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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1991
塔91 8/1 3–4ページ

最後の審判

「なんじの死ぬる時,なんじの魂ひとり責め苦にあわん。そはそれがための地獄なり。されど裁きの日には,なんじの体なんじの魂と相結ぶべし。その時,なんじに一対の地獄あり。なんじの魂は血をしたたらせ,なんじの体は苦もんに満ちあふるべし」。

これは,裁きの日と,地獄に落ちた者の苦しみに関する僧職者の見方とを説明した19世紀の説教者C・H・スパージョンの言葉です。イタリアの芸術家ミケランジェロも同様の恐ろしい信条を持っていました。それは,ミケランジェロがローマのシスティナ礼拝堂に描いた「最後の審判」という壁画(上の絵はその一部)を見ても分かります。新ブリタニカ百科事典はその壁画についてこう述べています。「審判を行なうキリストは,キリスト教の救い主というよりも怒号する神であり,福者たちを天国に迎えることよりも人類を地獄に落とすことのほうに関心がある」。

キリスト教世界の教理

かつて何世紀もの間,裁きの日や火の燃える地獄が,説教のテーマとして好んで取り上げられていました。C・H・スパージョンのような説教者たちは壇上から熱弁を振るい,罪人を待ち受けている忌まわしい責め苦を生々しく描写しました。今では,このような説教を聞くことはほとんどありません。しかし,火の燃える地獄と最後の審判は,依然としてほとんどの教会の正式な教えになっています。

キリスト教世界のほとんどの教派は,神の裁きには二つの段階があるというローマ・カトリックの教えと大体一致しています。まず最初の段階は,「私審判」です。人が死ぬとき,その人の不滅の魂なるものは直ちに裁かれ,地獄か天国のいずれかに永久に引き渡されます。a それから終わりの時に最後の審判,つまり公審判があり,そのとき死者の体は復活して不滅の魂と再結合します。

この裁きの日に,天国にいる魂はそこにとどまり,不朽にされた体と再結合します。地獄で苦しむ魂は地獄にとどまり,やはり復活して不朽にされた体と結合します。そのため地獄にいる者の苦しみはさらに激しくなると言う人もいます。その時まで人間として生きている者は死ぬことがありません。その人たちは生きたまま裁かれ,言ってみれば「身も心も(体も魂も)」そのまま天国か地獄に行きます。

火の燃える地獄で言語に絶する責め苦にあう恐れがあるとなれば,イエス・キリストによる最後の審判というテーマ全体が何か恐ろしいもののように思えてきます。ですから,神の裁きは実際には歓びの理由となる場合が多いこと,また,神の裁きの日が人類史の中でも極めて幸福な時になることなどが分かれば,あなたは驚きを感じるのではないでしょうか。では,どうしてそうなるのでしょうか。

[脚注]

a ローマ・カトリック教会は第3の可能性も信じています。それは,最終的に天国に入る前に煉獄で受ける一時的な罰です。

[3ページの図版のクレジット]

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