聖書 ― 本当に聖なる書物ですか
現在どれほどの人が聖書を聖なる書物,あるいは神の言葉とみなしているでしょうか。懐疑主義のはびこる昨今,聖書を時代遅れで無価値な本とみなし,聖書が本当に聖なる書物かどうかを疑っている人は少なくありません。キリスト教世界の宗教指導者の中にさえ,聖書には伝説や神話がたくさん詰まっていると教える人がいます。彼らは,『聖書の歴史解釈が知識人の賛成を得られるかどうか』疑わしいと言うのです。―「解説者の聖書辞典」,第2巻,611ページ。
著名な学者たちは,聖書を神の言葉と呼ぶことの妥当性に関して疑いの種をまいています。一人の学者はこう言いました。「もし“神の言葉”に類する表現を使いたいのであれば,“イスラエルの言葉”,“初期クリスチャンの一部の指導者の言葉”などが聖書にふさわしい用語であろう」。(ジェームズ・バー著,「現代の世界における聖書」)あなたはどう思いますか。聖書は神の言葉ですか。本当に聖なる書物なのでしょうか。
聖書を書いたのはだれか
聖書の最初の書である創世記は,今から約3,500年前のヘブライ人モーセが書いたと言い伝えられています。聖書そのものによると,さまざまな経歴を持つ約40人の男子が聖書の残りの部分を書き,結果として66の書もしくは区分から成る聖書が出来上がりました。しかし,そうした人々は自分が聖書の本当の著者であるとは考えませんでした。ある筆者は,「聖書全体は神の霊感を受けたもので(ある)」と言いました。(テモテ第二 3:16)また,別の筆者は聖書の筆者たちについて,「人が聖霊に導かれつつ,神によって語った」と書きました。―ペテロ第二 1:21。
こうして見ると,聖書筆者たちは神の管理もしくは導きのもとにあった筆記者,つまり書記の部類に入ることが分かります。聖書によると,筆者たちは普通,神から与えられた情報を表現する際に自分で言葉を選ぶことが許されていました。(ハバクク 2:2)聖書全体にわたって様々なスタイルの文章があるのは,そういう理由によります。しかしその筆記は常に神に導かれました。
もちろん,それらの筆者たちが神の霊感を受けたと主張していること自体は,聖書が創造者なる神から人類にあてられた音信だという証拠にはなりません。しかし,至高者なる方が聖書の著者であるかどうかは,先入観を捨てて聖書そのものを注意深く調べることによってはっきり分かるはずです。神が聖書の著者であるという証拠を聖書の中に見いだすことができますか。聖書は聖なる書物であると,本当に確信を込めて言うことができますか。