリビング・バイブルのコリント第二 12章8節から10節を共に読んでくださったときのことだったと思います。その聖句は一部こうなっています。「わたしは自分の力や能力を見せびらかすのではなく,キリストの力の生きた証拠となることをうれしく思います」。使徒パウロのこの言葉を読んでくださった証人は,ご自分も事故で大けがをしたことのある人でした。そして,その人は使徒の言葉が自分の場合に当てはまるのを証明したことがよく分かりました。

自己中心的になるのではなく,エホバと他の人々に常に役立つ者となる上で助けとなる,私でも行なえる事柄を明確に教えてくださるようエホバ神に祈願をささげました。私の生活はすっかり変化しました。

他の人を助ける喜び

周囲を見回すと,制約を抱えていて好きなことを自由に行なえない人が少なくないことに気づきました。例えば,大勢の家族の世話をしなければならない婦人や,1日中単調な仕事に縛られている男性,年老いて体力がないため,もはや多くの事柄を成し遂げられない人々などがいます。私はそれらの人たちのことを考え,その人たちがどのように対処しているか観察し始めました。

少したってから,「研究をしに家に来てもよいという女の人がいらっしゃるのですが,その人の聖書研究を司会したいと思いますか」と尋ねられました。それは本当に大きな励ましでした。その女性を皮切りに,私はそのようにして何人かの人と聖書研究をしました。自分の体の状態が,弟子を作る長年の経験を生かす能力に全く影響を与えないことを知ったのはとてもうれしいことでした。

私は,弟子を作る業に参加するための新しい方法はないものかと絶えず心掛けました。最初はほとんどの場合,証言の手紙を書くことによってその業を行ないました。入るのが難しくて戸別の証言が行なえないアパートの1ブロックを区域として持っています。手紙を書く時は,戸ごとに異なる種類の家の人を想定し,それぞれ別個の聖句を用いるように努めます。このようにして思いを活発に保ち,神の言葉を公に宣べ伝える奉仕を行なう立場に身を置いているのです。

ついに,最後の障害を克服して,家から家の福音宣明に再び参加する決意をしました。その決意をしたことを本当にうれしく思います。信仰を口で言い表わすことほど信仰を強めるものはありません。今では会衆内の友人たちが定期的にやって来て私と車いすを自動車に乗せて運んでくれます。ですから時々補助開拓を行なうことさえできます。

最後に自転車に乗ってから6年がたちました。自由に動き回れた昔をなつかしく感じたり,新鮮な空気やとても楽しかった忙しい生活を慕わしく思ったりすることが時にあります。もっとも,良い面を挙げるとすれば,開拓奉仕を行なって活動的な生活を送ったおかげで,歩き回れるのはあと10年と言われていたのに,15年余りに延びたということがあります。

ここ二,三年,私は独りで暮らしています。でも,エルザとエルザの夫は私を家族の一員のように扱ってくれます。私も,エルザ夫婦の子供たちを自分の子供のようにいとおしく思っています。

また,以前には持っていなかった貴重なものを得たことをも思い起こすようにしています。そうした貴重なものの中でも最大のものは時間です。私は,だれかに話を聞いてもらいたいと思う人の話をいつでも聞いてあげることができます。問題を抱えている人々に同情する点で成長しました。とりわけ,エホバ神を一層身近に感じることができます。エホバは現状のままで生活を楽しむことを優しく教え,私がエホバに仕え続ける力と目的を与えてくださいました。

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