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  • 聖書に記されている祈りは注意深く調べる価値があります
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1995
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1995
塔95 3/15 4–7ページ

聖書に記されている祈りは注意深く調べる価値があります

これから注意深く調べるのは,不安な気持ちを抱いていたある女性や,一人の王,および神ご自身のみ子がささげた祈りです。それらは各々,それぞれ異なった状況がきっかけになってささげられた祈りです。しかし,そのような事情は今日のわたしたちにも影響を及ぼす可能性があります。わたしたちはそれらの実例から何を学べますか。

『この奴隷女の苦悩をご覧ください』

あなたはなかなか解決できない問題と取り組んでおられますか。あるいは,心配事で悩まされていますか。そうでしたら,あなたは,初めての子供だったサムエルを生む前のハンナと多くの共通点をお持ちです。彼女は子供がいなかったので,別の女性からあざけられていました。実際,ハンナはその時の状況にひどく悩まされ,気遣いが大きかったため,食事をしようともしませんでした。(サムエル第一 1:2-8,15,16)彼女はエホバに訴えて,次のように祈願しました。

「万軍のエホバよ,もしあなたがこの奴隷女の苦悩を必ずご覧になり,実際に私を覚えてくださり,この奴隷女をお忘れにならず,実際にこの奴隷女に男の子をお授けくださいますなら,私はその子をその一生の間エホバにおささげ致します。決してかみそりをその頭に当てることはありません」― サムエル第一 1:11。

ハンナは漠然とした事柄を話したのではないことに注目してください。彼女はエホバに語りかけて具体的なこと(つまり,男の子)を願い求め,その上,はっきりした決意(つまり,神にその子を自由に使っていただきたいという決意)を述べました。このことはわたしたちに何を教えていますか。

逆境にある場合,具体的に祈ってください。どんな問題にせよ ― 家庭の事情であれ,孤独感であれ,健康がすぐれないことであれ ― そのことについてエホバに祈ってください。問題のどういうことが難しいのか,自分はどう思っているのかを神に申し上げるのです。ルイーズという名の一人のやもめはこう言っています。「私は毎晩,自分の悩みを皆,エホバにゆだねます。時にはそれがかなり沢山ありますが,それを一つ一つはっきりお話しいたします」。

的確な言葉でエホバにお話しすることには益があります。それは,自分の問題を明確にするのに役立ち,問題が明確になると,さほど恐るべきものではないように見えてくるかもしれません。具体的なお祈りをすると,心配は和らぎます。ハンナは自分の祈りが聞き届けられる前でさえ安心し,『その顔はもはや自分のことを気遣っているようではありませんでした』。(サムエル第一 1:18)それに,的確であれば,わたしたちの祈りに対する答えを目ざとく見分けられるようになります。ベルンハルトという名のドイツのあるクリスチャンはこう言っています。「的確な言葉で祈れば祈るほど,答えが一層はっきりと分かります」。

「私は小さな少年にすぎません」

しかし,自分には不相応だと思えるような割り当てを受けたりすると,別の心配をする人がいるかもしれません。時には,エホバから与えられる責任の重さに圧倒されることがありますか。それとも,ある人々はあなたが不相応な割り当てを受けたと考えていますか。年若いソロモンはイスラエルの王として油そそがれた時,そのような状況に置かれました。ある著名な人々は,だれかほかの人が王座に就いたほうがよいと考えました。(列王第一 1:5-7,41-46; 2:13-22)ソロモンはその治世の初めのころ,祈りをささげて,次のように懇願しました。

「我が神エホバよ,あなたは……この僕を王とされました。……私は小さな少年にすぎません。私は出入りするすべを知りません。……あなたの民を裁き,善悪をわきまえるために,従順な心をぜひこの僕にお与えください」― 列王第一 3:7-9。

ソロモンはその祈りの中で,エホバと自分との関係や自分に与えられた特権,および割り当てを遂行するための自分の能力に注意を集中しました。同様に,わたしたちも,与えられる責任が自分の能力以上のものと思えるような場合にはいつでも,その仕事をする備えをさせてくださるよう神に請願すべきです。次のような経験を考えてみてください。

ユージーンはこう説明しています。「ものみの塔協会の支部事務所で一層大きな責任を引き受けるよう要請された時,そうする資格は自分には全くないと思いました。もっと資格があり,もっと多くの経験のある人がほかにいました。私はそれから二晩,ほんの少し睡眠を取っただけで,ほとんどの時間を祈りに費やし,祈りによって力と必要な安心感を得ました」。

ロイは,非常に評判の良かったある若い友人が突然痛ましい死を遂げた後,葬式の話をするよう頼まれました。何百人もの人々の出席が見込まれていました。ロイはどうしましたか。こう語りました。「力を求めて,また適切な言葉を見いだし,築き上げる考えを述べ,さらには慰めを与える能力を求めて,あんなに祈ったことはこれまでほとんどありませんでした」。

創造者が『物事を速やかに行なわれ』,その組織が拡張するにつれ,当然の結果として,責任をゆだねられる神の僕たちは増えてゆきます。(イザヤ 60:22)もし,もっと多くの責任を担うよう要請されたなら,自分には経験や訓練や能力などの点で欠けているところがあっても,エホバが補ってくださることを確信してください。ソロモンと同様の仕方で神に近づいてください。そうすれば,神はあなたがその任務を果たせるよう備えさせてくださるでしょう。

『彼らがみな一つになるため』

今日生じる3番目の状況は,一群の人々を代表して祈るよう求められる場合です。他の人々のために祈りをささげるよう求められる場合,何を祈り求めるべきでしょうか。ヨハネ 17章に記されているイエスの祈りについて考慮してみましょう。イエスは人間として過ごした最後の晩,ご自分の弟子たちのいるところで,その祈りをささげられました。イエスは天のみ父にどのような請願をささげられましたか。

イエスは居合わせた人たちの共通の目標や共有していた希望を強調なさいました。イエスはエホバのみ名の栄光がたたえられることや王国を知らせることを指摘なさいました。イエスは聖書の知識に基づいて築かれる,み父との,またみ子との個人的な関係を強調なさいました。それに,世から離れていることについても話されました。それは反対を受ける事態に追随者たちを備えさせるものとなりました。キリストはまた,弟子たちを保護してくださるよう,さらに真の崇拝において弟子たちを結び合わせてくださるよう,み父にお願いなさいました。

そうです,イエスは一致を強調されました。(ヨハネ 17:20,21)その晩のそれよりも早い時間に,弟子たちは大人気ない口論をしていました。(ルカ 22:24-27)しかしキリストは,祈りの中で,とがめるのではなく,一致を図ろうとされました。同様に,家族や会衆でささげる祈りは愛を奨励し,個人間の不和を克服することを願うものであるべきです。祈りに加わっている人たちは,一致のうちに結び合わされるべきです。―詩編 133:1-3。

祈りに耳を傾ける人たちが,最後に「アーメン」,つまり『そうなりますように』と唱える時,そのような一致がはっきり示されます。それが可能となるには,祈りに加わる人たちが,述べられた事柄すべてを理解し,それに同意しなければなりません。ですから,居合わせているある人たちの知らない問題を祈りの中で述べるのはふさわしくないということになります。例えば,ある長老が会衆を代表して祈りをささげる際,重病を患っている霊的な兄弟あるいは姉妹のためにエホバの祝福を願い求めるかもしれません。しかし,そうするのが最善なのは,普通,その長老が代表している人たちの大多数がその病気の人のことを知っており,その病気について聞いている場合に限られるでしょう。

また,一群の人たちの各々が個人的に必要としている事柄をイエスが列挙なさらなかったことにも注目してください。もし列挙なさったなら,特定の人たちにしか分からない私的な事柄を述べることになったでしょう。私的な関心事は個人的にささげる祈りの中で述べるのにふさわしい課題で,そのような祈りは幾らでも長くささげることができ,また幾らでも私的な事柄を含めることができます。

大勢の崇拝者たちの集まりを代表して祈りをささげる場合には,どのように準備すべきでしょうか。経験を積んだあるクリスチャンはこう説明しています。「何に対して感謝すべきか,兄弟たちは何を願い求めていると考えられるか,兄弟たちのためにどんな請願を行なえるかということを前もって考慮します。そして,賛美の言葉を含め,自分の考えを頭の中で正しい順序に整理します。また,公の場で祈りをささげる前には無言で祈り,威厳のある仕方で兄弟たちを代表できるよう助けを願い求めます」。

あなたの事情がどのようなものであれ,多分,あなたと同様の状況にあった人のささげた祈りを聖書の中に見いだせるでしょう。聖書に記されている祈りが広範囲にわたっていることは神の愛ある親切の証拠です。それらの祈りの言葉を読んで黙想することは,自分の祈りの質を向上させるのに役立ちます。

[5ページの囲み記事]

聖書に記されている有名な祈り

エホバの僕たちは様々な事情のもとで祈りをささげました。次のような状況の一つかそれ以上に,あなたも共感を覚えますか。

あなたはエリエゼルのように,神からの導きを必要としていますか。―創世記 24:12-14。

あなたはヤコブのように,差し迫った危険に直面していますか。―創世記 32:9-12。

あなたはモーセのように,神をもっとよく知りたいと思っていますか。―出エジプト記 33:12-17。

あなたはエリヤのように,反対者と対立していますか。―列王第一 18:36,37。

エレミヤの場合のように,あなたにとって宣べ伝える業は難しいことですか。―エレミヤ 20:7-12。

ダニエルのように,あなたも罪を告白し,許しを求める必要がありますか。―ダニエル 9:3-19。

あなたはイエスの弟子たちのように,迫害に遭っていますか。―使徒 4:24-31。

また,マタイ 6:9-13; ヨハネ 17:1-26; フィリピ 4:6,7; ヤコブ 5:16もご覧ください。

[6ページの囲み記事]

根深い習慣と闘う際に祈り求めるべき事柄

あなたは繰り返し問題となる弱さを克服するために苦闘していますか。どうすれば,聖書に記録されている祈りから益を受けることができますか。自分の弱さに関してしばしば祈ったダビデから学んでください。

ダビデはこのように歌いました。「神よ,わたしをくまなく探り,わたしの心を知ってください。わたしを調べて,不安の念を起こさせるわたしの考えを知ってください」。(詩編 139:23)間違った欲望,感情,もしくは動機をエホバ神に探っていただくことがダビデの願いでした。言い換えれば,ダビデは罪を避けるためにエホバの助けを得たのです。

しかしダビデは,自分の弱さに負けて,ひどい罪をおかしました。この場合もやはり ― その時は神との関係を回復するよう ― 祈りによって助けられました。詩編 51編2節によれば,ダビデはこう嘆願しました。「わたしのとがからわたしを完全に洗い,わたしの罪からわたしを清めてください」。

わたしたちも悪い傾向を抑えるため,謙遜にエホバの助けを祈り求めることができます。そうすれば,わたしたちは根深い弱さを克服するよう強められ,罪を避けるよう助けられるでしょう。もし逆戻りしたなら,再びエホバに近づいて,闘いを続けるのを助けてくださるよう請願すべきです。

[7ページの図版]

一群の人々のためにささげられる祈りは,聖書に基づく希望や共通の霊的な目標を強調したものにすべきである

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